1-10『メイドの愚痴と二面性』

 雇用こよう契約が成立したことで、張り切るジンは早速さっそく仕事に取り掛かる。

 そんな彼は今、便利屋の事務所があるテナントビルの前に立っていた。

 サボっているわけではない。ここで待機するようトラーバから伝えられているのだ。

 その指示に従い待つこと五分。

 やがて道路脇どうろわきから黒塗くろぬりの大型車がゆっくりと現れる。

 運転しているのはトラーバだった。


「お待たせしましたジン様。廃街スラムまで、こちらでご案内します。どうぞ、お乗り下さい」

「お、おゥ……」


 ビルの前に車を停めて後部座席こうぶざせきのドアを開くトラーバは、丁寧な所作しょさでジンに乗車をうながす。

 しかしジンは、どこか気後れするような返事の後、表情を強張こわばらせて二の足を踏んだ。

 理由は一つ。

 車体の先端に輝く、企業を象徴するモニュメント。ドアに取り付けられた重厚感あふれる真っ黒な装甲盤。

 用意された車が、どう見ても要人警護ようじんけいごに使われるたぐいのものであったからだ。

 旅人という、ある種の貧乏性びんぼうしょうわずらうジンにとって、その感覚は発作ほっさに近い。

 それでも立ち往生おうじょうする訳にもいかず、意を決して車に乗り込む。


「……で、どうしてお前さんも付いて来るんだ? エイム」


 そして当然のように一緒に乗り込むエイムに、たまらず声をかけた。

 怪訝けげんな目を向けるジンに、エイムは淡々と答える。

 

「社長からの指示。『雇ったからといって信頼した訳じゃない。身代金みのしろきんを持ち逃げしないよう見張っとけ』って。最悪、撃ち殺しても構わないとも言ってた」

「……冗談抜きでおっかねェな、あのジジィ。まァ確かに、そう言われても仕方ねェ立場だが」


 雇用が成立したとはいえ、所詮しょせんジンは"元"旅人。実績じっせきは元より、信用など皆無かいむいわく付き新入社員だ。

 そんな人間に高報酬の仕事を単独で任せる馬鹿は居ない。見張りが付くのは当然のことだった。

 ジンも、それを理解しているのだろう。軽い愚痴こそ呟くものの特に抗議することもなく引き下がる。

 代わりに彼の疑問は、エイムが持つ"ある物"へと移った。


「……ところで、そのギターケースは何なんだ?」


 ジンの疑問、それはエイムが肩に掛ける大型の黒いギターケースだ。

 見張りの暇潰ひまつぶしに曲でもかなでるため、なんてことはないだろう。もしそうならトンデモない楽天家らくてんかの大馬鹿者だ。

 とはいえ他に見当も付かず、ジンはあれやこれやと思考をめぐらせる。

 そんな彼に、エイムは淡々と答えた。


偽装用ぎそうようのライフルホルダーだよ。中身は狙撃用のライフル。ハダカのままだと周囲に余計な威圧感を与え兼ねないから」

「ライフルって……いつの間に用意したんだよ、ンなもん」

「事務所の壁に掛かっていた物の一つだよ。わたしの専用機はメンテナンスに出してるから、その代用」

「専用機とかあんの!?」

「そろそろ出発します。忘れ物はございませんね?」


 仕事中とは思えないほど緊張感の無い会話をするジンとエイム。そんな二人に、トラーバが荷物の確認をする。

 二人が頷くと、それを合図に車は動き出した。



※ ※ ※ ※ ※



「──なァ、エイム。廃街スラムってのは具体的にどんな場所なんだ?」


 車が発進してすぐ、窓の外を眺めていたジンがおもむろに口を開いた。

 突然声をかけられ、エイムは少し驚きながら首をかしげる。


「急にどうしたの?」

「情報収集。これから誘拐犯と対峙たいじするんだ。最悪、殺し合いも想定する必要がある。そうなった時のために戦場の特徴とくちょうを少しでも把握しておきたい」

「……ん。わかった」


 ジンは外の景色から目を離さない。窓ガラスには、緊張を滲ませる眼差しが反射する。

 受け渡し人としてひとり誘拐犯の元へおもむく以上、自分の身は自分で守らなくてはならない。荒事あらごとなど日常茶飯事にちじょうさはんじな旅人とはいえ、危険と承知の場所へ向かうには覚悟を要するのだ。

 それを察したエイムは、神妙しんみょうな表情で頷くと口を開いた。


「廃街は、昔ある企業が都市開発計画に失敗して、そのまま放棄された管理者不在の跡地あとちだよ。今は行き場のないストーンや不良のまりになっている」

「……」


 黙って耳を傾けるジン。

 エイムは続ける。


「特徴としては、とにかく空き家が多い。つまり身を潜められる場所だらけ。何時いつなんどき、どこから襲われるか分からないから、常に気を張ってないといけない」

「受け渡し場所に辿たどり着く前に、身ぐるみがされて依頼失敗なんてコトもあり得るわけか」

「それと建設途中のまま放置された建物が多いこともあって、一部はすごく崩れやすくなってる。気を付けて」

「もし戦闘になった時は、なるべく屋外の方がいいってことだな」

「そういうこと。わたしも狙撃地点で待機しているから、意識してくれると狙いやすくて助かる」

「あァ、了解し──ん?」


 エイムが語る情報は、どれもジンにとって有益ゆうえきなものだった。

 しかし『狙撃地点で待機している』という言葉を耳にした途端、彼はきょを突かれた表情でエイムへと振り返る。


「お前さん、まさか廃街の中にまで付いてくる気か?」

「当然。見張りと支援をねて途中まで同行するつもり。待機する場所は言えないけど、常に射程圏内しゃていけんないに収めているから安心してほしい」

「……それ、本当に安心していいんだよな?」

「ジンの行動次第だよ」


 頬を引きらせるジンに、エイムは淡々と答える。

 実質、『バックレたら撃つ』と言ってるようなものだ。

 その返答に、ジンは遠い目をすると再び窓の外を眺めて深い溜め息をこぼす。

 またエイムも、これ以上言うことはないのか窓の外に視線を移す。

 その時、


「……あれ?」

「どうした?」


 車が交差点の角を左に曲がった途端、エイムは疑問の声を漏らした。

 ジンが不思議そうに首を傾げる一方、エイムは前の席でハンドルを握るトラーバに訊ねる。


「トラーバさん、廃街は今の角を右に曲がった方角じゃ……」

「はい、存じております。ですが廃街へと向かう前に、まずはお二人を屋敷におまねきすべきだと思いまして」

「屋敷?」

「なんでまた」


 そろって首を傾げるエイムとジン。

 その姿をバックミラーで確認するトラーバは、精一杯せいいっぱい、言葉に気をつかいながら説明した。


「今回ジン様には、ウエポン家の執事しつじ代行として身代金の受け渡し人になって頂きます。しかし大変申し上げにくいのですが、今のジン様のおし物では……その……」

「……あァ、確かに。この格好じゃあ、到底とうていイイトコの使用人には見えねェな」


 真っ赤な着流しの着物に、腰に細く巻いた縄帯なわおび。足にはささくれ立った草履ぞうりという格好では、執事どころか浮浪者として扱われてもおかしくない。そうなれば受け渡し以前の問題だ。

 指摘されたことで、ジンも改めて自覚したのだろう。

 ともすれば、トラーバが言いたいことも理解できた。


「はい。ですのでジン様に合わせたスーツを、こちらでご用意させて頂きたいのです。時間が限られていますので、新たに仕立てることは出来ませんが……」

「そういうことなら構わねェさ。任せる」

「ご理解頂き、感謝します」


 そうして移動すること数十分。

 目的地を廃街からウエポン邸に変更した一行いっこうは、やがて屋敷に到着する。

 「車を停めてきます」と一旦その場を離れるトラーバに頷くジンとエイムが、車から降りて最初に目にしたものは──。


「屋敷というより、もはや宮殿きゅうでんだな」

「本当に上場したばかりの企業なの……?」


 敷地の端から端までを囲う、背の高い無数の鉄柵。その奥にたたずむのは、城のような建物と広大な庭。

 まるでフィクションにありがちな金持ちの家が、そのまま現実に飛び出してきたかのような光景が広がっていた。

 思わず呆然と立ち尽くし、ポカンと口を開いて固まるジンとエイム。

 二人の硬直は、トラーバが合流するまで続いた。


「お待たせしました。それでは参り……どうされました?」

「いやその、想像のずっと上を行かれて、ちょっと脳の処理が追い付かなかったというか……」

「豪華な建物ってンなら旅の途中で何度も見たが、個人の家でこの規模は初めてだ」

「それはそれは。旦那様も、さぞお喜びになられるかと思います」


 二人の正直な感想に、トラーバはニコやかに微笑ほほえむ。

 しかし"旦那様"と口にした時だけは、露骨ろこつに作り笑いを浮かべていた。

 その姿に、ジンとエイムは何も言えない。


「で、では、改めて参りましょうか」


 またトラーバも、態度に表れていたことに気付いたのだろう。誤魔化ごまかすように二人の前に立つと、先導して歩き出した。

 そうして門をくぐるる三人は、庭を抜けて屋敷の扉の前に立つ。

 両開きの扉は木製を思わせる塗装とそうほどこされているが、そのじつは最新のセキュリティを搭載とうさいした純科学製だ。

 トラーバがドアノブを握ると電子音が鳴り、すぐさまガチャンと解錠かいじょう音が響く。


「扉ひとつ開けるのに、随分と大仰おおぎょうなんだな」

「その、今は皆、神経質になっているもので、防犯意識などは特に……申し訳ありません」

「あ、いや、なんかすまん……」

「それより入らないの?」

「し、失礼しました。お二方ふたかたを、当家にご歓迎致します」


 ボソリと口にしたジンの呟きに、トラーバはペコペコと頭を下げる。

 その理由を思い出し、ジンはバツが悪そうな顔でトラーバから目を逸らす。

 ギクシャクした空気が流れ、たまらずエイムがあいだに入る始末だ。

 そうして三人は、屋敷の中に足を踏み入れる。

 しかし屋敷内の空気は、それ以上に険呑けんのんなものだった。


「……なんか、随分と刺々とげとげしい視線を感じるんだが」

「同感。でも、わたしやジンに向けられているというより……」

「えぇ、わたくしに対してのものでしょう」


 トラーバに案内され屋敷内を歩くジンとエイムは、時折ときおりすれ違う使用人から刺すような視線を感じていた。

 とはいえ、それは二人に向けられたものではない。

 すれ違いざま会釈えしゃくする使用人が顔を上げたとき、その視線はつねにトラーバをめ付けていたからだ。

 理由は、今さら説明するまでもない。


「こういう扱いをの当たりにすると、やっぱりよっぽどのやらかしなんだな」

「……」


 責めるでもなく、ただ思ったことを率直に口にするジン。

 前を行くトラーバは、もはや何も言わない。

 そうして歩き続ける三人は、やがて廊下の奥の部屋に到着する。

 部屋の前には、給仕服きゅうじふくを着た若い女が佇んでいた。

 トラーバは、女を手で示し紹介する。


「お待たせしました。こちらが、当家の使用人が着用しているスーツ等が仕舞われた部屋になります。サイズのチェックやすその合わせは、この者をお使い下さい」

「ご紹介に預かりました。わたくし、当家のメイドをつとめさせて頂いております、メイと申します。では、早速さっそくですがこちらへ」

「うおっ!?」

「あ、こら! お客人になんという態度を──」


 給仕服姿の女──メイは、トラーバの紹介に淡々と応じつつも、客人である二人には丁寧ていねい所作しょさ一礼いちれいする。

 しかし、そんなうやうやしい態度も一瞬のこと。

 メイは頭を上げるとジンの腕を掴み、有無うむを言わぬ勢いで部屋へと引き入れた。

 一拍いっぱく遅れて叱咤しったするトラーバの声が上がるが、無情にも閉じた戸にさえぎられる。

 思わず目を丸くするジンにメイが理由を説明したのは、執事服が詰まったクローゼットを開けた時だった。


「ぞんざいな扱いをしてしまったこと、大変申し訳ございません。しかし、これには理由がありまして……」

「あァ、時間がェもんな。一分一秒も惜しいってやつだろ?」


 服を見繕みつくろうメイは、心底申し訳なさげな声で言う。

 その態度に、察せられるものがあったのだろう。ジンは気にせずヒラヒラと手を振りながら頷く。

 彼女があわただしかった理由は明白。お嬢様救出のために少しでも早く着付けを済ませたいのだろう。


「ご理解頂き恐悦至極きょうえつしごくの限りです。トラーバあの男の顔を、一秒でも早く視界から外したかったものですから」

「思ってた理由と大分だいぶ違ったわ」


 ジンの丈に合う服を選別しながら、感謝を述べるメイ。

 一方ジンは、盛大な肩透かたすかしを食らい思わず口を開いた。

 トラーバが他の使用人からこころよく思われていないのは途中ですれ違う者たちの態度から察してはいた。

 とはいえ、まさかここまでとは思ってもいなかったのだ。


「トラーバのやつ、想像の何十倍も目のかたきにされてるじゃねェか。確かにデカイやらかしだが、ここまで邪険じゃけんにされるモンかねェ」

「いいえ、理由は今回の件に限りません。原因は、彼の普段の素行そこうにありますので」

「普段の素行?」

「ええ」


 ジンは、ふとメイの口から零れた言葉を繰り返す。

 するとメイは頷き、クローゼットから取り出した服をジンに合わせながら、溜まっていた不満を吐露とろするように語り始めた。


「お嬢様のボディガードという役割を任されている通り、あの男は旦那様からの厚い信頼をになっていました。しかし彼はそれを鼻に掛け、旦那様の目がない時は常日頃つねひごろから使用人をいじめ倒し、また威張いばらしておりました。セクハラやパワハラなど、無い日がございません」

「お、おゥ……」

「おまけに自分の仕事は、とことん手を抜く始末。お嬢様から目を離してスマコをいじっている姿など、それこそ何度目撃したことか。典型的てんけいてきな、他人に厳しく自分に甘いクソ野郎なのです。今回の件は、その悪行あくぎょうむくいが来た結果なのでしょう。おかげで旦那様からの評価も急転直下きゅうてんちょっか。まさに天罰ですね。お嬢様には悪いですが、ザマァありません」

「ぶっちゃけるなァ」


 ジンの着付けをしている間も、メイの愚痴ぐちはギアを上げていく。

 適当に耳をかたむけていたジンは、なかば引いていた。

 それに気づいたメイは、わざとらしく口許くちもとを手で隠す。


「おっと、お聞き苦しい話を大変失礼致しました。ですが同時に、大変スッキリ致しました」

「いい性格してるなァ、お前さん……」


 取り繕うように謝罪するものの、そこに自重じちょうした様子は一切ない。全力で思いのたけを吐き出したのだろう。

 発散はっさんできて満足とばかりに、彼女の表情は満足げなものだった。

 一方、服にそでを通したジンは、どこかあきれるように肩を竦める。

 そしてこまやかな衣服のみだれを整えるメイに訊ねた。


「にしても、愚痴とはいえ部外者に話していい内容なのか? いや、別にチクる気とか無ェんだけどさ。何かの間違いでトラーバの耳に入ったら、後々マズいことにならないか?」

「お気遣きづかいたります。ですが、それには及びません。なぜなら──」


 メイは、かけ違えたジンのボタンを直しながら言う。


「お嬢様救出の成否せいひに関わらず、あの男の解雇クビは決定事項ですので」



 ※ ※ ※ ※ ※



「──さて。それでは廃街に向かいましょう!」


 着替えを終えたジンが部屋から出ると、トラーバが開口一番に声を上げた。

 味方がいない彼にとって、この待ち時間は針のむしろにいるような気分だったのだろう。

 その声は、仕事明けの一杯のように溌剌はつらつとしていた。

 一方、トラーバを見るジンの目線は、どこか冷たい。

 そんなジンに、エイムは首を傾げた。


「ジン、なにかあった?」

「……人の二面性について、新たな学びを得ただけだ」

「?」


 余計に深く首を傾げるエイム。

 一方ジンは、分からなくていいとヒラヒラ手を振る。

 ともあれ、準備が整ったことに変わりはない。

 屋敷を出た三人は、改めて廃街に向けて進み出した。

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