第6話 早すぎる危機
「田中、ありがとう」
華菜先輩は目に少しの涙を溜めて言った。
「いえいえ、僕が自分で決めたことです」
そういうと、華菜先輩はふふっと無邪気に笑う。この人はやっぱり笑顔が似合っている。
俺も思わず口角が上がった時、二人の間にノイズが走った。
「いやいや待って!ほんっとありえない!なんでこいつなの!」
冬乃先輩はこの場でただ一人、空気感についていけていないようだった。
俺を差した冬乃先輩の指を恋咲先輩が塞ぐ。
「冬乃、失礼ですよ。田中さんが入ってくれなかったらこの瞬間、この場所は無くなっているんです」
恋咲先輩が諭しても、冬乃先輩のイライラは止まらない。
「なんであんたらそんな歓迎ムードなのよ!恋咲だってこいつのこと嫌いなんじゃないの?」
「私が田中さんのことを嫌いでも、それで田中さんがここに入ってはいけない理由にはなりません。そしてそれは冬乃の場合も同じだと思いますよ?」
少しけなされている気もするが恋咲先輩はおそらくフォローしてくれているのだろう。冬乃先輩も地に足ついた反論をされて何も言えなくなっている。
冬乃先輩の沈黙を破るように廊下からドタドタと急いでいる足音が近づいてきた。その音だけで誰が向かってきたのかこの場にいる全員が察しているようだ。
大きな音ともに開かれた扉からは案の定、真夏先輩が入ってきた。
「田中くーん!やっぱり君はやってくれると思ってたよ。さすが私が育てた後輩!」
弾ける笑顔と共に真夏先輩は抱き付かんばかりの迫力で俺の前にやってきた。
「あはは。改めて、これからよろしくお願いします」
「うん!」
真夏先輩はその後華菜先輩のそばへ行き、やったー!と言いながら一緒にハイタッチをする。
その様子を見守っていると肩を叩かれた。
「田中さん」
振り返ると恋咲先輩は何か言いたげな表情でこちらを見ている。なんだろうと思いながらもまずは踏み出すきっかけをくれたことに対しての感謝を述べた。
「恋咲先輩、ありがとうございます」
「いえいえ私は何も」
その後、恋咲先輩は言った。
「それに正直、結局あなたは入らないと思ってました」
意外な言葉だった。俺の中ではかなり恋咲先輩の言葉が決め手だったから。
「えーあんなこと言ったのに?」
「私があなたをみくびっていたようです」
落ち着いた声で恋咲先輩は言う。少し嬉しそうに。
「何か決心できたのですね」
この人の言葉はいつもまっすぐでどこか暖かい。
「聞かないんですか?」
「言いたければどうぞ」
「いやいいです」
俺と恋咲先輩は生徒と家庭教師の関係でありながら、やっと後輩と先輩になった。
翌日、教室で受ける授業はいつも通り退屈で特になんの変化もない。でも、どこか心が晴れやかで世界が少し明るくなった気がした。
「ということで、新たな読書研究会のメンバーを祝して」
放課後、初めての部活動。出席者3名。欠席者2名。
昨日より教室が広く感じた。
真夏先輩がコーラを片手に乾杯の音頭をとる。華菜先輩と俺はなんとなくテンションについていけていない。
「いやいや待ってください。恋咲先輩と冬乃先輩は?」
真夏先輩と華菜先輩を交互に見たが、二人とも目を合わせてくれない。
先に話したのは華菜先輩だった。
「恋咲はバイト。冬乃は・・・」
「誘ったんだけどね。まあ普通に断られた」
真夏先輩が残念そうに補足をする。歓迎会とは思えない気まずい空気が流れた。
「いや!でもいつもこんな感じだよ!決して田中くんがいるから来てないわけじゃなくて!恋咲も放課後はバイトでほぼ来ないから!」
「いつもこんな感じだったら尚更ダメじゃないですか」
そうだった。4人の中でちゃんと本が好きなのは華菜先輩だけだった。
華菜先輩に聞いたところ、真夏先輩も普段は勉強と生徒会長の仕事でほぼ来ないらしい。結局過半数は幽霊部員のままだ。
いつもはこの教室でただ一人、華菜先輩が本を読んでいるだけだそうだ。まあ恋咲先輩や真夏先輩は自習室として使うこともあるそう。
部室にも棚に本がたくさん置いてあるが大体が華菜先輩のもの。というかよく見ると漫画とか雑誌とか教室のロッカーに入りきらなかったであろうプリント類も置いてある。失礼ながら多分冬乃先輩のものだと思う。
「で、活動的には何をするんですか?」
二人はまた黙った。視線をキョロキョロさせている。
「そうだね・・・何するんですか華菜さん」
しれっとこっち側に回った真夏先輩。廃止会議の時にはあんな悲しそうな顔をしていたのにこの人も読書研究部が何をしているのか理解していないようだった。
「・・・本を読む」
華菜先輩は二人に詰め寄られて自信なさげに言う。
「まあそうでしょうね。真夏先輩は?」
俺は難を逃れてほっとした様子の真夏先輩にも問いかけた。わかりやすく焦る真夏先輩。
「あははー。なんだろうね・・・まあ!みんなで仲良くできればいいじゃん!」
持ち前の明るさをフル活用し、真夏先輩は俺の問いから逃亡した。
よくよく考えたら特に活動内容を知らずに入った俺も問題がある気がする。でも漠然とこの部活に惹かれてしまったのだ。しょうがない。
「よし!とりあえず乾杯しようー!」
真夏先輩がもう一度コーラを持った瞬間、部室の扉が開いた。
恋咲先輩か冬乃先輩が来てくれたのかもしれないと全員が直感する。
同じタイミングで同じ方向へ振り向くが、そこにいたのは恋咲先輩でも冬乃先輩でもなかった。
「お邪魔しまーす」
ノックもせずに敷居を跨いだのは一人の男子生徒だった。
その男子生徒はどこか冷めた視線で俺たち3人、そして部室を見渡す。
華菜先輩は不安そうにその男を見つめる。真夏先輩ははてなマークがそのまま浮き出ているような顔をしていた。
「なんですか?」
真夏先輩が男子生徒に問いかけると、彼は少し目を細めた。なんだろう。どこかで見たような気がする。でも、それがどこなのか思い出せない。
俺は人の顔を覚えるのがそんなに得意ではないから既視感を感じると言うことは最近見た顔ということか?
チラリと足元を確認すると上履きが青色。つまり、俺と同い年の2年生だ。
「あなたが読書研究部の新メンバーの田中柊磨くんですか」
男は通った鼻筋、くっきりとした瞼をしていて一言で言ったら整った顔立ちだった。俺に向かって笑顔を浮かべると少し愛嬌が増す。でも、どこか胡散臭い。
「ああ、はい」
「この度は存続おめでとうございます」
そう言ってそいつは右手を出してくる。俺は流れに身を任せてそいつと握手をした。この手にも何か思い出す感覚がある。
「なんのようですか?」
華菜先輩が対面する俺と男を交互に見ていた。
「一つ提案したいことがあって」
咳払いをした後、そいつはポケットからメガネを取り出した。黒縁のメガネを開き、顔にかける。たったそれだけの動作だったのにどこか優雅だった。
メガネという異物を顔に装着しても、整った顔立ちは変わらない。むしろアクセントのように機能していた。
そして俺はその顔を正面で見た時、やっと目の前の人物の正体に気がついた。
脳内に断片的な記憶がフラッシュバックし、さっきまでの光景とリンクしていく。とてもすっきりした。
「お前・・・冬乃先輩の」
その男は冬乃先輩の彼氏だった。
既視感の正体は放課後の誰もいない教室で目撃した時の不機嫌そうな顔、そして先日握手した時の笑顔だった。
今もまた、彼はやっと思い出してくれたと言いたげな顔で笑っている。
記憶をまた遡る。こいつの名前は確か・・・。
「改めまして、特別組織委員会の会長、咲ヶ原翔平です」
思い出すより先にその男、咲ヶ原は自分で名乗る。あーそうだそうだとなるより前に聞き慣れない単語が耳に入り、気になった。
「特別・・・何?」
「特別組織委員会。生徒会と教師とはまた別の第三勢力」
真夏先輩が真剣な顔でそう言った。第三勢力ってなんだ。聞いたことないぞ。
俺は間の抜けた「へ?」という返事が思わず漏れた。
「咲ヶ原くんの親は超一流企業の社長で、この学校に多額の寄付をしているの。その見返りとして生徒会とはまた別の組織を息子が運営することが容認されてる」
「いや、待って理解できない」
そんなのめちゃくちゃだ。社会に出る前の学校という狭い空間ですら、金を持っている人が強いのか。恋咲先輩が聞いたら失神しそうだ。
というか冬乃先輩はそんなえげつない人と付き合っていたのか。
「君も生徒会のメンバーなんだから知っといてよー。っていうか何回か会議で話したよ?」
おっとそれはいけない。でも今は俺が会議を聞いていないことがバレることなんてどうでもよかった。そんな制度を認めている学校に怒りが湧いてくる。
「でも当然生徒会ほどの権限は与えられていないし、人数も少ない。まあ、名目上は生徒会の力の抑制が主な仕事かな」
血圧は未だ上がったままだが、俺は少し安心した。
「僕はいずれ生徒会長になる予定ですよ?現会長」
咲ヶ原がニヤリとすると、真夏先輩は困ったように笑い返した。
「それは頑張ってとしか言えないよ。君がなったらその時は君が思う生徒会長の役目を果たせばいい。まあ生徒たちがついてきてくれるのなら。でも、今はまだ私が生徒会長」
「そうですね。まあ、その話は置いておきましょう。特別組織委員会は僕が生徒会長になるまでの練習みたいなものです」
咲ヶ原は両手をパンと重ねて言った。
「そして、特別組織委員会ができる権限の一つに部活動整理の提案っていうのがあるんですよ」
その言葉を聞いた時、嫌な汗が流れた。そして目の前にいるこの男が人間ではない、異形か何かに姿を変えていくように感じた。
「で、提案っていうのはなんですか?」
ピリついた空気に気圧されていた華菜先輩が心配そうに聞いた。この人もまた嫌な予感を感じ取っている。
「あなたたちには漫画研究部と合併をしてもらいます」
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