第二話 九国戦線
かたん、と。小さな茶室に茶碗の置かれる音が響く。
室内には、無言で差し出された抹茶を気まずそうに啜る白髪の少年・山口と、黙ってそれを眺める着物姿の青年・鹿児島がいた。山口は居た堪れなさそうに急いで茶を流し込むと、音を立てないようにそっと茶碗を置いた。
「……口に合わなかったか」
「い、いや! そ、そんなことは、無い、けど……」
「……今日九州会議じゃろ……? 何でぼく呼ばれてるの……? そして何でお前とお茶会してるの……」
山口の絞り出すような疑問の声も取り合わず、鹿児島は茶碗を下げる。
「私が知るか。貴様と仲の良い『九州
九州総帥、の言葉に少し圧がかかったような気もするが、恐ろしいので触れない。全力で感じなかったことにしたい。もう勘弁してくれこんな重苦しい雰囲気、会議も始まんないしいっそ帰ってやろうかと山口が現実逃避しかけたそのとき、「「かごさーんいるーー⁉︎」」と二重に声が聞こえ、襖が吹っ飛ばされた。
「せめて静かに開けてくれと一体何度頼んだら分かってくれるんだ貴様達は……」
「まぁまぁまぁいいじゃなーい! あー山口おひさー! ねーかごさんボクの分のお茶無いのー?」「面白そうなことしてるねかごさん! ひとりで島に篭って考えててもどうにもなんないから来ちゃったんだよどうせ今日会議なんでしょ? そんなことよりうちなーも喉渇いた」
マシンガンのように放たれる言葉。吹き飛んできた襖に巻き込まれかけながら山口が声のする方を見上げると、二人の少年と少女が鹿児島にまとわりついていた。
明るい橙色の前髪をカチューシャで軽くかき上げている少年が、宮崎県。インナーが黄色の赤髪をサイドテールにして、白いかりゆしシャツを着ている少女が、沖縄県。そんな二人を適当にいなしつつ、鹿児島は外れた襖を嵌め直す。
「……それで? 用はなんだ二人とも。」声のトーンが少し下がった。
「だーかーらー、会議でしょー今日? どうせなら一緒に顔出そうかなー思ってたところでなわちゃんと合流したんだよー」
流石南国はフリーダム。そんなやり取りを聞いているうちに、山口はふと気がつく。
……会議、もう始まっているのでは?
集合時間と福岡から伝えられたのは午後一時。この茶室には時計が無いが、茶会に誘われてから優に三十分は経っているはずだ。これはまずい、福岡はともかく肥前姉弟は怒ると怖い、どうしようかと山口が内心焦り出したところに、「大丈夫よ山口」と寝転がった沖縄が声をかけて来た。
「琉球時間に日向時間。なんくるないさ、ちょっとくらい許してくれるって〜」
「……のんきな……」
(あれ、ぼくどうしようとか言ったっけ? 一応表情にも出してない、はずなんだけど)
沖縄と目があった。いつの間にか、韓紅の大きな瞳が山口の困惑した顔をじっと見つめている。
「うん、まぁ、なんとなくわかるんだよ。若人の心なんて。それよりさ、多分お迎え来たよ」「え?」
荒い足音と共に、また襖がぶっ飛んだ。
「おらぁ九州南部ども! とっっくに集合時間過ぎてんぞ!」
「よ〜だ〜き〜い〜……帰って良い?」
「帰んな大分!」
襖を蹴り飛ばして入って来たのは、青年少年の二人組。緋色の髪を切り揃えている背の高い青年が、熊本。大分と呼ばれ、首根っこを掴まれた黒猫帽子の少年は、常磐色の目を眠そうに擦っている。
「なぁにくまくん、わざわざ迎えに来てくれたの? 暇人なんだねぇ〜」
「違ぇよ! 長崎に繰り出されたんだっつの! ちくちくちくちく嫌味言われんの俺なんだからな!」
おら立て、と熊本は雑に宮崎を起こし、寝転がったままの沖縄に手を貸して、壁に寄りかかって寝つつある大分を揺する。面倒見がいいなと山口が感心して見ていると、大き過ぎる溜息と重苦しい声が聞こえた。
「……襖を直していけ」
「あぁ? 自分の部屋のもんくらい自分で直せ! つーか遅れんのが悪ぃんだろ!」
「倒したのは貴様だろうがこの畜生が!」
「てめぇもだろうが!
「ならば受けて立ってやろう、
重ねられた怒声と共に、火の粉と火山灰が巻き上がり、火山の噴火のような爆音が部屋内に響く。灰が目に入ったのだろうか、大分は小さな舌打ちをして起き上がると、「……
「えぇー三人だけ盛り上がってずるいなー。ボクも参加しちゃおうか――」と宮崎がわくわくした表情で立ち上がるのを見て(冗談じゃない)、山口は「ち、ちょっと待って、茶室が大変なことに……」と止めに入ろうとした。したところで、
「
沖縄が高らかに声を上げ、技の巻き起こる渦中に着地した。その声に合わせて、ぴたりと技が止みかき消える。
「沖縄……」
「ああもう何やってんの! こんなことしてたらもっと遅くなるじゃん! 流石のうちなーも長崎に怒られるのだけは勘弁だよ……
うっ、でも、これ使ったのばれたらどっちみち説教かな……メーターちょっぴり上がったのだけが救いだよ……」
怒りとも嘆きともつかないうめき声を上げながら沖縄が頭を抱えて蹲る。三人ははっとしたように動きを止め、振りかぶった腕を気まずそうに戻した。
「た、確かにそうだ、先に連絡――」と熊本がスマホを取り出したところに、タイミングよく着信が来た。発信主を覗く。どうやら噂をすれば長崎からだったようだ。
「げっ……出たくない……山口パス」
「えなんでぼく⁉︎」「他地方だから一番怒られないと見た」「冗談じゃない! 熊本出てよ!」「じゃあ宮崎か鹿児島」「却下だ」「やだよーくまくんの携帯でしょ? はいなわちゃん」「はーいもしもし?」沖縄県、なんという度胸だ。
「はいこちら長崎ですが、熊本? いえ、沖縄? どちらでもいいです、が、!」「遅れてごめんね長崎? でも聞いて――」
「話なら後で聞くので!」電話から流れる長崎の声は、どうも切羽詰まっているように感じた。というより、慌てておりゆっくり話す余裕もないといった印象だ。それを受けて、沖縄は通話をスピーカーモードに切り替える。
「只今襲撃を受けています!」
皆様はこちらに来ないように、待機をお願いしますというメッセージと、奥に福岡と佐賀の叫声が聞き取れる。
ならばと沖縄が通話を切ろうとしたとき、「山口!」と聞き慣れた声色が流れた。
「山口聞こえるか! オレじゃ、広島じゃ! 無事か、そこにおるんか⁉︎」
あまりにも慣れすぎた声。何故
「あっちには福岡がいる。佐賀も長崎もいる。広島が心配なのは分かるが、冷静になれ。貴様らしくもない。――それに、どうせ彼奴等のことだ、嬉々として迎え撃っていることだろうよ」
鹿児島が言葉を切ったタイミングを見計らうかのように、「ちょっぴり巻き込まれただけじゃけぇ、心配すんな!」といつもと変わらない快活な声が響き、通話はぷっつりと切れた。「……お前……
「山口あげる」沖縄が何故か山口に電話を手渡した。なんとも苦々しい顔で。まあ自分が持っていても仕方があるまいと山口が携帯電話を熊本に返そうとしたそのとき。
開け放たれた襖と反対側の丸窓が急に砕けた。
ガラスの破片が暴風と共に部屋内に飛び散り、東京の言っていたものとそっくりな『敵』が侵入してくる。
「なっ……ここにも……⁉︎」
「山口退がれ! 今のお前が戦えるか!」熊本が山口のジャケットの襟首を掴んで『敵』と逆の方向に突き飛ばす。鹿児島、宮崎、沖縄がそれぞれの武器を構えて臨戦態勢に入った。
「強制参加か……面白い。一つ目に物魅せてやろうじゃないか――!」「りょーかい!
あっという間に攻撃にかかった九州勢をぽかんと眺める山口。(なんて好戦的なんだ……強制参加って、どこかで……そうだ)
旧国達を否応なしに巻き込んだ、あの戦争に似ているんだ。
かくして九州全員を巻き込んだ戦闘は始まった。と同時に『列島回游』は本当の意味で開幕したのでもあった。
広島に勝手に通話を切られた自分の携帯を、長崎は(無理しちゃって、まぁ)と受け取る。
(僕よりトラウマは深いはずなのに……それほど心配かけたくないんですか。中国地方がとっても大切なのでしょうね、きっと)「広島! 長崎! ぼけっとしてるんじゃない!」福岡の鋭い叫びに、仕方なく思考を中断して回避に移る。鞭のようにしなってこちらを捕らえようとせん『敵』をするりとかわして、「
「こらぁ長崎! げほっ、室内でぶっ放すんじゃなか!」と、白煙の巻き添えを喰らったらしい佐賀が咳き込みながら声を荒立てた。
(そうなんですよね……部屋の中じゃあ動くものも動けない……大人しく会議室で待っていたのが間違いでしたか)
「はぁ……
「わはは、いくら東京の差し向けるもんでも俺の敵じゃあねぇな! それにメーターも上がる! まさに一石二鳥ばい!」「そうね。長崎、広島、あんたらは退いてなさい」
ただ、戦闘の始まりは襲撃だったとしても、二人の表情はどこか楽しげだった。自分の力をフルに発揮できる、そんな機会が待ち遠しくて愉快で仕方がないとでもいうように。対照的に、自らが攻撃されている訳でもないのに辛そうな顔をしている広島に長崎は目を向けた。
「広島……大丈夫ですか? 君の顔真っ青ですけど。」「……ああ、大丈夫、大丈夫だ」
そう答えつつも彼の顔色は一向に良くならない。長崎は小さく溜息をつくと、戦闘を見せないよう、影に隠すようにして広島の前にしゃがみ込んだ。
「ねぇ広島、僕ずっと気になっていたことが有るんですよ。
――君、どうして技が出せないんです?
もう三四半世紀以上経ったんです。まだ、痛いですか。」
長崎の言葉に広島は軽く目を見開いたが、数瞬躊躇った後少し視線を逸らした。首元の太いチョーカーに触れながら、ぽつぽつと言葉を洩らす。
「……そりゃ、まだまだ痛いさ。今でも鮮明に思い出せる。オレの髪が赤くなったのも、この首の傷も、まだ元に戻らないからな。解ってはいるんだ。中国地方の
ただ、どうしても、手が動いてくれないんだ。戦うという行為を、まだプラスに捉えきれない。当たったら痛いだろうなって考えると、な……」
「なるほどね。――いえ、君は良いひとですよ。優しいひとだ、誰かの痛みが解るというのはとても素晴らしいことです」満足そうに微笑むと、長崎はすっくと立ち上がった。広島は長崎の顔を見上げて問いかける。
「むしろ長崎はどうしてもう割り切れて――」「!
「なっ⁉︎ い、いない⁉︎ すまん長崎、そっち行ったぞ!」福岡が大声を上げた。だが、もう遅い。佐賀も
「福岡……広島……動線上から離れた方が良かよ……」
佐賀の忠告が終わるか終わらないかのタイミングで、轟音と共に『敵』ごと会議室の壁が吹き飛んだ。
「――
長崎が砲台を出現させ、ぶっ放したのだ。今となってはもう大穴しか残っていない跡地の筈だが、戦艦に乗せられていた時そのままの黒光りする砲口が、まだ白煙を上げている。先程攻撃を受けて砕け散ったステンドグラスとは比べ物にならない程の破片が部屋内に散らばった。壁に空いた空洞から強い風が吹き込んでくるので、埃っぽさはすぐに消えた。
「……えーと、長崎……」
「ちっ、話ん邪魔ばするんやなかよこん愚鈍が――」
舌打ちしながら軽くコートの裾を払う長崎。そんな彼を見て、あーあと言いたげに兄姉二人は武器を片付けた。「怒らせちまった……どうするよ、佐賀?」「どうもこうも……まぁ満足したら収まるんじゃない……?」
未だ途方に暮れてへたり込んでいる広島に手を貸しつつ、「邪魔されてしまいましたけど――答えましょうか。先程の質問。」と長崎は笑みを深めた。
「さっきまだ痛いかなんて問いましたけど、実を言うと僕のだってまだ傷は疼くんですよ。でも、僕はね、
『僕らの存在意義』を証明する為に行動しているんです。
最初でいるのは簡単でも最後でいるのは難しい――ってことですかね。割り切るなんて出来ません。でも、僕の、いえ僕たちの二の舞だけは作らせない。例えいなくなっても、僕たちの行動してきたことは無駄じゃない。それを知らせたくて。その決意だけですよ、僕を動かすのなんて。」
長崎はすっと天を指した。背に向けた壁には穴が空いていつつも、天井は未だコンクリートが残っている。それでも、真っ青な空が、雲ひとつない爽やかな夏空が見えた気がした。
「……僕は、『恒久の平和の使徒』になるんです! これが僕の夢! 貴方もきっと、貴方だけの役割がありますよ。それを見つけられたら、きっと飲み込めますよ。それに───」
「それに?」
「九州に生きる以上は、戦えないそれ即ち『死』を意味しますからね……」
冗談ですよふふふ……と目線を逸らして不気味に笑う彼の表情は、どう考えても冗談のそれではなかった。
その時、どたどたどた、と荒い数人分の足音がドアの外から聞こえた。
「ひっ、広島ぁ! お前なんでこっちに来て……ってなんじゃあこの壁ぇ! 寒っ!?」
ドアにすら穴を開けんとする勢いで、まず山口が駆け込んできた。そのまま広島の所まで一直線に駆けていくと、肩を掴んでがっくんがっくんと揺すりまくる。
開け放たれた扉から次々と残りの面子も入ってきた。が沖縄だけは何故か鹿児島の影に隠れたまま出てこようとはしない。どうすんだよこの壁修理代お前が持つんだろうな、広々すかすかしちゃったねぇ、沖縄どうして出てこないんですさては使いましたねあれ、など好き勝手に騒ぎ立てる九州勢。山口は困り果てたように背を向けて問いかけた。
「そういえば広島、本当なんで来たの? ぼく九州のとこ出かけるって言った?」その質問を聞き終わるが早いか、ああそうじゃと広島は手を打つ。おい九州総帥、と熊本と取っ組み合っている福岡に声をかけた。
「『
「大阪がぁ? 来んのかよ? はぁまじか忙しいのに……いつだって?」
「すまん、詳しくはオレも……岡山から伝言ゲームみたいに聞いただけじゃけぇな。あいつも兵庫から口頭でらしいし……本人は電話使わないのかね」
うーんうーんと首を捻り始めた福岡に、「それまでに壁直せや」と野次が飛ぶ。
少し離れた所で、壁の穴から外を睨むように見ている佐賀が目に入った。彼女の近くに座っている鹿児島に手招きされ、山口は近づいていく。
「なぁ山口――否、『長州』。貴様はこの戦いをどう見る」「どうって……」
答えあぐねている山口に、佐賀が質問を重ねる。
「あのね長州。あんたも気づいたでしょう、このゲームは強制参加だって。それはまぁいいのよ、望むべくもない戦う機会だから。ただ――」強く日本刀の柄を握りしめ、彼女は言う。
「東京が言い出したことに、どうも信用を持てない。おまけに大阪まで出張ってくると、ね。中心土地まで動き出すとなると……
いや、考えすぎかもしれない。きっとそうでしょう、そうでなくては困る。でも嫌な予感が消えないのよ。
このままだと、次はうちらが消えるんじゃないか。
旧国達を消えせしめたあの戦争の二の舞になるんじゃないか、ってね。その為に今日、うちがあんたを呼んだのよ」
さぁどう見る維新の立役者――とでも言いたげに、二対の眼が山口をじっと見つめる。ああこれはぼくの独断では言い切れないな、あの『仲介役』にも話を聞かねばと回る頭の中とは裏腹に、口からは何の言葉も出なかった。
この後中国地方に帰った山口と広島は、独断で出かけたことを岡山にみっちりこってり搾られるのだが、それは
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