26.元勇者、帰還する
「――、げほっ!」
ヘイロンは咳き込みながらなんとか顔を暗闇から出した。
どうやら影の中というのは息が出来ないらしい。危うく窒息するところだった。
息も絶え絶えの状態のヘイロンは、ふと眼前に目を向ける。
そこにはイェイラとニアが驚きに瞠目しながら影から頭だけを出したヘイロンを見ていた。
「よお、ただいま」
ニコリと笑って声を掛けると、呆けていたニアが泣きながら駆け寄ってきた。
「――っ、ハイロぉ!」
「ばっ、ばか! やめろ!! 押し込むな! おれを殺す気か!?」
慌ててニアを止めると、ヘイロンは影から脱出する。
しかし息を出来ないことを除けば、影の中は意外にも快適だった。まさかあんな速度で移動できるとは。
影に引っ張り込まれたあと、ヘイロンをここまで連れてきたのはハイドだった。まっくらな闇の中、ハイドは目的地が見えているのか。迷いなく進んで、ここに出たわけだ。
ハイドはすでにイェイラの元に戻ってきていて大きな欠伸を零している。
あの様子だともう大丈夫そうである。実体化も解けていて、イェイラも顔色が良さそうだ。
「ありがとう、ハイド。大変だったでしょう」
「ウゥィィ、なでテェ」
「なあに? もう、甘えん坊なんだから」
嬉しそうに笑いながらイェイラはハイドを甘やかしている。
完全に二人の世界に入ってしまった。じゃれている様子を眺めていると、ニアが心配そうに見つめてくる。
「ハイロ、だいじょうぶ?」
「あー、うん。大丈夫だ」
「でも、それ……」
ニアはヘイロンの負傷を見て泣き出しそうな顔をした。
斬られた右半身は傷が深い。けれど未だヘイロンは魔法が使えない状態だ。どうにもあの魔法阻害のアイテムは、あの場所から離れても効果が続くらしい。
「イテェけどこんなんで死にはしないよ。……放っておかなければ、だけど」
「てっ、てあてしないと!」
ヘイロンの冗談にニアは血相を変えた。
それを面白がっていると、諫める声が飛んでくる。
「あまりニアを不安にさせないで。この子、また泣いちゃうじゃない」
「わるいわるい。止血すれば大丈夫だ」
「ほ、ほんとう?」
「ああ、約束する」
ヘイロンの言葉にニアはほっと息を吐く。
イェイラに預けていた背嚢から清潔な布切れと包帯を取り出して、傷の処置をする。大きく抉れた傷は包帯できつく巻いても止血されない。傷口に布やらを詰め込んで圧迫しないと意味がないのだ。
しかしこれはとりあえずの応急処置。回復魔法が使える治療師に見てもらうのが一番だ。
「ていうかそれ、どうしたのよ? 怪我なんかしちゃって」
「ちょっと厄介な奴が居てな。少しだけ後れを取っちまった」
「厄介な奴?」
「剣聖、ジークバルト。名前くらいは聞いたことあるだろ?」
その名を聞くと、イェイラは驚きに目を見開いた。
「なっ――剣聖!? それでよく生きて戻ってきたわね!」
「まあなぁ。ほんと、運が良かったよ」
「そういうの悪運っていうのよ」
呆れた、とイェイラは嘆息する。
まさかあんな切り札を隠し持っていたなんて。ヘイロンもそれだけは予測できなかった。何か対策を練らなければ。
「とにかく、いつまでもここにいる訳にはいかないわ。すぐに出発しなきゃ」
「どこにいくの?」
「用心するならあの村には戻らない方がいいわね。少し歩くけど、別の集落に行きましょう。先導は私がする」
ハイドをしまってイェイラは立ち上がる。
彼女の意見にヘイロンも賛成した。ジークバルトが追ってこないとも限らない。
「ハイロ、あなたのその怪我。どうしたらいい?」
「そうだなあ。完璧に治すのはもう無理だ。どこか治療できる場所に行きたい」
「確か村には治療院があったはず。まずはそこを目指すってことでいいわね?」
「ああ、そうしてくれ」
治療院には回復魔法を使える治療師がいる。
あまりに傷が深いと綺麗に治すのは並大抵の治療師では無理だろうが……とにかく傷が塞がってくれれば問題はない。
止血を終えて、次の目的地に向かう道すがら。
森の中を進んでいると、ニアがヘイロンの手を掴んだ。
「ハイロ……ごめんなさい」
「なんだぁ? そんな顔して」
「だって、ニアのせい」
「ははぁん……そういうことか」
申し訳なさそうにニアは声を落としてヘイロンに謝る。
大怪我を負った原因が自分にあると思っているのだ。
「仕方ない。しばらく肩車はお預けだな」
「え?」
「治ったらしてやるから待ってな」
ぽかんと呆けているニアの手を左手で握ってヘイロンは歩き出す。
こうして気遣ってくれるが、ヘイロンはニアの方が心配だ。
あの状況を見た限りだが、ニアを攫って行った兄であるレオスは死んでいた。おそらくニアの目の前で殺されたのだろう。
そんな状況を見てしまったら、どれだけ嫌っていた家族でも心に負った傷は相当なものだ。無理をしていなければいいが……どうやってフォローすべきか。ヘイロンは悩んでいた。
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