第4話

 男二人はファンファンに声をかけつつも、見ているのはユナのことだ。ニヤニヤとまるで品定めをするような目で見てくる。なるほどこれが下卑た視線かと、これまで周囲の人たちから聞かされていたことの答え合わせをするような気分でユナは男たちを見た。 

「え〜、一緒に〜? 飲まないよ。俺、可愛いユナと二人がいいんだ」

「ケチケチするなよ。こんな別嬪さん、一人占めしたらよくないぜ?」

「そんなこと言ったって、嫌なもんは嫌さ。ユナも嫌がってるから、どっかに行ってくれるかな?」

 図体のでかい男たちは、距離を詰めてファンファンを威圧しているようだ。ファンファンはそれを全く意に介さないのか、酔っ払っていて気にしていないのか、まるで虫でも追い払うようにシッシッと手を振った。

 男たちは、どうせ少し脅せばファンファンかユナが怖がって言うことを聞くと思ったのだろう。脅せば屈すると信じ切っている振る舞いだ。

 だが、ユナは顔色ひとつ変えずに状況を見守っているし、ファンファンに至っては虫扱いだ。男たちは頭に来たようで、ファンファンの胸ぐらに掴みかかった。

「おいおい兄ちゃん。あんまり態度がよくねえと、その澄ました顔をボコボコにしてやるぞ」

 男のひとりが、胸ぐらを掴んで引き寄せたファンファンの顔を至近距離で睨みつけて言った。おそらく気の弱い人ならこれだけで胃が痛くなってしまうだろう。そのくらい、恐ろしげな顔だ。

 ファンファンはそんな男の手を掴んで、それを軸にするようにくるりと自分の身体を回転させた。すると不思議なことに男の手から解き放たれ、軽快に一歩距離を取った。

「やるのか〜? 手荒なことは好きじゃないけど、そっちがその気なら構わんぞ〜」

 ユナはファンファンが、男たちの挑発をどうかわすのだろうかと思って見ていたのだが、どうやらかわすつもりはないらしい。手の甲を男たちに向け、指先をひょいひょいと曲げる仕草をしてみせた。挑発だ。ファンファンはかわすどころか挑発し返したのだ。

「どっからでも〜かかってこ〜い」

 ゆらりゆらりと、ファンファンは千鳥足で言う。その姿は、まさしく酔っ払いだ。一体何をしでかすかわからず、男たちだけでなく店中の人間がファンファンの動きに釘付けになっていた。

「ふざけやがって!」

 先ほどファンファンに掴みかかったほうではない男が、勢いよく拳を突き出した。身体の重さを活かした、重たい拳だ。これは当たると痛いだろうと思っていると、ファンファンは千鳥足でふらりとかわした。

 間髪入れずにもうひとりも拳を繰り出すも、ファンファンは再びかわす。そのふらふらしている動きが小馬鹿にしているようにしか見えず、男たちがどんどん苛立っていくのがわかった。

(ただ酔っ払っているのかと思ったら、違うの? もしかしてこれは、酔えば酔うほど強くなるっていう、あの伝説の拳法なの……?)

 ユナはかつてジジ様から聞かされたことがあった、酒を飲むことが強さになる拳法のことを思い出していた。その拳法は酒を飲むことで潜在能力を引き出し、柔軟に動き、痛みに強くなるのだそうだ。

「なんだ〜? それだけか〜? それなら、俺は奥義を出すぞ〜。ひっさーつ!」

 奥義という言葉を聞いて、ユナは期待した。そして男たちは警戒した。

 ファンファンはより一層身体をぐにゃぐにゃにして、腰を落として両手を前に突き出すという珍妙な姿勢を取った。見たことがない構えだから、きっととんでもない技が出てくるものだと誰もが思った。

 だがその直後、ファンファンは後ろに倒れて、そのままいびきをかき始めてしまった。

「……嘘でしょ」

 ファンファンは伝説の拳法の使い手ではなく、ただの酔っ払いだったようだ。見守っていた者全員が、肩透かしを食らって脱力した。

「おいおいおい、何だよ。何が出てくるかと思ったら、この兄ちゃん寝ちまいやがった」

「弱いくせに飲むからだよ。な、この兄ちゃん寝ちまったから、かわいこちゃんは俺たちと仲良くしようぜ」

 邪魔な者がいなくなったからと、男たちはニヤニヤしながら再びユナを見た。もう先ほどまでの容赦はない。いきなり距離を詰めてくると、ユナの肩を抱いた。

「いい匂いがするなあ。やっぱり別嬪さんは違うな」

「髪も肌もツヤツヤだ。こりゃあ、上物だなあ」

「ちょっと! やめてください」

 露骨に下品な表情を浮かべ、男たちはユナを舐め回すように見る。身をよじり、嫌がる素振りを見せても、それが逆に嗜虐心をあおってしまったようだ。

「『やめて!』だってよ。子犬みたいにキャンキャン吠えやがって」

「今からもっと鳴かせてやるからな」

 男たちの態度がさらに露骨になり、どうにもならなくなった。肩を抱く手も、厚かましい動きをするようになった。

 店の中の客たちも見て見ぬふりをするばかりで、誰も助けてくれそうにない。

 こんなときにどうにかしてほしいファンファンも、床で安眠していて役に立たない。

(……どいつもこいつも)

 ユナがか弱い乙女なら、ここは泣いて誰かに助けを乞うか、男たちのされるがままになるしかなかっただろう。

 だが、ユナはか弱くない。邪法によって操られた荒ぶる獣を素手で倒した拳法の遣い手だ。

 それに、たとえ何の力がなかったとしても、誇りのために闘う娘だ。

「やめてって、言ってるでしょ!」

「うわっ」

 ユナはまず、裏拳で肩を抱いていた男の鼻柱を強打した。それで男が怯んだ隙に片腕を掴んで引き寄せ、顔に連続で蹴りを食らわせる。脳を激しく揺さぶられてよろめいた男が床に膝をつく直前に、トドメの一撃。腹に蹴りを叩き込んだ。

「このクソガキ! 男に楯突くとどうなるか教えてやろうか!?」

 仲間がやられるのを目の前で見てたじろぎつつも、残った男はユナに向かって吠えた。引くに引けないのだろう。だが、ユナはそんな虚勢で勝てる相手ではない。

「おらぁっ」

 男が大きく拳を振りかぶってユナに向かってきた。それをユナは上体をそらして受け流し、隙だらけの男の脇を拳で突いた。骨に阻まれるが、内側の臓器は揺らせたはずだ。男がその衝撃に身体を前のめりにしたところを見逃さず、その腹に膝蹴りを繰り返した。

「女を軽んじるとどうなるか、教えてあげたわ。いい? わたしの身体はわたしのもの。誰も許可なくわたしの身体に触ってはいけないのよ。それは、他の女性でも同じこと。覚えておきなさい」

 最後にひときわ大きく蹴りあげて、男を床に放った。その瞬間、大きな拍手が上がる。

 見ると、見て見ぬふりをしていた客たちや店の者たちが、感激したように立ち上がって手を叩いていた。

「お嬢さん、強かったね! 見事だったよ!」

「何かあれば加勢するつもりだったんだが、ひとりでやっちゃうんだもんな。いやー、大したもんだよ」

 人々は口々に、無責任なことを言う。それに対してちょっぴり腹が立ったけれど、ユナは文句は言わずただ「どうも」と返しただけだった。

 もうこれ以上ここにはいたくなくて、床に伸びているファンファンを起こしにかかった。

「ファンファン、起きてよ。今日の宿を探しに行こう。結局何の情報も得られてないんだから、とりあえず休んで仕切り直しだよ」

「うーん、そうだねえ。それにしても、ユナはやっぱり強いね」

 ユナが揺さぶると、ファンファンは薄目を開けてふにゃりと笑った。

「もしかして起きてたの!? じゃあどうして助けてくれなかったの?」

「だって、ユナが負けるわけないの、わかってたからさ」

 あまりの軽薄さに怒りが湧いて拳を握りしめたが、肩を叩く者がいたため、殴ることは叶わなかった。振り返ると、そこにいたのはユナたちの注文を取った店の者だった。

「お兄さん、ずいぶん呑んでたから酔ってるんだよ。揺さぶったりしちゃだめだよ。ほら、お水」

「ありがとうございます。……すみません。お店で騒いでしまって」

「いいのいいの。あいつら、店で女の子にちょっかいかけては大騒ぎするから、店としては迷惑してたわけ。懲らしめてくれて助かったよ。でさ、お二人さんは宿を探してるんだろ? よかったら、店の二階を使いな」

 声をかけてきたのはどうやらこの店の店主だったらしく、悪者を追い出してくれたお礼に二階の部屋を使っていいと言い出した。二階は特別な客を招くときの部屋らしく、昔は宿として使っていたのだという。だから、きれいだし広さも十分だと強く勧められてしまったため、ユナは厚意に甘えることにした。

「都を訪ねていくなんて、訳ありだね。いくらお嬢さんが強いっていっても、大変だろう。どこか、都近くの町まで商売で行くような人の馬車に乗せてもらっちゃどうだい? 何なら、俺が掛け合ってやるから」

 ファンファンに肩を貸して二階に運ぶのを手伝ってくれながら、店主はさらに気前のいい申し出をしてくれた。だが、ユナたちは都へ行くのは嘘ではないものの、それは二の次だ。馬車に乗って効率よく都へと進んでしまうと、肝心の情報が手に入らないかもしれない。

「ねえねえ、動く死体の噂って聞いたことないー?」

「は? 何だって?」

 支えられてよろよろ歩いていたファンファンが、これまたふにゃりと言葉を発した。起きているのかいないのか、わからないが大事なことを尋ねているため、ユナは何も言わずにおいた。

「動く死体だよ、死体。何か聞いたことない? そういう変な話が聞きたいなー」

「何だい、兄さん。寝ぼけてんのか。動く死体ねえ。そういや、ここから少し行ったとこにある村で、墓が荒らされて死体が盗まれるなんて話を聞いたぜ。村の連中は気味悪いし困るしってことで、噂になってるんだと。物騒な話だよな」

 酔っ払いの寝言だと思ったようだが、店主は律儀にもその問いに答えてくれた。まさしく求めていた答えで、ユナは思わず前のめりになる。

「あの、そのお話を詳しく教えてください」

「詳しくって……俺が聞いたのはこれが全部だよ。それに、こんな酒飲んで酔っ払った連中が食事する店で聞いた話だ。与太話だよ。若い娘がそんなに興味を持つような話じゃないよ。さあ、もう休みな」

 部屋まで着いてしまうと、店主は苦笑いをして去っていった。確かに若い娘が死体が盗まれた事件について関心を持つなど、不自然だったと反省する。だが、ファンファンが聞き出した情報だけでも十分前進だ。

 部屋はそこそこ広く、大きな寝台とゆったり座れる背もたれのついた長椅子があった。お茶くらい飲めそうな卓子も。寝台がひとつしかないのは不満だったが、泊まれるところがあるだけありがたい。

 ユナはファンファンを歩かせて寝台まで連れて行った。

「事件があった村に行ったらいいみたいだね。……怖がらないのは、やっぱり変だって思われたかな」

「別に、いいんじゃない? 何が怖いかなんて人それぞれさ。たとえば、怖い話を恐れない女の子がいてもいいし、虫が怖い男がいたっていいと思うんだ」

 寝ているとばかり思っていたのに、ファンファンは突然パチッと目を開けた。それだけではなく、ユナが気にしていたことを察したのか、励ますようなことまで言ってきた。

 いい加減さから出た言葉なのかもしれないが、今はたまたま、ユナの心に届くものだった。

「きれいなだけの、お飾りみたいな女の子になるのは嫌だった。でも、女の子らしくないって言われるのも何だか嫌で、ずっともやもやしてたんだ。……ありがとう」

 照れくさいながらもお礼を言うと、ファンファンは真剣な顔で聞いて、それからふっと笑った。そのあと、ユナの顔へ手を伸ばしかけたが、すんでのところでやめてしまった。

「あのさ、ユナに触ってもいい?」

「え? な、何で突然そんなこと聞くの?」

「だって、ユナが言ってたから。誰も許可なくユナの身体に触ってはいけないって。だから、触るための許可が欲しい」

 美貌を切なげに歪め、ファンファンは尋ねてくる。部屋の中にふたりきりという状況でこんなことを尋ねられるなんてと、ユナはひどく慌てた。

「だ、だめだよ! そういうのは絶対だめ! 店主さん、ファンファンが道士様だから大丈夫だろうと思って一部屋しか貸さなかったんだと思うよ! それにわたし、これ以上何かあったら、本当に嫁の貰い手がなくなっちゃうから!」

 貞操の危機を感じ、ユナは必死になった。いざとなれば殴ってでも抵抗する気ではあるものの、できれば穏便に済ませたい。そのためにファンファンから距離を取ろうとしたのだが、ぐっと手首を掴んで引き寄せられた挙げ句、寝台に転がされてしまった。

「呪いの応急処置だよ。こうやってときどきやっておかないと」

「んっ……」

 寝台に押さえつけられて、抵抗する間もなく口づけられた。呪いのことを持ち出されれば、抵抗はできない。死にたくないし、屍骸になんてなりたくない。だから、これは仕方がないのだと自分に言い聞かせる。

 ファンファンはひとしきりユナの唇をやわやわと啄(ついば)むようにしたあと、首筋に移動した。そして舐めて、唇を押し当てて、そこを強く吸い上げた。

「や、ぁっ……」

 ちくりと痛みが走り、ユナは身をよじるも、しばらくファンファンは離してくれなかった。

「ユナは俺が守るよ。ジジ様と約束したからさ」

 ユナを解放して髪を撫でて、ファンファンは寝台から立ち上がった。それから長椅子の上に横になって、すぐに寝息を立て始める。

「……な、なんなのよ」

 取り残されたユナは、鳴り止まない心臓を抑えながら呟いた。

 これが呪いの応急処置に対するドキドキなのか、「守るよ」と言われたことへのドキドキなのか、よくわからない。

 わからないから大いに戸惑って、疲れているにも関わらず、なかなか眠ることはできなかった。

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