第6話


 日が暮れたあたりから、ユナたちは準備に追われ大忙しだった。

 準備とは、ミンの母親の葬儀の準備だ。今夜通夜を行い、明日には葬儀を終え次第火葬すると近所の人たちに知らせて回っている。当然偽の葬儀で、ごく一部の信頼できる人にはその旨を伝えてある。

 この地域は元々、火葬ではなく土葬の文化なのだという。僻地で簡単に道士を呼べないからというのもあるだろうが、土着の信仰にも由来しているようだ。

 だからこそ、死体を欲しがる悪い人間に目をつけられたのだろう。火葬の地域では墓を暴いたところで骨しか手に入らないが、ここでなら遺体が手に入る。おまけにここは土地が抱える問題ゆえに、遺体の状態が悪い人間の求めるものに近かった。向こうは好都合だったのだろうが、ここで暮らす人々にとっては不幸なことだ。

「こんなことで、本当にその悪い医者をおびき寄せられるのかな?」

 呪符の準備をしているファンファンに、ユナは問いかけた。集まってくれた近所の奥さん方と一緒に通夜に出す料理を作っていたのだが、あまり戦力になっていない。そのため手持ち無沙汰なぶん不安を募らせ、ついファンファンの周りをうろうろしてしまうのだ。

「ユナは頭を使うことが苦手だね。でも、日頃から使う訓練をすれば、少しずつ何とかなるはずさ」

「あれ……今すごく馬鹿にされた?」

「馬鹿にはしてない。ほら、考えてみて」

 ファンファンは真剣な顔で呪符を書く手もとから視線を外さないまま、ユナに促した。ほかにすることもないから、ユナは考えた。

「葬儀をすると、遺体を焼くから? 焼かれると屍骸の材料が手に入らないから、その前に手に入れようと考えて、慌てて現れるとか」

「まあ、概ね正解かな。……慌てて現れるかどうかは、わからないけどさ」

 ファンファンは苦笑いしながら、また作業に意識を戻してしまった。どうやら、完璧な正解は教えてくれないらしい。仕方なくユナは持ち場に戻ろうとしたのだが、不意にファンファンに裾を引っ張られた。

「そうだ、ユナ。虫下しの薬は作れる? 村の全員分欲しいんだけど」

「え? 作れるけど」

「なら、用意してくれるかな。他の人に聞かれたら『葬儀のときに飲む特別なお茶を作ってる』って答えたらいい。まずは手伝いに来てる人たちから優先して飲ませれば安心だね」

「わかった」

 役割を与えられたことに少しほっとして、ユナは台所へ戻っていった。そこからは、他の人たちの邪魔にならないように薬を煎じることに集中した。

 道士であるファンファンに対しては少し警戒心や慣れないという感情を抱いている村人にも、ただの娘であるユナは受け入れられた。だから薬を煎じることにも疑問を抱かれなかったし、それをお茶として出しても不審がられることはなかった。

 ファンファンが「村の全員分」と言っていたことを思い出して、ユナは作ったお茶をミンたちに言って村の人たちへ届けさせた。飲むか飲まないかは賭けになってしまうが、おそらく下さなければならない虫が体内にいるということだろう。

 ファンファンが何を考えているのかはわからない。それでも、彼の言うことを聞かなければこの作戦がうまくいかないことは理解できるから、言われたことだけは忠実に守ろうとユナは決めた。

 

「この音は……?」

 夜が更け、通夜の真似事もあらかた済んだ頃、空気をかすかに震わすような音が聞こえてきた。

 本来の通夜なら夜通し起きておくものだが、これは悪い医者をおびき寄せるための偽の通夜だ。だからミンたち子どもは当然、手伝いに来ていた女性たちもうつらうつらしている。

 どうやらその音を聞いたのは自分だけらしいと気がついて、ユナはファンファンのもとへ行った。

「ファンファン、音がしたよ。これ、ミンが言ってた変な音じゃない?」

「そうだね。いよいよお出ましってわけだ。……しかも、気配がすごいね。たくさんいるよ」

 戸口付近で待機していたファンファンに声をかけると、彼はもうすっかり用意を整えていた。いつもは被っていない冠巾を頭にきちんと身につけ、道士らしい格好になっている。そして両手に呪符と桃剣をそれぞれに持っている。

「相手は、たくさん引き連れて来たよ。とにかく人数が多い。でも……ユナはそれらとは戦えないと思うんだ。だから、術者を叩いてくれ。術者をやれば、あとは早い」

 不気味な音は、徐々に近づいてきている。それに付き従うように移動する気配も。これからの戦いに備えて、ファンファンは思案しているようだ。

「人数が多いんでしょ? それなら二人で手分けして倒して、それから術者をやったほうがいいんじゃないの?」

「それができるなら、そっちのほうがいいさ。……ただ、無理なら術者を倒すことに専念して欲しい」

 術を使う場面ならどうかわからないが、生身の、人間を相手にするならファンファンよりも自分のほうが優れていると思っている。だから、純粋に拳と蹴りを用いる戦闘なら役に立てると考えたのだが、戸を開けて外に出てみるとその考えは変わった。

「あなたですか、村に入り込んだという怪しい道士は。勝手に葬儀だなんて、困るんですよ」

 戸を開けると、すぐそこに気配は来ていた。気配の中心から声を発したのは、ひとりの小柄な男だ。

 月明かりに照らされたその男は、墨色の長袍を着ている。それだけ見ると、まるで道士のような服装に見える。ユナが知っている医者とは、ずいぶん違った印象だ。ユナの町にいた医者は白い簡素な服を身に着けた、穏やかなおじさんだったから。

 その男の異様さを際立たせているのは、彼を取り巻くものの存在だ。それは、生気のない人間たちだ。二本の足で立っているが不安定な姿勢で、そして何より皮膚が生きているものの色をしていなかった。

 墓から掘り起こされたものか、いなくなった病人たちなのか。目の前に対峙するものが何かわからなくて、ユナは凍りついていた。

「葬儀が困るって、どうしてだ?」

「それは、今夜は誰も死ぬ予定ではなかったでしょう? 予定は守ってもらわないと」

「……あんた、毒で死ぬ時期まで操ってたのか。墓を荒らしたり、毒を持って村人を弱らせたり死なせたり……命を冒涜するな!」

「冒涜だなんてとんでもない。私はただ、みなさんを楽園へお連れしようと思っているだけですよ。生と死の境のない、新しい世界を作るのです」

 ファンファンの問いかけに、あくまで医者は飄々と答える。そして、おもむろに手にしていた棒を口に当てると、それから音を発した。

 それは、横笛だった。先ほど聞いた音、村人が度々耳にしていたのは、この笛の音だったのだ。

 旋律と呼ぶにはあまりに奇妙なその笛の音色に合わせて、血色の悪い人たちが動き始めた。

「ユナ、構えを!」

 ファンファンが呼ぶ声で、ユナはようやく正気を取り戻した。あまりの光景に放心していたのだ。

 不気味な人たちは、笛の音に操られて襲いかかってきた。繊細な動きはない。とにかく、出鱈目に腕を振り回して殴りかかろうとしてくる。

 これが人間相手なら、ユナの敵ではなかっただろう。だが、村人が混じっていると思うとうまく戦えなかった。突き出してくる何本もの腕を何とかかわすので精一杯だ。

「ユナ、戦わないと!」

「できないよ! この中に、ミンのおじいちゃんがいるんだよ……!」

 桃剣で群れを薙ぎながらファンファンが叫ぶ。彼の言っていることは理解できても、ユナは防御に徹するしかなかった。襲いかかってくる群れは、ミンの祖父であり連れ去られた村人たちである。たとえすでに死んでいたとしても、彼らを倒すことはためらわれる。

 ファンファンが言っていたことがわかって、ユナはすぐに医者へと意識を切り替えた。

 逃げてもかわしても迫ってくる群れをいなすのはひと苦労で、仕方なしに当て身を食らわせる。一瞬道ができたのを見逃さず、ユナは駆けていく。

「生身の人間なら勝てるとでも思いましたか? 少々武術ができる程度の小娘に、負けるわけがないでしょう」

「それはどうかしら」

 笛を吹くのをやめただけで、医者は何の構えもとろうとしなかった。ひょろりとしていて、身体を鍛えている様子もない。こんなやつに小娘だからと甘く見られるのは癪だと思って、ユナは拳を叩き込もうとした。

 ところが、拳があと少しで届くというところで、ユナの身体は勢いよく後方へ吹き飛ばされてしまった。

「ぐっ……」

「気を操ることができたら、このくらい容易いのですよ。あなたごときの拳は、私には届かない」

 ユナは急いで立ち上がると、医者から距離を取った。正面から向かえば今のように気で吹き飛ばされるとわかったから、別の手段を考えなくてはならない。

(気の塊を放つ遣い手がいるとジジ様に聞いたことがあったけど……分が悪い。わたしが棍を使えたら、まだ違っただろうに)

 相手から目を逸らさず、隙を探した。近接戦闘特化のユナにとって、ある程度離れたところから攻撃を仕掛けて来られる相手とやり合うには隙を狙うしかない。

 もしくは、相手が思うより早く動くことだ。

「はっ」

 ユナは思いきり跳んで距離を詰めて、蹴りを繰り出した。相手がそれを避けて気を放とうとするより早く、今度は脇腹に拳を高速で叩き込む。思ったとおり、肉づきも筋肉も薄い身体だ。道場の門下生たちの身体とは違い、拳さえ入れば簡単に打ちのめせそうだ。

 医者はよろめきつつも、気を放ってきた。だが、何をしてくるのかわかれば恐れることはない。跳躍だけでそれをかわし、ユナは次の拳を打ち出す。

「死体の動きを止めるために私を倒せとでも言われたのですか? だが、甘かったですね。私の笛なしでも彼らは動く」

「え?」

 医者に言われ、ユナはファンファンのほうを見た。少し離れたところにいる彼は、まだ人の群れに襲われていた。桃剣を使い応戦しているが、数があまりにも多すぎる。しかも、倒したものも時間が経てば起き上がってくる。……生から外れた者に、倒されるという概念はないのかもしれない。

「ぎゃっ」

 ほんのわずか、ファンファンに意識をやったその瞬間を突いて、医者がユナに距離を詰めていた。医者は気を放つわけではなく、服の上からユナの胸を掴んできた。

「ああ、柔らかい。この肌に思いきり歯を立てたら……気持ちがいいだろうな」

「触るな!」

 両手を突き出すことで急いで距離を取ったユナだっだが、掴まれたところが激しく痛んでいた。爪を立てて形が歪むほど掴まれ握られたのだ。これまで誰にも許したことがない場所に触れられたという恐怖と相まって、その痛みはユナの心をかき乱す。

「あなたは肌が白いから、色をつけたらさぞ美しいだろうな。流血の赤、皮下出血の青……痛めつけて、泣かせたいなあ。私はね、乙女の悲鳴が大好きなんだよ。――それと、骨が折れる音がね」

「なっ……いっ……!」

 医者は走って近づいてきたかと思うと、ユナを蹴り倒した。さらに起き上がる隙を与えず、すかさず肩を何度も踏みつけてくる。

「人間の骨はね! 簡単に! 外れるんだよ! 弱い骨なら! 折れるだろうね!」

「痛い! やめて!」

「もっと! 叫びなさい! 悲鳴を! 聞かせろ!」

「いっ……や!」

 何度も踏まれ、身体が激しく軋んだ。医者の言うようにこのままでは骨を折られてしまうと思って、ユナは痛む腕ともう片方の腕で相手の脚にしがみつき、身体を横転させることによって医者を転がすことに成功した。

 医者が軽い身のこなしですぐさま体勢を立て直したため、ユナも立ち上がって距離を取ることしかできない。

 折れてはいないし、外れてもいない。だが、踏みつけられたところが痛くてたまらなくて、ユナの頭には血が上ってしまっていた。

 口ぶりやその行為から、この医者が日頃から女性を痛めつけていることを想像したのだ。自分と同じような若い娘が、こんなふうに、あるいはこれ以上に、酷い目に遭わされたのだと考えると腸が煮えくり返った。

「おお、怒ったのか。いいなあ、その強気な目。その顔が涙でぐちゃぐちゃになるところが見てみたいですね。縄で吊るして何度も何度も鉄の棒で殴って全身の骨を満遍なく折って、痛みと恐怖の涙を流させながら何度も『ごめんなさい』を言わせたら、私はきっとそれだけで天にも上るような気持ちになるでしょう!」

「黙れ!」

「壊し甲斐がある小娘ですねえ! 安心しなさい。その恵まれた花のかんばせは最後まで痛めつけずに、きれいなままにしておいてあげますから。女はねえ! ぶっ壊れるときが! 一番そそられるんですよ!」

「うるさい!」

 怒りに燃えるユナは、高速で蹴りを繰り出していた。武術の心得はないらしい医者は、避けきれずにほとんどすべての蹴りを食らっている。気を放つ隙すら与えない、素早い蹴りだ。

 たとえ腕を使えなくなっても脚がある。むしろ蹴りのほうが得意なはずだから、肉を伝い内臓を揺らすような重い蹴りを何度も入れたら、勝負はつきそうなものだった。

 だが、ユナは気がついてしまった。

 医者が少しも痛みに顔を歪めないことに。

「まだ気がつかないのですか? 私には、痛みはないんですよ。ということは、どれだけ攻撃しても消耗するのはあなただけ! そしてあなたの存在のせいで、あの道士の彼も苦戦を強いられているのですよ!」

「……え!?」

 医者の言葉にユナが驚いた瞬間、やつは鋭く口笛を吹いた。それを合図に操られた群れが雪崩のように押し寄せて、ユナの身体を地面の上に押し倒してしまった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る