第7話 報酬?
私がジークを睨んでいると、クロヴィス様が咳払いをする。
「お前らの喧嘩を見るために、私は妻の話を始めたんじゃないぞ」
「あっ、すみません」
そうだ、今はとりあえずジークのことはどうでもいい。
まずこの話を始めたのは、クロヴィス様だ。
「ジークも、あまり度が過ぎたイタズラをするなよ」
「だけど今回はルアーナが勝手に勘違いしただけです」
「そうか。だがまあ、嫌われたくないならほどほどにしておけ」
「……まあ、了解です」
嫌われたくない? クロヴィス様やお母様からかしら?
そうね、自分の息子が嘘つきなんて嫌よね。
「話を続けるぞ。私の妻、アイルについてだ」
クロヴィス様の奥様、アイル辺境伯夫人。
ジークを守るために犠牲になったと聞いていたが。
「約二年前、つまりルアーナが来る一年前ほどに、魔物の攻撃を受けた。致命傷を負い、幸いにも命は取り留めたが、意識は戻っていない……二年間、ずっと」
「っ、そうなのですね……」
「死んではない。だが、死んでない、だけだ」
クロヴィス様は極めて落ち着いて話しているが、いつもよりも声に力が入っている気がする。
「アイル辺境伯夫人は、今どちらに?」
「ここから少し離れた別荘、そこで彼女は眠り続けている」
別荘、あるとは聞いていたけど、まさか辺境伯夫人がずっといたことは知らなかった。
「知っていると思うが、魔物には魔毒という人間のみに害を与える毒を持っている個体がいる」
「はい、存じております」
ほとんどの魔物は持っていないが、特別に強い魔物が持っていることが多い。
主に爪や牙などの攻撃を受けると感染し、傷口から入ると細胞がどんどんと壊死していき……最終的に、死に至る。
少量なら解毒剤で治ることもあるが、多量の魔毒を浴びると、もうどうにもならい。
死なないために、腕から魔毒が入ったのなら……早急に腕を切らないといけない。
すでに何人か、私はそうして腕を切り落として戦線から離脱した兵士を見ている。
「アイルも、魔毒にやられた。肩から胸元を爪で引き裂かれたから、切り落とすことなんて出来ない」
肩から胸元、致命傷を受けたと言っていたが……どれだけ大きくて深い傷だったのか。
そんな大きな傷から魔毒が入って、二年間も生きていられるのかな?
「彼女はとても優秀な魔導士だ。魔毒は魔力操作で進行を遅らせることが出来る。おそらくアイルは自分の力で魔毒の進行を遅らせている」
「なるほど……」
そんなことが可能だったのね、知らなかった。
意識を失いながらも魔毒の進行を止めて生きているなんて、本当にすごい。
「魔毒をあんなに食らって二年間も生きていることが奇跡、彼女がとても優秀だからこそ。だがこの二年間で徐々に、魔毒は進行している。死ぬのも、時間の問題だ」
絞り出すようなクロヴィス様の声。
ジークも悲痛そうな顔をして、父親であるクロヴィス様を見つめている。
「そう、なのですね……」
数秒ほど、痛々しい沈黙が流れる。
私もどう反応すればいいかわからなかったのだが、クロヴィス様が喋り始める。
「朝から暗い話をしてしまってすまないな」
「あっ、いえ、大丈夫です。むしろそんな大事な話を聞かせていただけるなんて……」
ん? あれ、なんで私にこんな重大なことを話したんだろう?
私がこの屋敷に来て一年間、一度も辺境伯夫人の話なんかされなかった。
なぜ今さらになって、話されたのだろうか。
「あの、いきなりなんでこんな大事な話を私に?」
「ああ、今話したのには理由がある」
クロヴィス様は私のことを真っすぐと見つめながら話を続ける。
「お前がこの家に来た時、私は奇跡だと思った。ずっと探していた希少魔法、光魔法を使える者が来たと」
「光魔法を?」
「そうだ。光魔法は魔物に当てると動きを止め、消滅させることも出来る。だがそれと同時に、治癒能力も持つと言われている」
「っ、そうなのですか?」
そんな能力、初めて知った。
治癒の魔法能力は本当に珍しいし、使える者が限られている。
「ああ、私は陰ながら治癒魔法の持ち主を探して、アイルのところまで連れて行って治癒してもらったこともある。しかし、効果は全く出ていなかった」
「そうだったのですね……」
「だが光魔法の治癒は、いまだに試したことがない。そして私の勘だが、一番可能性が高いと踏んでいる」
「父上、それはなぜですか?」
ずっと黙って聞いていたジークがそう問いかけた。
ジークも母親についてだから、とても真剣に話を聞いているようだ。
「アイルは魔物の魔毒によって身体を蝕まれている。光魔法は魔物にだけ効果的な力、その治癒魔法だったら魔毒を解毒出来る可能性が高いはずだ」
「っ、なるほど……」
確かにそれは一理あるかもしれない。
私も納得して頷いていると、「ルアーナ」とクロヴィス様から呼ばれる。
「本題だ。一年間、お前はとても努力をして光魔法の練度を上げた。まだ治癒魔法を覚えてないだろうが、これから……私の妻、アイルを助けてほしい」
「クロヴィス様……」
「頼む、この通りだ」
そう言ってクロヴィス様は座ったままだが、頭がテーブルに当たるほど下げた。
私は目を丸くして驚いた。ジークも同様に驚いている。
クロヴィス様が頭を下げるところなんて見たことがない。
「お、おやめください、クロヴィス様! 私に頭を下げるなんて……!」
「アイルのためなら、頭くらいはいくらでも下げる。それにルアーナ、私は君をとても評価している。一番アイルを目覚めさせる可能性があるのだから、頭を下げるくらいじゃ足りない」
クロヴィス様は頭を上げて、真剣な表情で交渉のようなことを言い出す。
「アイルを助けてくれたら、ディンケル辺境にこの屋敷と同等かそれ以上の家を買って贈ろう。気に入ったメイドや執事も五人ほど引き抜いていい。それでどうだろうか?」
「い、いやいや! ちょっと待ってください!」
そんなことをいきなり言われても、本当にとても困る。
だけどクロヴィス様はアイル辺境伯夫人のことを、かけがえのない存在だと思っていることがわかった。
だからこそ……恩返しがしたい。
「クロヴィス様、報酬なんていりません。その話を聞いた瞬間から、私はアイル辺境伯夫人を助けたいと思いました」
「……優しい君ならそう思うだろう。だがそれとこれとは、話が違う。アイルを助けたら報酬を出すのは、当然のことだ」
「報酬なら、すでに貰い続けています」
「なに?」
不思議そうにするクロヴィス様に、私は笑みを浮かべて続ける。
「今もそうです。この時間、クロヴィス様やジークと話すことが、私にとっては報酬なんです」
アルタミラ伯爵家にいた五年間、ずっと誰とも話せなかった。
話すとしても一方的な命令を言われるか、罵詈雑言を浴びせられるだけで、まともな会話なんて全くした覚えがない。
この屋敷に来て一年、誰かと食事をすることがこんなに幸せで心休まることだったことを、思い出した。
お母さんと二人で暮らして幸せだったことを、思い出させてくれた。
「報酬をもらうとしたら、今まで通り私をこの辺境伯家に置いてくださり、食事をご一緒に食べてください。どんな金品や大きな屋敷よりも、嬉しい報酬です」
「ルアーナ……」
「あっ、アイル辺境伯夫人を治した後は、夫人もご一緒出来れば嬉しいです」
私が心の底から思ったことを言うと、クロヴィス様の目が少しだけ潤んだように見えた。
本当に一瞬で、クロヴィス様が目を伏せて次に私と視線を合わせる時には普通だった。
だけどいつもよりも、優しい眼差しをしている気がする。
「お前は本当に……欲がない人間だな、ルアーナ」
「欲ならあります。特に食欲が」
「ふっ、そうか。じゃあ朝からいっぱい食べろ、足りないなら足りるまで食べさせてやる」
「ありがとうございます!」
やった! それは本当に嬉しい!
みんなで食べる食事は楽しいけど、やっぱり食事自体が美味しいのも理由よね。
そんなことを考えながら、また食べ始めようとしたが……ジークにじっと見られていた。
「な、なによ」
「いや、なんでもない」
「そう?」
「……母上のこと、よろしく頼む」
「……うん、全力を尽くすわ」
私達はそう会話をしてから、朝食を再開した。
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