第5話 決断

大きな驚きの後、俺に訪れたのは納得だった。

恋咲先輩と初めて出会った日、彼女が俺の声に反応し顔を上げた瞬間のクラスのざわめき。ずっとあれが疑問でならなかった。

この人が学年一位なら有名人でも違和感はない。

なぜならうちはかなりの進学校で定期テストの順位が毎回貼り出される。熾烈な争いを経て一位を勝ち取ったものは、基本的に注目されるのだ。

同級生にとてつもなく無頓着な俺ですらうちの学年の一位の名前はわかる。

恋咲先輩の場合は加えてこの容姿だ。ハイスペックなカリスマ的扱いをされているのだろう。学年の垣根を超えた、学校が誇る高嶺の花。

「なるほど」

「まあそういうことです」

顎に手を当て納得している俺を恋咲先輩が自慢げに見つめてくる。この人は変なところで子供っぽい。

「確かにそんな有名人が新学期に勘違いして別学年の席に」

「もうやめてください!」

ちょっとむかついたので少しからかってみた。彼女はまた予想した通りの怒り方をする。

「いやでーす」

ニヤリと笑う俺をみて恋咲先輩は怒りを混じらせながら恥じらう。

「本当に最低です!田中くんも、田中くんの席に座った私も」

「で、さらに今僕の家庭教師をしてくれていると」

「これまで生きてきた中で最悪の数日間です」

これまた極端な言い方をして憤慨する恋咲先輩。年上の学年一位の人はもっと博識で落ち着きのある人だと勝手に想像していた。

「僕はそうでもないですけどねー。学年一位の先輩に勉強を教えてもらう機会なんてあると思ってませんでしたし。あとめっちゃわかりやすかったです。助かりました」

俺は軽薄な笑みを消して心の底から思った感謝を述べた。先ほどまでの耳に触るだけの言葉とは違い、恋咲先輩の心にまで届いたらいいなと願って。

恋咲先輩は結んでいたヘアゴムをとった。サラサラの白髪がファサっと空気を揺らす。そして俺に顔を隠すようにしていった。

「は、はい」

俺は確信して距離を詰める。

「照れてますよね」

隠していた顔を見られた瞬間、恋咲先輩は俺の肩をドンと押した。

「照れてません!」

屈んでいたので軽い押しで体勢を崩し、俺は尻餅をついた。鈍い音が部屋に鳴る。

「まあ恋咲先輩、今日はありがとうございました」

「い、いえ。私も・・・教えがいがなかったことはなかったです」

途中で咳払いをして調子を無理やり戻した恋咲先輩が手を差し伸べてくる。俺は手を取って言った。

「じゃあこれからも」

「なんでですか。あなた最初嫌がってましたよね」

立ち上がった俺の手を離して恋咲先輩は言う。言っていることはもっともだった。

「まあそうなんですけど、あなたにこれからも勉強を教えてもらったらめっちゃ頭良くなる気がして」

俺は恋咲先輩に頭を下げた。

「お願いします」

床に映る恋咲先輩の影が少し揺れる。

「・・・新聞配達とカフェとコンビニのバイトの合間なら」

「いや労働基準法大丈夫なんですか」

全く信じられなかった。

一体この人はいつ寝ているのだろうか。これだけのバイトをこなして、学年一位の勉強量。

もしや春城恋咲は1人ではないのだろうか。

頭の中でそんな戯言を思っていたらぎこちない声が聞こえてきた。

「その、私は生徒を選べる立場ではないので」

なんだかモジモジしている恋咲先輩。今の言葉がどう言う意味なのか一瞬わからなかったが、次第に頭の回転が追いつく。

「えーとそれはこれからも頼んでいいってことですか?」

「どうでしょう?」

はっきりとしない返事を俺は勝手に肯定と捉えた。

思わず笑みが出そうになる。しかし恋咲先輩は人差し指を立てて言ってきた。

「私から一つ条件を出します。それをクリアしてくれるなら考えないこともないです」

「何ですか?」

少し鼓動が速くなった。一体何を言い出すのだろうか。

考えてみても何も予想できない。

思わず喉が渇く。

「読書研究会。もう一度考えてみてください」

微笑と共に彼女はそういった。

「・・・何で、反対してそうな恋咲先輩が?」

恋咲先輩がその時、本棚の右上をチラリとみたことに俺は気づかなかった。


「読書研究会に興味ありませんか・・・?」

華菜は一人、校門の前で自前の勧誘チラシを配っていた。

しかしその前を通る生徒の反応は芳しくない。

視線をこちらに向けてはすぐに戻す者。何となく紙だけはもらっていく者。会話に夢中でそもそも華菜に気づいていない者。

そりゃそうだと華菜は思った。そもそも4月下旬である今、ほとんどの新入生は入る部活動が確定しているだろう。完全に勧誘時期が一歩遅れている。

それに加えて読書という文化は人を選ぶ。

全く本を読まない人もいれば、読んだとしてもわざわざ学校でその部活に入ろうと思う人はあまり多くない。

夏前の風に生足がさらされ、少し肌寒くなってきた。

今、華菜の頭の中はまっすぐなトンネルのようだ。そしてその中で見えるたったひとつの出口はある人の姿をしている。

正直こんな勧誘をしても無駄であることは薄々わかっていた。

一つの光を信じるしかない方法がないことも。

華菜はもう一度あの瞬間を思い出していた。彼が自分の家が経営している本屋に入ってきた時のきらめきを。

あまり表情は変わっていなかったが明らかに心が躍っているように見えたあの瞳を。自分と同じものを持っていると直感したあの感動を。

華菜が現実に意識を戻したのはその時だった。彼が校門を気だるそうに通っているのをみた時。

「ど、読書研究会!入ってみませんかー」

華菜の声に反応して彼はこちらをみた。

少し驚いているようだが、彼は立ち止まらない。

一瞬目が合うもすぐに彼は校舎へ向かってしまう。

前髪に隠れていたが彼は何かを噛み殺したような顔をしていた気がする。

「華菜。遅くなってすみません。やっと新聞配達が終わったもので」

後ろから聞こえた恋咲の声で華菜はやっと目に彼の後ろ姿を映すのをやめた。

「もうダメなのかな」

思わず弱音がこぼれる。スカートの裾を軽く握るとその手を恋咲は包んでくれた。冷えた指先や甲が優しく柔らかい肌に包まれる。

その温もりは体の奥まで伝達してきそうだった。

「それは・・・わかりません。でも、ここが必要な人はいる気がします」

恋咲もまた、誰かを思い浮かべるかのように言った。


読書研究会の廃止の期限はあと3日に迫っていた。

『読書研究会。もう一度考えてみてください。』

あの時の恋咲先輩の言葉が俺の頭にこびりついて離れない。そして、その次に思い出すのは華菜先輩の寂しそうな顔だった。

俺は自分の部屋で一人、ただただ悩んでいた。何も変わっていないはずなのに部屋の天井がいつもより遠く感じる。

しかしどれだけ頭を掻きむしっても、どれだけ考えても答えは出てこない。

この選択をするのに、残り3日というのはあまりに短すぎた。

俺は気分をリフレッシュしようと立ち上がり部屋の窓を開けた。心地の良い風が鼻を抜ける。その時、一つの葉が風とともに部屋へ流れ込んできた。

その葉は流れに身を任せてただただ飛ぶ。

何度か上下したのちに葉が着陸したのは俺の本棚だった。それも唯一小説が置かれている本棚に。

「なんでここにくるかなぁ」

昔の記憶を掘り起こす本のタイトルたち。一人の著者。

ふうっと息を吹きかけると埃が部屋中に飛散した。軽く咳をしたのちに俺は一つ文庫本を取る。何かが揺れ動いた気がした。

経年劣化している文庫本を開くとその瞬間、体の奥底からマグマのように何かが溢れ出そうになる。手が震え、俺はすぐに本を床へ落とした。

荒くなった呼吸のまま、一つ本が抜けた棚を見ると奥の方に薄汚れた紙が見える。くしゃくしゃになり封じ込めようとしているもの。そして、綺麗な状態の一つの封筒。

俺は文庫本をまた本棚に戻した。何かを封じ込めるように。


期限前日、まだ明確な答えが出ないまま俺は彷徨っていた。

おぼつかない足取りで登校している時のこと。

俺はある人物と肩がぶつかった。かなり勢いがあり、相手の人は少しよろめいた。

「あ、すみませ」

謝罪の言葉は目の前にいる人の姿を見て止まった。

「げ!」

金髪ポニーテールが感情を持ったかのように動く。

「げ」

冬乃先輩は気分が悪そうに目つきを細めてこちらを見ていた。

そしてそれは俺も同じだ。

お互いが向かい合って目線による火花を散らしていると、やけに爽やかな声が聞こえた。

「何?冬乃さんの知り合い?」

冬乃先輩の隣にいたのはメガネをかけた男子生徒。俺が新学期初日にみた、忘れたい光景の一部の男だった。

透き通った声で冬乃先輩に話しかける男子生徒。多分、冬乃先輩の彼氏なんだろう。

「こいつあの時の覗き魔よ」

冬乃先輩が俺を指さして言った。爪には綺麗なネイルがされている。

「違うわ!誤解です」

「あーあの時の」

俺は即座に否定したが彼氏は冬乃先輩の言葉を信じたようだった。だがなんだか雰囲気は穏やかだ。

俺があの場面に遭遇してしまった事情を説明しようとすると、それより先に彼は頭を下げてきた。

「すみませんでした」

誠実そうな声が聞こえてくる。

「え?」

「何でこいつに謝るの!」

困惑する俺と不機嫌そうな冬乃先輩。でも、冬乃先輩の怒り方は俺に向けたものとは全くの別物でなんだがあざとかった。

「あれは場所を考えなかった僕たちが悪いです。本当ごめんね?」

「いや、別にいいっすけど」

頭を上げて笑う彼氏。冬乃先輩の相手だからもっと粗悪な人を想像していた。

とてもいい人そうだ。

「俺、咲ヶ原さきがはら翔平しょうへい。2年2組」

「田中柊磨です。5組」

俺たちはなんとなく握手した。冬乃先輩のみあまりいい顔をしていない。

「よろしくね」

「はい」

友達が一人増えた・・・のか?


それから一夜明け、結論が下される日となった。俺の中で何かが渦巻いている。

しかしそれがなんなのかはわからないまま放課後になった。

現在俺は生徒会室にいる。

この部屋には少し重い空気が漂っていた。部活動担当の先生が最終決定会議に生徒会も参加してほしいといってきたのだ。

きっと真夏先輩が所属しているからだろう。

四角に並べられた長机に担当先生と生徒会が座っている。

真夏先輩は浮かない顔をしていた。


華菜と恋咲は部室のソファで同時にため息を吐く。二人の間に会話はなかった。

どんよりした雰囲気を裂くように扉が引かれる。

立っていたのは冬乃だった。

「そろそろね。何辛気臭い顔してんのよ。もうしょうがないじゃない。華菜、先輩に囚われるのもやめ時なんじゃない?」

冬乃にそう言われ華菜は俯く。

恋咲は何もできなかった。

「大人になりなさい」


教師のわざとらしい咳払いが場を整える。

「えー続いて、読書研究部改め読書研究会は指定の期間までに部員を集めることができなかったので、約束通り廃止といことでよろしいですね生徒会長?」

真夏先輩に視線が集まった。裁判中のような冷たい視線。

「そういう規定ですから・・・。私が所属しているからと言ってそこだけ特別扱いするのはおかしいです」

今の彼女の顔はいつもの陽気な少女ではなく、背中にたくさんのものを抱えている生徒会長だった。その口調は重い。

「ということで大変心苦しいのですが研究会に降格してから1ヶ月以内に部員を集めることができない場合は廃止という学校の規定通り、読書研究会は廃止と」

その時、全身の細胞が疼き出した気がした。

忘れられない風景が、止まっていた時間が、心が、動き出す。

なぜなのかわからない。俺は手を挙げていた。

凝り固まった場を壊すように。何かを変えるように。

視線は全て俺へ流れていた。

「何ですか?」

冷徹な声が俺の琴線に触れ、自然とその言葉が口から出ていた。

「僕が入ります」

どよめきが場を包む。そんな中俺の目に映ったのは嬉しそうに笑う真夏先輩の顔。

「僕が入る。これで、人数は5人です。廃止しなくていいですよね?」

固まった教師を横目に俺は生徒会室を飛び出してあの教室へ走っていた。

   

ただただ走った先に辿り着いた教室。俺は思い切り扉を開ける。

俺の気持ちは晴れやかだった。

扉の先には驚いた顔の3人がいる。

「新部員の田中柊磨です!よろしくお願いします」

少しの静寂のあと、華菜先輩は弾けるように笑った。恋咲先輩は何かつっかえていたものが取れたかのように微笑んだ。冬乃先輩はただただ驚いていた。

「は!?」

最初に声が漏れたのは冬乃先輩だ。眉間に皺を寄せてこちらに近づいてくる。

「てなわけでよろしくです。冬乃先輩」

「どーいう風の吹き回しよ!」

きつい口調と共に胸の辺りを小突いてきた。

「ただ、後悔したくなかっただけです」

「私は認めない!あんた以外のメンバーを探す!」

俺は笑いながら冬乃先輩に一礼し、部室の壁をみた。

置いてあったペンケースから油性ペンを出し、デカデカと書く。

[読書研究部! 田中柊磨]

「何やってんの・・・」

「僕が読書研究部の一員である証拠を残しました」

「はあ?」

こうして俺は読書研究部に入ったのだった。

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