1-11『ミッション開始』

「なァ、トラーバ。廃街スラムまで、あとどのくらいだ?」


 時刻は十六時を過ぎた頃。

 ウエポンていあとにしたジン、エイム、トラーバの三人は、再び車で廃街を目指していた。

 都心部としんぶから離れるごとに人の往来おうらいは減り、建物の数もまばらになっていく。

 それにつれて車内の緊張も高まる中、ジンはおもむろに口を開いた。

 運転席のトラーバは、時間を確認すると申し訳なさげに答える。


「およそ一時間ほど、でしょうか。場所は把握はあくしているのですが、如何いかんせん実際に訪れるのは初めてなもので……」

「結構かかるな。なら途中、腹拵はらごしらえが出来る場所に寄ってくれないか?」


 直後、ジンの腹の虫が声を上げた。

 この日の彼の食事は、朝に栄養バー一本分いっぽんぶんと、昼に食べた固いパンの二食のみ。

 旅人の食事量としては充分なものだが、成人男性としては到底足りるものではない。

 また昼食時は謎の武装ドローンとの一戦もあり、接種せっしゅしたカロリーなどすでに使い果たしていた。


うけたまわりました。コンビニなど通り掛かりましたら、軽食でも購入して参ります」

「すまねェな。代金は報酬から出させてくれ」

「いえいえ。これくらいなら経費で落とせますので、お気になさらず……と、噂をすれば」


 ジンの頼みにトラーバはこころようなずく。

 すると、ちょうど同じタイミングで道路脇どうろわきににコンビニの看板かんばんが見え始めた。

 も無く到着した一行いっこうから、トラーバが代表して車を降りる。


「では行って参ります。お二人は、このまま車内でお待ち下さい」

「あァ、頼む。それと、なるべくじっくり時間を掛けて良いものを吟味ぎんみして選んでくれ。最期の晩餐ばんさんになるかもしれねェからな」

「その冗談は笑えないよ、ジン」

「あ、あはは……善処致ぜんしょいたします」


 不謹慎極ふきんしんきわまりない軽口を叩くジンを、隣に座るエイムがジットリとした目で睨む。

 そんな二人に苦笑いを浮かべ、トラーバはそそくさと店内に入って行った。

 その姿を最後まで確認したジンは、大きく息を吐いて背凭せもたれれに背中を預ける。

 途端、エイムはしぶかしげに口を開いた。


「……それで、トラーバさんをこの場から排除はいじょした理由は?」

「排除たァ人聞きの悪い。まァ間違っちゃいねェんだが……なんでそう思った?」


 エイムの物騒ぶっそう物言ものいい。

 ジンは思わず苦笑するものの、しかし否定はしなかった。

 それどころか片目をつむり、試すように質問で返す。

 エイムの返答は早かった。


「空腹だからお店に寄るのは納得できる。でも『じっくり吟味して選んで』、なんて言うのは不自然ふしぜん。時間が限られているのはジンも理解しているでしょ? それに屋敷を出てから、トラーバさんに対するジンの眼付きが妙に鋭かった」

「よーくてンなァ……」

「見張り役だから」


 一切の言いよどみなく答えるエイム。

 途端、ジンの表情は感心を越えて呆れ顔へと変化した。

 その様子に、エイムは小さくドヤ顔を浮かべる。

 観念かんねんしたジンは肩を竦めると、ポツリポツリと説明を始めた。


「これは、着替え中にメイドさんから聞いた話なんだが」


 それは、屋敷でジンの着替えが終わった直後のこと──。



「トラーバの解雇クビは決定事項って、どういうことだ?」


 それは、長い愚痴の最後にメイが発した言葉。

 ジンは執事服に乱れはないかを鏡で確認しながら、それまで着ていた衣服を畳むメイにそう問いかける。

 するとメイは、不思議そうに首をかしげて言った。


「どういうこと、とは? そのままの意味で、ふくみを持たせたつもりはないのですが……」

「そっちの旦那サマ──ショーガン氏が便利屋に依頼する時、トラーバに言ったんだよ。『もし娘に何かあれば、お前の首がどーたらこーたら』って。結果を問わず解雇が確定してるなら、わざわざそんな忠告ちゅうこくするとは思えなくてな」


 ショーガンが便利屋に依頼する際、トラーバに見せた鬼気迫ききせま剣幕けんまく

 彼が口にした"首"という言葉を、ジンは解雇を意味するものと受け取っていた。

 しかし次にメイが放った言葉で、その認識は粉々に砕ける。


「あぁ、それは社会的しゃかいてき物理的ぶつりてきかの違いでございますね」

「へェ、物理的……物理的!?」

大袈裟おおげさと思われるでしょう。しかし以前、屋敷でこんな出来事がありまして──」


 一瞬聞き流しそうになり、間を置いて驚愕するジン。

 そんな彼の反応に理解を示しつつ、メイは語り始めた。


「二年ほど前のことです。あるメイドの不注意により、お嬢様が怪我を負ってしまうことがありました。とはいえひざりむく程度の軽傷、またメイドの故意こいでないことは明白。メイドは慌ててお嬢様に謝罪し、お嬢様も気にした様子もなく彼女を許したことで、事態は何事もなく収まるはずでした。しかし……」


 まるで懐かしむように、穏やかな口調で当時を語るメイ。

 しかし途端に表情をくもらせると、声色を暗いものへと変えた。


「偶然その場に居合いあわせていた旦那様が、それはもう恐ろしい形相ぎょうそうでメイドに詰めより叱咤しったされました。そのメイドが異動いどうとなったことを私が知ったのは、それから数日後のことです」

「……」


 突然の展開に、反応に困ったジンは黙り込むことしか出来ない。

 またメイも、トラーバはともかく主人について話すのはマズイと思ったのだろう。早々に話のまとめに入る。


「このように、ほんの些細ささいな出来事であろうと、お嬢様が関わることには非常に神経質しんけいしつであられる旦那様です。職務怠慢しょくむたいまん愛娘まなむすめを誘拐されたとあっては、トラーバの解雇はまず間違いないでしょう。ましてや救出失敗ともなれば、本当に物理的な"クビ"を実行してもおかしくありません。……いえ、間違いなく"する"でしょうね」


 最後にメイは、親指で首を切るジェスチャーをして唇を閉じる。

 ジンは、ただただ絶句するしかなかった。



「──とまァ、こんな感じの話だったか」

「……なんというか、重いね。愛が」


 話を聞き終えたエイムが、絞り出すように言う。

 その一言に込められた感情は複雑で、なかでも困惑と嫌悪が顕著けんちょに表れている。端的たんてきにいってドン引きしていた。

 その反応にジンは深く頷く。


「やっぱり思うよな。ったく、儂の親とは正反対だ」

「それは知らないけど……それで、結局なにが言いたいの?」


 辟易へきえきするエイム。しかし話を聞き終えてなお、彼女の疑問が消えることはなかった。

 疑問とは即ち、なぜトラーバをこの場から遠ざけてまで今の話をしたのかについて。

 するとジンは腕を組み、考えるように口を開いた。


「儂も上手くは説明できないんだがな。なんというか、違和感があるんだよ」

「違和感?」

「あァ。聞いた話じゃトラーバは、無責任な言動が目立つ男だったらしい。そんなやつが、どう足掻あがいても挽回不可能ばんかいふかのうなことをやらかしたのに雇い主の前に出てくるとは思えねェんだよ。誘拐が判明した時点で逃げるだろ、普通」

「普通は逃げないよ」

「他にも思うところは色々とあるんだが……あー、なんて言えばいいかなァ」

「相談するなら、ある程度はまとめてからにしてほしい」


 何が納得できないのか、それはジン自身も深くは理解していなかった。

 エイムは呆れて肩を竦めると、自分なりの解釈かいしゃくを語る。


「つまり、トラーバさんには人質救出以外にも目的があるんじゃないか、って言いたいの?」

「そう! そんな感じだ」

「……考えすぎじゃない?」

「ま、確かに現状じゃあ妄想もうそう邪推じゃすいいきを出ねェな。むしろ杞憂きゆうな方がありがてェくらいだが」

「もしそうなら、わたしは意味もなく気が重くなる話を聞かされたことになるんだけど……まぁ、意識しておくにしたことはないか」


 エイムの理解が満足いくものだったのだろう。

 ジンは飄々ひょうひょうとした口ぶりで応じると、ヒラヒラと手を振りながら両目を閉じる。

 一方エイムは呆れるように肩を竦めるものの、可能性の一端程度には意識しておくことにした。

 その時、


「大変お待たせしました。ジン様に言われた通り、じっくり吟味してまいりましたよ」

「待ってましたァ! 飯の時間だァ!」


 車のドアが開かれ、ビニール袋をかかげるトラーバの声が車内に響く。

 途端、ジンは勢いよく背凭せもたれから体を起こすと、クリスマスプレゼントを前にした子供のように歓声を上げた。


「変わり身が早い……」


 そんな彼を、エイムがジットリとした目で眺めていた。



※ ※ ※ ※ ※



 コンビニ飯で腹を満たし、再び車に揺られること一時間。

 一行はついに──。


「ここが廃街スラム……なんというか、イメージそのまんまな場所だな」


 車を降りたジンは、開口一番かいこういちばんにそう呟く。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、敷地しきちの境界に立つ背の高い鉄網柵てつもうさく

 その中央部には駅の改札のような通用口があり、千切れた鎖や木片もくへんが周囲に散乱さんらんしている。侵入防止に組まれていたバリケードの残骸ざんがいだろう。

 柵の向こうでは、古くなって錆び付いた赤茶色の建物群が顔を覗かせていた。


 ここがメビウス区北東に位置するてられた都市まち、『廃街』。

 彼らは、そのすぐ目の前に立っていた。


「ジン、準備できてる?」

「問題ねェ。いつでも行けるぜ」

「うぅ……き、緊張して参りました」


 ギターケースライフルホルダーを肩に掛けるエイムは、これといって気負う素振そぶりもなく淡々と確認を取る。

 その言葉にジンが気合い十分で応じる一方、トラーバは緊張に体を震わせていた。

 そんなトラーバを励ますように、ジンは彼の肩に平手ひらて見舞みまう。


「なァに安心しろ。お嬢は儂がしっかり連れ帰ってやるから、お前さんは大船に乗ったつもりで待ってな」

「は、ははぁ……」

「ところで──」


 ジンの激励げきれいに、肩をさするトラーバは曖昧あいまい微笑ほほえむ。痛かったのだろう。

 そんな彼の心情など知るよしもないジンだったが、不意に表情を曇らせると心配気に訊ねた。


「ずーっと気になってたんだが、肝心かんじん身代金みのしろきんはどこにあるんだ? 無いと話になんねェぞ」

「ああ、失礼しました。それならこちらに」


 身代金の一億Bビット、用意できなければ人質救出以前の問題である。

 トラーバはジンの言葉にハッとした表情を浮かべると、タキシードの内ポケットから黒い小箱を取り出した。

 小箱の形は、手首から中指の先ほどの立方体。厚みはトランプケースに近い。

 途端、ジンは怪訝けげんそうに首を傾げた。


「……なんだこれ? 一億が入ってるにしちゃうすっぺら過ぎやしねェか」

「えぇまあ。マネーカードですから」

「まねェかあど? ……あァ、これがこの国の現金ってことか」

「……」


 耳馴みみなれない単語に疑問符ぎもんふを浮かべるものの、すぐに旅人の経験から理解するジン。

 その隣でエイムが何か言いたげにしていたが、特に訂正ていせいは無かった。

 ジンは小箱を受け取ると、廃街に向き直る。


「確かに受け取った──じゃあ行くか、エイム」

「うん」


 こうして、全ての準備が完了した。

 二人は並び立つと、真っ直ぐ通用口に向かっていく。

 そして、


「さァて、ミッション開始スタートだ」


 廃街に足を踏み入れた。

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