第3話 どうする田中

「ちょっと待って、何で帰るの」

華菜先輩にブレザーの背中のあたりを掴まれて俺の動きは止まった。

「いやまじでごめんなさい。ここには入れません」

「ちょっと待ってよ田中くーん!あはは」

教室から出てきた通常運転の真夏先輩にさらに背中を掴まれる。

「会長が何でここにいるんですか!」

「言ってなかったっけー。私ここの部員なんだよ」

なぜか自慢気になる真夏先輩。

「聞いてませんよ!」

「私も君が新入部員なんて聞いてないよー」

やけに呑気な真夏先輩に引っ張られ、俺はまた教室内に入れられた。そして、また脱走されないように華菜先輩がガッチリ扉の前でガードしている。

俺が逃げ出したいのは何も華菜先輩と真夏先輩がいるからじゃない。問題は他の2人だ。

「あたしはこいつが入るならやめるわ」

足を組んでしかめっつらを崩さない金髪。見た目からの印象と寸分の狂いもない話し方だ。俺は無性にイラッとした。

「え?何で?」

「のぞきの変態野郎を仲間だと思いたくない」

「何?田中くんのぞき魔だったの?」

金髪と俺の間を行ったり来たりする真夏先輩。相変わらず落ち着きがない。

「誤解ですよ!たまたまそういう場面に遭遇してしまって」

この人にあらぬ誤解をされることだけはごめんだ。

「見たことに変わりはない」

「だいたいあんなところであんなことをするあなたが悪いでしょ!淫乱!」

俺は勢いよく失礼な先輩に指差した。

「はあ?初対面の人に向かってなんなの!指差すな!何をするかは自由でしょ!」

「人がくるかもしれないところでやんなって言ってんの!」

大きい声で交わされる高尚とはいえない喧嘩に若干真夏先輩が引いていたような気がする。

「なんだ。2人とも顔見知りだったんだ」

「こいつを顔見知りだと認定した気は無い」

「僕もです」

華菜先輩はテンションを変えることなく金髪の先輩に話しかけた。このお怒りモードに驚いていないあたり、この金髪はこれが通常運転なんだろう。

「まあまあ。私も冬乃も田中くんのこと知ってた訳だし、初対面なのは恋咲だけだね!」

「いや僕その人知ってます。さらにいうとその人の学生証持ってます」

金髪の顔がさらに険しくなる。俺に向けてくる視線はもはや人に向けるものではなかった。

「窃盗犯でもあるわけね」

「え、田中くんそれはちょっと・・・」

いつも笑顔を絶やさないはずの真夏先輩の顔が流石に引き攣っていた。

自分で言っといてなんだが、文脈を思いっきり間違えたなと思う。

「いや違うんですよ。この人が新学期初日に間違えて2年生の先に座ってふぐっ・・・!」

「いちいち言わなくていいです!早く返してください!」

バカにするような俺の口調に恋咲先輩は顔を真っ赤にし出し、口を塞いできた。

「あーだから恋咲あんなに廊下走ってたのか」

「ち、違います!あの時は2年の席が懐かしかったから座っただけです!」

真夏先輩は俺が息できなくなっていることなどお構いなしに普通に会話を続けた。恋咲先輩の腕を3回ほどポンポンとしたところでやっと彼女は俺を解放した。

「ギ、ギブ・・・」

床に倒れ込む俺をゴミを見るような目で見つめる恋咲先輩と金髪。

すでにこの人たちと何か関係値を気づくことはどれだけ時間があっても困難であると直感した。

「じゃあみんな知ってんだ!田中くんのこと」

「出会いはともかく、顔見知りなら話は早いよね」

なんかこの人たち俺の扱いが雑じゃないか?真夏先輩も華菜先輩もあまり俺の様子を気にすることなく話を続ける。完全にこの4人の空気感に俺が呑まれていた。

「いやだから、こいつが新入部員になるのは無理!だったらあたしは辞める!」

顔をプイッと横に向けるとサラサラの金髪が揺れていた。

「そんな事言わずにさー」

「私も彼がここにくるのは反対です。他人への敬意が感じられません。厳しいことを言いますが、彼がここに入ったら風紀が乱れる気しかしません」

ご機嫌斜めな二人の間を必死に真夏先輩が取り持った。

「そんなことないよね」

真夏先輩が青空のような瞳で俺を見つめる。華菜先輩からの視線も感じる。

「さあ?どうでしょう?」

「そこは即答するんだよ。田中くん」

「僕も別に入る気無くなったんで。さようなら」

俺は一礼だけして扉に手をかけた。するとまたもや華菜先輩に阻まれる。

「ちょっと待って!」

またこの人の切ない顔を見てしまったら断れそうにない。

振り返らずに俺は言う。

「いやです。大体この部活はなんですか?名前も今まで聞いたことないんですけど!研究会ってことは部活じゃないってことですよね?」

「うん。ごめん嘘ついた。部活の最低人数は5人だから、ここは部活にもなれてない、研究会止まり」

「あー、そこで僕が入れば5人で部活になれるってことですか」

「うん・・・。そう」

華菜先輩が弱々しい声で言った。

俺は扉から手を離しもう一度振り返る。

4人の顔を順々に見渡す。切実な華菜先輩。優しく微笑む真夏先輩。睨んでくる恋咲先輩。他一名。

「でもあなたたちが一年後に卒業したら僕1人で結局存続できないですよね?」

「そこはこれからなんとかする。とりあえず4月以内に部員を1人入部させないと廃止されちゃうの」

「本当ですか?それもまた嘘なんじゃ?」

「いや、それは本当です」

恋咲先輩が割って入った。

「先日、部活動の担当教師から通達がありました。そして、彼女が本気で勧誘に取り組んでいるのも本当です。だからこそあなたのような人に入ってほしくないです」

一貫して刺々しい空気を放つ恋咲先輩はさらに俺を刺してくる。

「さっきから失礼ですね。あなたとそこの破廉恥な人は知りませんが、真夏先輩がそんなに本が好きなイメージないんですけど」

「破廉恥言うな!あたしの名前は愛原冬乃あいはらふゆの!」

棘の上に棘が被さった。とりあえずこの冬乃先輩に何かを言い返してやろうと思ったがそれより先に会話に参戦したのは真夏先輩だった。

「私結構本読むよ?」

心外だとばかりにいじける真夏先輩。

「例えば?」

あごに手を当ててうーんと唸りながら少し考えている。この人は何でこんなに感情が豊かなんだ。

そして何かを閃いたらしく目を輝かせた。

「参考書と単語帳!」

「それ別に本が好きって言わないです」

「なんで!」

案の定の答えに俺は一秒も使わずに切り返した。

何か抗議したげな真夏先輩を無視し恋咲先輩を見る。

「あなたは?」

「私は詩集を少し嗜みますね」

恋咲先輩は髪を手櫛でほどきながら照れるように言う。

「なんかムカつきますね」

「なぜ!」

恋咲先輩が傷を癒すように真夏先輩の腕に倒れ込んだ。

次は自分のターンだなと思っている冬乃先輩。

「あたしはね」

「あなたに興味ないんで大丈夫です」

「なんなの!」

あしらわれた冬乃先輩はさらに怒る。この人の怒りに上限はないのか。

「じゃあ本読むんすか?」

「雑誌と漫画!」

「でしょーね」

しょうがなく聞いた質問の答えは予想できすぎた。

「まだ顔合わせて5分も経ってないんだけど・・・」

華菜先輩が賑やかいこの空間に戸惑っている。

「華菜先輩!僕無理です!ていうか読書好きなの半分だけじゃないですか!」

「私も反対です!」

「あたしも断固拒否!」

「もーなんでよー。田中くんいたら賑やかになって面白そうなのにー」

「真夏先輩は一旦黙ってください」

テンポよく繰り出される会話劇の発端は華菜先輩だ。

このメンバーを集めた責任というものがあるはず。

「ま、まあいま即決してくれって言ってるわけじゃないからさ。じっくり考えてみてほしい」

「時間で変わるとも思えないんですけど・・・」

今日のところはそれで解散した。

昨日に引き続き、なかなか体力を使う1日だ。

だが今日はそれで終わらなかった。


「ただいまー」

日がだいぶ傾いてきた時間に俺は帰宅した。

「おかえり」

奥のリビングから聞こえる声の主は母だ。

俺は都内の質素なアパートに母親との二人暮らし。父は小さい頃に病気で逝去し、そこから母は俺を女手一つで育ててくれた。

靴を脱いでリビングへ向かう。

疲れた体に安心する家の雰囲気が沁みる。

「なんかあんた顔つき変わってない?」

エプロン姿の母親が帰ってきた俺に向かって一言言った。

「何言ってんだ」

「いや、なんかいつもより覇気がある」

「あっそ」

靴下を脱ぎ捨て俺はソファにダイブした。その瞬間、体がどっしりと重くなったような気がする。もう一生ここから動きたくない。

ポケットからスマホを出し、ゲームアプリを開いた。

「あーそういえば今日から家庭教師くるからー」

「うん」

ログインボーナスを貯めて、今開催しているイベントをチェックする。このゲームは特に面白くもないが他にやることもないのでいつも延々とやっている。

「は?」

母親のフライパンを振るう音とゲームの騒々しいbgmだけがその場に流れていた。聞き間違いか?

「え?ん?なんて言った?」

体を起こし母親の方を向いた。

「だから今日から家庭教師さんがあんたのこと教えてくれる」

聞き間違いでも空耳でなかったようだ。

「なんで?なんのために?」

気づいたら俺はあれだけ動きたくなかったソファから立ち上がり母親の隣に立っていた。母親はこちらの様子を気に掛ける様子もなく当然のように答えた。

「なんのためにってあんたの成績が悪いからでしょ。しょうがないけど」

「・・・」

火の通った豚肉が入ったフライパンに細切りにされたピーマンとたけのこが投入された。ニンニクのいい香りが鼻腔を通り抜ける。どうやらチンジャオロースを作っているようだ。

「とりあえず、単位が落ちない程度にしてもらいなさい。遅れた分を取り戻して」

「はあ。わかったよ」

家庭教師が来たのはそれから1時間後のことだった。

「どうぞー」

「失礼します。これから家庭教師としてお世話になります。春城恋咲と申します」

俺は何が起きたのか理解できなかった。


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