第1話 四季の気配

これから1年間お世話になるはずの教師の話はあまり頭に入ってこなかった。

その理由は未だに俺の脳内をぐるぐると駆け回る眉目秀麗をそのまま体現したかのような女子、春城恋咲にあった。現在手元にある彼女の学生証を何となく眺めながら、どうやって返そうか俺は思案している最中である。

この終礼が終わったあと、彼女の教室へ行くのは何となく気が引ける気がした。

彼女の視点から考えれば朝のあんな醜態を晒した相手にすぐ再会したくないことぐらい容易に想像できる。でも、だからと言って日を跨ぐのは少し面倒だ。

俺は放課後にそっと彼女の机の上に忍ばせておくのが無難だなと自分の中で結論を着地させた。

頭の中の会議が終了するのと同タイミングで教室内に椅子と床が擦れる音が響き渡った。慌ててその波に遅れないよう自分も立ち上がり2年生初日の終礼は幕を閉じる。

ただ、終礼が終わりすぐに学生証を置きに行くわけにもいかなかった。なぜならこれから生徒会の会議があるからだ。


生徒会室へ向かうのは教室へ入るよりも数段足取りが軽い。

俺は現在生徒会に所属している。もはや学校といえばクラスで過ごした時間よりも生徒会で過ごした時間の方が記憶に残っているぐらいここの居心地は良い。

なぜなら皆があまり干渉しないからだ。一人一人が各々の作業をし、最終的にしっかりとした結果を残す。そんな生徒会が俺は好きだった。

疲れた体を休めにいくかのように俺は生徒会室の扉を開けた。

「遅いよー!もうみんないる!」

悪戯げに頬をプクッと膨らませた生徒会長にお出迎えされながら、俺は自分の名札がかかれた座席へ座る。

「はーい!じゃあここからあと二ヶ月で引退だけど頑張ろー!おー!」

現在会議中(?)の生徒会室、その活気をほぼ全て担っているのがこの夏のひまわりを照らす太陽のような生徒会長、惚村真夏ほむらまなつだ。

個人主義である生徒会のメンバーにただ一人存在する異質な存在。

今期の生徒会が発足した時期はこの天真爛漫さに皆気圧されたが、今では慣れたものだ。皆、冷静に彼女の話を聞いている。

むしろ今思えば彼女がいなかったら生徒会は本当にただの冷徹な仕事集団になっていた可能性すらあるのだ。トップに立つ彼女に全員が信頼を置いているからこそ、この生徒会は成り立っている。

惚村先輩は芯のあるまっすぐな声でメンバー一人一人を見渡した。

そして爽やかなセミロングを揺らしながら白い歯をにかっと見せる。

「これからもよろしくね!じゃあ、今期のスケジュールをざっと話すと...」

惚村先輩はそこから引退までの残り二ヶ月のスケジュールを話し始めた。

残り二ヶ月でこの居場所がなくなってしまうのだと思うと少し寂しかった。まあまた立候補すればいいだけのことだが。俺が担当している会計は基本的に誰もやりたがらないので今年も立候補すれば通るだろう。

俺にとって惚村先輩は大事な恩人でもあった。

なぜなら俺が生徒会に所属したきっかけは彼女にあるからだ。

彼女は何も考えずに突っ走るタイプだが、ああ見えてめちゃくちゃ頭がいい。定期テストの学年順位は2位だそうだ。おまけに容姿も良く、運動もできる。3年生の代表を決めるとなると彼女が満場一致で選ばれるだろう。

そんな彼女は前生徒会の傲慢な活動が許せず、衝動的に生徒会長に立候補したと聞いている。そして結果は当選。

そこから彼女は怒涛の学校改革を行いたくさんの功績を成し遂げた。

その改革の一端として一年生に会計の役職を任せる案があったのだ。惚村先輩は一年生から金銭管理の感覚を養い優秀な生徒を育成していく、そしてその先で優秀な人材として社会へ輩出すると演説で堂々と語っていた。

でも、残念ながらその役職に立候補するものはいなかった。

たしかに一年生の頃から学校の財政の責任を負いたくはない気持ちはわかる。そして例に漏れず俺もそうだった。


しかしなぜか一年生の一学期の最終日、彼女は俺に声をかけてきた。

猛暑でぶっ倒れる寸前の時に声をかけてきた惚村先輩は夏そのもののようだったのを覚えている。そして俺は何となく頷いたらしい。

今考えてもなぜあの時頷いたのかはっきりと覚えていない。

でもまあ、結果オーライかもしれない。ここが無ければ俺は本当に学校へいく意味を見いだせなくなっていただろう。

「おーい。田中くーん」

聞き慣れたはっきりとした声により俺は現実世界へと戻ってきた。

いつの間にか俺の机に座り、手を視界上に振っている惚村先輩。

俺は数秒遅れたのちに反応した。

「あ、はい」

「あ、はいじゃないよ?聞いてた?今の話?」

周りを見渡すともうこの部屋には俺と惚村先輩の二人しかいなかった。

会議は終わっていたようだ。

口を尖らせた先輩のまつ毛が揺れる。

「ごめんなさいぼーっとしてました」

「正直だなー。田中くんは相変わらず」

惚村先輩は口角を下げることなく言う。少し呆れた様子だ。また、寂しそうにも見えた。

「僕は正直というか、面倒くさがりなだけですよ」

「んー?どーいうこと?」

「見栄を張って嘘をついてもいつかメッキが剥がれるだけ。そのメッキが剥がれないよう必死に取り繕うことに体力を使いたくないじゃないですか」

惚村先輩の澄んだ瞳に映し出されている俺の姿はなかなかに魅力がなかった。どこまでもへなっとしていて、生きることに期待していない。

脱力した目に少し伸びすぎた前髪がかかっている。

「また君はそんなことを言う。肩の力の抜きすぎは逆効果だよ?」

惚村先輩の眉毛はアーチ上からハの字へと動いた。一瞬たりとも彼女の眉毛に休息はなさそうだ。

「先輩は毎日全力で生きすぎなんですよ」

「だってそっちの方が良くない?死ぬ時に後悔なんてしたくないでしょ?」

俺の反応はまたワンテンポ遅れた。

「まあそうですね」

「適当に返事してるでしょー」

惚村先輩の声を耳に入れつつ俺はカバンに渡された資料をしまった。惚村先輩が生徒会の面々のために作ったこれからのスケジュール表だ。

お世辞にもうまいとはいえない絵も添えられている。

突如、おでこの一点に衝撃が走った。思わず「イテッ」と声が出る。その衝撃は一瞬の痛みの末に温もりを運んできた。

目線を少し上に上げると惚村先輩が右手を半開きで構えていたのでデコピンされたのだと理解した。俺の反応を見て彼女はニヤニヤしていた。

でも先輩のデコピンは優しい。

「あはは!じゃあね。田中くん」

ぱっちり二重を丸っこく細めて惚村先輩は笑った。この人の笑顔はいつでも邪気を払ってくれそうなほど純白だ。

惚村先輩が何だか嬉しそうに教室を出て行った後、俺は一気に寒くなった教室で一人帰り支度を始める。まだ外は日が落ちきっていない。

その時にポケットに入っている固い存在に気がついた。忘れるところだった。

「あっぶな。」

春城恋咲の学生証を持って俺は4階フロアへ向かう。


3年生が普段生活している4階は未知の場所を探検するかのようだ。基本的に他学年のフロアへ向かう用事などない。それこそ惚村先輩に生徒会の仕事を伝達するときぐらいだ。

人も居ず電気も消えている場所を俺は進み続けた。各教室から差し込む夕方のオレンジ色の光のみがこの場を照らす。

学生証に表記してある3年6組の教室を見つけ、扉に手を掛けた。ノックしようか迷ったがどうせ誰もいないだろう。

静かに扉へ手を掛ける。

少し冷たい扉を引いた瞬間、俺は目の前に広がっていた光景に開いた口が塞がらなかった。

暖色に支配されていた教室の中心に、制服を着た男女が二人いる。

一つの机に座っていて、二人の顔の距離は0メートル。互いの手は絡みあい、滑らかに生々しい動きをしていた。お互いの服の皺が忙しなく動き、休むことを知らない。

髪を後ろに括っていた金髪の女子は頬を少し染めながらヘアゴムを外し髪をほどく。眼鏡をかけた相手の男子は優しく微笑み、唇を重ねる。

俺はこの場から一刻も早く撤退しなければと思っていたが、体が脳の伝達についてこなかった。ただただ足が動かず、立ち尽くすのみ。

金髪の女子生徒が目をゆっくりと閉じる瞬間、彼女の黒目はばっちりと滑稽な俺の姿を映し出した。何か声を出そうとしたが、喉が渇いて少しの唸り声しか出てこない。

彼女の様子を感じ取ったのか、メガネの男子生徒もこちらを向いた。

時間が止まったかのようだった。

金髪の眉間の谷は急激に深くなり鬼のような形相になる。男もまたメガネ越しに目を細めて不快そうにこちらを見ていた。

「失礼しました」

コンマ1秒にも満たない速度で扉を閉めたが、あまりにも動き始めるのが遅かった。教室内で机から人が降りる音がする。

俺はその音を聞いたのと同時、先ほどまでとは打って変わって瞬時に走り出した。やばい殺されると本能が感じとっているのがわかる。

息が切れているかどうかもわからない。

何とか人が出てくる前に廊下を曲がり姿を消すことに成功した。

立ち止まった時、息が急速に上がり肺が締め付けられる。

頭に酸素が回るまでもう少し時間がかかりそうだ。

その間、俺は目に焼き付いてしまった刺激的な光景を忘れられずにいた。

何度も頭の中でフラッシュバックする。

そして明らかにギャルの見た目をしている女子生徒が眼鏡の男子と放課後によからぬことをしていることの以外さに何となく驚いた。

「ギャルって意外と真面目系が好きなのか・・・」

自分でも驚くほど冷静な感想を吐き出した後、靴の色の違いに気がついた。

ギャルは赤色、そしてメガネは青色を履いていたのだ。

つまり3年生の女子が放課後に自分のフロアの教室で後輩男子とよからぬことをしていたということ。

「わざわざ学校でやんなよ」

少しイラついたセリフをこぼした後、返せなかった学生証を握りしめながら俺は学校から出た。



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