1-10『メイドの愚痴と二面性』
そんな彼は今、便利屋の事務所があるテナントビルの前に立っていた。
サボっているわけではない。ここで待機するようトラーバから伝えられているのだ。
その指示に従い待つこと五分。
やがて
運転しているのはトラーバだった。
「お待たせしましたジン様。
「お、おゥ……」
ビルの前に車を停めて
しかしジンは、どこか気後れするような返事の後、表情を
理由は一つ。
車体の先端に輝く、企業を象徴するモニュメント。ドアに取り付けられた重厚感あふれる真っ黒な装甲盤。
用意された車が、どう見ても
旅人という、ある種の
それでも立ち
「……で、どうしてお前さんも付いて来るんだ? エイム」
そして当然のように一緒に乗り込むエイムに、
「社長からの指示。『雇ったからといって信頼した訳じゃない。
「……冗談抜きでおっかねェな、あのジジィ。まァ確かに、そう言われても仕方ねェ立場だが」
雇用が成立したとはいえ、
そんな人間に高報酬の仕事を単独で任せる馬鹿は居ない。見張りが付くのは当然のことだった。
ジンも、それを理解しているのだろう。軽い愚痴こそ呟くものの特に抗議することもなく引き下がる。
代わりに彼の疑問は、エイムが持つ"ある物"へと移った。
「……ところで、そのギターケースは何なんだ?」
ジンの疑問、それはエイムが肩に掛ける大型の黒いギターケースだ。
見張りの
とはいえ他に見当も付かず、ジンはあれやこれやと思考を
そんな彼に、エイムは淡々と答えた。
「
「ライフルって……いつの間に用意したんだよ、ンなもん」
「事務所の壁に掛かっていた物の一つだよ。わたしの専用機はメンテナンスに出してるから、その代用」
「専用機とかあんの!?」
「そろそろ出発します。忘れ物はございませんね?」
仕事中とは思えないほど緊張感の無い会話をするジンとエイム。そんな二人に、トラーバが荷物の確認をする。
二人が頷くと、それを合図に車は動き出した。
※ ※ ※ ※ ※
「──なァ、エイム。
車が発進してすぐ、窓の外を眺めていたジンが
突然声をかけられ、エイムは少し驚きながら首を
「急にどうしたの?」
「情報収集。これから誘拐犯と
「……ん。わかった」
ジンは外の景色から目を離さない。窓ガラスには、緊張を滲ませる眼差しが反射する。
受け渡し人として
それを察したエイムは、
「廃街は、昔ある企業が都市開発計画に失敗して、そのまま放棄された管理者不在の
「……」
黙って耳を傾けるジン。
エイムは続ける。
「特徴としては、とにかく空き家が多い。つまり身を潜められる場所だらけ。
「受け渡し場所に
「それと建設途中のまま放置された建物が多いこともあって、一部は
「もし戦闘になった時は、なるべく屋外の方がいいってことだな」
「そういうこと。わたしも狙撃地点で待機しているから、意識してくれると狙いやすくて助かる」
「あァ、了解し──ん?」
エイムが語る情報は、どれもジンにとって
しかし『狙撃地点で待機している』という言葉を耳にした途端、彼は
「お前さん、まさか廃街の中にまで付いてくる気か?」
「当然。見張りと支援を
「……それ、本当に安心していいんだよな?」
「ジンの行動次第だよ」
頬を引き
実質、『バックレたら撃つ』と言ってるようなものだ。
その返答に、ジンは遠い目をすると再び窓の外を眺めて深い溜め息をこぼす。
またエイムも、これ以上言うことはないのか窓の外に視線を移す。
その時、
「……あれ?」
「どうした?」
車が交差点の角を左に曲がった途端、エイムは疑問の声を漏らした。
ジンが不思議そうに首を傾げる一方、エイムは前の席でハンドルを握るトラーバに訊ねる。
「トラーバさん、廃街は今の角を右に曲がった方角じゃ……」
「はい、存じております。ですが廃街へと向かう前に、まずはお二人を屋敷にお
「屋敷?」
「なんでまた」
その姿をバックミラーで確認するトラーバは、
「今回ジン様には、ウエポン家の
「……あァ、確かに。この格好じゃあ、
真っ赤な着流しの着物に、腰に細く巻いた
指摘されたことで、ジンも改めて自覚したのだろう。
ともすれば、トラーバが言いたいことも理解できた。
「はい。ですのでジン様に合わせたスーツを、こちらでご用意させて頂きたいのです。時間が限られていますので、新たに仕立てることは出来ませんが……」
「そういうことなら構わねェさ。任せる」
「ご理解頂き、感謝します」
そうして移動すること数十分。
目的地を廃街からウエポン邸に変更した
「車を停めてきます」と一旦その場を離れるトラーバに頷くジンとエイムが、車から降りて最初に目にしたものは──。
「屋敷というより、もはや
「本当に上場したばかりの企業なの……?」
敷地の端から端までを囲う、背の高い無数の鉄柵。その奥に
まるでフィクションにありがちな金持ちの家が、そのまま現実に飛び出してきたかのような光景が広がっていた。
思わず呆然と立ち尽くし、ポカンと口を開いて固まるジンとエイム。
二人の硬直は、トラーバが合流するまで続いた。
「お待たせしました。それでは参り……どうされました?」
「いやその、想像のずっと上を行かれて、ちょっと脳の処理が追い付かなかったというか……」
「豪華な建物ってンなら旅の途中で何度も見たが、個人の家でこの規模は初めてだ」
「それはそれは。旦那様も、さぞお喜びになられるかと思います」
二人の正直な感想に、トラーバはニコやかに
しかし"旦那様"と口にした時だけは、
その姿に、ジンとエイムは何も言えない。
「で、では、改めて参りましょうか」
またトラーバも、態度に表れていたことに気付いたのだろう。
そうして門を
両開きの扉は木製を思わせる
トラーバがドアノブを握ると電子音が鳴り、すぐさまガチャンと
「扉ひとつ開けるのに、随分と
「その、今は皆、神経質になっているもので、防犯意識などは特に……申し訳ありません」
「あ、いや、なんかすまん……」
「それより入らないの?」
「し、失礼しました。お
ボソリと口にしたジンの呟きに、トラーバはペコペコと頭を下げる。
その理由を思い出し、ジンはバツが悪そうな顔でトラーバから目を逸らす。
ギクシャクした空気が流れ、
そうして三人は、屋敷の中に足を踏み入れる。
しかし屋敷内の空気は、それ以上に
「……なんか、随分と
「同感。でも、わたしやジンに向けられているというより……」
「えぇ、
トラーバに案内され屋敷内を歩くジンとエイムは、
とはいえ、それは二人に向けられたものではない。
すれ違い
理由は、今さら説明するまでもない。
「こういう扱いを
「……」
責めるでもなく、ただ思ったことを率直に口にするジン。
前を行くトラーバは、もはや何も言わない。
そうして歩き続ける三人は、やがて廊下の奥の部屋に到着する。
部屋の前には、
トラーバは、女を手で示し紹介する。
「お待たせしました。こちらが、当家の使用人が着用しているスーツ等が仕舞われた部屋になります。サイズのチェックや
「ご紹介に預かりました。
「うおっ!?」
「あ、こら! お客人になんという態度を──」
給仕服姿の女──メイは、トラーバの紹介に淡々と応じつつも、客人である二人には
しかし、そんな
メイは頭を上げるとジンの腕を掴み、
思わず目を丸くするジンにメイが理由を説明したのは、執事服が詰まったクローゼットを開けた時だった。
「ぞんざいな扱いをしてしまったこと、大変申し訳ございません。しかし、これには理由がありまして……」
「あァ、時間が
服を
その態度に、察せられるものがあったのだろう。ジンは気にせずヒラヒラと手を振りながら頷く。
彼女が
「ご理解頂き
「思ってた理由と
ジンの丈に合う服を選別しながら、感謝を述べるメイ。
一方ジンは、盛大な
トラーバが他の使用人から
とはいえ、まさかここまでとは思ってもいなかったのだ。
「トラーバのやつ、想像の何十倍も目の
「いいえ、理由は今回の件に限りません。原因は、彼の普段の
「普段の素行?」
「ええ」
ジンは、ふとメイの口から零れた言葉を繰り返す。
するとメイは頷き、クローゼットから取り出した服をジンに合わせながら、溜まっていた不満を
「お嬢様のボディガードという役割を任されている通り、あの男は旦那様からの厚い信頼を
「お、おゥ……」
「おまけに自分の仕事は、とことん手を抜く始末。お嬢様から目を離してスマコを
「ぶっちゃけるなァ」
ジンの着付けをしている間も、メイの
適当に耳を
それに気づいたメイは、わざとらしく
「おっと、お聞き苦しい話を大変失礼致しました。ですが同時に、大変スッキリ致しました」
「いい性格してるなァ、お前さん……」
取り繕うように謝罪するものの、そこに
一方、服に
そして
「にしても、愚痴とはいえ部外者に話していい内容なのか? いや、別にチクる気とか無ェんだけどさ。何かの間違いでトラーバの耳に入ったら、後々マズいことにならないか?」
「お
メイは、かけ違えたジンのボタンを直しながら言う。
「お嬢様救出の
※ ※ ※ ※ ※
「──さて。それでは廃街に向かいましょう!」
着替えを終えたジンが部屋から出ると、トラーバが開口一番に声を上げた。
味方がいない彼にとって、この待ち時間は針の
その声は、仕事明けの一杯のように
一方、トラーバを見るジンの目線は、どこか冷たい。
そんなジンに、エイムは首を傾げた。
「ジン、なにかあった?」
「……人の二面性について、新たな学びを得ただけだ」
「?」
余計に深く首を傾げるエイム。
一方ジンは、分からなくていいとヒラヒラ手を振る。
ともあれ、準備が整ったことに変わりはない。
屋敷を出た三人は、改めて廃街に向けて進み出した。
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