第2話 読書研究会

新学期初日は、何だかとても長く感じた。

去年度を振り返ってもここまで心の疲労が急速に溜まったことはなかったのではないだろうか。去年どころか今まで生きてきた中でもなかなかない気もする。

学校から駅へ向かうまでの足もなかなかの悲鳴を上げているように思えた。構内をあんなに全力で走ったのは初めてだ。

そんなことを考えると、どうしてもその前の生々しい光景が付属品としてついてきてしまう。またもや浮かんできた刺激の強い画を俺はブンブンと振り払う。

矢田柊花やだしゅうか、待望の新刊発売!」

左右に揺れる視界に飛び込んできた鮮烈な文字。

鼓動が少し止まった気も、大きく波打った気もした。

熱を持ったその文章は一つの質素な本屋から出ている。

公道から少し離れた静かな住宅街にポツリとあったその本屋はあまり風景に馴染んでいるとは思えなかった。ここに人が集まるのか疑問に思ってしまう。

俺は店内へと入った。


何というか想像通りだった。期待を超えてくるわけでもなく、だからと言ってすごく埃が溜まっていたり中が廃れている様子もない。

少し立地場所が変なだけの普通の本屋さん。店員さんもいたって普通だ。

俺は何にどういう期待をしていたんだろうなと改めて考えた。勝手に謎のハードルを設定される本屋は大変気の毒だ。

なんとなく入った本屋からなんとなく出ようとしたが、またもや目に映ったあの宣伝文句に動きが止まる。

「矢田柊花、待望の新刊発売!」

蛍光マジックで書かれたみずみずしいPOPは俺の目を釘付けにさせる。

出入り口の横にある一番目立つ棚全てを占拠しているのは1人の著者だった。中央には何段にも重ねられた新刊「輪廻」。赤く燃ゆる火と今にも動き出しそうな水が複雑に渦巻いている表紙。俯瞰して全体像を見渡すとその2つは龍を形作っていることがわかる。

圧倒的な存在感を放つそれを一つ、俺は手に取っていた。触れるだけで感じる何か。その正体はわからない。しかし、自分は全身でこの一冊の本に惹かれていることがわかった。

もう一度著者の名前を一瞥する。

俺は、本をまた棚に戻した。

周りを包んでいた空気が一気に流れ出した気がした。瞬きを数回した後、やっと体の細胞が落ち着いてくる。空気を入れ替えようと肺に一気に酸素を取り込んだせいで少しむせた。

本屋から出ようと足を進めた瞬間。

突如、両肩にガッと重みが襲ってきた。

それは明らかに誰かに掴まれた感触。背中にドライアイスを一気に流されたかのような感覚になる。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

本屋の空気を切り裂くように場違いな叫び声がこだまする。その声は普段の自分とはあまりにかけ離れている絶叫で、声の主が誰か一瞬分からなかったほどだ。

しかし、俺の絶叫に反応したのか掴んでいた両手はピクッと離れた。考えうる人物は店員しかいない。

万引きでもしたと勘違いされたのか。

恐る恐る後ろを振り向くと、そこにいたのは店員ではなかった。


かなり不安そうな顔をしている1人の女子。

いやその顔をするのは絶対に俺だろ。

目が合うだけで、会話の切り口が見出せないでいた。少し首を傾げると、向こうも鏡のように首を傾げてくる。一体何がしたいのか。

「あの・・・?」

自分より二回りほど背の小さい彼女は目線を右往左往させる。よく見るとうちの学校の制服だった。

艶のある漆黒の髪が綺麗なふんわりショートボブのシルエットを使っていた。

学校指定のワイシャツの上から羽織っている黒色のパーカーは彼女の体より少し大きい。布の面積を持て余している気がする。髪の毛こめかみのあたりでをピンで止め右耳が露出している。

そんな彼女は現在、上目遣いでじっと俺を見つめていた。

一向に口を開いてくれないので困惑100%の声で彼女に問いかけた。

「なんすか?」

「本、好きなの?」

食い気味で質問を返され反応が遅れる。喉の奥で小さく「え」と聞こえるか聞こえないかわからない声が出た。

「本、好きなの?」

目を逸らさず、さらに距離を詰めて来る女子生徒。

先に視線を外したのは俺だった。

「別に」

「あのさ、読書研究会に入らない?」

「聞いてました今の返事?」

それは勧誘というより懇願だった。しかし、こちらに選択の余地を与えていない。なんだこの人は。

何より読書研究会ってなんだ。聞いたことない。

「この隠れ本屋に入って、さらに矢田柊花の本を手に取るって本好きじゃないとできないよ」

「いやそれは本当たまたまで」

すでに面倒臭くなりつつあるこの人との会話をどうやって切り上げようか思案していたが、多分無理だろうという結論になった。

「お願い。一回顔出すだけでも」

「いやですよ。俺じゃなくてもいいでしょ」

「そんなこと・・・ないよ」

「なんだ今の間は」

彼女は拗ねたようにじとっとした目つきになる。

腕を組んでこちら見つめてくるも、小柄な見た目からか何も威圧がない

「私、秋好華菜あきすきかがな。3年生」

顔には出なかったがなかなかびっくりした。

完全に見た目判断だが、同級生か下級生だと思っていたからだ。

「あー先輩ですか。まあでも、別の人当たってください」

とっておきの作り笑顔をニカっと作って俺は彼女に背を向けた。

外の世界へ足を一歩踏み出そうとしたが片腕をガッチリ掴まれる。現在地から出口までの距離が足一歩分なのにやけに長く見えた。

「お願い!君が入ってくれなかったら、うちの部活無くなっちゃうの!」

「・・・」

「君、名前は?」

「・・・田中柊磨です」

ため息混じりの自己紹介をすると、華菜先輩は掴んでいた腕をやっと話してくれた。

「明日の放課後!旧校舎の入り口で待ってるから」

そう言い残して本屋を出る華菜先輩。

「・・・なんだあれ」

俺は1人、本屋に取り残される。店にある無数の本から視線を感じ、少しうなじが痒くなった。


強引な勧誘の翌日、俺は大きなあくびをこぼしながら通学路を歩いている。昨日はよく眠れなかった。

新学期初日から何やら有名らしい先輩に自分の席を座られ、放課後によからぬことをしている破廉恥先輩に遭遇し、挙げ句の果てに名前も聞いたことない部活に先輩から勧誘された。

昨日は厄日かなんかなのか。

今日から気持ちを切り替えて生きていこうと思ったがそうもいかない。なぜかはわからないが、昨日の勧誘時の華菜先輩の顔が忘れられないのだ。

余裕がなく、何か必死に繋ぎ止めようと奔走している顔。本気で生きている人にしか現れないものがあった気がした。

今日の放課後の旧校舎で彼女は俺を待つらしい。

俺の心の何かが揺れていた。


「きてくれたんだ」

華菜先輩は嬉しそうに微笑んだ。

「いや、ちょっと顔出すだけですよ?あまりいい返事は期待しないでください」

「はいはい」

この高校にはもう使われていない空き教室の宝庫である旧校舎がある。ほぼフリースペースとなっているこの建物は軽音部の自主練や、野球部の筋トレ、放課後に駄弁る、そしてよからぬ行為など多種多様な使われ方がされている。

ちょこちょこ人のいる旧校舎を俺は華菜先輩に連れられ歩いていた。華菜先輩の足取りは少し軽い。

背中しか見えないが、なんだか嬉しそうだ。

「ここですか。随分と目立たないところにあるんですね」

そこは廊下の突き当たりにある一番生気が感じられない場所だった。廊下の蛍光灯もチカチカ点滅している。

「見た目は微妙だけど、部屋の雰囲気は良いから。気にいると思う」

入り口の扉には手作りの読書研究会と書かれた紙が貼られている。

本当にこの扉を一枚挟んだ先に人がいるのだろうか。大袈裟に言っている訳ではなく人の気配を感じない。

「私含めて部員は4人。みんな3年生だけどいい子だから」

華菜先輩は扉を開いた。

教室内から一気に日差しが溢れて、一瞬目がチカッとする。

俺は目の前に広がっていた光景に開いた口が塞がらなかった。

華菜先輩以外の3人。

全員の顔を知っていたからだ。

驚いた顔でこちらを見るのは現生徒会長の真夏先輩。「な!?」と声を出している。

そして眉をハの字にし、固まっている女子。一度見たら忘れられない美貌は明らかに昨日俺の席を座っていた先輩、春城恋咲だ。

最後の1人。目が合った瞬間一気に驚愕混じりの不機嫌顔になったのは、放課後によからぬことをしていた金髪ポニーテールの淫乱先輩だった。

「この子が新しいメンバー」

俺はくるっと体の向きを180°変え、教室を出て、扉を閉めた。

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