1-2『サムライを名乗る男』

 突如とつじょ、暗闇から向けられた銃口。常人じょうじんであれば、次の瞬間パニックを起こしてもおかしくない状況だ。

 しかしジンは、面を食らった表情を浮かべつつも、騒ぐことなく銃口を睨み返していた。

 対する影は、ジンの態度など気に止めず一歩また一歩と距離を詰めていく。

 するとたちまち、巨大な人影の正体があらわになった。


「もう一度言う、そのガキをこちらに引き渡せ。おとなしく従うなら、通りすがりの一般人として見逃してやる」

「っ……」


 姿を表したのは、黒い背広のスーツを着込んだサングラスの大男。

 背丈はジンより頭一つ分ほど高く、髪はない。闇に溶け込む格好の中、頭部だけが明確な丸い輪郭を浮かべている。

 躊躇ちゅうちょなく人に拳銃を向ける姿、開口一番に少女の引渡しを要求したりと、とても堅気カタギとは思えない男の出現に、ジンは思わず言葉を詰まらせた。

 そして数秒黙り込んだのちうれいのこもった声で呟く。


「……あァ、要するに面倒事に巻き込まれちまったのね、わし

「状況を理解したようだな、だが安心しろ。一々"口止め"するのも手間だ、何も知らない今なら見逃してやる。……本当に何も知らないなら、な」

「……」


 肯定する男の言葉に、ジンは無言で頭を抱える。

 対する男は、これよがしに引きがねに指を掛け、おどすようにそう言った。

 時折ときおり、銃口を路地裏の出口に向けるのは、回れ右してこの場を去るよう忠告しているつもりなのか。

 無関係の人間を巻き込まないという男なりの流儀なのか、はたまた"口止め"の手間を惜しんでのことか。

 邪魔をするなら撃ち殺す、逃げるなら見逃す。それがジンに与えられた、突飛とっぴで単純な二択。

 であれば、この場でジンが取るべき行動は一つだった。


「そりゃまた、ご寛大かんだいな対応ありがてェ限りだよ。なら遠慮なく、お言葉に甘えさせてもらうさ」


 ジンは風呂敷包みを拾い上げると、迷いのなく銃口に背を向ける。

 彼が下した判断は、男に言われるがまま大人しくこの場を立ち去ることだった。

 それが、"少女を見捨てることと同義である"と理解した上で、だ。


「悪いな嬢ちゃん。どうにかしてやりてェところなンだが、旅人は無益むえき厄介事やっかいごとに首を突っ込まねェものなんだ」

「……」


 去り際に、ポツリとジンが呟く。少女は何も答えない。

 人によっては、彼の判断に怒りを覚える者もいるだろう。あるいは臆病者とののしり、今すぐ少女を助けるよう声を上げる者がいるかもしれない。

 だが果たして、見ず知らずの少女たにんのために命を懸けられる者がどれだけ存在るだろう。おまけに事情は一切不明で、ともすれば男にそうするだけの理由があるのかもしれない。

 故にジンが取るべき選択は"もっとも無難ぶなんな安定択"であり、厄介事に出娑張でしゃばることではないのだ。

 しかし──。


「……あ?」


 少女の横を通り抜けようとした次の瞬間、ジンは弱々しい力で右足首を掴まれた。

 視線を下げれば、先程までうずくまっていた少女が必死に腕を伸ばしている。

 差し迫った危機を前に怯えているのか、もしくは道連れにするつもりなのか。どちらにせよ、ジンは少女の行動に眉をしかめる。

 しかし顔を上げた少女の口は、思いもよらない言葉を発した。


「いますぐ、伏せて」

「──!」


 それは、助けを懇願こんがんする言葉でも、ましてや道連れを求める呪詛じゅそでもない。耳元で囁くような"忠告"だった。

 脇腹の痛みが影響しているのだろう。荒い息遣いも相まって、その声量はひどく小さい。

 しかしジンは一秒にも満たない逡巡しゅんじゅんのち、少女が伝えんとする意図を察し──。


「バカめ、死ね」


 直後、彼の背後からそんな声がした。同時に、チャキリと引き金のこすれる音が鳴る。

 次の瞬間、パシュンッ──くぐもった破裂音が路地裏に響いた。

 火花がまたたき、硝煙しょうえんと火薬の匂いが銃口から棚引たなびく。

 それは、この場から立ち去ろうとしたジンの後頭部目掛け、あろうことか容赦なく弾丸が放たれたことを意味していた。

 やがて秒と経たず、路地裏には一つの死体が転がることになるだろう。

 しかし──。


「……。……何が起きた?」


 路地裏に響いたのは、肉を貫く音でもなければ血飛沫ちしぶきが撒き散らされる音でもない。キンッと響く、甲高い金属音だった。

 直後、男はサングラスの奥で大きく目を見開く。

 狙いを外す距離ではない、ジンが避けた訳でもない。

 だのに男が放った弾丸は、まるでジンを避けるかのように彼の"両脇"を通り抜けていったのだ。


「……ま、バカ正直に見逃して貰えるとは、ハナから思ってなかったがな」

「っ!」


 ジンは立ちすくむ男の疑問には答えず、前を向いたまま静かに口を開く。

 その声色は諦観ていかんに溢れながらも、同時に苛立つ肉食獣のような重圧プレッシャーにじんでいた。

 途端、男はビクリを肩を震わせ再びジンに銃口を向ける。

 だが、その腕が微かに震えていることに男自身も気付いていない。


「な、何をした」

「なァに、大したコトじゃねェ。ちょいと"コレ"で弾丸たまはじいただけさ」


 困惑する男に、ジンはヒョイと右手を持ち上げる。

 その手には、研ぎ澄まされたくろがねを鈍く光らせる刃物──かたなが握られていた。


「っ!? い、いつの間にそんなものを……。いいや、それ以前に、そんなものでどうやって……」


 男は納得できないと言わんばかりに声を震わせる。

 当然だ。男が引き金を引く寸前まで、確かにジンの手は何も握ってなどいなかったのだから。加えてそんなもので銃弾を弾いたなど、普通は考えにも及ばないだろう。

 もっとも、男の納得などジンには関係ない。


「信じられねェなら信じなくていい。こっちはテメェの感想なンて興味無ェからな。それよりも、だ。大人しく去るなら見逃すって言葉を反故ほごにした以上──」


 そこで一旦言葉を区切り、ジンはゆっくりと振り返る。

 そして、言った。


「──"抵抗"されても、文句は言えねェよな?」

「ッ! し、死ねぇッ!」


 再び路地裏に、くぐもった破裂音が響き渡る。それも一度ではない。

 音は三度、間髪入れずに放たれた。

 しかし、


「無駄だ」

「あ、ありえない! 何が、どうなって……!」


 三つの破裂音の後に響く、同じ数の金属音。結果は最初の一発と変わらなかった。

 相違そういする点があるとすれば、背を向けていたジンが男と向かい合い、目にも留まらぬ速さで刀を振り回した後だった、ということぐらいだろう。

 男は改めてジンの刀捌かたなさばきを目撃し、明らかな動揺の声を上げる。

 そんな男目掛けて一歩、ジンは右足を深く踏み込んだ。


「覚悟、決めろよ」

「ひぃっ!?」


 ジンは刀を鞘に納めると、左足を引いて低く腰を落とす。左手を刀の鯉口に添え、右手で柄を握った構えは抜刀術ばっとうじゅつと呼ばれるものだ。

 ジンは男のたじろぐ声を合図に強く地面を踏み蹴ると、またたに間合いを詰める。

 徐々に刀身を覗かせる刃が、月明かりで鈍く光った。


「フ──ッ!」


 ボクサーが拳を放つように、ジンは短く息を吐いて刃を横薙よこなぎに振るう。

 水平より若干斜め上を狙った、ちょうど男の眼球に届く一振りだ。


「うおっ!? クソッ、死にやが──っ」


 だが男もるような動きで首を引き、鼻先寸前はなさきすんぜんかろうじて刃をわしきる。

 一転、刀を振り抜いたジンに大きな隙が生まれた。

 その隙を、男は見逃さない。

 決死の表情で歯を食い縛り、ジンのひたい目掛けて銃口を突き立てようとする。

 だが、


「──は?」


 再び銃を構え直そうとした時、男は思わず頓狂とんきょうな声を上げた。

 気付かぬに、自身の手から銃が──いな、"銃を握っていた右手そのもの"が消えていたのだ。


「はっ? えっ、何で──」


 理解が追い付かない。しかし、ふと頭上で何かが月光を遮ったことに気付く。思わず反射的に空を見上げ、男はようやく事態を把握した。

 銃を握る誰かの右手が、月に照らされ宙を舞っていたのだ。

 それを理解した直後。


「ッッッがああああああああああああああああああああああ!?!?!?」


 路地裏に、喉が裂けんばかりのつんざくような絶叫が響き渡った。

 男は左手で右手首を握り締めると膝をつき、大量の汗と涙を浮かべてうずくまる。けれど切断面からは溢れ出る血は、間欠泉の如く留まることを知らない。

 その間にも右手は、グシャリと音を立てて少女の傍らに落下していた。


「い、痛い、痛い痛い痛いいいい!! なんでなんでなんで、嘘だ嘘だありえないありえないありえないありえな──」

「……ったく。自分で言った通り見逃してりゃ、こうはならなかったろうに」


 男は、うわ言のように同じ言葉を繰り返す。

 経験したことのない痛みと、身体の一部を失った喪失感。それらに耐えることができず、これが夢であってくれとすがるように。

 そんな男を見下ろすジンは、ぽつりぽつりと言葉を続ける。


「こっちはのない旅人でね。当然、自分の身は自分で守らなくちゃならねェンだ。そこに命をおびやかすやからが手ェ出してきた以上、どうすべきかなンて分かり切ってンだろ?」


 ジンは一旦言葉を区切ると、男の横顔を覗くようにかがみ込む。

 そして心臓を凍らせるような、冷たい声でささやいた。


殺さやられる前に、殺すやるってこった」

「ひっ、ひいいいいいいいいいいい!?」


 トドメとばかりに鯉口こいくちを鳴らす。

 途端、男は悲鳴を上げると仰け反るように立ち上がり、慌てて路地裏の奥へと駆け出した。

 恐怖と痛みで覚束おぼつかない体を、何度も壁にぶつけながら。

 やがて、


「………………ふぅ、行ったな。一先ひとまなんは去ったぜ、嬢ちゃん」

「……ぁ」


 後に残されたのは、肩をすくめて息を吐くジンと、そんな彼を呆然と見上げる少女だけだった。



※ ※ ※ ※ ※



「ちょいとみるしにおいもキツいが、効き目は本物だ。我慢してくれ」

「……っ」


 ジンは男を退しりぞけた後、何事も無かったかのように少女の怪我の手当てを開始していた。

 彼が手にしているのは、濃緑こみどり色のクリームが入った茶色の小瓶。風呂敷包みから取り出した、彼の数少ない私物だ。

 コルクで封をされており、引き抜くとキュポンと小気味の良い音が鳴る。するとたちまち、り潰された植物の独特な香りが路地裏に広がった。

 その匂いに少女が眉をしかめる一方、ジンは気にすることなく指でクリームをすくい取る。


「幸い……と言っていいかは分からねェが、傷が深いのは脇腹だけだ。それも、ちゃンと手当てすりゃ命に別状はェ。傷の数からすりゃ奇跡みてェなもんだな」

「……ねえ、あなたは何者?」


 怪我の状態を確認しつつ、ジンは少女の傷口にクリームを塗り込んでいく。また少女も危機を脱したことで落ち着いたのか、荷物から離れジンに傷の手当てを任せていた。

 とはいえ、完全にジンを信頼した訳ではない。

 敵愾心てきがいしんこそ感じないものの、相手は刃物一つで銃を持つ男を圧倒した人物。用心に越したことはない。

 そう身構える少女の問い掛けに、ジンは淡々と答えた。


わしかい? 儂はジン。旅人の"サムライ"だ」

「ジン……旅人…………サムライ?」


 サムライ、それは少女にとって聞き馴染みのない言葉だった。

 パチパチとまばたきをしたあと、その意味を問うように言葉を繰り返す。

 途端ジンは瞳を輝かせると、お気に入りのオモチャを自慢する子供のように得意気な表情で言った。


「儂の故郷で"剣士"を意味する古い呼び名だ──かっこいいだろ?」

「……他には?」

「えっ、他……? 別の意味ってンなら、特にないが」

「そう……そうなんだ」

「反応薄ゥ……そういうお前さんは?」


 サムライという不明な単語に身構えたものの、響きがかっこいいだけで大した意味はないと知り、少女は安心したように肩の力を抜く。彼が少々腕の立つだけの、ありふれた旅人であると分かったからだ。

 そんな少女の反応に怪訝けげんそうな目を向けながら、ジンは名前を訊ねる。

 少女は頷くと、名乗った。


「わたしはエイム。この国の住民。助けてくれてありがとう、ジン。それと、さっきは手をはたいてごめん」

「なァに、気にすンな。それより、いったい何だってこんな状況に?」


 少女──エイムの礼と謝罪に、ジンは一先ひとまず快活な笑みで応える。

 けれどすぐに表情を引き締めると、先ほどの状況に対する説明を求めた。

 エイムは、チラリと路地裏の奥を見て頷く。


「助けてもらった以上、説明義務は果たすよ。でも、その前に──」


 そう言った直後、エイムの腕がおもむろにジンの額目掛けて持ち上がった。

 その手には、先ほどの大男が(右手ごと)落とした拳銃が握られている。


「うおっ──」


 それは、あまりに自然な動作だった。

 悪意も、敵意も、殺意もない。疑問すら感じさせない流れるような動き。

 だからだろう。先ほど銃弾を弾いた動きが嘘のように、ジンの反応が僅かに遅れた。

 そして無情にも、彼が回避行動を取るより早く引き金が引かれる。

 瞬間、路地裏に響く破裂音。

 そして、


「ぐわぁッ!?」


 若い男の悲鳴が、路地裏の奥・・・・・から木霊した。

 その声は、ジンのものでも無ければ大男のものでもない。

 振り返るジン。

 そんな彼に、エイムは淡々と言った。


「わたしを追いかけていたのは、さっきの大男だけじゃない。他に小柄な男もいた。そっちは、たった今肩を撃ち抜いたから、もう襲ってくることはないと思う」

「そ、そうか……」


 エイムの言葉通り、呻き声と共に足音が遠ざかっていく。

 その音に耳を澄ますジンは、背筋に冷たいモノを感じていた。

 他の男に背後を取られていたことに、ではない。少女の放った弾丸が、寸分違わず男の肩を撃ち抜いた事実に、である。


「……暗闇に隠れた人の肩を、寝っ転がったまま撃ち抜くか。それも、人越しに。……お前さん、とンでもねェ腕前してやがンな」

「こんなの全然大したことじゃないよ。それよりナイフで銃弾を弾いたの、どうやったの?」


 引きつった笑みを浮かべるジンに、エイムは誇ることもなければ自慢気に振る舞うこともせず、さも当然のように答える。

 むしろ「そんなことより」とでも言いたげに、ジンの刀に深い興味を示していた。


「ナイフじゃなくかたなってンだが……まあいい。気になることがあるなら何だって答えてやる。だがその前に、儂からも折り入って頼みがある」

「っ……」


 「頼みがある」、その言葉にエイムの表情が固まった。

 今の彼女は怪我でまともに動くことが出来ない。即ちジンの頼みを拒否したら最後、何をされても抵抗できないということ。

 果たして、旅人が自分に何を要求するつもりなのか。エイムの表情に怯えが浮かぶ。

 一方ジンは、緊張感の欠片もない表情を浮かべると、がくがくと体を震わせて言った。


「一晩だけでいい。タダで泊まれる宿を紹介しちゃくれねェか?」


 直後、大きなクシャミが路地裏に木霊した。

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