第8話 原点

日曜日。どこまでも続く青空の下で、俺は華菜先輩を待っていた。

まだ5月だと言うのに今日はなかなか暑い。すでにバテそうだった。

こんな調子では今年の夏はどうなってしまうのか。地球ごと溶けるんじゃないかと思うほどだ。待ち合わせ場所の商店街の入り口で集合時間10分前に着いた俺はそんなどうでもいいことを考えていた。

「ごめん。待った?」

声が聞こえた方向へ反射的に振り向くと、そこには普段の雰囲気とはひと味違う装いの華菜先輩が立っていた。

普段の制服に黒パーカーという服装は、一言で言うとボーイッシュ。それに見慣れているせいか今日の服装が目に入った時、俺は一瞬黙ってしまった。

雰囲気がかなり違ったからだ。

水色のワンピースに羽織られている白いセーター。

目の前に天女が現れた気がした。彼女が通った道に生えている雑草は全て花になるのではないかとまで思ってしまう。

「ま、待ってないです。今来たところです」

「あーうん。よかった」

華菜先輩は俺の熱中している視線に気づいたらしく、不思議そうに聞いてくる。

「なんか付いてる?」

自分の着ている服を確認するように見る華菜先輩。俺はしどろもどろになりつつも喉につっかえてた言葉を吐き出した。

「いや、その、私服が意外だなって思って」

「あ、うん。・・・それは褒めてる?」

恥じらいなんとなく前髪を触る華菜先輩の姿はまさしく清楚な女の子だった。

「褒めてます褒めてます。似合ってますよ」

勢いで飛び出した俺の本心に華菜先輩は少し嬉しそうに笑った。

いつものどこか自信がなさげでローテンションな姿とのギャップに俺が照れそうだった。

「ありがと・・・。で、何するの?」

「あーちょっと行きたいところがあって」

ぎこちない空気が二人の間に流れる。制服以外の姿で向き合うとなんだか照れてしまう。俺は強引に華菜先輩を目的地へと連れ出した。

そういえば、異性と休日に二人で会うのは初めてだ。

そんな事実を考えてしまうと途端に緊張してきた。隣を歩く華菜先輩を本人に気づかれないように一瞬見る。華菜先輩もまた、いつもより目線が泳いでいる気がした。

時々歯切れの悪い会話をしてなんとか場を繋ぎ、俺たちは目的地に到着した。

そこは商店街を少し外れたところにひっそりと建っているカフェだった。

「カフェ?」

俺は扉を開けた。心地のいいシャンソンが店内に流れている。初めて入ったのにどこか懐かしい空気を体で感じた。

チリンチリンという鈴の音を聞いて、一人の店員さんがこちらへ来た。

店の制服である茶色のYシャツに黒いエプロンをし、長い髪を後ろにまとめている。

その店員は白髪だった。

「いらっしゃいませー」

「2名で」

「はい、かしこまりました」

素晴らしく綺麗な営業スマイルと共に白髪の店員さんは店内を見渡す。

空いている座席を見つけ、案内を始めようとした時、突如石化魔法をくらったのかのように彼女は止まった。

笑顔がだんだんとこわばり、ゆっくりとこちらを見る店員さん。

その人の瞳に、ニヤニヤしている俺と驚いている華菜先輩の姿が映った。

「なんでいるんですか!」

恋咲先輩は心の底から驚いた様子だった。いきなりで声のボリュームを調整できず、近くにいた他のお客さんの視線を集めてしまう。

慌てて頭を下げて俺の元へ来る。

次はしっかりと小声で言ってきた。

「なんであなたと華菜がここにいるんですか!」

「いーじゃないですか別に」

俺の揶揄う笑顔とは対照的に華菜先輩はいまだに驚いていた。でも正直理由がわからない。

恋咲先輩がカフェでバイトしていることぐらい知っているはずだ。俺はむしろ店の前に着いた瞬間に勘づくのではないかと思っていた。

「恋咲のカフェってここだったんだね。でもさ、なんで田中はここで恋咲が働いていること知ってんの?」

なるほど。その疑問のせいで華菜先輩はあそこまで驚いていたのか。

「それはシークレットです」

俺は得意げに笑う。

「ストーカー?」

「違うわ!」

華菜先輩はあまり良くない想像をしていた。

俺がなぜ恋咲先輩がこのカフェで働いていることを知っているか。それを知るには時を数日遡らなければならない。

恋咲先輩の2回目の家庭教師の予約を取ろうとした際、なんと彼女のスケジュールがパンパンで取れなかったのだ。事務所の受付さんにそんなに人気なんですかと聞いたところ単純に別のバイトが忙しいのだという。

そこから俺が受付さんと電話越しに世間話をして親しくなっていくうちに他のバイト先を聞き出すことに成功したのだ。

なぜそんなことをしたのかというと、恋咲先輩が全く部活に来ないのでそれなら部活ごと恋咲先輩の元へ行けばいいと考えたのだ。

あれ?俺、ストーカーとおんなじレベルでキモくないか。

恋咲先輩も俺に少しの気色悪さを覚えたのだろうか。段々と後退りしている気がする。

恋咲先輩は俺のことを一旦置いといて華菜先輩の方は向いた。

「華菜、あなた昨日私に服装相談してきま」

「ちょっと静かにして!」

なにやら顔を真っ赤にして恋咲先輩の口を塞ぐ華菜先輩。迷惑一般客が店員にダル絡みしているように見えてもおかしくない。

一悶着ありつつも、俺と華菜先輩は無事席に案内された。

「で、なんでここなの」

テーブルを一つ挟み、華菜先輩が不貞腐れたように言う。俺たちはシート席に向かい合って座っていた。

「なんでちょっと不機嫌なんですか」

「なんでもなーい」

机の上のおしぼりをなんとなくいじる華菜先輩。

「ここならうちの部活の聡明枠である春城恋咲さんの手助けが借りれると思って」

「なるほど」

「なるほどじゃないです。私は働いてるんですよ」

伝票を持った恋咲先輩が言う。

「まあまあ、だってあなた部活来ないじゃないですか。今うちはピンチなのに」

ギクっと体裁が悪い顔をする恋咲先輩。

「ご注文は?」

「話逸らしたな。まあいいか。華菜先輩コーヒー飲めますか?」

「うん」

「ホットコーヒー2つで」

「はい。かしこまりました」

しっかりと客へ向けるお辞儀をして、恋咲先輩はカウンターの方へ向かおうとする。

しかし、一瞬立ち止まり聞いてきた。

「とりあえず、今の進捗はどういう感じなんですか?」

やっぱりこの人はなんだかんだ面倒見がいい。

「勧誘は無理そうかな」

「本番一発勝負ってことすね」

質問に対する答えを聞くと、恋咲先輩は返答せずにまた歩き出した。俺と華菜先輩は嬉しくなって少し笑った。


コーヒーを待つ間に、俺はずっと聴きたかったことを聞いた。

「でも、何で華菜先輩はそこまでしてここを守りたいんですか?」

心の奥底でずっと思っていたこと。華菜先輩は普段おとなしめなのにこの部活のことになると人が変わったように熱が出る。その根源を俺は知りたかった。

華菜先輩は質問を聞くと、少し考えてからしっとりとした口調で言った。

「先輩のためなの」

「先輩?」

「私に本の楽しさを教えてくれた大事な先輩」

少し予想していた答えと違った。俺はてっきり本に対する情熱、ただそれのみで動いていると思ったからだ。まさか人のためだったとは。

「田中と初めて会った私の実家の本屋でね、その先輩とは出会ったんだけど。幼い頃から本に囲まれて過ごして」

「は?え?ちょっとまって!あそこ、華菜先輩のお家なんですか?」

頭が一瞬混乱する。急にぶっ込まれた情報が脳内で錯綜した。

「そうだよ。言ってなかったっけ」

「言ってないですよ!」

俺の反応を気にすることなく華菜先輩は続ける。

「でね、私は小さい頃本に興味なんてなかった。本好きの両親に育てられて本に囲まれた家に住んでたのに。そんなことよりお絵描きとかしたかった」

華菜先輩の表情は段々と緩んでいった。

「高校1年生の時、その先輩がうちの本屋に入ってすごい楽しそうに本棚を見てたの。先輩はなんていうか、人を惹きつける魅力がすごくあった。そしたら先輩に見つかって、強引に部活に入れられたの。その人と過ごすうちに私は本の良さに気づいた」

華菜先輩が本を好きになったがそんなに最近だったとは。まあでも本と過ごした時間の量なんて関係ない。重要なのは濃さだ。多分華菜先輩の人生はその人と出会ってから本一色になったんだろう。

ただ1人の話をしているだけなのに華菜先輩はさながら恋をしているかのように話す。とっても楽しそうだった。

「その人と出会ってなかったら、今の私はいない」

人に心を開くことがあまりなさそうな華菜先輩の心をここまで溶かすなんて、その人はどんな人なのだろうか。

「そもそもその人が読書研究会を作ってね?私の代でまだ2代目なの。これから先もこの場所を守っていきたい」

「なるほど・・・。でも、他の3人は何でここに入ってるんですか?」

「私のわがままなの。先輩の代は結構人がいたんだけど、その先輩がいなくなったらみんなやめちゃった。だから田中が入った時ここは読書研究部じゃなくて研究会なの」

華菜先輩の人望がないのか、前任の先輩の人望が凄すぎたのか。

「それでね、無理言って幼馴染の3人に入ってもらった。それで何とか存続してる。だから、柊磨が入ってくれた時は本当に嬉しかった」

その時、恋咲先輩がタイミング良くコーヒーを持ってきた。多分仕事しながらも聞き耳を立てて、来るタイミングを見計らっていたのだろう。

「少なくとも、私は華菜のわがままに付き合っているわけではありませんよ。入りたいから入ったんです」

「うん。ありがと。恋咲」

入りたいから入ったと言うが結局ほぼ来ていないなら、入った意味なくないかと思ったが流石に口に出すのはやめておいた。

「幼馴染なんすね」

「ああうん。それも言ってなかったっけ」

「はい」

4人が深い絆で結ばれているのは分かっていたが、まさか4人とも幼馴染だったとは。

「先輩が作ったこの場所をこれから先も残していきたい。この場所は宝物だから」

華菜先輩を突き動かす使命感に俺もついていきたいと思った。いつか俺もその先輩に会ってみたいな。

「はい!この話終わり。作戦考えよう。恋咲も遊んでないできて」

「いや働いてるんですけど」

少し周り道をした末に俺たちは作戦会議を始めた

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