24.黒獣、嘲笑う


 さすが剣聖である。握りしめた剣は意地でも離さない。

 衝撃に心臓に突き刺さっていた剣先は抜けて、ヘイロンの身体は身軽さを取り戻した。


「グッ――ぅ、貴様ァ! よくも……よくも!」

「さすが剣聖なだけはあるなあ。丸焦げにしたはずなのに。少しも効いちゃいねぇ」


 ジークバルトの顔面、右半分は無残に焼け爛れていた。しかし反面は綺麗に防御されている。

 あの一瞬でジークバルトは血の鎧を纏ったのだ。

 それでもヘイロンの焔でその効果は半減。熱で蒸発してしまった血液の残量では無傷とはいかなかったようだ。


 剣聖――ジークバルトはその能力のおかげで、敵を斬り殺すたびに強化されていく。

 いつも着こんでいる真白の衣服は、浴びた血を目立たせるものだ。

 そして、彼の最終形態は血赤けっせきの鎧を纏い、死地に赴く鬼神となる。

 その防御力はすさまじいもので、硬化された鎧が攻撃を通すことはない。唯一の弱点と言えば、ヘイロンが今したように生成する血を蒸発させ能力の発動を瓦解させることくらい。


「それで、どうする? 蹲って唸ってても俺は死なないぜ?」

「決まっている! 貴様だけは……貴様だけは生かしてなるものか!」


 手負いの獣の如く吠えたジークバルトは、懐からあるものを取り出した。

 彼の手中にあったのはガラスの球体。紺碧色のそれにヘイロンは見覚えがない。


 何をする気なのか。警戒していると、ジークバルトはそれを握りつぶした。

 バリンッ――と粉々になった球体は、中から黒いもやを溢れさせる。それはゆっくりと広がり、ヘイロンの足元を漂う。


「……なんだ?」


 何か毒物の類かと、ヘイロンは身構える。

 けれど身体に何の変化も見られない。ジークバルトも同じく。ならばこれは毒ではなく、それ以外の何かだ。


「――覚悟」


 欠けた仮面の奥、ジークバルトは口元に笑みを刻む。

 先ほどの取り乱しようとは打って変わって冷静だ。それに訝しんだ直後、ジークバルトは再びヘイロンに向かって斬りこむ。


 何度やろうと結果は同じ。

 先ほどと同様にカウンターを打ち込んで終わりにしよう。今度はあんな威力では済まさない。

 向かってくる相手を睨みつけて、ヘイロンは構える。


 その瞬間――違和感を覚えてヘイロンはジークバルトから目を離した。

 目端に映ったのはハイドの姿。ヘイロンの重力魔法で動きを封じたはずの黒獣が、起き上がっている。


(……あれは)


 違和感は明確な形となり、ヘイロンの第六感を刺激する。

 直感が告げている。何かがおかしいと。


 それが何か。明確な答えが得られないまま、ヘイロンの目前にジークバルトは迫っていた。

 振り下ろされる剣撃。それを真正面から受けようとして――寸での所でヘイロンは身体をひねった。


 しかしジークバルトの鋭い剣撃はそんなものでは避けられない。

 身体の中央からズレて、右半身を袈裟懸けに斬られる。


「ぐっ――ッ!」


 鮮血が飛び散り、地面を濡らす。

 深い裂傷はヘイロンの右腕を使い物にならなくさせた。指先は動かせるが肩が上がらない。これでは盾にも使えないだろう。

 かろうじて両足はまだ動く。ジークバルトが相手で足の負傷は詰みでもある。それについては不幸中の幸いだが、決して状況は良いものではない。


「どうした? 傷を治さないのか? それとも治せないか?」

「……っ、やりやがったな」


 嘲るような物言いにヘイロンは悪態を吐く。

 ジークバルトの言うように、今のヘイロンは傷を治せない。どういうわけか魔法が使えないのだ。


 その原因は、先ほどジークバルトが割ったガラス球体だ。

 あのもやの正体は、おそらく魔法能力及び効果の遮断。こんなことが出来るのは、ただ一人しかヘイロンは知らない。おそらく、奴の入れ知恵だろう。


「私としてもこれを使うのは憚られた。しかし、悪を討つに矜持は不要。如何様な手段とて、貴様を殺せるなら躊躇いなどない」

「ふうん、あの剣聖も落ちたもんだな。こんな小細工に頼るなんざ、底が知れてるってもんだ」

「負け犬の遠吠えだな。なんとでも言うが良い」


 安い挑発には乗らず、ジークバルトは再び剣を構えた。

 それを見据えて、ヘイロンはどうしたもんかと策を練る。


 この状態であの剣聖に勝つのは不可能だ。ヘイロンの復元魔法はイェイラに説明した通り万能ではない。

 今負った傷だって、再び魔法が使えるのがいつになるか分からない以上、確実に足を引っ張る。止血しなければ失血死もあり得るのだ。


 ここでの最善は、尻尾を巻いて逃げることだが……あのジークバルトがむざむざヘイロンを逃がすような失態を犯すとは考えにくい。


(……っ、どうする?)


 何も解決策を得られないまま、ヘイロンは一歩下がった。

 その時、すぐ傍に何かの気配を感じて意識をそれに向ける。


「そうだった……お前がいたな」


 いつの間にかヘイロンの傍にはハイドがいた。

 先ほどの暴走状態とは変わって、今は大人しい。これなら、何とかできるかもしれない。


「――っ、ハイド! 頼めるか!?」

「ウゥ、シカタないナァ」


 呑気な台詞を吐いて、ハイドはヘイロンの背後に着く。

 それにジークバルトが気づいて、すぐさま追撃を加える――それより少し早く、ハイドはヘイロンの襟首を噛むとくっきりと映った影の中に引きずり込んだ。


 一瞬にして目の前からヘイロンの姿が消えた。

 残ったのは奇妙な影の魔物。ジークバルトは険しい眼光をハイドに向けるが、彼はそんなものに構いもせずに半身を影に漬ける。


「じゃあネェ! サヨナラ!」


 まるで嘲笑うように捨て台詞を吐いて、ハイドは影の中に消えていった。

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