第11話

 窓から射し込む朝の光を顔に浴びて、ユナは目覚めた。

 何だか体が疲れているなと思ってふと隣を見ると、ファンファンが眠っていた。そして、彼と手をつないでいたことを思い出す。

「あのまま寝ちゃったんだ……あいたたた」

 昨夜、「手をつないで眠ろう」とファンファンに言われたことは覚えているが、どうやら本当につないだまま眠ってしまったらしい。体を起こすと、凝り固まったようにあちこち痛かった。

 昨日参加した武闘大会による疲労もあると思うが、やはり睡眠中に寝返りを打てなかったことも原因の気がする。

 つないでいた手をそっとほどいて伸びをしようとすると、それに驚いたのかファンファンが飛び起きた。

「うわ……」

「え……びっくりした。大丈夫?」

 いきなりガバッと体を起こし、目を見開いている様子は、尋常ではない。よく見ると、額に汗をかいている。

「どうしたの? 怖い夢でも見た?」

 返事がないため再度問いかけると、ようやくユナの声が耳に届いたのか、ファンファンは頷いた。

「……メイメイが」

「メイメイは、ジジ様と一緒にいるから大丈夫よ」

「いや、近づいてきてる。何かあったんだ」

 安心させようとするユナの言葉を振り切って、ファンファンはひたすら不安そうにしている。よほどひどい夢でも見たのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。

「近づいてきてるって、わかるの? 予知夢みたいなもの?」

「そういうんじゃないんだ。はっきり見えるわけじゃなくて、気配が近づいてきてるのを感じたんだ。あと、何か強烈な感覚があって……あの子の身に恐ろしいことが起きたんじゃないといいんだけど」

 不安そうに言うのが気の毒で、ユナは背中をさすってやることしかできなかった。

 信じられないようなことを言っているが、嘘ではないのだろう。道士として修行を積んでいるファンファンには、ユナにはわからないようなことを察知できるのかもしれない。それに、こんな嘘をついて彼には何の得もないし、起き抜けにつくような嘘でもない。

 だから、ひとまず信じて受け止めてみることにした。

「メイメイがジジ様のもとを離れて近づいてきているってことは、こちらに向かってきているのかしら? もしかして、ジジ様からの伝令かも」

「いや、伝令であればあの子は式神を飛ばせる。だから、式神を飛ばすよりも自分が動いたほうがいいと判断する事情があったんじゃないかと」

「でもそれなら、間違いなく屍骸遣いに関する事情でしょう? だったら、わたしたちともいずれ行き合うんじゃないかな。メイメイと会うためにも、まずは情報を集めましょう」

「……そうだね」

 落ち着いて考えられないファンファンに代わって頭を働かせてやると、ようやく彼は現状を呑み込めたようだ。

 焦る気持ちはわかるが、まずは状況を推理してみることしかできない。それに何より、戦いに備えて腹ごしらえをしなければならない。

 何となく、この宿の食堂よりも外に食べに行ったほうが情報が得られる気がして、ユナはファンファンの手を引いて宿を出た。

 それから、なるべく大衆的な、人が集まって混んでいる店を選んだ。

「ファンファン、食欲は?」

「あるよ」

「じゃあ、何でも食べられるわね。適当に頼んじゃうから」

 食堂に入ってからも覇気がないファンファンに代わり、ユナはいろいろと見繕って注文した。今を逃したら、次に落ち着いて食事ができるのはいつになるかわからない。だから、しっかり食べておかなければ。

 とりあえず胃に入れやすいものをと思い、汁物や蒸し物を中心に頼んだのだが、いざ運ばれてくるとファンファンはタレをかけて焼いた肉にまず齧りついていた。

 前から思っていたことだが、ファンファンは肉も酒も好きなかなりの生臭さ道士だ。しかし、彼がしっかり食べられるのを見て安心した。

 ふたりとも言葉を交わさず、黙々と目の前の食事に手をつけた。ユナもファンファンも、耳を周囲の会話に集中させている。

 にぎわう食堂の中では、様々な会話が飛び交っていた。そのうちのひとつの話題に、ユナの耳は反応した。

「そういや、あの女頭目率いる賊がついに王都に向けて挙兵したんだとさ。続々といろんな集団を潰して取り込んでたって噂だったが、このためだったんだな」

「挙兵って、国でも乗っ取る気か。それとも何か通したい要望でもあんのかねぇ」

「わかんねぇけど、今は王都もゴタゴタしてるらしいからな。もしかすると、もしかするかもしれんぞ」

 〝女頭目〟という単語に、ユナは頭を抱えたくなった。もしかするとそれは、自分の母かもしれないのだ。

 昨日武闘大会で対戦したシォンの話だと、ものすごく体格がよくて強い女性がいて、その人物が盗賊を率いている噂があるらしい。

 世の中は広いから、母のように強い女性は他にもいるだろう。だがなぜか、ユナはその噂の人物が母のような気がしてならないのだ。

「でさ、女頭目はついに子供まで攫ったらしいぜ。港に現れて、到着したばかりの夫婦から小さな女の子を奪ったんだと」

「子供なんか攫ってどうするんだ? 売っぱらうなんてちんけなことするタマじゃねぇだろ」

「まあ、強盗するほうが早そうだもんな。でも、大勢に目撃されてんだよ」

「怖ぇなあ。もともとあの港じゃ、子攫い人攫いが当たり前にあったってのにな」

 ユナが耳を済ませていた会話を、どうやらファンファンも聞いていたらしい。黙々と食べながらも、顔色が変わったのがわかった。

 これはもしかするとメイメイのことを言っているのではないかと、ふたりとも同じことを思ったらしく頷き合う。

 それからは、手早く卓子の上の食事を胃に収め、席を立った。道中の食事にと、追加で粽も買っておく。

「ファンファン、さっきの男たちの会話、聞いてた?」

「うん。違うかもしれないけど、俺たちを追いかけるためにメイメイは船に乗った可能性が高いと思うんだ。ここ旧都に立ち寄ろうとしてたのか、王都に直行しようとしてたのかはわからないけど、話に聞こえてきた港は、立ち寄る可能性が高い」

 すっかり落ち着きを取り戻したらしく、ファンファンはそう冷静に分析した。

「女頭目が率いる賊か……ただでさえ屍骸遣いのことで大変だっていうのに」

「それなんだけどさ……」

 店を出てから、慌ててユナは口を開いた。その女頭目が自分の母である可能性は、話しておかなければならない。メイメイを攫った人物が母かもしれないとは、とても言いづらいのだが。

「昨日、武闘大会で会った人の話だと、もしかしたらその女頭目、わたしの母かもしれないの」

 ユナは手短に、昨日シォンから聞いた話をファンファンに語った。話しながら、シォンが母と武闘大会で話したのは本当でも、旧都を出てから盗賊を率いているというのは尾ひれがついた話なのではないかという気がしてきた。そうであってほしいという願いかもしれないが。

「ユナのお母さんは、どうして家を空けているんだっけ?」

「えっと……本人は、〝世直しの旅〟だって言ってた。気になることもあるって言ってたし。でも、実際のところは父をやっつけに王都へ行ったのだと思う。強くなるために、修行をしながら」

 本当は母の事情を話すのは少し恥に思っているのだが、今はそんなことを言っていられない。

 それに、恥ずかしいとしたら母ではなく父だ。

「あのね、うちの父は存命なんだけど、一緒に暮らしていないの。なぜかというと、王都で文官をしていて……そこで、今では別の家庭を持っているみたいなの」

「え……浮気してるってこと?」

 家の事情を端的に説明すると、ファンファンは驚いた顔をした。無理もない。今の話の流れから、まさかそんなドロドロしたとある家庭の事情を聞かされるとは思ってもみなかっただろうから。

「ただ単に単身赴任させてるつもりだったんだけどね、うちの家族は。でも、兄さんが士官して王都に上ってから、父が家庭を持ってることが判明しちゃったの。もともと家に寄りつかない人だったから、やっぱりねって思ったんだけど、母はそうではなかったみたいで……」

「それで、世直しの旅に出ちゃったんだ」

「うん。直したいのは世の中じゃないと思うんだけど」

 言いながらユナは、やはり母が盗賊を率いているなんて信じられなかった。ましてや、子供を誘拐しているなんて。

 それをする利点がないのと、そんなことより浮気をした父を一刻も早く打ちのめしたいだろうというのが、ユナの考えだった。

「さて、移動手段だけど、陸路がいいと思うんだけど」

 しばらく歩いていくと、馬車が多く停まっている場所に着いた。旧都は大きな街だから、商人たちも多くやってくるし、人を運ぶための馬車もある。この場所は、荷下ろしをしたり馬を休ませたりする区画のようだ。

「馬車で行くってこと?」

 ファンファンが最初から迷いなくこの場所を目指していたということは、何か算段があるのだろう。

「港で捕まった女の子がメイメイだとすると、メイメイを連れてるやつは船ではなく陸路で移動中だと思うんだ。それで、メイメイを捕まえたのがユナのお母さんだとしたら、目指してるのは王都だろう? それなら、馬車でなるべく早く王都に着くのがいいと思うんだ」

 朝の取り乱しぶりとは打って変わって、冷静に頭が働いているようだ。

「わたしも、それがいいと思う。どのみち、みんな王都に集結するだろうし。屍骸遣いが騒ぎを起こすとしたら、きっと王都を狙うでしょうから」

「よし、それなら俺に任せといてよ」

 やるべきことがはっきりしたからか、ファンファンはいつもの彼に戻っていた。軽薄で不埒な感じのする、怪しい道士の本領発揮だ。

 どういう基準で選んだのかはわからないが、ファンファンはひとつの荷馬車に狙いを定め、うまいこと交渉して王都まで連れて行ってもらえるよう取りつけてきた。

 お金はたんまり取られるようだが、昨日の賞金があるからそれは問題にはならない。

 急用である旨を伝えると、何とか急いでくれるとのことだった。とはいえ、旧都から王都までは馬車で七日ほどかかる。

 道中の荷馬車の商人たちとのやりとりはほとんどファンファンがやってくれているが、彼が努めて落ち着いたふりをしているのは見て取れた。夜も、気がかりなことがあるようであまり眠れてはいなさそうだ。

 王都が近づくにつれて、何やら不穏な気配が濃くなっているのをユナも感じていたため、張り詰めるファンファンの気持ちは理解できた。

 だから、あと少しで王都にたどり着くとなったときには、少しほっとしたくらいだ。

 それなのに、馬車が襲撃を受けた。

 ユナが最初に異変に気づいたのは、御者席から叫び声が上がったのを聞いたときだった。どうしてのかと訝しんで荷台から顔を出そうとした直後、馬車が停まった。

「なに……?」

 荷台の中で耳を済ませていると、大勢に囲まれているのが気配でわかった。それに、ジリジリと追い詰めるように近づいてくる蹄の音や、御者たちへ浴びせられる不穏な声から、厄介な連中に目をつけられたと察した。

「ファンファン、行こう!」

 御者たちを守らなければと荷台を飛び出して、目にしたものにユナは驚いた。

 そこには、あきらかに柄の悪い集団がいた。しかも、気配からユナが想像していたのよりもはるかに大勢だ。つまりは、見た目に反して気配を殺せる集団ということだ。

「何をするの! その人たちに手出しはさせない!」

 御者たちが引きずり降ろされるのを見てすぐさま飛びかかったユナだったが、それよりも相手が動くほうが早かった。

 暴れる御者を押さえつけ、手刀で首の後ろを叩いて無力化する。どこかへ連れ去ろうとするのを阻止しようとしたが、ユナはあっという間に十数人に囲まれてしまった。

 日々鍛錬を積んでいるユナと比べて賊たちの動きは鈍重で、ひとりひとりは大したことはなかった。だが、それが束になってかかってくると話は別だ。

 集団戦、ましてや人間相手ならファンファンは苦戦しているかもしれないと思いそちらに視線を向けると、思いもよらぬ自体になっていた。

 荷馬車に一緒に乗っていた商人を守りながら、ファンファンは賊のひとりと対峙していた。

 隙のない攻撃を繰り出しているのは、凛々しい女の武人だ。その立ち姿や攻撃の姿勢は馴染みのあるもので、それに気づいたときにはユナは叫んでいた。

「やめて! 母さん! その人に攻撃しないで!」

 ファンファンに攻撃しているのは、ユナの母であるヨキだった。

 大声で呼びかけるが、ヨキの動きは止まらない。一方、商人を守りながら戦っているファンファンには、早くも疲れが見え始めていた。

 無理もない。守りながらでは、攻撃に転じることが難しい。勢いよく打ち込んでくる相手には、防戦一方では疲労するのだ。

 このままでは、ファンファンが大怪我を負わされてしまうかもしれないと思い、ユナは囲いを振りきって走り出していた。自分がヨキを止めるしかないと、助走をつけて飛び上がる。

 ヨキは変わらずファンファンへの攻撃を続けている。その視覚を狙って背後から蹴りを入れれば動きを止められるだろうかと考えたのだが、あとわずかでヨキに届くというところで、振り返られてしまった。

「え、ユナじゃないか」

「わっ」

 蹴りを繰り出した足を捕まれ、ぐるんとされた。だが、さすがは母だ。そのままユナを放り投げたりせず、うまく地面に着地させた。

「あんたのツレ? 盗賊とつるんでんの?」

 娘が目の前に現れたことで冷静さを取り戻したらしく、ヨキは構えを解いてユナと向き合った。ユナとファンファンを交互に見比べ、信じられないような顔をする。

「異人が道士の格好してるなんて、いかにも怪しいじゃないか」

「母さん、異人じゃないから。混血ではあるけど、ファンファンはちゃんとした道寺から来た道士様だよ。ワケあって一緒に旅してたの」

「なんだ、ユナの彼氏か」

 一体どこに納得したのかわからないが、突然ヨキは怪しむのをやめた。彼氏ではないと訂正したかったが、話がややこしくなってもいけないと思って黙っておく。

 しげしげとファンファンを見ている様子から、どうやらヨキは彼の顔が気に入ったらしい。ジジ様の言った通りだ。母は、本当に顔の良い男に弱い。

「でもさ、こっちの奴らは仲間じゃないよね? だって、こいつらは窃盗団だよ。あちこちで盗みを働いたものを売り捌いてるって情報が入ったから、張ってたんだ」

「え、うそ、そんな……」

 自分たちをここまで乗せて運んでくれた気のいい商人たちが、まさか窃盗団だなんて思えなくて、ユナはファンファンを見た。

 だが、彼が先ほどまで守るために首根っこを掴んでいた商人をあっさり離したのを見て、彼にはどうやら最初からこの事態が読めてきたことがわかった。

「ユナのお母さんが盗賊を倒して束ねて回っていると聞いて、もしかしたらと思ったんだ。窃盗団の馬車に相乗りして王都に向かえば、道中で行き合うんじゃないかって」

 落ち着き払って言うファンファンを見て、ユナは自分が完全に騙されていたことに気づいた。だが、よくよく思い出せば、道中ずっと彼は気を張った様子だったし、何より馬車が襲撃を受けて停まったときも冷静だった。

 これが彼の計画通りだったのなら落ち着いていて当然だと、悔しいが納得した。

「……窃盗団なら、どうして気前よくわたしたちのこと乗せて運んでくれたの?」

「偽装に使われたんだよ。自分たちだけでは怪しさが滲んでしまうけど、いかにも旅慣れていない女の子と道士なんてもん乗せてたら、疑われる危険性が減るって考えたんだろうさ」

「そんな……」

「途中で気が変われば身ぐるみ剥がされて捨てられるだろうって考えてたから、すごく気を張ったよ。予想通り、ユナのお母さんたちが来てくれてよかった」

 事実を受けとめきれないユナだったが、淡々と言われると呑み込むしかなかった。

 それに、ヨキたちの一団に捕まっている彼らの様子を見ると、悔しそうにしつつも観念していた。無実の人たちがする顔ではない。それを見れば、自分がいかに未熟で人を見る目がないか思い知らされる。

「それにしても……母さんは何してるの? 旧都では、盗賊を率いる女頭目だなんて言われてるみたいだよ」

 状況を整理できたところで、ユナはヨキについて噂で聞いたことを本人に伝えた。

 話しながら周囲を見回すと、ずいぶんと凶悪そうな顔つきの者たちが揃っている。盗賊を引き連れているなんてただの噂よね?と確認しようかと思っていたが、その面々の顔つきを見てやめた。

「そんなふうに噂されるほどになっていたのか! まあ、概ね事実かな」

「えー……」

 大体の話を聞き終えたヨキは、あっけらかんとした様子で言う。

「家を発ってひたすら王都に向かって進んでる道中、女のひとり旅だと舐められるのか、盗賊に行き合ったり、山賊に行き合ったり、さすらいの用心棒に行き合ったり、とにかく平和じゃなかった。かかってくるものすべて返り討ちにしてたら、みんなついてくるって言い出しちゃってさ」

「それで、この数……で、女の子を誘拐したって噂は?」

 これまでずっと不安だったぶん、真相がわかって心の底からどうでもよくなりかけていたユナだったが、肝心のことを聞くのを忘れていた。

 盗賊や山賊を返り討ちにして子分にしてしまった経緯は理解できても、子供を攫ったのはどうやってもわからない。

「誘拐なんてしてない。むしろ、売り飛ばされそうになってる子を助けたんだ。船から降りたばかりの港は、気が緩んでることが多いだろ。それで、どさくさに紛れて子供を攫ったり、騙して連れてったりするやつがいるって噂を聞いてたから、許せないと思って摘発に行ったんだよ。そのときのことが尾ひれがついて伝わっちまったんだろう」

 ヨキが説明していると、仲間のひとりが子供を抱きかかえて運んできた。いかつい男の腕の中にいるその子の姿に、ユナもファンファンも息を呑んだ。

「メイメイ!」

「どうしたの? ぐったりしてるじゃない」

 運ばれてきたメイメイは、目を閉じて眠っている。だが、その姿は小さな子供の無邪気な昼寝の姿ではなく、やつれて眠っているのが見て取れた。

「この子、人攫いから保護したあともしばらく暴れてね。怪しい者じゃないって信じてもらうには骨が折れたよ。で、信じてくれたあとは気が抜けたのかぐったりして、どこかで休ませようとしたんだけど、『王都に行かなくちゃ』ってしきりに言うから、いろいろ事情を聞いたんだ」

「メイメイ……」

 子供のひとり旅で疲れてしまったのかと思ったが、ファンファンの様子を見ているとどうにも違うようだ。彼の顔には驚嘆と悲哀がにじんでいた。

「この子が言ってた兄さんっていうのは、あんたのことだったんだね。気分悪そうだから医者に見せようかと思ったら、『兄さんに会わなくちゃいけない。兄さんに会えば解決する』って言うからさ。この子は気配を辿れるっていうから、従いながら移動してたら、こうして本当に出会えたってわけ」

「お前……ユーシュンのところへ行こうとしていたのか? こんなにボロボロになるまで力を使って」

 ファンファンはひどく打ちのめされたように言ってから、メイメイの胸のあたりに手を当て、そこに気を流すような動きをした。すると、みるみるうちにメイメイの顔に色が戻ってきた。

 しばらく待つと、ゆっくりと目を開けた。

「……ファンファン」

「ああ、よかった。目が覚めなかったらどうしようかと思った」

「それでも、ヨキさんが絶対にファンファンを見つけてくれるって信じてた。ユーシュン兄さんのことも」

 メイメイはファンファンの姿を確認して、安堵したように笑った。きっとここに来るまでずっと、気を張っていたのだろう。

 だがそれよりも、ふたりが何を話しているのかが気になった。

「やっぱりその子、人ではないんだね」

 無事の再会を喜び合う二人を見て、ヨキが言った。その言葉にユナは驚いたが、ファンファンもメイメイも気まずそうに目を伏せただけだった。

 人ではないと言われて、普通なら否定するだろう。だが、ふたりはどう切り出そうかとするように、顔を見合わせていた。

「ユナは気づいてないみたいだけど、体内の流れを見ればわかるじゃないか。この子は、血は流れていない。血液のように気を巡らせることで、人のように動いているだけだ」

 ヨキはまるで当たり前のことのように言う。そんなことを言われても、ユナはすぐには信じられない。

 だが、以前屍骸になったイノシシと対峙したときのように目を閉じて集中してメイメイを見ると、彼女の体内の巡りが歪であることはわかった。生きているものならば当然のように動いているはずの、心臓に流れを感じないのだ。

「ジジ様は、きっと気づいていたわよね……」

「老師はご存知でした。なので、あたしにファンファンが不在の間、眠っていなくていいのかと心配してくださっていて」

 門下生たちはどうかわからないが、おそらく一族の中で自分だけが気づいていなかったということに、ユナは衝撃を受けていた。心眼で見るということをいつも心がけていれば、すぐに見抜けたはずだったのに。

 だが、そんなことよりも子供にしか見えない目の前のメイメイが、人ではないということにひどく動揺していた。

「メイメイは、人ではないということは……」

「別に、妖怪とかじゃないわ。……死んでるの、あたし。動く死者なの」

「え……」

 あっけらかんと言われてしまい、ユナは反応に困った。だが、どこかで納得もしていた。

 心眼で見たメイメイの姿は、山で対峙したイノシシや、あの村で大量に向き合った動く死者たちと同じだった。

 というよりも、人ではないと聞いた時点で、何となくわかってはいたのだ。

「感動の再会を無事に果たして、うちの娘も状況を飲み込み始めたところで、詳しいことを説明してもらってもいいかい? 今後あんたたちの味方をしてやれるかどうかは、その話を聞いてからだ」

 納得はできてもまだ動揺しているユナを置いて、ヨキは改めてファンファンとメイメイに声をかけた。返答次第では敵になると言われ、彼らは傷ついた顔をしている。だが、同時に諦めてもいるのが、はたで見てもわかった。

「……ヨキさんの言う通りです。まず、こちら側の事情をお話しなければなりませんでした」

「事の発端は、メイメイが死んだ七年前に遡るのですが……」

 覚悟を決めたようにメイメイが口を開くと、その言葉をファンファンが継いだ。

 それから、彼らは互いに補足し合いながら、自分たちの境遇について語り始めた。

「俺たちは、山奥の道寺で育ちました。俺の上にユーシュンという兄弟子がいて、俺がいて、メイメイがいて、三人とも師父に本当の子供のように可愛がられて育ちました」

「あたしが師父に拾われて道寺に連れて行かれたのは三歳になる前で、だからあたしはそれ以前のことはあまり覚えていません。物心ついたときには道寺にいて、みんなに可愛がられて毎日修行を暮らしていました。ファンファンは、全然真面目にやらなかったけど」

「俺は、術とかより体を動かすのが性に合ってたから。でも、メイメイは筋がいいからあっという間に師父の教えたことを覚えて、ユーシュンもとても道教の勉強熱心で……でも、ユーシュンは熱心すぎたのがいけなかったんだと思う。真理に至る前に、その手前の目標であるはずの不死に、命にこだわりを持ちすぎたんだ」

 ここまで聞いたところで、ユナには話の筋が見えてきた。そのユーシュンという兄弟子が、道術で死んだメイメイを生き返らせたのだろう。

 大昔の事件があってから、命を弄ることは禁術とされている。それに、手を出してしまったのだ。

「ある日、師父が少し遠くの村に葬式に呼ばれて何日も留守にすることがあったんだ。でも、そのとき俺は十二歳で、メイメイは八歳で、ユーシュンなんて十六歳だから、留守番なんて余裕だと思っていたんだ」

「でも、あたしが高熱を出してしまって、兄ふたりが医者に見せるためにおんぶして山を降りてくれたけど、その途中で嵐に遭って……死んでしまったんです」

 なんて悲劇なのだろうと、ユナは思った。辺鄙な山の上に医者を呼んでくるよりも、自分たちの手で医者がいる場所まで運んだほうが早いというのは懸命な判断だ。子供が突然高熱を出したというだけでも悲劇なのに、そこに嵐が来るだなんて、あまりにも酷い話だ。

 だが、問題なのはそれが悲劇で終わらなかったことだ。

「責任を感じたユーシュンが、禁術に手を出したんだ。俺は止めた。でも、強く止めきれなくて……というより、いけないことだってわかっていても、ユーシュンと願いは同じだったんだ。メイメイを死なせたくないって。生き返らせられるなら、どんな手を使ってもいいって……だから、結局は手伝ってしまった。ユーシュンの気を流し込むだけじゃ、メイメイの目は覚めなかったから。それで、俺の気も流し込んだら、ようやく動けるようになったんだ」

 そのときファンファンの胸に浮かんだのは希望だろうか、絶望だろうか――ユナは、そんなことを考えてしまった。彼らの顔を見ても、それはわからない。ただ、罪を犯した自覚があることは、よく伝わってきた。

「あたしがはっきりと意識を取り戻したのは、師父が帰ってきてからでした。師父がすごく怒ってて、ユーシュンを責めて殴って、何が起きているのかわからないうちに、ユーシュンが出ていくのが見えて……そのあと、師父から自分が人ではなくなったことを聞かされました。死んで、それをユーシュンが禁術によって蘇らせたのだと。あたしは、自分が人間じゃなくなったことがとても怖かったけど、何よりもあたしが死んでしまったことで家族がバラバラになったのがつらかった」

 そう言ってメイメイは、苦しそうに顔をくしゃくしゃにした。つらいだろうとは想像できても、ユナにはその絶望を理解してやることはできない。なぜならユナは生きていて、人の身だから。

「師父はメイメイを殺そうとした。本来あるべき姿に戻そうとした。でも、できなかったんだ。可愛い子供を殺すなんてできるわけがないし、何より、ユーシュンの凶行を止められなかったのは自分に非があるからだって」

 小さく震えているメイメイの姿を見て、これは殺せないだろうとユナも思った。まともな人間なら、子供を殺せるわけがない。ましてや、拾ってきて可愛がって育てた娘をだ。誰がそれを責められるだろうか。

「……ユーシュンは、子供のときから虫や獣の命を使ってずっと実験していたらしい。それを知っていたのに、師父は止めなかったんだ。止めても余計のめり込んでしまう危険性があると思ったのと、やっぱりどんな形でも弟子が育つのが嬉しかったんだって」

「だから、これは師父とあたしたち、全員の罪なんです。そしてもしかしたら、今この国を騒がせている屍骸遣いの騒動も……」

 ふたりの語りを聞いて、すべての話が繋がった。だが、繋がってもそこには絶望しかない。

 ユナは自分がかけられた呪いを解くために、これから屍骸遣いを倒しにいかなければならない。その屍骸遣いは、ファンファンとメイメイの兄だというのだ。

 だがきっと、ふたりはユナ以上の絶望を感じていることだろう。


 


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