1-3『違和感の朝』

 "睡眠"。それは食い扶持ぶちの確保と並び、旅人が活動する上で特に重要視する行為の一つだ。

 様々な土地を渡り歩く旅人には、必要最低限の生活を送れるような後ろだてなど存在しない。同様に、保証された安全も。

 賊に襲われようと、あるいは病をわずらい行き倒れようとも全ては自己責任。ゆえに旅人は規則正しい生活を送り、の出と共に活動を始め、陽の入りと共に瞼を閉じることを常としている。

 習慣的な就寝と起床は、健康は勿論、夜間に外敵と遭遇するリスクを抑えるためだ。

 そして、それは"彼"も十分に心掛けている──はずだった。



「んァ……?」


 き通るような朝の風が、ジンのほほを優しくでる。

 くすぐられるようなむずかゆさに思わずまぶたを開けば、燦々さんさんと降り注ぐ真っ白な陽光がまたたに視界を埋め尽くした。


「まぶしっ……って、ありゃ?」


 瞬間、くしゃりと顔を歪めて瞼を閉じる。それは人間なら誰もが自然と行う反応であり、彼が行うことにも不思議はない。

 しかし思わず上げた声には、明らかな困惑がにじんでいた。

 降り注ぐ陽光に照らされる中、ジンは横になったまま首を持ち上げると、薄く瞼を開いて自身の体の状態を確認する。

 そして次の瞬間、


「な、なんじゃこりゃあ!?」


 思わず、そんな悲鳴をあげた。

 理由は一目瞭然。彼の首から下はミイラのように白いシーツで包まれ、さらにその上から細いロープで全身を縛られていたからだ。

 ジンは片腕だけでも動かせないかと試みるものの、芋虫のように体をくねらせるのが精一杯。起き上がることすら儘ならない。

 寝起きの脳では──否、たとえ平時であろうと理解困難な状況に、彼の額で汗が滲んだ。

 と、その時。


「あ、起きた……おはようジン、いい朝だね」


 ジンの足元から、ふとそんな声がした。その口調は淡々としていて、節々ふしぶしにわざとらしい白々しさが見え隠れしている。

 瞬間ジンは、声の主が自身をこのような姿にした犯人だとすぐに気が付いた。

 尚も降り注ぐ日差しを顔面に浴びる中、声の元へ視線を向ける。

 そこには、


「お前さんは確か、エイム……だっけか?」

「うん……意識も記憶も問題無さそうだね」


 昨晩、路地裏でジンが出会った少女──エイムの姿があった。

 服装は昨晩とあまり変わっておらず、差異はジャケットと網タイツの有無程度しかない。

 エイムは実験動物モルモットを観察する研究者のような眼差しでジンを見下ろし、静かにその場にたたずんでいる。

 そんな少女の出現に一瞬言葉を失いかけながらも、ジンは飽くまでも平静を装いつつ言った。


「なァ、エイム。もしかして"これ"をやったのはお前さんか?」


 疑問系で訊ねているものの、その実ジンの声には明らかな確信がこもっていた。

 問い掛けの内容は当然、自身を包む布とロープについて。

 彼が言わんとすることは明白で、だからこそエイムも返答に迷いは無かった。


「うん」

「そうかそうか。ならとりあえず、この拘束をいてくれると助かる。それと色々と説明してもらえるとありがたい」

「分かった」


 穏やかな口調を意識しながらエイムに頼み込む。けれど蟀谷こめかみに薄っすらと浮かんだ青筋には、彼の内情が如実に表れていた。

 一方、ジンの心境に気付いているのか、いないのか。素直に頷くエイムはジンの隣に膝をつくと、ショートパンツのポケットから十徳ナイフを取り出す。

 そしてロープの切断を始めるに合わせて、現在に至るまでの経緯いきさつを語り始めた。


 それは昨晩、ジンが路地裏でエイムにある頼み事をした時までさかのぼる──。



「一晩だけでいい。タダで泊まれる宿を紹介しちゃくれねェか?」

「……」


 なんと自分勝手で都合のいい頼みだろうと、ジン自身少なからず思う。

 けれど背に腹は代えられない。このチャンスを逃したら最後、寒さに震えたまま野垂れ死ぬのが決定的となるからだ。

 この際、まともな宿という贅沢は望まない。取り壊し予定の廃屋はいおくや使われていない倉庫、なんなら今より多少は寒さをしのげる別の路地でも構わない。

 『ここよりマシならどこだっていい』、彼の胸中はそんな嘆願に埋め尽くされていた。

 だが、


「それじゃあ、うち来る?」


 理想を諦め妥協を探るジンにエイムが出した提案は、そんな予想だにしないものだった。


「えっ…………いいのか!?」


 一瞬、ジンの言葉が詰まる。しかしエイムの言葉の意味を理解した次の瞬間、彼は大きく目を見開いた。


 ジンにとってエイムの提案は、まさしく渡りに船だった。

 カビたパンでもいいからと腹を空かせてゴミ箱をあさっていたところに、『これしかないけど、食べるかい?』と肉汁たっぷりのハンバーガーを差し出されたような気分なのだから。

 驚愕こそすれ、申し出を断る理由は無かった。

 彼の反応に、エイムはコクりと頷く。


「うん。助けて貰った恩に報いたい。ただ一つ、わたしからも頼みがある。わたしは今、怪我のせいで歩き辛くって……その……」

「家までぶってくれってか? それくらい御安い御用さ」


 申し訳なさげにうつむきつつ、エイムは顔色を窺うようにジンを見る。対してジンは笑顔で首を縦に振った。

 これから屋根と壁があり、安全が保証された屋内で夜を明かせるというのだ。文句などある筈もない。

 ジンはその場でいそいそとエイムに背中を差し出すと、少女とアタッシュケースの重みを背に上機嫌で路地裏を跡にした。


 それから一時間と少々。エイムの案内のもと、ジンが辿り着いたのは──。


「到着。お疲れ様、ジン」

「ハァ……ハァ…………ッ」


 路地裏を出てから向かって西に位置する10階建ての古い高層アパート、その最上階にあるエイムの部屋の前だった。

 やや郊外寄りの立地に建つその場所は、長閑のどかな市街地に溶け込むような外観をしている。

 鉄筋コンクリートで固められた壁は冷たい質感をイメージさせ、殺風景な廊下は落ち着かない静けさを纏う。

 そんな場所で、少女を背負うジンは荒い呼吸を繰り返しながら肩を上下に揺らしていた。

 その理由は、


「なん、で……エレベーターが、動かないんだよ……!」


 一時間程度の移動で息を切らすなど、旅人なら本来あり得ない話だ。そもそも、その程度でバテる人間が生きていけるほど、旅人の世界は甘くない。

 とはいえ人ひとり(とアタッシュケース)を背負い、なおつ10階分の階段を休まず登り続けるとなれば話は別だ。

 そんなジンに、エイムは淡々と言う。


「管理人からは設備の老朽化が原因って聞いてる。反応しないこと、よくあるから。まあ乗ってる途中で閉じ込められる心配がないだけマシってことで」

「そりゃあそうだが、それにしたって階段で10階はキツイっての……」


 ウンザリした声で肩を落としながらも、ジンはエイムの部屋に向き直る。

 荒れた呼吸は整っておらず、心臓は激しい鼓動を繰り返し続けている。

 とはいえ目的地は目と鼻の先、そう考えることで彼はどうにか最後の力を振り絞ることが出来た。

 だが、


「それより、この状態でどうやってドアを開けるんだ? 一旦降ろすか?」


 ドアの前に立つジンは困った声で言う。

 彼の両手は現在、エイムを背負うことに使われ塞がっていた。そして、それはアタッシュケースを両腕で抱えているエイムも同じ。

 このままでは中に入れない。そのためジンは、一旦エイムを降ろすために膝を曲げようとした。

 だが、そこにエイムが待ったを掛ける。


「ううん、そのままで大丈夫。『開けて』」


 エイムは首を横に振ると、ドアに向かって合言葉を唱えるようにそう言った。

 途端、ピーという機械音と共にドアが自動的に開かれる。

 開かれた先には、暗い玄関。その後、一拍遅れて玄関の電球に灯りがともる。

 目の前で起きた一連の動作に、ジンは思わず目を丸くした。


「……開けた人間の姿が見えないんだが、どう仕組みだ?」

「登録者の声に反応して解錠・施錠が出来るようになってるだけだよ。……もしかして初めて見る?」

「あァ。大したもんだな、この国の技術力は」


 ジンの口から自然と感嘆の声が溢れる。

 事実、彼は旅をしてきた中でこれほどの発展を遂げた国を見たことがなかったからだ。

 「何がそんなに不思議なの?」と首を傾げるエイムを他所に、ジンはまじまじとドアを観察する。

 そのとき、ふと疑問を覚えた。


「なァ、ならこのドアノブと鍵穴は何に使うんだ? 声で開け閉めできるんなら必要ないだろ?」

「停電したとき用」

「そこは結局アナログなのな……」

「質問は、もういい? なら早く入って」


 理由を聴き、思わずズッコケそうになるジン。とはいえ、いつまでも人の家の前で呆けいている訳にもいかない。

 エイムにかされ、ジンはようやく屋内に足を踏み入れることができた。

 やっと体を休められる。そんな思いを胸に、ジンは大きく息を吐く。

 その時──。


「──ごめんね、ジン」

「ングッ!?」


 不意に、ジンの耳元でエイムがそんなことを囁いた。

 直後、彼の背中がフッと軽くなる。続けて玄関に響く、固い物体が地面に落ちる音。

 アタッシュケースが落ちた音だと気付いたのは、背後から湿った布で鼻と口を強く押さえられたときだった。

 ジンの鼻腔いっぱいに、ツンと差すような薬品の臭いが広がっていく。

 未だ呼吸が整っていない上に、大きく息を吐いたばかりの彼には効果覿面てきめんだった。


「なに……を…………」


 抵抗する間もなく、ジンの身体から力が抜けていく。

 意識は朦朧もうろうとして、立っていることもままならない。

 せめて背中から倒れることだけは避けようと、重心を前に傾けうつ伏せに倒れ込んだ。


「ぐっ……」


 受け身を取ることも叶わず、ジンは全身を床に叩きつける。その衝撃は、ただでさえ意識が危うい彼への更なる追い討ちとなった。

 それでも、どうにか状況を把握しようと必死に視線を彷徨さまよわせる。

 そんな彼が最後に目にしたのは、ハンカチを手に感情の読めない瞳で自身を見下ろすエイムの姿だった──。



「──っていうことがあったんだけど、覚えてない?」

「……あァ、確かに。それ聞いて全部思い出した。思い出した……が」


 そして、現在に至る。

 拘束を解かれ自由になったジンは、上体を起こすと噛み締めるように相槌あいづちを打つ。

 いま現在、彼の脳内ではエイムの説明と自身の記憶のり合わせが凄まじい早さで行われていた。

 結果、彼女の言葉が事実であると結論付ける。

 そして大きくを息を吸うと、全力で思いの丈を吐き出した。


「一体なに考えてんだおェは!?」


 仮にこれが悪意を持って行われていたとしたら、彼は今頃どうなっていただろう。

 まず間違いなく、自由に身動きできる状況にないのは明白だ。なんなら命があるかも怪しいところである。

 ジンは、今更ながら背筋に冷たいものを感じていた。

 一方、


「薬で眠らせたことについては、わたしも悪かったと思ってる。でも、もしジンが悪い人だったら、わたしの力じゃ襲われたとき抵抗できない。だから護身のために、これは必要なことだった」

「それはっ……まァ、そうかもしれねェが……」


 悪かったと言うものの、エイムの顔に反省の色はない。むしろ確固たる意思を秘めた瞳でジンを見つめ返している。

 その態度は言外に『必要なら何度だってやる』と物語っているようだった。

 とはいえ、エイムの主張も危機管理の観点からすれば決して間違ったモノではない。

 か弱い少女が自衛の為に行ったのだ、糾弾されるいわれはない。

 また危機意識については旅人であるジンも通じるものがあり、それを言われてしまうと彼も強くは出られなかった。

 しかしジンは会話の中で、ふと疑問を覚える。


「なら、なんで今朝はこうして解放してくれたんだ? 拘束を解いた瞬間襲われるとか考えなかったのか?」

「理由は二つある。一つは、今のジンはあの……かたな? を持っていないこと」

「あン? 刀なら此処ここに ……て、ありゃ? そういやわしの荷物は?」


 言われて気付く。今のジンの手元には、刀はおろか風呂敷包みさえも置かれていないことに。

 荷物を探して周りを見回す。けれど視界に映るのは、白い壁と天井。木製のフローリングというごく平凡なリビングの風景だけ。

 西側のキッチンにある椅子やテーブル以外に家具はほとんど置かれていないため、良くも悪くも見晴らし良好である。

 そんな姿を眺めつつ、エイムは自身の腰に手を伸ばす。

 そして淡々と会話を続けながら"二つ目の理由"を取り出した。


「二つ目は、わたしには"これ"がある」

「……成る程な」


 少女の手中で、漆黒の塊がチャキリと音を鳴らす。

 途端、ジンは彼女が取り出した物を見て思わず納得の声を漏らした。

 彼女が手にするそれは昨晩、路地裏で自身とエイムを襲った男が所持していた拳銃だったからだ。

 しっかりと引き金に指が掛かった銃口が、寸分違わず彼の眉間を睨む。


「確かに、それがあれば丸腰の相手なんざ怖くねェよな」

「…………ッ」


 しかしジンは、臆することなく銃を睨み返していた。

 その瞳に恐怖や焦りは微塵もない。そればかりか、少女にまばたきすら躊躇ためらわせるほどの剣呑けんのんな威圧感を放っている。

 果たして、場の支配権を握っているのはジンかエイムか。

 そんな重い緊張の中、次に口を開いたのはジンだった。


「で、それをどうするつもりだい?」

「ジンが何もしないなら、どうもしない。わたしだって命の恩人相手にこんなことしたくないから。でも万が一がある以上、これは必要なこと」

「……ま、それが普通だよな」


 一触即発の空気、下手をすれば殺し合いにもなりかねない。

 しかしジンはエイムの返答を聞いた途端、大きく息を吐いて両手をあげた。


「はァ……わーったよ。一宿の恩義もあるんだ、家主様に不義を働いたりしねェさ。……もちろん荷物一式、耳を揃えて返してくれるならって話だが」

「約束する」

「その言葉で溜飲りゅういんが下りたよ」


 そう言ってジンが上げかけていた腰を降ろすと、エイムもホッとした表情で銃口を下げる。もっとも、指は引き金に掛かったままであるが。

 そのことに苦笑しながらも、ジンが改めて伸びをしようとした、その時。

 ぐぅ。


「あっ」

「え?」


 不意に、ジンの腹の虫が声をあげた。

 短く発せられた音は思いのほか力強く、部屋の中に緊張とは違った静寂をもたらす。

 時刻は午前10時を回った頃、朝食には少し遅い。


「いやー……恥ずかしいモン聞かせちまったな。それじゃあ、とっとと失礼させて……」


 気まずそうに笑いながら、ジンは頭の後ろを掻く。

 数秒前まで殺し合いにもなりかねない緊張感だったのだ、空気をぶち壊して居たたまれなくなるもの仕方ない。

 だがエイムは、そんな彼に意外な提案をした。


「お腹空いているなら、何か食べる?」


 ジンが発した音に毒気を抜かれたのだろう。

 エイムはどこか呆れた様子を見せつつも、自然な微笑みを浮かべてジンを朝食に誘う。

 果たして善意か、はたまたたくらみがあってのことか。

 一つ言えるのは、ジンは提案する彼女から悪意を感じなかったということだけ。

 ならば、彼が断る理由は何もない。

 何より、


「……なら遠慮なく、ご相伴しょうばんあずからせてもらおうかね」


 旅人にとって睡眠に並ぶ貴重な食料の前では、当然のように銃口を向けられていることも些細な問題だった。

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