第4話 ジークハルトの優しさ



 その日の夜、私は辺境伯家の用意してくださった広くて豪華な部屋、その中の柔らかいベッドで寝転がっていた。




 もういつもならとっくに寝ている時間。


 今日は初陣だったから疲れているのに……全く眠れない。




 やはり思ったよりも、魔物や人の死体、戦場に出向いて見た光景がショックだったみたい。




 明日からまた戦場に行くのに……しっかり寝て休まないといけないのに……。




 そう思えば思うほど、眠気がどこかに飛んでいく。




 どうしよう……そう思っていたら、部屋のドアにノックが響いた。




「ひゃっ!?」




 こんな深夜に誰かが来るとは思っていなかったので、変な声が出てしまった。




「だ、誰ですか?」


「……俺だ、ジークだ」


「ジーク?」




 問い返してしまったので愛称で呼んでしまったが、ジークハルトはそこに関しては何も言わなかった。




「開けるぞ」


「えっ、ちょっと……!」




 私の静止を聞かず、ジークハルトは勝手に入ってきた。




 両手で何かトレイを持っているようで、足で扉を開けてきた。




「どうせ寝られてねえんだろと思ってたが、やっぱりだな」


「い、いきなり来て、なに? 女性の部屋に勝手に入ってくるなんて……」


「はっ、女性扱いされたいなら、もう少しデカくなってから言うんだな」




 むっ、やっぱりこいつは本当に……って、えっ?




 彼が持ってきたトレイには、湯気が出ているミルクが入ったカップが二つあった。




「飲むぞ、ソファに座れ」


「え、えっと……」


「早く座れって」




 私は戸惑いながらもソファに座ると、私の前にカップを置いてくれて、隣にジークハルトが座った。


 ジークハルトはそのまま何も言わずにミルクを飲んでいる。




「の、飲んでいいの?」


「……なんだ、まだ飲み物も口に入らないのか? それなら俺が飲むが」


「い、いや、それは大丈夫……ありがとう」


「んっ」




 彼は照れ隠しのように小さく返事をして、ミルクを一口飲んだ。


 私も隣で息を少し吹きかけてから、一口。




「美味しい……」




 思わず口に出てしまった。




 温かい飲み物なんて、アルタミラ伯爵家にいた頃も一度も飲んだことはなかった。




 冷え切った身体や心に、じんわりと温かさが広がっていく。




「ジーク、ありがとう」




 あ、また愛称の方で呼んでしまった。




「……ん」




 しかしまた何も言わずに、軽く返事をしたジークハルト。




 この時間、もう料理人や使用人の方々も寝ているはず。




 おそらくジークハルトが、自分で作って持ってきてくれたのだろう。


 やっぱり彼は意地悪なところはあるけど、とても優しいみたいね。




 しばらく私達は黙って、ミルクを一緒に飲んだ。




 全部飲み終わり、私がまた「ありがとう」と言うと、ジークハルトが「んっ」とまた軽く返事をする。




 これでジークハルトが帰ると思ったのだけど……。




「じゃあ、ベッドに入れ」


「えっ?」


「どうせこれだけじゃすぐに寝られねえよ。ほら、入って寝っ転がれ」




 無理やり背中を押すようにしてベッドに促され、布団の中に入れられて寝かされる。


 そしてジークハルトがベッドの縁に座った。




「手出せ」


「手?」


「ああ」




 訳も分からず彼の方に手を差し出すと、彼は優しく手を繋いでくれた。




「こうしとしてやるから、早く寝ろ」


「えっ?」




 なんでいきなり?


 とても優しいことをしてくれているけど、昼間までのジークハルトじゃないみたい。




「あなた、本当にジークハルト?」


「なんだよそれ。失礼な奴だな」


「だって、いきなりこんな……」


「……別に、俺がやってもらったことをお前にしているだけだ」


「ジークハルトが、やってもらったこと?」




 私がそう問いかけると、ジークハルトは小さく頷いて視線を外す。




「俺が十二歳で初陣に出た頃に、母上にやってもらったことだ」


「そうなんだ……」




 ジークハルトでも小さい頃は、私みたいに参ってたのね。


 だけど母上って、私はまだ会ってないけど……。




「ジークハルトのお母様って……」


「母上は……ここにはいない」


「っ……そっか」




 病気なのか、それとも前線に出て魔物に襲われたのかわからないけど。


 彼の母親は、もう……私と同じね。




「私も……」


「ん?」


「私も、伯爵家に行く前に、お母さんを亡くしたの」


「……そうか」


「私のお母さんもこうやって……手を繋ぎながら、寝てくれたなぁ」




 ジークハルトの手を少し強く握ると、彼もそれに返すよう少し強く握ってくれる。




 お母さんよりも大きくて強い力、だけど痛くはなく、むしろ心地いい強さ。




 少しゴツゴツしていて、剣を握っているからタコが出来ている。


 手を握られるのって結構安心するから……本当に、眠くなってきた。




「ジーク、ハルト……このまま寝ていい?」


「お前が早く寝ないと、俺も部屋に戻れねえから」


「うん……寝るまで、握っててくれる?」


「……ああ、握っててやる」


「ありが、とう……ジーク」




 こんなに優しくしてもらったのは、何年振りだろうか。


 人に手を握ってもらったのは、何年振りだろうか。




 私にお兄さんがいたら、ジークハルトみたいな人なのかな。




 だけどこんな意地悪をするお兄さんは、少しだけ嫌かも。




 ……でも、家族ってこんな感じなんだろうなぁ。




 ディンケル辺境地に来てから、ずっと忘れていた温かさを思い出している気がする。




 そんな温かい気持ちを抱きながら、私はゆっくりと眠りについた。




◇ ◇ ◇




 チビは、ルアーナは眠りについたようだ。




 とても幼い、無防備な寝顔だ。


 こんなチビで細いやつの光魔法が、あれだけの威力を放ったとは到底思えない。




 実際に見ずに人伝に聞いていたら、絶対に信じなかっただろう。




 あの光魔法を浴びた瞬間、魔物達が一斉に動きを止めていた。




 さらには近くで見た俺だからわかるが、数体は身体が焼けるように消滅しかけていた。




 あんなに光魔法が魔物に効くなんて、全く思っていなかった。


 父上が聖女になりうると言っていたのが、よくわかった。




 まあ、俺が最終的にこいつを聖女に仕立て上げたんだが。




 ふっ、その時のこいつの表情といったら……呆然としていて、めちゃくちゃ笑えたな。




 なんだか猫のようにシャーと怒っていたが、それも面白かった。




 ただどれだけ聖女のような力を持っていようが、こいつも普通の人間。


 むしろ今までずっと迫害されてきたのだから、普通の人間よりも弱い。




 想像していた通り、食事もまともに食えず、眠れてもいなかったようだ。


 俺が何もしていなかったら、明日の昼にでも倒れていただろうな。




 父上も食事までは想像していたようだが、眠りについては想定外だろう。




 俺は自分が経験しているからな。




 それに俺の時は、母上が一緒にいてくれた。


 ……正直、俺の初陣の後に母上にやってもらったことは、一緒に寝ることだった。




 一緒のベッドに入って、朝まで一緒に眠ってくれた。




 だがさすがにそれは出来ないので、手を握るくらいにした。


 それでも効果はあったようで、ルアーナはぐっすりと眠っている。




 こう見ると、本当に小さいな。




 やっぱり十五歳ってのが嘘なんじゃないか? まあ嘘をつくような性格をしているとは思わないが。




 ……それと、いつまで俺はこいつの手を握ってないといけないんだろう?


 手を離そうと思っても、かなり強く握られているから抜け出すのが難しい。




 無理やり引き離せば行けると思うが、すぐにこいつが起きてまた眠れなくなるかもしれない。




 はぁ、もう少しいてやるか。




 その後、俺は窓から太陽光が差すまでこいつの手を握っていた。




◇ ◇ ◇




 翌日、起きた時にはジークハルトはいなかった。




 本当に快眠でぐっすりと眠れて、昨日の夜に全然寝られなかったのが噓のようだ。


 起きてから側にある鈴を鳴らすと、使用人の方々が来て朝の支度を手伝ってくれる。




 昨日もやってもらったのだが、やはりまだ全然慣れない。




 身支度を終えて、食堂に行くとすでにジークハルトが座って食事をしていた。




「……お、おはよう、ジークハルト」


「んっ、はよ」




 軽く返事をしたジークハルトの前の席に座り、私も朝食を食べ始める。


 伯爵家では朝食なんてほぼ食べてこなかったから、こんなに食べられるかしら。




「もう食べられるのか?」


「えっ? あ、うん、もう大丈夫」


「そうか」




 ジークハルトが心配してくれたみたいで、なんだか嬉しい。


 そう思って笑みを浮かべていると、彼が不機嫌そうに私のことを睨んでくる。




「鬱陶しい視線を向けるなよ、このチビ。これからはどれだけ参ってても、何もしねえからな」


「むっ、チビじゃないわ。同い年よ」


「同い年でもチビだろうが」




 くっ、この男は……自分の評価を上げたいのか下げたいのか、どっちなのかしら。


 だけど耳が少し赤いから、照れている?




 そう思うと可愛いわね、ツンツンして素直になれない男の子って感じで。




 兄っぽいと思っていたけど、意外と弟っぽくも見えてきた。




「いつか大きくなって、ジークハルトを見下ろすから」


「はっ、そんな日は永遠に来ないな」




 私達がそう言って睨み合っていると、クロヴィス様が食堂に入ってくる。




「おはよう、二人とも。仲良さそうで何よりだ」


「「仲良くないです!」




 また同じ言葉を同時に発してしまい、キッと睨み合った。


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