1-15『覆面集団』

「はぁ……はぁ……『銀髪の姉ちゃん』様は、どこに、いらっしゃるのでしょう……」


 静閑せいかんな夕闇の廃街スラムに、幼い少女の荒い息づかいが木霊こだまする。アリアだ。

 無事アリーナから脱出したアリアは、ジンが言った『銀髪の姉ちゃん』なる人物と合流するため、ひとり街中まちなかを駆けていた。

 けれどしばらく走ったすえ、彼女はあることに気づく。

 銀髪の姉ちゃんに関する情報を、ジンから何一つ聞かされていなかったのだ。容姿はもちろん、落ち合う場所もである。

 闇雲やみくもに探し回るには、廃街はあまりに広く入り組んでいる。おまけにも落ちた今では視界も不安定だ。


「どこに、どこ……に……」


 走り続けるアリアの脳裏のうりに不安がよぎる。もし合流が叶わず、このまま迷子になってしまったら。そうでなくとも再び誘拐犯に捕まってしまったら、ジンの頑張りを台無しに……。

 心細い状況下でいだくそれは、まさに毒だ。

 一度でもネガティヴな思考に犯されたら最後、精神はジワジワとマイナス方向へとむしばまれていく。それが年端としはもいかない少女であればなおのこと。

 やがてアリアの足は徐々に進む力を無くし、最後は今にも泣きだしそうな顔でその場に立ちすくんだ。

 その時、


「見つけた。一体どこに向かって──あれ?」


 ふと背後から聞こえた、自分以外の声。聞いたことのない声だった。

 それは救いか。はたまたみのしらせか。

 電流が流れるようにピンと背筋を伸ばすアリアは、恐る恐る振り返る。

 そこに居たのは──。


「銀髪の、姉ちゃん様……?」

「……もしかしてアリア? どうして一人で、こんなところに」


 銀色の髪をした、見るからに自分より年上の少女。襲いかかってくる気配は、ない。それどころかスマコを片手に疑問と驚愕が入り交じった表情でこちらを見ている。

 アリアは一目見て直感した。彼女こそが、ジンの言っていた『銀髪の姉ちゃん』であると。


「あぁ……ようやく合流が叶いました。これでジン様のがんばりを無駄にせずに済みます」


 目的の人物と合流したことで力が抜けたのだろう。アリアはその場にへたり込む。

 そんな彼女に、銀髪の姉ちゃんと思しき少女は困惑しながら口を開いた。


「えっと、安心しているところ悪いんだけど、どうしてアリアがこんなところに? それにジンのスマコの反応まで」

「スマコ、でございますか?」


 何のことか分からず首を傾げるアリア。

 しかし冷静になったことで、服のポケットに覚えのない感触かんしょくがあることに気付く。

 思わず手を入れてみると、見覚えのないスマコが顔を出した。


「間違いない。ジンのスマコだ」

「まぁ、どうして私のポケットに……? あぁ、そういえば」


 やっぱり、と銀髪の姉ちゃんがうなずく。

 一方アリアは不思議そうに、より深く首を傾げる。

 しかしふと、あることが脳裏を過った。

 思えばトラーバに襲われジンにかかえられた時から、腰周りをまさぐられるような感覚があったのだ。

 あの時は気にしている余裕など無かったが、恐らくそこで忍ばされたのだろう。

 アリアは、それを銀髪の姉ちゃんに伝える。


「さすが旅人、抜け目ない。……ところで、トラーバさんに襲われたってどういうこと? ジンは今、何をしているの?」

「あ、そうでした。実はジン様から、銀髪の姉ちゃん様に言伝ことづてを預かっておりまして──」


 すっかり安心して気が抜けていたのだろう。

 銀髪の姉ちゃんに訊かれ、目的を思い出すアリアは慌てて経緯いきさつを語った。


「……事情はわかった。一先ずアイギスに通報して、わたし達は廃街を出よう。ついてきて、アリア」

「あ、あの! ジン様は大丈夫なのでしょうか……」


 不安げなアリアの声。

 なにせジンの相手は、常日頃からボディーガードとして傍にいたトラーバだ。その実力は彼女も十分に理解している。

 だからこそジンを心配せずにはいられなかった。

 しかし、


「大丈夫」


 銀髪の姉ちゃん──エイムは、揺るぎない自信と声で言い切った。


「ジンは負けないよ……わたしの知る限り、この国で彼より強い人はいないから」


 果たして、この国オアシスで最も強いのがジンかどうかは定かではない。

 しかし──。



 ※ ※ ※ ※ ※



 アリアの心配に対する答えとして、エイムの言葉には一つの間違いもなかった。


何故なぜっ、こんなことが……!」


 金属がぶつかり合うような音に、焦燥しょうそうする男の声が混じる。トラーバだ。

 およそ人間とは思えない速さで縦横無尽じゅうおうむじんにアリーナを駆け巡るトラーバは、その中心にいる男めがけて何度も拳を放つ。

 しかし、


かねェよ」

「ぐぅっ!?」


 その先にいる男──ジンは、まるで子供の相手をするかのように全ての拳を刀でなし続けていた。

 また、それだけに留まらず、拳を振り抜いて隙だらけなトラーバの脇腹につかの裏側を叩き付ける。

 途端にトラーバはうめき声をあげ、表情をゆがませながら大きく後退して距離を取った。


「何故……何故だっ! さっきは確かに、ふところにまで迫ったというのに……!」


 まるで相手にならないと、トラーバは奥歯を噛み締める。

 パワードスーツを起動して以降、彼は幾度となくジンに攻撃を仕掛けていた。

 しかし真っ当に撃ち合えたのは最初に迫った時の一度きり。その後の攻撃は一度たりとも届いていなかった。

 だが決して、それはトラーバが弱者であることを意味するわけではない。

 歳は若くなく腹も出っ張っているが、それでもショーガンが直々じきじきに娘のボディーガードに任命するほどの腕を持つ男だ。

 仮にパワードスーツを着ていなくとも、そこらの不良数人程度では相手にならない実力を持っている。

 だからこそ、"こう"なる理由は一つしかなかった。


「あァ、急に詰められた時は流石さすがに焦ったよ。ったく、つくづくこの国は愉快な技術であふれれてやがんな。……まァ、そういうのがあるって判ったンなら、"それを考慮したうえで"立ち回ればいい訳だが」

「そんなこと、出来るわけ……」

「どれだけ速く動き回られようが銃弾よりはおせェンだ。そう難しいことじゃねェよ」

「……ありえない。お前は、本当に人間なのか? ……どちらにせよ、これ以上の戦闘に意味はない、か」


 人間としての規格スケールが違う──否。もはや奴を人間として扱うべきなのかと、トラーバは現実逃避めいたことを思う。

 けれど事実として、まともに戦ったところでかなう相手でないことは、これまでの撃ち合いから嫌というほど理解した。

 であれば、これ以上戦闘を続けても無意味に自分を追い込むだけだ。せめて身代金の回収だけでも済ませたかったが、それもジンを相手にしながらでは不可能だろう。

 ここらが潮時しおどき、何事も引きぎわ肝心かんじんだ。そうめ息をこぼし、トラーバは後方の出口に向かってジリジリと後退を始める。


「悪ィが、逃がしゃしねェぞ」

「っ!」


 しかしジンが、それを見逃す筈もない。

 背を向けようとしたトラーバは次の瞬間、全身が凍り付くような悪寒おかんを感じた。

 思わず反射的に銃を抜き、振り返る。

 その先ではジンが、心胆寒しんたんさむからしめる眼差まなざしでトラーバを睨んでいた。

 腰を引いて足を前後に開き、"両手"で握った刀を肩の位置で水平に構える姿は、まるで獲物を襲う準備ができた肉食獣のよう。


「くっ……!」


 やらかしたと、トラーバは内心で舌打ちする。ジンの迫力に気圧けおされ、後退の足を止めてしまった。

 再度、逃げようとしたところで間に合わない。安易あんいに背中を向けたその瞬間、一気に距離を詰められ御陀仏おだぶつだ。

 無意識に呼吸が速まる。額を流れる汗が鬱陶うっとうしい。

 逃げる以外にこの場を切り抜ける手段がない一方、下手に動くことのできないジレンマ。

 なにか、なにか打開策だかいさくは──。


「は……?」


 その時だった。トラーバの視界から、突如とつじょジンの姿が"消えた"のは。

 目を離した訳ではない、離すはずがない。むしろ穴が空くほどに一挙手一投足を注視ちゅうししていた。

 だがいて言うなら──まばたきだ。

 瞬きという一秒にも満たない刹那のに、ジンは忽然こつぜんと居なくなった。

 隠れた? どこに、どうやって。

 実はジンなんて存在しなかった? 全ては幻だった? そんな訳がない。

 不可解な出来事を前に、混乱するトラーバの脳裏で支離滅裂しりめつれつ逡巡しゅんじゅんが過る。

 それを破ったのは──。


「──しまいだ」

「……っ!?」


 背後から聞こえた声。ジンのものだ、それもかなり近い。

 途端、トラーバは反発する磁石じしゃくのようにその場から飛び退き、銃を構えようとする。

 しかし、ふらりと右足から力が抜けたかと思えば、その身体はバランスを崩して仰向あおむけに倒れた。


「なん、で。足に、力が……」


 目を白黒させ、トラーバは足元に目をやる。そこには、知らぬ間に赤い液体の水溜みずたまりが出来ていた。

 赤い液体は、自身の脹脛ふくらはぎから今も止めどなく流れている。

 顔を上げれば、月の逆光で表情を闇に染めたジンが、感情の込もっていない声で言葉を発した。


けんを切った。さっきみてェに、ちょこまか動かれたら面倒だからな」

「あ、あぁ……」


 トラーバがその言葉の意味を理解するのに数秒かかった。

 しかし遅れてやってきた痛みと、肌を湿しめらせる赤い液体の熱がともなううに連れ、脳は否応いやおうなく状況の把握はあくを進め──。


「あああああああああッ!!!」

やかましい」


 直後、喉が張り裂けんばかりの絶叫。それは痛みによるものか、はたまた退路たいろたれたことによる絶望か。

 半狂乱はんきょうらんおちいったトラーバは、もはや狙いすら定まっていない発砲を無我夢中で繰り返した。

 しかし当然、そんな射撃が命中する筈もない。そればかりかジンが放った一蹴ひとけりで、手元の銃はアリーナのすみへと弾き飛ばされる。

 今のトラーバに自身を守護しゅごするものは、何も残されていなかった。


「ちょっと黙ってろ」

「や、やめ……」


 腕を振り上げるジン。月光を浴びた刃が銀色にきらめく。

 命乞いのちごいをするには、あまりに遅すぎた。


「やめろおおおおおお!!!」


 懇願こんがんむなしく、勢いよく振り下ろされるジンの腕。

 痛みを感じる前に意識を手放せたことだけが、トラーバにとって唯一の幸福だった。



 ※ ※ ※ ※ ※



大袈裟おおげさなやつだなァ。別に殺すつもりなんざ無ェっての」


 白目をいて失神したトラーバに、納刀するジンはヤレヤレと首を振って呟いた。

 振り下ろした刃がトラーバの脳天のうてんを真っ二つにく──ことはなかった。

 刃がトラーバの眉間みけんに触れる直前、ジンが寸止すんどめしたからだ。

 躊躇ちゅうちょした訳ではない。初めから殺す気は無かった。


「儂が勝手に手ェ下すのも、なァ。その辺はショーガン氏に丸投げした方がいいだろ」


 ジンが思い返すのは、便利屋でトラーバに圧を掛けていたショーガンの姿。そしてウエポン邸でメイドから聞いた話。

 アリアが無事とはいえ、それでトラーバに温情が掛かるとは思えない。なんといっても彼は、この誘拐事件の主犯だ。

 この男の処遇しょぐうは、一度ショーガンとアリアを経由してからしかるべき機関へと送り届けるのが妥当だろう。

 そう結論付け、ジンはトラーバからパワードスーツを脱がせ手足を拘束する。

 そしてようやく一息ひといきつこうとした、その時。


「いやはや素晴らしいお手前だよ。あのトラーバを、こうも容易たやすく仕留めるなんてね」


 パチパチと、かわいた拍手の音がアリーナに響いた。そして客席から、なんとも緊張感のない男の声が発せられる。

 それは誘拐犯でも、当然トラーバでもない第三者の声だった。


「……ったく、次から次へと虫みたいに沸きやがって。いい加減しつけェぞ」


 誘拐犯を全滅させたと思えば、次は黒幕トラーバの登場。そしてトラーバを倒したかと思えば、新たに現れる刺客しかく

 ジンは「またか」と大きな溜め息を吐くと、心底ウンザリした口調で声のした方向を睨み付けた。


「ああ、ごめんよ。連戦で疲れているもんね、ずっと見ていた。でも安心してほしい、ボクに戦う意思はないからさ。というか、戦ったところで勝てるとも思えないしね」


 そこに居たのは、明らかにサイズが合っていないブカブカの白いジャケットを着た十代半ばから後半頃の少年。

 ショートカットの銀髪は誰もがうらやむような美しいつやを持ちながら、その毛先は"寝グセのかたまり"と形容する他ない程に暴れている。宝石のようなエメラルドグリーンの瞳に整った顔立ちも相まって、これほどまでに「もったいない」という言葉が似合う男もそうそう居ないだろう。

 しかし何より目を引いたのは、顔の下半分を覆うように装備している紺色のガスマスクだ。

 オアシスを訪れてようやく一日が経とうとしているジンの知識でも、その出で立ちが一般的なモノでないと判断することは容易だった。


「……こんな時間に、こんな場所を子供が彷徨うろつくモンじゃないぜ。用がないならさっさと帰りな」

「ご忠告どうも。お言葉通り、そうさせてもらうよ。それに用事も、ホラ。たった今済ませたところだからね」

「っ……!」


 状況をかんがみれば、少年が誘拐犯の仲間であることは間違いない。ジンは軽口を叩きつつも左手をさやに添えて臨戦態勢りんせんたいせいに入る。

 しかし少年が手にしているモノを目にした途端、その表情に焦りが浮かんだ。


「……お前さん、それが何か分かっているんだろうな」

「勿論。身代金だろう? でもアリアは無事に救出された。ならコレの役目はもう終わったんだ、だったらボクが代わりに頂いても問題ないだろう?」

「問題しかねェよ。冗談で済むうちに、さっさと返せ」


 飄々ひょうひょうと語る少年に、ジンは早足でにじり寄っていく。

 少年との距離は、およそ一五メートル弱。平場なら一瞬で迫れる距離だ。

 しかしジンがいる広場と客席をへだてる壁の高さを考慮こうりょすると、よじ登るだけでも数秒かかってしまう。

 少年がトラーバ同様パワードスーツを装備していると仮定した場合、逃げ切るには十分過ぎる時間だ。


「残念だけど、それはできないかな──それじゃあね」

「チッ、逃がすかよ」


 歯噛みするジンに、少年は勝ち誇るような笑みを浮かべて背を向ける。

 間に合わない。

 そう判断したジンは鞘を壁に立て掛けると、それを足掛かりに一気に客席へと駆け上がった。

 丸腰になってしまうが仕方ない。対応は追い付いた後に考える。

 しかし、


「へぇ、その機転は素直に驚いたよ」


 客席にはすでに、少年の姿はなかった。

 代わりに感嘆かんたんの声だけが、ジンの頭上からりてくる。

 そう、頭上からだ。


「……クソがッ」


 悪態を吐かずにはいられなかった。

 ジンが見上げる先には、巻き取り式のワイヤー銃を手にした少年が、既にアリーナの天井近くまで上昇していたのだ。

 こうなった以上、もはや打つ手はない。どれだけ身体能力が優れていようと、人は自在にそらを飛ぶことはできないのだから。

 追うことも叶わず遠退とおのいて行く少年の姿を見上げるしかないジンは、悔しげに拳を握りしめる。


「ここまで頑張ったんだ、ご褒美くらいはあげるよ」


 しかし最後の一瞬まであらがったジンをたたえてか、少年は純粋な微笑みを浮かべる。

 そして、告げた。


覆面集団マスカレード、それがボクらの名前さ。もし路頭に迷った時は、いつでも歓迎するよ。旅人さん」


 そう言い残す少年は、やがて天井に辿り着くとそのままアリーナを出る。

 それから暫くして、廃街にはアイギスの到着を知らせるサイレンの音が響き渡った。

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