1-12『スコープ越しの景色』

 廃街スラム内景ないけいは、外から見た印象いんしょうと何ら変わらなかった。

 放棄ほうきされてび付いた建物群。舗装ほそうがれてき出しになった地面。

 耳の奥がキンとするほどの静けさは、世界から人が消えたよう。

 そして、


「……なァ、エイム。今さら聞くのもアレなんだが、もしかして此処ここってメチャクチャ広いんじゃないか?」


 尋常じんじょうではない土地の広さ。

 二人が廃街に足を踏み入れてから、かれこれ一時間と少しが経過した頃。

 歩けど歩けど景色けしきに大きな変化はなく、痺れを切らしたジンはウンザリした口調で呟いた。

 その隣で、エイムが淡々と応じる。


「元々は都市開発としかいはつの計画があった土地だからね、そりゃあ広いよ。それに場所によっては複雑に入り組んだところもあるから、遭難そうなんの可能性もない訳じゃない。気を付けて」

「うへェ……しっかし遭難か。街中で、それも二日続けて死にかけるのは御免ごめんだな」

「そうだね……ところで、こんな話をしたばっかりで悪いんだけど──」


 入国してからエイムと出会うまで、ひとり路地裏でこごえていたことを思い出すジン。途端に寒気がよみがえり、無意識のうちに腕をさする。

 その様子を横目で見ていたエイムは、足を止めると言いづらそうに続けた。


「ここから先は別行動。ジンは、このまま一人でアリーナに向かってほしい」

「鬼かよ、お前さん」


 すぐさま振り返るジン。

 その表情は、まさに鳩が豆鉄砲まめでっぽうを食らったよう、と言わんばかりのものだった。

 しかし戸惑とまどいはすぐに焦りへ変わり、慌ててエイムに詰め寄る。


「遭難するかも、って話をしたばっかりだぞ? せめて目的地が見えるまでは案内してくれてもいいだろ」

脅迫状きょうはくじょうに書いてあったでしょ、『一人でアリーナまで来い』って。同行者どうこうしゃがいるとバレたら、その時点で作戦は破綻はたんする。そもそも、今こうして一緒にいるだけでもかなりのリスクなんだから、これ以上は譲歩じょうほできない」

「そりゃあそうだが……迷って到着できなかったら、それこそ本末転倒ほまつてんとうだぞ」

「大丈夫。あとは道なりに真っすぐ進むだけだから、歩き続ければ着く。がんばって」

「いや、でもなァ……」


 まるで初めてのお使いにグズる子供と、それをさとす親のような図である。

 エイムがはげます一方で、ジンは必死に言い訳を考える。

 それほどまでに路地裏で凍え死にかけた昨晩の出来事は、トラウマとして彼の中に深く刻まれていた。

 とはいえ、ここで言い争いをしてもらちが空かない。

 エイムは肩を竦めると、ジンに手を差し出す。


「マーリンからスマコ貰ったでしょ。貸して」

「? おう」


 言われるがままスマコを取り出すジン。

 エイムは、それをなかば取り上げるように受け取ると、自身も同じものを取り出して何かを入力した。

 数秒後、両者のスマコからピロンと電子音が鳴る。


「何したんだ?」

「連絡先の交換と位置情報の共有。こうすれば、離れていてもナビゲーションできる」

「おォ、なんかすげェ! ……ん? なら初めから、それを使って案内すればよかったんじゃ」


 感心するように声を上げ、直後に首を傾げるジン。

 エイムは、やれやれと首を振った。


「それだと別れた瞬間に逃げられる可能性があった。でもここまで来れば、もういいかなって」

「とことん信用ねェな、わし


 それなりの信頼関係は築けていたと思っていただけに、ジンはガックリと肩を落とす。

 その隣で、さっさと行けといわんばかりにエイムが手を払っている。

 流石にしゃくだったのだろう。ジンは強がるように言った。


「しかし、いいのかい? 旅人は道を覚えるのが得意なんだ。ここで別れたあと、すきを見て来た道を逃げ帰るかもしれないぜ?」

「逆に言えば、その道しか知らないし通れないってことでしょ。それにスマコで位置も常時把握じょうじはあくしている。これほど楽な狙撃対象は他にいない」

「儂、お前さん嫌い」


 下唇したくちびるを噛むジンは、不貞腐ふてくされるようにそっぽを向く。完敗だった。

 結局エイムを言いくるめることは叶わず、肩を落として一人アリーナへ向かっていく。

 その後ろ姿を見送るエイムは、彼の背中が完全に見えなくなるまでを確認すると、自身も移動を開始した。


 それから十分後──。


「うん、ここがペスポジだね」


 エイムがたどり着いたのは、アリーナから二千メートルほど離れた場所にある、廃街内でもっとも背の高い建築物。もとは準一等市民シルバー以上が住むことを想定して建てられ、例にれず途中で放棄されたマンションだった。高さは三十メートルほどで、十階建てのビルに相当する。

 エイムは、アリーナに面した部屋のベランダを待機場所たいきばしょに構えると、ライフルホルダーから銃を取り出し細かいパーツを組み立てる。

 作業は慣れた手付きで恙無つつがなく行われ、すぐに狙撃準備が整った。


「これでよし。ジンは……」


 スマコを確認する。

 黒い背景の画面には、自身とジンの位置を示す赤いしるしが点滅している。

 ジンの印は、ぐアリーナに向かって動いていた。

 直後にライフルのスコープを覗き、画面と相違そういがないことを確認する。


「うん、問題なし。なら次は……」


 ジンが逃亡しなかったことに胸をで下ろしつつ、今度はアリーナにスコープを向ける。


 アリーナは、都市の目玉の一つとして建造予定だったドーム型の広大な多目的競技施設たもくてききょうぎしせつだ。

 開けた内部の中央には芝が生え、その周りを囲うように陸上トラックが敷かれている。

 天井は未完成のため大きく解放されており、エイムの位置から中の様子は筒抜つつぬけだった。

 そうして得られた情報をジンに伝えるため、エイムはスマコを耳にあてる。

 しばらく呼び出し音が鳴った後、応答が入った。


『こちらジョニー。朝食は栄養バー以外を希望する。どうぞ』

「ふざけないで」

『はい』


 返ってきたのは、まるで緊張感のない戯言たわごとだった。

 スマコを無線機トランシーバーか何かと勘違いしているのだろう。その声は、どことなく浮わついている。

 とはいえ今は危険な仕事の只中ただなか語気ごきを強めてたしなめるエイムに、ジンはすぐさま真面目をつくろった。


『で、どうした。なにかあったか?』

「今からアリーナ内部の状況を手短に説明する。しっかり聴いていて」

『もうそこまで分かったのか。凄ェな』


 スマコの奥で、感心する声が響く。

 一方、エイムの声は固い。

 理由は明白だった。


「中にいるのは、誘拐犯とおぼしい四人組と拘束された女児一名。誘拐犯は全員、銃で武装してアリーナの中央に陣取っている。開けた場所だから奇襲は厳しいかも」

『そっちから狙撃できねェのか?』

「やろうと思えば。ただ、それをして連中がパニックになったら人質が危ない。やるなら人質を確保してからか、最後の一人まで数を減らす必要がある」


 そこまで説明して、エイムは思い詰めるように歯噛はがみした。

 現況を語るだけなら誰でも出来る。問題は、その後。

 今のままでは、人質救出という重要で複雑な課題の難解さが、より浮き彫りになっただけに過ぎない。

 その時、


『了解した。それだけ分かれば単純な話だ』

「……!」


 話を聞いたジンは、ことも無げにそう告げた。

 無言で目を見開くエイムに、続けて言う。


ようは、お嬢に手ェ出される前に連中を制圧すりゃいいってことだろ? なら儂が適当に話を転がして時間を作る。その間にお前さんは、お嬢に一番近いやつを行動不能にしてくれ。そしたら後は、儂がどうにかするさ』

「あのね、ジン。一対一だった路地裏や、暴走ドローンの時とは訳が違うんだよ?」


 確かに、ジンの作戦は"実行できるのならば"単純そのものだった。

 気を引いて、不意打ちを食らわせ、その隙に全員制圧。

 展開としては、この上なく理想的なものだろう。しかし作戦と呼ぶには余りに杜撰ずさんだ。


受け渡し人ジンが現れた時点で、連中は間違いなく何かしら警戒してくる。誘拐を成功させるだけの計画力がある時点で不測ふそくの事態を考慮こうりょしていないはずがないから。そんな相手のすきを突いたところで、稼げる時間なんて三秒もない。その間に制圧するなんて、現実的じゃない」


 エイムは、思い付く限りの否定の理由を並べる。

 当然だ。見通しの甘さは作戦の成否せいひに直結し、なにより生存率に大きな影響を及ぼすのだから。

 しかし、


『制圧に秒も要らねェよ。一瞬あれば充分だ』

「……!」


 直後に届く、認識違いを正す言葉。

 途端、エイムは絶句するように口をつぐんだ。

 その声が、まるで"事実"や"結果"だけを淡々と語る研究者のような、無機質めいたものの様に感じられたからだ。

 失敗に対する危惧きぐや恐れは微塵みじんもない。あるのは、絶対に成功するという確信だけ。


「……本気?」

『当然。儂だって命懸かってンだ、適当なことは言わねェよ』


 覚悟を確かめるように、エイムは改めて問う。

 対して、ジンの言葉に迷いはなかった。

 ならばもう、このに及んで尻込しりごみする理由はない。


「……分かった。時間稼ぎは任せる。狙撃前の合図は?」

『必要ねェ、こっちで合わせる。お前さんのタイミングでやってくれ』

「了解。それじゃ」

『健闘を祈る』


 直後、通話が切られる。

 エイムはスマコから耳を離すと、小さく溜め息を吐いた。

 とはいえ、気分は存外悪くない。


「どう考えてもムチャクチャな作戦なのに、何でだろうね。ジンなら大丈夫って思えちゃうのは」


 独り言を呟くエイムは、大きく伸びをするとスコープを覗き込む。

 作戦が決まったとはいえ、それまで何もせず待ち続けることはしない。

 情報は武器であり生命線だ。適宜てきぎ収集し、更新するに越したことはない。

 しかし、次の瞬間。


「────」

「!?」


 スコープに映ったのは、こちらと目を合わせる・・・・・・・・・・誘拐犯の男の姿だった。

 男は、スマコで誰かと通話しながら、一切目をらすことなくエイムを見ている。

 途端、エイムの背中にゾクリと悪寒おかんが走った。


「どうして気付かれ……ううん、今はジンに連絡を──」


 どうしてバレた、どうしてこの位置を? ……いいや、考えるのは後回しだ。

 スコープから目を離すエイムは、急いでスマコを取り出す。

 その時、


「──よー、ボス! ネズミの隠れ家に到着したぜ。掃除したら報酬アップってマジなんだよなぁ!?」

「おい、声デケェよ! 黙って忍び込めって言われただろうが!」

「お前も大概たいがいうるさいよ……あーあ、今ので俺らが来たの絶対バレちゃったよ」


 エイムと同じ階から、三人の男の声が響いた。

 こと此所ここに至って、エイムは気づく。バレたのではない、連中には初めからお見通しだったのだと。


 ──ジン、ごめん。サポートは難しいかもしれない。


 徐々に迫り来る、男たちの声と足音。

 室内でライフルは分が悪い。エイムは拳銃を抜き出すと部屋の玄関に狙いを定める。

 そしてドアノブが動いた刹那、マンションに銃声が響き渡った。



 同じ頃──。


「これまた随分ずいぶん歓迎かんげいじゃねェか」


 アリーナに到着したジンは、中に入るなり、そう口にせずにはいられなかった。

 目の前には、拳銃を構える男二人と女一人。ジンを中心に扇状おうぎじょうに囲っており、その後方でリーダー格と思わしい男が不適な笑みを浮かべている。

 状況は、"会敵かいてきゼロ秒で絶体絶命"だった。


「さーて、どうしたモンかねェ」


 ジンは一先ず両手を挙げて無抵抗の意思を示す。ただし周囲の観察は怠らない。気取けどられない程度に視線を動かし状況を確認する。

 目に入るのは広大な内部。伸びっぱなしの芝で荒れた足元に陸上レーン。開いた天井。観客席。真っ黒なモニター。

 そして──。


 ──っと、人質発見。リーダーっぽい男のすぐそばか……。やっぱエイムに任せるっきゃねェか。


 目隠しと猿轡さるぐつわをされ、両手両足を縛られている十歳前後の少女。

 背中まで伸びるふんわりした金髪は乱れ、可愛らしくも高級な生地で仕立てられた服はほこりや土で汚れている。

 今はアリーナ中央の芝に体を横たえ、小さく肩を震わせていた。

 見たところ怪我は無く、ジンはホッと息を吐く。

 その時、


「アンタがウエポン家の執事サン? いやー、待ちくたびれたよ」


 人質の無事を確認したのもつかの間、リーダー格の男がヘラヘラとした口調で声をあげた。

 そして銃を取り出すと、その砲口をジンに向けて言い放つ。


「早速だが取引きだ。一億B、耳をそろえて用意してきたんだろうな?」

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