1-13『黒幕』

って早々そうそうかねの話かい。ガメツイねェ」


 向けられた銃口に、ジンはおくすることなく軽口で応じる。けれど、そこに一切の油断はない。自身を囲む三人の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを常に意識しながら、うかがうように動くタイミングを見計みはからう。

 勝負は一瞬、連中がエイムの狙撃に動揺どうようした僅かな隙。それまでの間、何があっても取引きを終わらせる訳にはいかない。

 一秒でも長く時間を稼ぐため、ジンはらすように話を引き延ばす。


「こういう取引きは、軽い世間話や愉快ゆかい小噺こばなしえつつ順を追ってやるモンなんだよ。例えば、こんなジョークが……」

御託ごたくはいいんだよ。ホラ、さっさとブツを寄越よこしな」

「だァから、やり取りが直球すぎなんだよ。もうちょっと心に余裕を持って、ユーモアの精神を大切に──」


 直後、銃声が響いた。

 ジンの足元で金属のつぶてねる。


「……よーし分かった。分かったから、その物騒ぶっそうなモンを下げてくれ。怖くて動けなくなっちまう」


 時間稼ぎ終了、ジンは万策尽ばんさくつきた。

 もたせた時間は一分にも満たない。驚異きょういの手際である。

 額に冷や汗が浮かぶ。なんとか時間を稼ぐ、などとエイムに大見栄おおみえを切った手前、やっぱり無理でしたとアッサリ身代金を渡す訳にもいかない。

 とはいえ策がないのも事実。手詰てづまりのジンは、完全に身動きが取れず困り果てた。

 その時、誘拐犯のリーダーらしき男がおもむろに口を開く。


「もしかして、仲間の援護えんごを期待してるのか? なら諦めな。そっちはもう押さえている頃だろうからな」

「……!」

「イケないねぇー。確か脅迫状てがみには、一人で来いって書いたはずなんだが?」


 予想だにしていなかった言葉に、ジンは思わず目を見開いた。

 一方男は、ジンの反応を見て勝ちほこるような笑みを浮かべる。

 『お前らは初めからてのひらの上なんだよ』と、その表情が物語っていた。

 しかし、


「……なんだよ、最初から全部お見通しってわけか。なら小芝居こしばいうつ必要もねェな」

「あ?」


 次にジンが放った言葉は、非常に淡白たんぱくなものだった。

 男からすれば、ジンを絶望させるキラーワードのつもりだったのだろう。

 状況は四対一という圧倒的不利。さらには銃を向けられ人質まで取られている。

 であれば援護も無しに戦況をくつがえすことなど叶わない、と。

 確かに、そう考えるのが普通だ。ただジンにとって、それらは然程さほど重要な問題ではなかった。


「ま、やることの手順が変わっただけだ。結果が一緒なら問題ねェだろ」

「テメェ、さっきから何を言って」


 ジンの反応が気に食わなかったのだろう。男の声に苛立いらだちが混じる。

 それを無視して、ジンはスーツの内ポケットに手を入れた。

 途端、銃を持つ四人の間に緊張が走る。しかし取り出された物を目にした途端、彼らは揃って目の色を変えた。


「ほら、これがお前さん達の欲しがってた身代金ブツだ」

「!?」

「欲しけりゃしっかり、受け止めなッ!」


 そしてジンは、あろうことか身代金が入った箱を、アリーナの客席目掛けて放り投げた。

 その一瞬、全員の視線がちゅうを向く。


「なにを……ハッ! その使用人から目を離すな!」

「もう遅ェよ」


 一拍遅いっぱくおくれて響くリーダーの男の声。しかし気付いた時には手遅れだった。

 ジンが、動き出す。


「まず一人」

「っ!?」


 真っ先に狙われたのは、扇状おうぎじょうにジンを囲う三人の中央にいた男。

 男は突然ジンが動いたことに慌てて引き金を引くが、ろくに照準しょうじゅんを合わせていない弾が命中するはずもなかった。

 あっという間に腕の中に潜り込まれ、銃を持つ手を強引に引っ張られる。

 刹那せつな


「ぐぇっ」


 体がかたむいた勢いを利用され、ジンの肘鉄ひじてつあごさった。

 一撃。中央の男は潰れたカエルのような声と共に、その場に倒れて動かなくなる。


「くっ!」

「このぉ!」


 中央の男がやられたことで、両側の男女も我に返ったのだろう。

 慌ててジンから距離を取ると、両側からはさみ込み容赦なく引き金を引いた。

 しかし、


「そりゃ悪手あくしゅだろ」

「ぐあぁッ!」

「きゃあッ!」


 同時に放たれた銃弾は吸い込まれるようにジンへ向かい、彼が一歩身を引いたことで互い違いに被弾ひだんした。

 女は肩から、男は脇腹わきばらから、それぞれ血を流してうずくる。

 二人が行動不能になったことを確認し、ジンは胸を撫で下ろす。


「おォ、両方いっぺんってのは僥倖ぎょうこうだな。で、問題は……」

「動くなッ!」


 しかし最大の難所なんしょは残っていた。

 顔を上げると同時に、男の怒号がアリーナに響く。


「流石リーダー……っぽいやつ。判断が早ェ」

「動くなよ。一歩でも動いたら、ガキの命は無い」


 男は少女を乱暴にかかえ上げると、銃口をその頭部に押し当てた。


「おいおいおい、それで誤射ごしゃったら洒落シャレになんねェぞ。いったん落ち着けよ」

「黙れッ! いいか、絶対に動くなよ……」

「動かねェよ……ったく、どうしたモンかねェ」


 人質に銃を向けられた以上、ジンに出来ることは何もない。男に言われるがまま、その場に立ち竦む。

 結局、こうなってしまえばお手上げだった。

 とはいえジンは、決して無策で特攻を仕掛けた訳ではない。

 大前提であるエイムの支援が封じられたこと、また彼女の存在が知られた時点で他に選択肢が無かったというのが実情だった。

 さァ困ったと、ジンはガシガシと頭を掻く。

 しかし一方で、


「動くな、動くなよ……」


 何も出来ないという点は、そのじつ男も同様だった。

 男は制止せいしの言葉をり返しながら、ゆっくりとその場から後ずさる。

 彼は理解していた。もし人質を死なせたら最後、目の前の使用人は一縷いちる躊躇ためらいもなく自分に襲い掛かってくるであろうことを。

 先の三人を一瞬で戦闘不能にした手際てぎわを見れば、戦ったところで結果は火を見るより明らか。撤退てったいした方が生存率は遥かに高い。

 そのためにも人質は、男にとっても決して傷付けることの出来ない存在だった。

 すなわち、


双方そうほう、手詰まり。いや、儂の方がジリひんか……」


 理解していても動けないもどかしさに、ジンはうなるように呟く。

 このまま指をくわえて静観せいかんしていれば、間違いなく逃げられる。かといって男を追いかけようものなら人質に何をするか分からない。

 思考しこうする。思案しあんする。模索もさくする。

 そして彼は、ある妙案みょうあんを思い付いた。


「おーい、よーく見とけよ!」

「っ!?」


 大声で誘拐犯の男を呼ぶジン。そしてあろうことか、いきなり衣服を脱ぎ始めた。

 途端、男は上擦うわずった声で叫ぶ。


「な、なに考えてんだお前!?」

「見ての通り、お前さんに出血大サービスだ。今なら丸腰の相手を狙い放題。こんな千載一遇せんざいいちぐうのチャンス、二度と無いぜ?」


 上裸じょうらで両腕を広げるジンは、ゆっくり男へと近付いて行く。

 彼が思い付いた策、それは自らをおとりに人質から銃口を逸らすというものだった。

 服を脱いだ理由は、動揺どうようを誘うため……ではない。武器を所持していないことを証明するためだ。そのため当然、刀も地面に置いている。

 しかしそれが、その行動そのものが不味まずかった。


「く、来るな、変態!」

「……あるェ?」


 あらゆる生き物は、理解の及ばぬ存在に恐怖を覚えるモノである。それは人も例外ではない。

 今の状況でジンがとった行動は、男にとってまさに"それ"だった。

 人質から銃口をらすどころではない。男はおびえた表情で、より強く少女に銃を押し当てた。

 その時。


「んーっ!」

「うおっ!? あ、暴れるなガキぃ!」


 身の危険を感じたのだろう。男の腕の中で、少女が抵抗するように身体をよじった。

 瞬間、少女の身体が地面に落ち、慌てた男の視界からジンが外れる。

 手元がブレたことにより、銃口は一瞬、狙いを完全に見失った。

 ジンが、その隙を見逃す筈もない。


好機チャンス、到来──!」


 ジンは、ここぞとばかりに目の色を変え、くいを打つように地面を踏み込む。そして全体重を乗せて蹴った。

 たったそれだけでジンの身体は、風をまとうがごと驚異的きょういてきな加速で男に迫った。


「くっ、この……!」


 焦る男。しかし彼も素人しろうとではない。

 再び人質に銃を向けようとして、ふと気付く。

 はたして人質を撃ったところでジンの動きが止まるのだろうか、と。

 答えは否。こんな無謀むぼう特攻とっこうを仕掛けてきたのだ、イチかバチかの賭けに出たに決まっている。なんならヤツが愚直ぐちょくに迫る今こそ返りちにする好機こうきではないのか。

 二人の距離は、現時点でおよそ三十メートル弱。構えてから撃つだけの余裕は充分にあった。


「へっ、こうあせったな」


 勝利を確信したのだろう。

 男は冷静に銃を構え、照準をジンのどうに定める。

 一撃で仕留しとめる必要はない。一発でも命中させてひるませたら、その隙に蜂の巣にすればいい。

 それだけでヤツを行動不能ないし、殺すことが出来るのだから。

 腕を伸ばす。引き金に乗せた指に力を込める。

 その時──。


「ぐあっ!?」


 突如、"男の腕"が間欠泉かんけつせんのような血飛沫ちしぶきを噴き上げた。

 思わず溢れる苦悶くもんと困惑の声。撃たれたのだと気付くのに時間は掛からなかった。

 しかし分からない。目の前で今も迫り来る男は何もしていない。

 『いったい誰が、何処どこから』。その考えが脳裏をよぎった刹那、彼はハッとした表情でアリーナの外に顔を向けた。

 そして遠目にっすらと、しかし確実に目撃する。


「──被弾ひだんを確認。ターゲットの狙撃完了」


 はるか二千メートル先。

 マンションのベランダで硝煙しょうえん棚引たなびかせ、ライフルを構える少女の姿を。


「クッソがああああああ!!!」


 絶叫と共に男の手から銃が落ちる。

 無事な手で拾おうとした時には、もう遅かった。


「歯ァ食いしばれ、人拐ひとさらい」

「ガッ──」


 低く唸るような声が、男の鼓膜を叩く。気付けば眼前がんぜんには拳が迫っていた。

 直後、顔面に激しい衝撃と痛みが走る。

 その一撃で、男はたちまち意識を失った。



※ ※ ※ ※ ※



「……ふゥ、治療完了ちりょうかんりょうっと。にしても、思ったより呆気あっけねェ幕引きだったな」


 すっかりかたむき、空には一番星が見え始める頃。

 男を倒したジンが次におこなったのは、先の戦闘で互い違いに撃ち合った男女の応急処置だった。

 武士のなさけ、ではない。人質の少女が目隠しを取った際、刺激の強い光景を見せないようにというささやかな配慮はいりょだ。

 抵抗されたり不意打ちで襲われないよう、現在は二人ともジンにめ上げられ意識を失っている。

 そうして治療を終わらせた、ちょうどその時。ズボンのポケットからスマコの呼び出し音が鳴った。


『お疲れ様、ジン。無事、依頼達成だよ』

「おゥ、お疲れさん。連中の仲間がそっちに向かったって聞いたが、大丈夫だったか?」


 相手はエイムだった。

 ねぎらいの声には疲労ひろうが滲んでいるものの、同時に作戦が完了したことへの安堵あんどたたえている。

 それは腰に手を当てて大きく伸びをするジンも同じだった。

 とはいえ、エイムが怪我をしていないか、動ける状態であるかを確認するまで気は抜けない。

 するとエイムは、まるで拍子抜ひょうしぬけするように言った。


『うん、来たよ。来たけど……意外と、なんとかなった』

「意外っていうと?」

『率直にいって、警戒していたほどじゃなかった。個人個人は荒事馴あらごとなれしている感じだったけど、チームワークが壊滅的で、むしろ戦いやすかったくらい。一人一人、順繰じゅんぐりでめて来られた方がよっぽど大変だったと思う』

「なんだそりゃ……って言いたいたころだが、こっちも似たような感想だ」

『そうなの?』


 スマコの向こうで首を傾げるエイム。

 それに応えるようにジンは続ける。


「あァ。身代金を放り投げたらそろって顔を上げたり、銃を構えてるのに挟み撃ちにしてきたりな。プロなら対象から目を離したり、ましてや銃で挟み撃ちなんて絶対しねェからよ」

『……なんだかチグハグだね。誘拐を成功させるだけの計画性と実行力はあるのに、その後の見通しが甘すぎるような……って、ちょっと待って。身代金を放り投げたって、どういうこと?』

「あ゛ー、もる話はまた後にしようぜ! 続きはアリーナこっちに来てからってことで」

『ちょっ、ジ──』

「……身代金、エイムが来る前に見つけねェとな」


 ジンが話した内容に、エイムは違和感を抱く。

 しかし、その理由を思案する時間は一瞬だった。身代金を放り投げたという、耳を疑う発言が聞こえたからだ。

 遅れてジンも自身の失言に気付き、慌ててはぐらかす。そしてなかば強引に彼女との通話を閉じた。気休めにもならない誤魔化ごまかししだが、何もしないよりはマシだろう。

 そして広い客席に目を向けると、大きな溜め息をついた。


「っと、その前に。お嬢、大丈夫かい?」


 しかし身代金を探す前にやるべきことがある。

 ジンは少女の元へ駆け寄ると、目隠しと猿轡さるぐつわ、手足の拘束を解く。

 途端、解放された少女はまぶしそうに目を細めると、不安げに顔を上げた。

 き通るようなスカイブルーの双眸そうぼうが、ジンの視線とぶつかる。


「あのぉ、あなた様は……?」

「儂はジン。旅人の……じゃなかった、便利屋アークのサムライだ。ショーガン氏の依頼で、アリアお嬢を助けに来た」

「まぁ、お父様のお知り合いでしたか」


 ジンが端的たんてきに状況を説明すると、少女──アリアはすぐに納得して笑顔を浮かべた。

 のんびりとした口調は、つい先程まで人質として捕まっていたとは思えないほど落ち着いている。

 アリアはゆっくりとした動きでその場に立ち上がると、スカートのすそまんでうやうやしく頭を下げた。


「大変ご迷惑をお掛けしました。そして助けて頂いたこと、つつしんでお礼申し上げます」

「なァに、お嬢が無事で何よりだ……それに、よく頑張ったな。男にかかえられた時、お嬢が暴れてくれなきゃ今頃どうなっていたか」

「ふふ、褒められてしまいました……ところで、その、お召し物はどうされたのです?」

「あ、いけね」


 無事に依頼を達成できた安心からか、あるいはアリアの愛嬌あいきょうるものか。会って間もないにも関わらず、二人の間になごやか空気が流れる。

 しかし忘れてはいけない。今のジンは上裸ということを。

 アリアもつとめて意識しないよう心掛けていたものの、限界だったのだろう。徐々に頬を赤らめると両手で顔を覆い隠した。

 その指摘に、ジンは服を取りに向かうため慌てて腰を上げる。

 その時、


「──おいおい、いい加減にしてくれよ」


 ジンはポツリと呟く。

 アリーナの出入り口から、すっかり耳に馴染んだ金属音が聞こえたからだ。

 それは、引き金に指が掛かる音。

 続けて、激しい銃声──。

 

「危ない、お嬢ッ!」

「え──?」


 理解と同時に、ジンの身体は動いていた。

 すぐにアリアを抱き上げると、前転の要領で前へと飛び込む。直後、それまでアリアがいた空間に一発の弾丸が通り抜けた。

 突然の事態に、アリアは目を白黒させて辺りを見回す。

 一方、ジンは確信を込めて言った。


「……ま、裏があるのは分かっていたさ。それがこんなコトとは思わなかったがな」


 銃声の主に、ジンは聞こえよがしに声を上げる。

 途端、アリーナの出入り口に立つ人影は、ゆっくりとその姿を現した。


「誤射だって弁明べんめいするなら今のうちだぜ──トラーバ」

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