第9話 半年後
ルアーナが母上の治療を始めてから、半年ほどが経った。
その間に、俺は十七歳になった。
母上が倒れて眠ってから、約三年が経ったということか。
三年前のあの日、俺は油断していた。
もう戦いは終わった、あとは戦後処理だけ。
夕食のことを考えながら魔物の死体を引っ張ろうとして、そいつがビクッと動いた。
気づいた時には熊のような魔物が立ち上がり、俺に鋭い爪を振り下ろしていた。
死んだ、と思った。
魔物の動きが遅く見えて、俺の動きも遅い。
しかしその遅い世界の中で、母上だけが少しだけ速かった。
俺の前に立ち、代わりに爪を身体で受け止めた。
鮮血が舞い、母上が倒れていく。最後の力を振り絞って、風魔法で熊の魔物を切り刻み、地に伏した。
地に伏した母上を見た時からは、何も覚えていない。
気づいたら屋敷に戻っており、父上に頭を撫でられていた。
『お前のせいじゃない。あの魔物は他の兵士が仕留め損なったやつだ』
『アイルじゃなければ魔毒はあそこまで止められない。アイルがお前を守ったのは正解だった』
そんな慰めの言葉が聞こえたが、父上の手も震えていた。
父上も俺のせいじゃない、息子のせいじゃないと思い込みたかったのだろう。
ただやはり俺は、自分の油断のせいだと悔やんだ。
確かに俺があれを受けていたら、致命傷が治ったとしても魔毒で死んでいただろう。
母上だからこそ、三年も生きていられた。
だけど俺が油断して魔物にやられそうにならなければ、母上も致命傷を負わずに魔毒にもやられなかった。
ずっと後悔していた。
だから半年前、ルアーナが母上の魔毒を治せることがわかり……奇跡だと思った。
これで母上を治せる、母上に……謝り、お礼を言える。
しかし奇跡はやはり、簡単には起きない。
いや、奇跡はすでに起こった。
ルアーナがこの家に来たことだ。
それから、母上を治すためには努力でしか辿り着かない。
この半年間、ルアーナは毎日、母上に治癒魔法をかけている。
しっかりと戦場にも立ち、戦いを終えてから別荘に行っているのだ。
どう考えても働きすぎなので、俺と父上は毎日行かなくてもいい、と言った。
しかしルアーナは、
『そこまで無理しているわけじゃないので。それに私に出来ることは、全部やりたいので』
と言って、本当に毎日母上に治癒魔法をかけ続けた。
治療をし始めて一カ月経った時、本邸に戻ってくるよりも別荘に寝泊まりした方が効率がいい、ということになり、ルアーナが別荘で暮らし始めた。
本当にありがたいんだが……あいつ、朝食や夕食は俺と父上と一緒に食べたいとか言ったくせに、別荘で一人で食べるようになった。
仕方なく……仕方なく、俺も別荘で暮らすようになった。
別に俺がルアーナと食いたいからじゃない。あいつが一緒に食うのが好きと言ってたから、それに合わせただけだ。
別荘に暮らし始めたのは母上を助けるためなのだから、俺がルアーナに合わせるのは当然だろう。
別荘で俺も暮らして一緒にご飯を食べるというと、ルアーナはとても驚いていた。
……まあ、ものすごく嬉しそうにしていたから、よかった。
しばらくすると、父上も別荘で暮らし始めた。
父上は本邸で仕事をした方が絶対に効率がいいのに、まさか別邸に来るとは思わなかった。
俺が『無理する必要はないですよ、父上』と言うと……。
『ルアーナがあれほど頑張ってくれているのだ。仕事場を移すくらいの無理はするべきだろう』
『……はい、そうですね』
『それともなんだ? ルアーナと二人きりで食べたかったのか?』
『っ! そ、そんなわけないですから!』
ニヤッと笑って揶揄われたのは、ちょっと腹が立ったが……。
俺達が別荘で暮らし始めて、そろそろ半年。
ルアーナがずっと母上に治癒魔法をかけ続けてきたが、効果はとても出ている。
魔毒によって変色していた肌の色は、完全に戻った。
最初は爪の先から、徐々に肌の色が戻っていった。
ルアーナは毎日やり続けていたので、かなり治癒魔法も上達していた。
約二週間前に肌の色は完全に戻ったが、まだ母上は目覚めない。
おそらく身体の中にまだ魔毒が残っているので、ルアーナが今もなお治癒魔法をかけている。
今俺は、庭で花を摘んでいる。
別荘に来てからもう半年も経ったので、庭の花もだいぶ変わっている。
母上は花が好きだった。特にこの別荘の庭の花が。
よく一緒にここでお茶をしながら話したことを覚えている。
ずっと部屋で寝たきりの母上に、俺は花を摘んで持っていく。
母上は……もう、いつ起きてもおかしくはない。
ルアーナに本当に感謝しかないが、起きるのが間近と思うと……俺は少し怖くなってきた。
母上が三年間も眠りっぱなしになったのは、俺のせいだ。
俺のことを、恨んではないだろうか。
起きてきた母上に、俺は何て言えばいいんだろうか。
助けてくれたお礼を言う?
それとも、油断をしてすみませんと謝る?
わからない、何を話せばいいのか。
生きて早く目覚めてほしいと思っていたし、今もその気持ちは全く変わらない。
だけど……怖気づいている自分が、情けない。
俺はそんなことを考えながら、母上が眠っている部屋の扉を開ける。
いつも通り、綺麗な花を持って花瓶にでも入れようと思って。
しかし、部屋に入った瞬間に……持っていた花を落としてしまった。
ベッドの上を見ると、人が上体を起こした姿が目に入った。
そこに眠っている人は三年間、一度も状態を起こしたことがない。
周りには誰もいない、つまり自身の力で、意思で起き上がったということ。
ベッドの上にいる人物と、視線が合う。
優しい瞳……よく俺は父上に顔が似ていると言われるが、目は母上に似ていると、言われてきた。
その瞳を、三年間見ていなかった、見られなかった。
「……ジーク?」
聞き覚えしかない、女性の声。
その声を聞いた瞬間、胸の内にこみあげるものがあった。
「はは、うえ……!」
震える声で、呼んだ。
本当に母上が、起きている。目を開けて、俺を見ている。
「ジーク、大きくなったわね」
優しい笑みを浮かべながら、母上はそう言った。
夢にまで見た、母上の笑顔。
夢じゃない、現実だ。
「ジーク、近くに来て?」
三年前と全く変わらない感じで、俺の名を呼ぶ母上。
俺は足が震えるのを抑えながら、一歩一歩と母上がいるベッドに近づく。
側に来て、ベッドの縁に腰を掛ける。
「本当に大きくなったわね、ジーク。もう私よりも身長が高いみたい」
「……三年、経ちましたから」
「前は私よりも少し身長が低かったのに、成長期ね」
ああ、母上だ。
優しい笑み、声色、眼差し、何も変わらない。
母上の顔が、どんどんとぼやけて、見えなくなっていく。
「ジーク、どうしたの? 涙なんか流して」
「母上……!」
母上が起きているなんて思っていなかったから、台詞なんて何も考えていなかった。
だけど今、咄嗟に出た言葉は……。
「おかえりなさい、母上……!」
自分でも想像以上に情けなく、震えた声。
だけど笑みを浮かべて、母上にそう言った。
「うん、ただいま、ジーク」
母上は、満面の笑みを咲かせた。
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