第5話
酒楼の二階で一泊して、ユナとファンファンのふたりは朝食を外の屋台で摂ることにした。
出鱈目な飲み方をしたわりにファンファンはすっきりと目覚め、朝からがっつりと肉料理を食べていた。道士のくせに生臭だとは誰も言わないものの、見ているユナは落ち着かない。代わりというわけではないが、ユナはたっぷりの野菜の餡かけが乗った麺を食べた。
食事をしていると周囲に自然と人が集まってきて、いろいろと話を聞くことができた。旅人たちを迎え入れる町の人は、好奇心旺盛で、かといって踏み込みすぎず、軽やかに会話をして去っていく。
ユナが初めて見たとき驚いたファンファンの髪の色に、やはり多くの人が興味を惹かれたらしい。みんな口々に西のほうの遊牧民にはこういう髪の色の人間がいるだとか、北部の山岳の向こうには色素の薄い人間ばかりが住んでいるとか、そんなことを教えてくれる。
そういったことを言われるたび、ファンファンはきれいな顔に人懐っこい笑顔を浮かべ、「ご先祖さんがそっちの人かも」や「親戚が暮らしてるのかもな」などと受け応えをして愛想を振りまいていた。
ファンファンは話し上手であり聞き上手で、まったく関係のない話をしていたかと思うとここ最近巷を賑わす怪しい噂はないかと聞き出していた。
聞けたことは、昨夜酒楼の店主の話とほとんど変わらないものや、よく聞く怪談の類、それから都へ攻め入る準備をしているという女頭目率いる荒くれ者の集団の話くらいだった。
だが、そういった聞き取りの合間に問題の村の近くまで馬車に乗せていってもらえるよう話までつけていたため、ユナはファンファンの社交性の高さに感心するしかなかった。
「単なる軽薄なやつかと思ってたけど、すごく人と関わるのが上手なのね。いろいろ面白い話が聞けたし、こうして馬車にも乗せてもらえることになったし」
木材を工芸品を作る村に運ぶという商人の馬車に乗せてもらっているため、ガタガタとお尻の下で丸太が揺れる。落っこちないようファンファンに掴まりながらユナが言うと、彼は嬉しそうに笑っていた。
「ちょっとは見直してくれた? 師のもとへ行ってからは葬式だとか祈祷だとかでついていくたび人と関わるから、しゃべるのは自然とうまくなるんだよ」
「見直したというか、あなたの軽口が役に立つこともあるんだなって思っただけ」
「ユナはせっかく可愛くて強くて魅力たっぷりな女の子なんだから、他人のことを素直に褒められるようになると、もっと素敵になると思うな。誰かのことを褒めたって、何も減ったりしないさ。むしろ、褒め上手は生き上手だって俺は思うね」
「……はいはい、すごいわ。ファンファンは素敵よ」
眩しい笑顔で真っ当な注意をされて、ユナは面白くなかった。自分があまり素直ではないことは自覚があるし、褒めるのが大事なのもわかっている。
だが、ファンファンのことは手放しに褒めたくなかった。だから、彼に真っ当に忠告されるのも嫌だった。
彼に対する反発心が、まるで子どもの反抗のようで嫌になってしまって、気持ちを切り替えるために景色を見るのに集中することにした。
歩くのより少し早いくらいの速度で流れていく景色は、長閑な田舎そのものといった様子だった。山裾にあるユナのいた町よりも平坦で、木立と草原の中を行くという感じだ。町までの道と比べて凸凹が激しく、時折ガタンと車輪が跳ねるのは驚いてしまうが、それ以外は平和な道のりだ。
そういった景色を見るともなしに見て、特に語ることもないためユナはずっと黙っていた。ファンファンもそれを苦に思う性質ではないようで、気にしたふうもなくユナと同じように景色を眺めている。
隣にいるのが無理に話さなければと思う性質の人でないのはいいなと、ユナは新鮮な気持ちで思った。しゃべることもないのに沈黙を生まないためだけにしゃべり続ける男性が好きではないと常々思っていたから、そういった意味ではファンファンは好印象だ。
だが、それを伝えてしまうとこの心地よい沈黙を破らなければならないため、ユナは黙っておくことにした。
「……ねえ、ここらへんって、本当に人が住んでるのかな?」
目的地の近くで下ろしてもらって親切な商人と別れてから、ユナはファンファンと並んでしばらく歩いていた。
だが、町を出てからの豊かな景色と打って変わって、人の気配がしないのが気になる。
普通、道というのは日々生活のために通るから、人が通ったぶんだけ道端の草は倒れるものだ。
だが、行けども行けども道は草が激しく茂っている。そのくせ瑞々しさとは無縁で、妙に乾いた空気が辺りに流れている。
「人の気配は、するね。でも、みんな隠れてるのかな? それに、いるにはいるけど元気がないって感じだ」
「活気がない、ってこと?」
「そういうことかな。それに、何となく息を潜めてるような感じもするな」
「何かから隠れてるってこ……わっ!」
話しながら歩いていると、突然ふたりの目の前に小さな影が飛び出してきた。
それは子どもたちだった。痩せて小さな子どもたちは、どうやら草の影に隠れながらふたりに接近してきたらしい。
「……兄ちゃんたちは、旅の人? 兄ちゃんは、道士様だよね?」
三人いる子どもたちの中の一人が、恐る恐るといった様子で尋ねてきた。怖がっているというより、不安そうだ。そのことが、ユナはまず気になった。
「そうだよ、旅の道士さ。ところで君たちは、どうして今みたいに隠れてたの?」
ファンファンは何を思ったのか、話しかけてきた子どもの脇にひょいと手を入れ、自分の目線の高さまで持ち上げてしまった。初め子どもはキョトンとしていたが、ファンファンが笑いかけるとかすかに笑い返した。すると、あとの二人も足元に寄ってくる。
「村の大人にばれないようにしてたんだ。誰も役に立たないし、怖がってるくせに何もしようとしないから。でも、このままじゃ大変なことになるってわかってたから、外から来る人をこっそり待ってた。村に起きてること、知ってもらいたいから」
「……そっか。それで、何が起きてるの?」
「うちのじいちゃんがいなくなったんだ。ほかにも、いなくなった病人が何人もいる! 村の外から医者を名乗る変な男が来てからおかしくなったんだ! いっつも変な音がしたかと思ったら来てるんだ。気味が悪いだろ!」
ファンファンは子どもの心を掴み、状況を聞き出すことに成功した。話を聞いてくれる大人を求めていたようで、堰を切ったようにしゃべり始める。
祖父がいなくなったという男の子がミンで、それに付き従っている男の子がスオ、女の子がシイというらしい。
「これは、村の様子を見に行かないとね」
子どもたちをなだめ、会話を継続しつつ、ファンファンは歩きだした。何もできずにいたユナは、そのあとに続いた。
歩いていくと、ポツポツと家が建ち並ぶ集落に着いた。だが、相変わらず活気というものは感じられず、不気味に乾いた風が吹いているだけだ。
日暮れにはまだ早く、それなら外で畑仕事や作業をしている者がいてもおかしくないのに。
「ここ、おれの家だ」
少し歩いていくと、ミンが立ち止まってひとつの家を指さした。ミンが戸に手をかけ開けようとする前に、向こう側から開かれた。そこには、戸にすがるようにして立つひとりの女性がいた。
「……う、うちの子に、何かしようってんですか」
「違うよ母ちゃん! 道士様を連れてきたんだよ! それに、母ちゃんは寝てなくちゃだめだろ」
敵意剥き出しの視線を向けてきたのは、ミンの母親だったらしい。ミンがなだめると、よろけながら家の中へ戻っていった。それでもまだ安心していないようで、ユナとファンファンを注意深く見ている。
「あの、わたしはユナと言います。こちらはファンファン。一応道士です。わたしたちは旅をしているのですが、縁あってこの村までたどり着きました。そこでミンくんに会って、助けを求められたのですが。何でも、病気のおじいさまがいなくなられたとか……」
警戒心を解こうと、ユナはまず自分たちの素性と、ミンとここまで来た理由について明かした。ミンの言うとおり大人たちは事態を隠したがっているらしく、ミンの母は苦い顔をする。
「よそから来た方にそんなことを……」
「もう誰かに助けを求めなきゃどうにもなんねえだろ! 母ちゃんだって体調悪くなってるんだし」
「そうなの? あの、簡単な薬でしたらお作りできるかもしれません」
ミンの母親の顔色は土気色をしている。ひどく疲れているからかと思ったが、病気と言われれば合点がいく。ユナは背負子の中からジジ様に持たされていた薬草を取り出し、ミンから聞き出した症状に合わせて薬を調合した。
「まずはお腹を落ち着ける薬を。下し続けるのを止めない限り、衰弱は進みますから」
「どうもすみません。お医者様からもらった薬もあったんですけど、何となく怖くて飲めなくて……」
目の前で薬を作って見せたからか、ミンの母親は少しだけ警戒心を解いた。そして、物入れの中にしまいこんでいた紙包をユナに見せた。
「ちょっと見せて。……ふうん、これが。あ、ミン! お母さんに飲ませる水、井戸から汲んだものじゃなくて、一度沸かしてからにしてあげて」
「わ、わかった」
ファンファンはミンが母親に水の入った椀を運んでやっているのに気がついて、すぐに指示した。それから、また紙包をじっくり観察する。
紙包にあまり触れないようにしながら、透かしてみたり、匂いを嗅いだりしている。それで一体何がわかるのかユナには理解できなかったが、ファンファンは険しい顔をしていた。
「いなくなったおじいさまも、この薬を?」
「ええ。早く治りたい一心で、きちんと言われた分だけ飲んでいました。あたしは、タダでいただける薬なんて怖くて飲めやしないって止めたんですが……」
「そういうことですか。村の方々が体調を崩したのは、おそらく水のせいです。そして、この薬で本格的に身体を悪くした人たちがいる」
ファンファンが断言すると、みんな不安そうに息を飲んだ。シイに至っては泣き出してしまい、それをスオが頭を撫でて慰めた。
「ぼくらんちは、父さんも母さんも寝ついてしまってる。それに、薬も言われたとおりに飲んでる。だから、死んじゃうのかって思ってシイは泣き出したんだ」
「そうだったんだね。村のみんなが体調がおかしくなり始めた前に、何か変なことはなかった?」
「お墓が荒らされるようになった。……でも、動物の仕業かもしれないし、昔からそういうことはたまにあったって」
スオの話を聞いて、ユナとファンファンは顔を見合わせた。昨夜酒楼の店主から聞いた話がここで出てくるとは、どちらも考えていなかったのだ。
「墓荒らしに村人の体調不良に、いなくなる病人たち……これは、話がつながったな」
「まさか、全部屍骸遣いの仕業なの?」
「それはわからないさ。でも、この村で起きてる悪いことはすべて、外から来た医者とやらのやったことだろうな」
おそらく、今この場にいる中で事態を把握できているのはファンファンだけだ。あとの者はユナも含めて、誰も何もわかっていない。その医者が怪しいだろうということはわかっても、根拠を持っているのは彼だけだ。
怯えと不安をにじませるユナたちに、ファンファンは順を追って説明していった。それは恐ろしく、信じがたいことだった。だが、そうならばすべての説明がつく。
「つまり、元々この土地には微量の毒が存在していて、ここで育てた野菜を食べたり、ここに流れる水を飲んだりすることで、その毒が身体に少しずつ蓄積されてたってことなの?」
ファンファンの説明をあらかた聞いて、考えをまとめるためにユナは尋ねた。
「そうだ。それは本当に微々たるもので、寿命で死んだようにしか見えなかった人もいるはずだ。だからこそ、昔は王族や貴族の暗殺にも使われていたんだから。その毒を盛られると、少しずつ衰弱しているようにしか見えないから、大抵は病死で片付けられてきた」
「そんな毒があるのね……」
「怖いけど、あるんだ。そしてその毒で死んでしまった生き物の死体には特徴がある。――腐りにくいって特徴がね。この事件の黒幕は、墓荒らしをしたときにこの村の人間の遺体が腐りにくいことに気がついた。そしてその原因にすぐ気がついて、さらに追い打ちをかけようと井戸かどこかにその毒をさらに追加したんだろうね」
ファンファンはミンから受け取った椀に水を並々注ぎ、それに雫を一滴二滴と落としていった。繰り返し雫を落としていくと、やがて器から水が溢れ出してしまった。
「この椀は毒を溜めておける許容量で、水が毒ね。年寄りであればあるほど、この椀に毒は満たされている。椀から水が溢れるのが毒が効き始めるってこと考えると、この村の病人がお年寄りや老人だったことの理由は理解できるね?」
「ひどい……そんなことされなければ、何とか生き長らえられた人たちだっていたはずなのに!」
「そんなふうには考えられなかったんだろう、この事件の黒幕は。どうせ毒で死ぬなら今でもいいはずだ、くらいのことは思ったんだろうさ」
理解の及んだユナが憤ると、ファンファンはなだめるように微笑んだ。だが、穏やかな笑みを浮かべているからといって彼が怒っていないわけではなかったようだ。すぐにその笑みを引っ込めて、険しい表情が浮かべる。
「人の命を何とも思っていないそんな悪党には、きっちり制裁を加えなくちゃな。どうせ今頃近くでコソコソ様子をうかがってるさ。――それなら、頭使って引きずり出してやるよ」
怖い顔をして、ファンファンは笑った。
それを見てユナはおっかないと思いつつも、彼がどんなふうに悪に立ち向かうのかという期待も抱いてしまっていた。
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