第2話

 

 日頃は日が暮れれば町は夜の空気へと切り替わり、活気と喧騒はそれぞれの家へ帰っていく。

 だが、今宵は広場で赤い提燈がたくさん吊るされ、通りには多くの人々が出歩いている。

 その騒がしさはまさに季節ごとの祭りのようだ。実際に、この騒ぎは化物から町が守られたことを祝うのと、町を守った英雄を讃えるための祭りだった。

 朝方起きた出来事は瞬く間に人々の口を伝って広がり、昼過ぎには祭りのための準備が始められていた。

 もともとが祭り好きの人種が集まっているからというのもあるし、何より悪しきものが入り込んだという嫌な空気を祭りで吹き飛ばすという意図もあったのだろう。突然祭りを開くことになっても、異を唱える者はいなかったようだ。

 外では笛や太鼓の音が鳴り響き、楽しげな人々の声が聞こえてくる中、それとは打って変わって道場では深刻な空気が流れていた。

「ファンファンといったか。今おぬしが話したことは本当か?」

 道場の床に座っているのは、ジジ様と数名の門下生、それからユニとファンファン、それからメイメイだ。尋ねられたファンファンは、真剣な顔つきで頷いた。

「はい、老師様。俺は命を受け、動く死体の調査に来ていました。そして今日も動く熊の死体を目撃して追っていたところ、この町に行き着き、退治するに至ったのです」

「動く死体? あの化物は、死体だったの?」

 それまでずっと黙っていたユナが、驚いて口を開いた。

 ジジ様に呼ばれて道場に来たときには、二度と顔を合わせたくないと思っていたファンファンがいたことで猛烈に拗ねていたのだが、彼の口から詳しい説明を受けた今、拗ねてはいられなくなった。

「死体が動くなんてこと、信じられないのは当然よ。でも、あんなふうに腐った血を垂れ流しながら移動してきたものが、普通の生き物だと思う?」

「いえ、それは……」

 メイメイに問われ、ユナは口籠った。当然、普通の生き物だと思ったわけではない。ただ、死体が動くということがにわかに信じられないだけだ。

「動く死体より、得体の知れない化物のほうがいくらかましだって思うのは理解できるけどね。残念ながら俺たちは、ここに来るまでの間にああいったものを何度か見て滅してる。それらすべて、何らかの方法で蘇らせられた哀れな死体だったよ」

 淡々と話すファンファンの言葉に、ユナは背筋が寒くなるのを感じていた。

 確かにファンファンの言うように、今朝の化物は生気を感じさせなかった。もし生き物であるならば体中を血と気が巡っているはずなのに、あの化物は体を動かすためだけに、無理やり最短経路で気を流されていたようだった。そして、血は正しく流れているようには感じられなかった。

「俺が師に命じられたのは、この動く死体を確実に仕留めて回ることと、原因を突き止めること。ですが、どうにもきな臭いんです。当然、自然発生したなどとは思っていませんが、これをやったやつの目的が見えてこない……動く死体を倒していけば、人物の特定にいたらなくても目的くらいわかりそうなものですが」

 言いながら、ファンファンは腕を組んで考え込んだ。そうして真剣な顔をして軽薄さが鳴りを潜めると、顔立ちのきれいさが際立つ。整った、美しい顔をしている。

 男に対して美しいとかきれいという言葉が適当ではないのはわかるが、ファンファンは思わず見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だ。そしてその顔立ちや髪色は、どこか異国の香りを感じさせる。妹だというメイメイには、あまり似ていない。

「そいつは、屍骸遣いだな。屍骸遣いが出たのか……」

 ポツリと、絞り出すようにジジ様が言った。それを聞いて、ファンファンがはっとした顔をする。

「ジジ様、それは何? 屍骸とは、何のことですか?」

「屍は、なきがら。骸は死んだものの骨。つまり屍骸とは死んだ生き物の体と骨だ。それを操りあたかも生きているかのように動かすのが、屍骸遣いだな。――ファンファンとやらは、それがどういうものかわかるだろう?」

 ユナが投げかけた質問に答えたジジ様は、今度はファンファンに問いを投げた。問われたファンファンは、重々しく頷く。

「俺も道を修めた者です。この道を真に修めた先にあるのは、不老不死だといいます。不死を得るには生き物の生と死を知る必要がある。ゆえに……死んだものをどうこうするのが禁術だということも、よくわかっています」

「そうじゃな。禁術の中の禁術じゃ。命に踏み入ること自体わしは好かんが、死んだものをいじくり回すなんざ、虫唾が走るわ」

 思いきり顔をしかめるジジ様を見て、何やらファンファンとメイメイは複雑そうな顔をした。その理由がわからず、ユナは首を傾げた。

「ユナは察しが悪いの。身体ばかり鍛えておるから頭の中に何も詰まっておらんのだろ。……お前ももう無関係ではおられんのだから、よく聞いておきなさい」

 ジジ様のまとう空気が変わったのがわかって、ユナは姿勢を正した。そばに付き従う門下生たちも、その厳かな雰囲気に表情を引き締める。

「ここにおるのは若いのばかりで知らんだろうが、かつて屍骸遣いが世を乱したことがあったんじゃ。大昔のことじゃから、わしも直接は知らん。だがの、わしの子ども時分は道士に葬式を挙げてもらいたがらん人や、寺に石を投げるような不届き者がまだおるくらいには、人の心に屍骸遣いへの怖さが残っとったんじゃ。――屍骸遣いいうんは、不老不死を目指す過程で道から外れた者。つまりは道士の成れの果てじゃから、みんな一時は道士が怖かったんじゃよ」

「そういう、ことだったの……」

 ジジ様の説明で、ようやくユナはファンファンが複雑な顔をした理由がわかった。もし広義の意味で同門がしでかしたとあれば、ユナだって複雑な心境になるだろう。

「大昔、国をさらに広げたいと考えた王がいた。その王は、自分が志半ばで倒れることを恐れた。つまり、死ぬことだな。死ぬことを恐れた王は様々な術者たちに不死の研究をさせた。そのうちのひとりの道士が最も成果を上げ、王に気に入られ、いつしか側近の立場に登りつめた。そして王を失うことを恐れたのか、野望が行き過ぎたのか、いつしか死してなお動き続けることができればと考えるようになったらしい。それが、屍骸遣いの始まりだ」

「死なない兵団を作ろうとしていたとも言われています。……どちらにしても、あってはならないことでしたが」

 ジジ様の語りに、苦い顔をしたファンファンが付け加えた。

 死してなお動き続けられるようにという考えも、死なない兵団を作ろうとしていたという話も、どちらもあまりにも非現実的な話で、聞いていたユナは頭がクラクラした。

 だが、現実の話だ。

 ユナは今朝、動く死体と戦っているし、そんなものが存在しているということは、屍骸遣いがいるということになる。

「それにしても、動物の屍骸ばかりか……目的がわからんな。まだ術の制御ができん者が、動物を使って実験をしとるのか?」

 この中で一番長生きで知識も豊かなはずのジジ様が悩む姿に、ユナたちも一緒に首を傾げるしかなかった。ジジ様が身体を鍛えるばかりではなく書物にも通じ、物事を深く考えるべしと教えているにも関わらず、あまり実践できていない結果だ。

 だが、ファンファンは何かを掴んでいる様子で、少し悩んでからまた口を開いた。

「おそらくですが、術者は闇雲に動物の屍骸を使っているわけではないと思います。狙いは、呪いを広げることではないかと。屍骸になった動物が様々な場所に駆けていき、その先で別の生き物に噛み付いたり、引っ掻いたりすることで、その別の生き物も死んで屍骸になる。……そうして多くの屍骸を作り出すことが目的なのではないかと、俺は考えています」

 確信に満ちたファンファンの言葉に、一同は驚いてすぐに言葉を返すことができなかった。思いもよらなかったのか、ジジ様すら腕組みして顎に蓄えた髭を撫でるしかできなかった。

「俺がこれまで滅してきた屍骸は、熊、イノシシ、それから虎。どれも時折人里へ降りていくもので、なおかつ攻撃性が高い生き物です。術者は、人間を襲わせるためにあえてそういった生き物を屍骸にしたのでしょう」

「自ら手を下さずとも人間の屍骸を手に入れるため、か?」

「そういうことだと思います。出向いた先で動物の屍骸を作るのと、人間の屍骸を作るのとでは、労力があまりに違いますから。でも……」

「そのうちに自ら人間を手にかけて回るようになるじゃろうな。呪いの拡大を待つよりも、直接呪をかけたほうが早いと気づくじゃろう」

「そういう考えに至るほうが、やはり自然ですよね」

 事態の深刻さを理解できているのは、おそらくファンファンとジジ様だけだ。あとの者たちは、ただ二人の醸し出す不穏な空気にあてられて、不安を募らせていた。

 だが話を聞きながら、ユナは自分の身に起きたことについて少しずつ理解し始めていた。

「屍骸遣いの狙いは、何でしょうか? 我が師は、道中出会う知識ある方たちに意見を求めよと言われました。老師は、どうお考えですか?」

 ファンファンはジジ様に最大限の敬意を払って、真剣に教えを乞うた。ジジ様も口髭をいじり、それに対して考える様子を見せた。

 ジジ様は問答の中に真理を見出させようとする。道を修める者であるファンファンとは、物事に向き合う姿勢が共通しているのかもしれない。見込みがない者とはあまり深く話そうとはしないから、どうやらファンファンのことを気に入るというか、認めたようだ。

「命をいじくり回す輩の考えは理解できん。だが、そんな輩が良きことをすると考えられんのは確かだ。つまり、世を乱そうとしとるんじゃろ。この国を転覆させようと考えておるのか、他国へ攻め入ろうと考えとるのか、そこまではわからんがの。……呪をばらまいて、ただ単に自分以外の生き物すべてを操ろうと考えとるのかもしれんしな。種まきするように呪をばら撒いて回れば、いずれは意のままに動く屍骸ばかりの世界の出来上がりじゃ」

 しばらく悩んで、ジジ様は半ば自棄のように言った。理解できないというのがすべての本音なのだろうが、その後に続く言葉も現状の考察としては十分だった。まず動物を屍骸にして人間を襲わせようと考えていることから、ただの愉快犯である可能性もあるのだ。

「どのみち、静かに少しずつ進める気はないのでしょうね。……ということは、人の噂を頼りに旅していけば、いずれは術者に行き合うことができるでしょうか?」

「足跡を追うことはできるじゃろうな」

「それなら、俺はすぐにでもここを発たなければ。少しでも早く情報を集めにいきます」

 ジジ様と話して考えがまとまったからか、ファンファンは今すぐにでも出立しそうな勢いだった。それならば今聞くしかないと、ユナはずっと考えていたことを尋ねるために口を開いた。

「もし屍骸の呪いを受けたら、どうなるの?」

 首筋を抑えながら、ユナは尋ねた。話の最中、ずっと熱を持っているような、少し痛むような感じがしたのだ。首といえば、今朝屍骸の穢れた血を浴びた場所だ。最悪のことを思って、ユナは不安になっている。

「進行速度は負傷の度合いによるだろうけど、いずれ死んで、そのあと屍骸になるはずだ」

「呪いの解き方は?」

「完全に解く方法は、術者を倒すしかないと思う。……俺も、屍骸遣いについてわからないことばかりだから、はっきり言えないけど」

「そんな……」

 自分がこれから呪いに蝕まれ、やがて屍骸になってどこの誰とも知らない邪悪なやつに操られる存在になるのを想像して、ユナは恐怖した。死ぬのが怖いというだけではない。誰かにこの身体を操られ、悪事のために使われるということに恐怖したのだ。

「もしやユナ、呪われたのか?」

「そうみたい。……ファンファンに応急処置はしてもらったけど、屍骸の血を浴びたところが何だか痛むし熱いの」

「……小さいが、痣になっとるな」

 ユナの身に起きていることをすぐに察知して驚いた様子のジジ様だったが、首筋を見て納得したようだった。確認してから、ファンファンに視線を送る。視線を送られたファンファンは、なぜだか驚いて、そして気まずそうな顔をした。

「お嬢さんが屍骸の血を浴びてしまったのは、俺の責任です。その責任を取って、必ず術者を倒します。なるべく早く術者をとっ捕まえますので……」

「そうしてくれると助かるの。わしの大事な孫娘は、何せ嫁入り前じゃからな」

「……申し訳ない」

 屍骸の血を浴びてしまったのは、完全にユナの未熟さゆえだ。慢心せず、恐れず、正しく対峙していればあんな無様な戦い方にならなかったはずだという反省があるからこそ、ジジ様がファンファンを責めている様子なのがユナは嫌でたまらない。

 無様な戦い方をしたゆえに呪いを受けたのに、このままではその責任を他人に負わせることになるのだと気がついて、ユナは決意した。

「わたし、ファンファンについていきます! それで術者を見つけて、自分で仕留めてみせます!」

 祭りの喧騒が聞こえてくる外とは対照的に静かな道場の中に、覚悟の決まったユナの声が響き渡った。

「ユナ……お前は、何を言っているんだ? 呪いを得た身で動きまわれば、どうなるか……」

「でも、ここでおとなしく待っていたって、呪いが解けるわけでも、進行が遅れるわけでもないのでしょ? それなら、自分で探したい。わたしをこんな目に遭わせたやつを、自分の手で始末したい」

 ユナの宣言に、道場内がどよめいた。だが、誰も止める声を上げないのは、その発言が正当だったからだろう。

 それに、止めても聞かない性格なのは、ここにいる誰もがわかっている。今日出会ったばかりのファンファンとメイメイも、ユナが退かないのはすでに経験済みだ。

「お嬢さんが呪われたのは俺のせいなので、責任をとって共に旅をしていきます。代わりといってはなんですが、このメイメイを置いていきますので」

 ファンファンの発言に、先ほどとは別のどよめきが起こった。行きたいと言い出したのは自分だが、これにはユナも驚く。

「ちょっと待って。そんな、人質を差し出すみたいなことを言い出さなくても」

「そういう意味じゃない。ただ、俺がここに帰ってくる意味として、大事な妹を置いていくと言ってるんだ。メイメイをここに残していく以上、俺は道半ばで挫けるわけにはいかない。屍骸遣いを倒してお嬢さんの呪いを解くという、責任を全うするしかない」

 前髪で隠れていないほうのファンファンの目は、真剣だった。ユナは頑固者として、彼が自分と同じ頑固者なのがわかった。

 置いていかれると言われたメイメイも、覚悟が決まった顔をしていた。

 それなら、誰が何を言っても無意味だろう。そういうものだ。

「ユナが行くというのも、妹君をここへ置いていかなければならんのも、わかった。それなら、存分に果たすべきことを果たしてくるといい」

「ありがとう、ジジ様」

 仕方ないといった様子でジジ様が言ったため、話はそれで決着することとなった。

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