第9話 作戦会議
「今回の肝は実際に部員を増やさなくてもいいってところにあるんだと思うんですよ。そこが前回とは違う」
「そうだね」
合併を阻止する条件は満足度アンケートで3位以内になること。その後、部員が増えたかどうかは関係ないのだ。
「つまりただただ5分間を濃密に、満足させることが一番重要です。とりあえず、何をするかノートに書きましょう」
「うん」
俺は持ってきたキャンパスノートを机の上に広げた。
「ていうか他の部活はどんなことをしているんですか?」
「吹奏楽部や軽音部は演奏、サッカー部とかは流行りの芸人さんのパロディとかだったかな」
俺は咄嗟に華菜先輩と二人で漫才をしている姿を想像してしまった。見るに耐えないものができるに違いないだろう。この案は却下だ。
「まあもっと僕ららしいものにしましょう」
「そうだね」
彼女も似たような想像をしたらしい。
「先輩が一番伝えたいことは?」
シャープペンシルからカチカチと芯を出して俺は聞いた。
カウンターの方を見ると、恋咲先輩がコーヒーをドリップしつつも仲間になりたそうにこちらを見ている。俺の視線に気がついた恋咲先輩は少し耳を赤くして誤魔化すように手元のコーヒに集中する。
その様子に気づかずに考えていた華菜先輩。やがて、頭の中の整理が着いたらしく満を持して彼女は言った。
「読書する楽しさかな・・・」
思ったよりも実直な回答で俺は驚いた。本をこよなく愛するからこそコアなことを言ってくると思ったからだ。
「田中はさ、本の良さってなんだと思う?」
俺の反応が鈍かったからか、華菜先輩はすぐに質問を切り返した。
「国語が得意になる」
「つまんない」
俺の即答は期待に応えられなかったらしい。
でもそれでいいのだと思う。今回の新入生歓迎会は変に気を衒ったり、無理する必要はない気がする。ただ素直に読書研究部の、いや華菜先輩の熱意を伝えるのが一番だ。そうすれば観客たちは自ずと感じ取ってくれるだろう。
「俺が考えても意味ないです。先輩が考えてくださいよ」
華菜先輩は頭を抱える。
「うーん。本はあんな小さなものなのに無限の世界が広がっていて、文字を読むだけで作者と繋がれる」
とりあえず頭の中に浮かんだことを言っていくようだ。
「一人の人間の頭をのぞく感じ。現実には限りがあるけど、空想の中なら無限。その人の世界にどっぷりと浸かれて、その間は現実のいやなことも全部忘れられる」
「いいですねえ」
そして華菜先輩は一呼吸置いてから最後に言った。
「あとは、未来に残せる」
彼女の口から聞こえてきた言葉に反射的に「ん?」反応してしまった。
華菜先輩が言ったその言葉には言い表せない厚みがあった気がする。
「もし自分が本を書いてたらの話だよ?そしたらさ自分が死んじゃっても、自分の伝えたかったことがずっと残り続けるわけだし、まだ生まれてきていない人とも繋がれるじゃん。現に夏目漱石とか芥川龍之介とか森鴎外とかさ、その人たちが作り出した世界ってのは一生残り続けて私たちの心に深く残ってる。それってすごく素敵じゃない?って、だめかな・・・」
一通り話し終えると華菜先輩はまた覇気が弱くなっていく。
「いや、すごくいいと思います」
華菜先輩は俺の反応を聞くとパアッと表情が明るくなった。
俺は今言ったことをとりあえずノートに書き出す。華菜先輩はちょっと恥ずかしそうだった。
「とりあえず具体的な本を一冊紹介したいですね」
「そうだね。何がいいかな」
俺たちはスマホを取り出して、売れている本や賞を取った本を調べたがイマイチイメージが湧かなかった。どの本が新入生にうけるのか、数字の羅列を見てもさっぱりわからない。
「じゃあ実際に本屋行こう。それで多くの人が手にとるやつとか店頭に並ぶやつにしようよ」
「あーそうしましょう。ナイスアイデアです」
俺たちは少し冷めてしまったコーヒーを飲み干して席を立った。
「恋咲先輩。お会計お願いします」
「他にも店員いるじゃないですか・・・」
仕事しながら器用に俺たちの話を聞いていたっぽい恋咲先輩を捕まえる。
嫌がる素振りを見せていたがとてもわざとらしかった。多分内心、輪に入れて喜んでる。
「で、具体的な戦略は練れたのですか?」
恋咲先輩はレジを打ちながら聞いてきた。
「はいもうバッチリです。ねー華菜先輩」
「う、うん」
恋咲先輩は具体的なものはほぼ何も決まっていないことを明らかに察していた。
レジを打ちながらなんとなく呆れられている気がする。
「それならよかったです」
軽くあしらわれた。
カフェを出た俺と華菜先輩は近場にある本屋を5件ほど回った。特筆すべきことはその本屋の場所を全て華菜先輩が知っていたことだ。
スマホを使うこともなく、自分の中にある記憶のみで俺を案内してくれた。
華菜先輩になぜこんなにも場所を知っているのか聞いたところ、本屋巡りが趣味なのだそう。ネット注文や電子小説が台頭し始めているこの時代には大切にすべき個性だった。彼女が言うには紙の本じゃないと本を読んだ気にならないらしい。
そんなこんなで2人は本屋デートをした。側から見たらそう見えると思う。
午後をたっぷりと使って俺は華菜先輩のことをもっとよく知れたが、肝心のなにを紹介するかは全く決まっていなかった。
本屋ごとに特性があり棚に並んでいる本も違う、さらに多様化の現代で注目を集めているのがたった一つの本であるわけがなかったのだ。
結果としていえば、本屋へ出向く調査は失敗に終わった。
でも俺は結構な満足感を得ている。
というか普通に華菜先輩と街ブラをするのが楽しかった。
「どうしよっか」
街全体がオレンジ色に包まれた頃、華菜先輩はつぶやく。
「もう近くに本屋ないよ」
意外にも限界が来たのは目だった。今日一日、人の動きと本棚に並んでいる活字をずっと観察していたからだ。本屋巡りが一通り終わると魔法が解けたかのように体に疲労がでる。足も正直痛かった。
「いやまだ一件ありますよ」
つき出した街灯が華菜先輩の瞳に写りキラキラと光る。
「え?どこ?」
「まあ着いてきてください」
俺は何も言わずに華菜先輩を目的の場所へ連れて行った。1日で2回も目的地を言わずにこの人を連れ出している。
華菜先輩はその場所に近づくと何かを察した表情へ変わっていく。
歩いている道は華菜先輩の下校ルートだった。俺も下校する時の通り道なので目がこの風景にとても見慣れている。
マンションにも点々と光がつき始めた時間帯、俺と華菜先輩は最後の本屋に到着した。華菜先輩の実家であり、俺と初めて出会った場所。
「そう言うことね」
「やっぱ最後はここに来ないと」
俺と華菜先輩は同じタイミングで破顔した。
「失礼しまーす」
以前は普通に入れたのに華菜先輩の家族が営む本屋だとわかってしまうと体に変な力が入った。
現在店内にお客さんはいない。
1人の店員さんがレジで作業をしているだけだった。俺が初めてこの店内に入った時にもいた人だ。
茶髪の髪を後ろでくるっとお団子にしている俺たちよりも少し歳が上な気がする女の人。
「あ、おかえり」
「ただいまー」
気だるそうな声と共に華菜先輩は迎えられた。
「裏口から入ってよ。って何その子」
「いや、その、なんていうか」
華菜先輩が俺をなんと表せばいいのか咄嗟に出てこず、口籠る。その様子を見て女の人は手に持っていた書類を床に落とした。口が閉じる気配がない。
途端に椅子から転げ落ちて、よろめきながら店裏へ走る。扉は閉まったが、彼女の大きな声はこちらにまで聞こえてきた。
「おかあさーん!華菜が彼氏連れてきたー!」
華菜先輩は俺に構うことなく慌ててその女の人を追いかけて行った。
「ちょっと待ってお姉ちゃん!大声で誤情報流さないで!」
STAFF ONLYの扉の奥からドンガラガッシャンといった賑やかな音が聞こえてくる。
そうして俺は現在、華菜先輩のご実家のリビングにお邪魔している。
一つのこたつの一辺ずつに華菜先輩のお母様、お父様、姉、そして華菜先輩と俺が座っていた。
完全に誤情報が正情報として家庭内に広まっている。
正座している俺と今にもオーバーヒートしそうなほど赤面している華菜先輩の前には、強面のお父様がどっしりと構えていた。
「で、君はうちの娘のどんなところに惹かれたのかい?」
見た目にカチッとハマった渋い声が耳に響く。その1音1音を聴くたびに俺に対する威圧感が増しているように感じた。
そして事態の発端である本屋の店員、華菜先輩のお姉さんはまるで他人事かのようにスマホをいじっている。誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ。
「いや、だから誤解だって。田中は彼氏じゃない」
華菜先輩がお父様にそう言うと、俺も言葉を上乗せする。
「そうです。華菜さんとはお友達として」
「友達なのに下の名前か。君としては距離をもっと縮めたいらしいな。そんなに娘のことが好きか」
俺の言葉を聞き終わるよりも前にお父様がさらによからぬ方向へと事態を悪化させていった。俺はテンパる。
「あの、その、ごめんなさい。そんなつもりは」
「ほお、君はうちの娘が魅力的ではないと言いたいのか?」
場所は移動していないのにどんどんと壁際に追い詰められていくような感覚が体を襲う。心なしかお父様の体も大きくなっている気がする。
「決してそういうわけじゃ!娘さんは僕には勿体無いくらい魅力的で素敵な女性です!」
「ちょっ!」
これ以上赤くなることはないと断言できるほど、頬が朱に染まっている華菜先輩。華菜先輩のお姉さんも今の俺の言葉には驚いたらしくスマホから顔を上げた。
勢いで言いすぎたなと心の中で反省した。
「まあご飯にしましょ?」
お母様の優しい言葉で空気が一気に和らいだ。なんとかピンチは回避した気がする。
その後俺はなぜか華菜先輩の家で夜ご飯をご馳走になり、食後はお父様の世間に対する愚痴に小一時間付き合った。その姿を見て華菜先輩は人生が終わったかのような顔をしていた。
最終的にはお酒に酔い上機嫌になったお父様に肩を組まれ、華菜先輩の幼い頃のアルバムを見させられた。その姿を見て華菜先輩は地球が終わったかのような顔をしていた。
時刻は21時を周り、人の気配も少しずつ少なくなってきた。
お父様から「またいつでも来たまえ!」というお言葉をいただいた末、俺は帰路につく。最寄りの駅まで華菜先輩がついてきてくれた。
「なんかごめん。本当色々」
「いや、すごい楽しかったです!賑やかですね。華菜先輩のお家は」
「ああうん。ちょっと賑やかすぎるよ」
「素敵なご家族じゃないですか」
華菜先輩は疲れ笑いをこぼす。今日1日で初めてみる華菜先輩の表情がたくさんあった気がした。
「もう今日なんのために出かけたんだっけ」
「あはは。最初の目的忘れちゃいましたね」
夜風にあたり、頭が冷静になると今日1日で何も進展していないことに対する焦りが襲ってくる。
「でも、ちょっと普通にやばいね」
「確かに。あんま笑えないかも・・・」
「紹介する本、明日図書室にでも行ってみる?」
「それいいですね。会長なら、図書の貸し出しのデータも見れるかも」
この先輩と出会ってまだ一ヶ月も立っていないことに驚きだった。それぐらい、俺と華菜先輩は濃密な時間を共有したと思う。
二人とも、歩くスピードはゆっくりだった。
「じゃあまた明日ね。今日は色々ありがと。楽しかった」
「あーいやいや。僕もすごい楽しかったです。たくさん連れ回しちゃってすみません」
「全然。こんなに充実した休日久しぶりかも」
「褒めすぎですよ」
「本当なんだもん」
会話が途切れた二人の間に電車の音が響き渡る。
「あ、明日ね!」
「はい。また明日」
華菜先輩に背中を向けると、現実に帰ってきたような気がする。
この時間が終わることがなんだかとても寂しく感じた。
咲ヶ原と冬乃は電気の消えた部屋で1つのブランケットをくっつきながら羽織っていた。目の前に置かれているiPadから映画が流れている。
「冬乃さん?退部届出した?」
ポップコーンを手に取って咲ヶ原は言った。
「・・・いや。なかなか言い出せなくて。もうちょっと落ち着いたら絶対出すから」
「そっか。まあ自分のペースでいいよ。読書研究部の人達も今は色々大変だからさ」
咲ヶ原は爽やかに笑う。
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