第10話 アイル夫人、目覚める



 ジークの母親、アイル夫人に治癒魔法をかけ続けて、半年が経って。

 ようやくアイル夫人が、目を覚ました。


 目を覚ました時、部屋には私しかいなかった。


「んっ……」

「あっ……!」

「……誰、かしら?」

「えっと……!」


 アイル夫人は三年ぶりに目を覚ましたというのに、目の前には全く見知らない私。

 私もいきなり目を覚ましたことに驚いて、あたふたしてしまう。


 結果……なんだか、とても気まずい雰囲気が流れてしまった。


「あ、あのですね……!」

「ふふっ……落ち着いて話していいからね?」

「は、はい!」


 三年ぶりに起き上がった人に気を使わせてしまった……情けない。


 私の自己紹介をして、アイル夫人が魔毒にやられて三年も眠っていたことを話した。

 静かに聞いていたアイル夫人だが、さすがに三年も眠っていたことには驚いたようだ。


「私ったら、そんなに寝坊していたのね」

「ね、寝坊っていうんでしょうか?」

「長く眠りすぎたら、寝坊でしょう?」

「そ、そうですね」


 とてもマイペースで、優しそうな笑みをする女性だ。

 それと笑みが少し、ジークに似ている気もする。


 あっ、そうだ、ジークや他の人達にも教えないと!


「私、他の人を呼んできます! アイル辺境伯夫人が起きたことを伝えないと!」

「もう少しゆっくりしていってもいいのよ?」

「い、いえ、ジークやクロヴィス様も、ずっと辺境伯夫人が起きることを望んでいましたから」

「っ、そう……私も、会いたいわね」


 アイル夫人はとても綺麗な笑みでそう言った。

 私は「失礼します」と言って、部屋を出て急いで屋敷中を回る。


 今、別荘にはクロヴィス様はいないけど、ジークはいるはずだ。


 早くアイル夫人のことを伝えてあげないと……!


 そう思って屋敷中を探し回ったんだけど、全然姿が見えない!


 なんで!? あいつ、どこにいるの!?


「ルアーナ様、どうかしました?」

「あっ、メイドさん。ジークは見ませんでしたか?」

「ジークハルト様なら、アイル夫人のお部屋に花を摘んで持って向かいましたが」

「えっ!?」


 まさかのすれ違い!?


 私はお礼だけ言ってすぐに駆け出す。

 駆け出した後に、メイドさんにもアイル夫人が起きたことを伝えればよかったと思った。


 だけど今はジークだ、もしかしてもう部屋に行ったかな?


 もう遅いかもしれないけど、とりあえず部屋に向かおう。

 アイル夫人の部屋に戻ると、扉が開いていた。


 私は閉めて出たから、誰かが入ったということだ。


 それに普通だったら扉を閉めながら入るから、驚いて開きっ放しにしてしまったのだろう。


 やっぱり遅かったようね。

 私は、入っていいのかな? 親子の感動の再会を邪魔するかもしれない。


 少し考えてから、私はおそるおそる部屋の中を覗く。


 私が邪魔だったら、少し覗いて入らずにそっとしておこうと思ったんだけど……。


「ジーク、ちゃんとご飯は食べてる? 好き嫌いが多いけど、私が寝ている間も残さず食べていたかしら?」

「は、母上、俺はもう十七歳ですよ。食事で残すことはもうありません」

「そう? だけど好き嫌いはまだあるでしょ? ほら、ピーマンが嫌いだったじゃない? いつも料理長に『自分の食事にはピーマンを少なくしてくれ』って頼んでたじゃない?」

「……よく覚えてますね、母上」


 ……なんだか、私が思ったような感動的な再会をしている雰囲気じゃなかった。


 いや、もしかしたらそういうのが終わって、親子の会話をしている最中かも。

 だけど親子すぎるというか、ジークの方が子供すぎる心配をされてない?


 ジークがアイル夫人に押されていて、彼のあんなたじろいでいる姿を見たことがない。


「あっ、ルアーナちゃん」


 思った以上に私は身を乗り出して見てしまっていて、アイル夫人に気づかれてしまった。


「なんでそんなところにいるの? ルアーナちゃん、入っていいわよ」

「あ、はい」


 アイル夫人はベッドに座って笑みを浮かべている。


 私はベッドの横の椅子に座って、ジークもベッドの縁から余っている椅子に座る。


「ルアーナちゃん、まだ言ってなかったわね」

「はい? 何をでしょう?」

「ありがとう」

「っ!」


 アイル夫人がベッドに座ったまま、私に深く頭を下げた。


「あなたのお陰で、私は長い眠りから目を覚ませた。本当に、ありがとう」

「あ、いや、私は当たり前のことをしただけですから」


 いきなりそんな真面目にお礼を言われるとは思わず、恐縮してしまう。


「当たり前のことじゃないだろ」

「えっ?」


 隣にいるジークにすぐに否定されてしまった。


「半年間、ずっと母上のために治癒魔法をかけ続けた。戦場にも立って仕事をこなしてから、慣れない魔法をずっとやり続けた。それを当たり前だなんて、思わない」


 ジークは全く茶化さず、真剣な表情で私の目を見て言う。


「ルアーナのお陰で、母上は目を覚ますことが出来た。俺はこの恩を、永遠に忘れない」

「そ、そんな、別に……」

「ありがとう、ルアーナ」


 ジークの言葉を聞いて、私の胸の内に込み上げるものがあった。


 この半年間、ずっとやり続けたけど、折れかけたことが何度もあった。

 どれだけやっても治癒魔法は上手くならないし、アイル夫人の身体が治っていく速度も遅い。


 何とかしないと、という気持ちが強かった。


 だから別荘に住むことを決めた。

 ディンケル辺境伯に来て、もらった恩を返したかったから。


 でも一人でただ治癒魔法をかけ続けることは、辛かった。


 魔法を一度やれば息切れするほど疲れて、それでも効果は微々たるもの。


 何度、折れかけたのかわからない。

 それを、ジークやクロヴィス様が別荘に来て、支えてくれた。


 私と一緒に食事をするためだけに、二人がこちらに来てくれて本当に嬉しかった。


 ジークは私がアイル夫人に魔法をかけている時に、いつも隣にいてくれた。


 見ているだけしか出来なくてすまない、と言われたことがあるが……隣にいてくれたことが、本当に支えになった。


「ルアーナちゃん、ありがとう」

「っ、アイル、夫人……」


 ずっと眠っていた姿を見ていた。

 そんなアイル夫人が、目を覚まして笑顔でお礼を言ってくれた。


 私も、涙が零れてきた。


 感謝をしたいのは、こちらもだ。


「こちら、こそ……無事に目を覚ましてくださって、ありがとうございます……!」

「うん。ルアーナちゃんの頑張りに、応えられてよかったわ」


 アイル夫人が、目覚めて。


 本当に、よかった。


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