田中と先輩たち。
松村しづく
プロローグ
これは、僕が主人公のちょっと不思議な1年間の物語だ。
4月、4人の先輩たちが目の前に現れて灰色の世界に鮮やかな色をつけていった。
新学期初日。俺、
休み明けの生活リズムは整えにくい。まだ脳がモヤッとしていて目も半開きだ。
俺は黒板に張り出されている座席表をじっと見た。1年間同じ校内で生活していたのに誰一人覚えていない名前の海から自分の名前を探し出すのは少し苦労する。やっとの思いで見つけた自分の名前と場所を確認し、席がどこになったのかを平面から現実の場所へと落とし込む。
「ん?」
思わずもれた腑抜け声は、新学期特有のざわめきへと消えていく。
教室に入ってから1分、やっと今の状況がどこかおかしいことに気づいた。
もう一度、座席表を見て座るべき場所を照合する。
やはり今の状況はおかしい。
俺が座るべきところに、別の女子生徒が座っているのだ。
一年生の頃も休み時間に田中がトイレに行った隙、知らない誰かが自分の席に断りも入れずに座り込み、談笑している場面はあった。その場合の対処法は軽く咳払いをして威圧をすること。これで大抵の不躾な輩どもはどいてくれる。
しかし、今自分の席に座っている女子生徒は一人だった。周りの人と楽しく談笑している様子もない。机の上にテキストを開き黙々とシャープペンシルを動かしている。
まばらに座っている生徒たちはそのたった一人の女子に釘付けになっていた。懐疑の目や少しの小笑いも聞こえてくる。
俺はそこでやっと人々が目の前の存在に釘付けになっている訳を理解した。
彼女の上履きは赤色だ。
俺が通うこの高校では1年生が黄色、2年生が青色、3年生が赤色のイメージカラーがついている。ジャージのラインや上履きの色はそれに対応し生徒たちもその色で誰が何年生なのかを見分けられる。
現在田中は2年生。自分の足元を見るとしっかり青色の上履きを履いている。
周りの聴衆たちもだ。この場において、田中の席に座っている謎の女子生徒のみが赤色、つまり3年生である証を所有していた。
大きなため息をつき、自分が座る予定の席へとゆっくり向かう。
無責任な視線が現在は自分に飛んでいることをしっかり感じ取りながら軽くあくびをこぼす。彼らは俺じゃなくてよかったーだとかボソボソ喋りながら全く救いの手を伸ばすことなくニヤニヤしている。こいつらはいつもこんな感じだ。
その3年生の目の前に立ち、机をトントンと叩く。
一度やっても彼女は自分につむじを見せたままだったのでもう一度机を叩いた。すると、彼女の動きは止まりゆっくりと俺を見上げる。
その数秒間は、やけに長く感じた。
目があった。
その時、春風が窓から流れ込み彼女の綺麗な白髪は横に靡く。日差しに反射したその長い髪は煌びやかな光沢を纏っているようだ。スラリとのびる繊細なまつ毛は大きくて濁りのない瞳をさらに際立たせて、ずっと見ていたら引き込まれそうだった。純白の肌に無駄のない完璧なパーツ配置、一言で言うと可憐。まるでお人形だ。
そしてそのお人形は純真な瞳でこちらに目をぱちくりさせてくる。
彼女が顔を上げた途端に周りの人間が一斉に湧きたっていることに気づいた。
「え、あの人って・・・」
「マジかよ」
耳に聞こえてきた言葉にさっぱり共感できなかった。みんなはこの人を知っているようだ。有名な人なのか。
確かにこの見た目は芸能人なんかにいてもおかしくはない
自分は芸能人には疎い方である自覚がある。しかし流石に学校内に芸能人がいたら知っているだろう。
その女子生徒は少しぽかーんと自分を見上げた末に険しい顔つきになる。何か気に障ったのだろうか。話しかけるより前に女子生徒は口を開いた。
「なんですか?勉強の邪魔なのですけど」
見た目通りの澄んだ声色から発せられた違和感のある刺々しい言葉。
邪魔なのはお前だよと言いたかったが、一応先輩でありなんか有名人ぽかったのでなるべく失礼のないように対応した。
軽く咳払いをして声色を高くする。
「あの、すみません。そこ僕の席なんですけど」
笑顔が引き攣っているのが自分でもわかった。
ただそれ以上に早くこのやり取りを終わらせたい。新学期初日から目立ってしょうがない。
「はい?なに訳のわからないこと言ってるの。集中できないからさっさとどっか行って」
「多分どっか行くべきなのはあなたですよ。もうすぐチャイムなっちゃうし」
そう言って教室の時計を指差した。時計の針は1秒の狂いもなく動き続けている。本鈴の2分前だ。
「失礼な人ね・・・今日って、何月だっけ?」
彼女の声はこわばる。
次の瞬間途端に目が泳ぎ出し、落ち着きがなくなった。
俺は頭をかきながら答える。
「4月です。ここは3階。あなたがいなくちゃいけないのは多分4階」
この高校では1年生の教室が2階、2年生の教室は3階、3年生の教室は4階にある。
女子生徒は数秒フリーズした。
「あのー、意味わかります?」
その綺麗な顔を覗き込んだ途端、何かのスイッチが入ったように彼女は急いで机の上に広げたものを片づけ出した。よれよれの参考書をたたみ、シャープペンシルを乱雑にペンケースへ放り投げていく。反動で消しゴムが床に落ちたので田中が拾うとそれを勢いよく取り、そのままの流れで頭を下げてきた。
「し、失礼しました!」
フワッと香るいい匂いと共に彼女は真っ赤な顔で教室から出ていった。
髪色も相まって頬の紅潮は目立つ。
「なんだありゃ・・・」
まさかとは思うが春休みを挟んだにも関わらず2年生の時の席に着席したんじゃないだろうな。
もしそうだったとしても周りの人々を見ればすぐに気づくだろう。
気がつくとクラスメイトはほとんど教室内にいて、俺のことを見ていた。
ここからの1年間、何もなく暮らしたいのに。
勘弁してくれと思いながら椅子を引くと、そこには薄ピンク色の財布が置いていかれたよと哀愁を漂わせて田中のことを見つめている。
視線がまばらになったのを確認してから田中は中を開き、持ち主を特定しようとした。目に入ったカード型の学生証を手に取り顔写真を確認する。
案の定、先ほどの女子生徒の顔だ。普通、学生証の写真は写りが悪くなるものだが彼女の写真はモデルのように綺麗だった。
3年6組22番
田中の大きなため息は濃密な1年間の始まりを告げるチャイムにかき消された。
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