第5話
アルバーノが借りていた、簡素なベッドと僅かな棚と貧相な宿の一室。しょせん、荷物を置いて寝るだけの部屋である以上、特に愛着はない。
だがこの代わり用は、なんだかかつての貧相さが懐かしくなるぐらい。今更、愛着が湧いてくるぐらいに派手であった。
部屋の至る所に散らばる、様々な本やメモ帳。あちこちに、眠気覚ましのポーションの空き瓶が転がっていて、張られたロープにはインクが生乾きの紙が吊るしてある。
机の上では、狂戦士のような勢いと迫力でコーラがペンをはしらせていた。コーラはドアが空いたのにも気づかず、ただひたすらに文字書きに没頭している。
文字に染まり、情報の要塞と化した自室。そこで一流の戦士すら見劣りする気合で机に向かっているコーラ。アルバーノは未知で異質な迫力に思わず気圧されるが、意を決して声を上げた。
「おい、お前!」
だが、コーラは書く手を止めない。しばらくして、なにやら書き上げたところで、ようやくアルバーノが帰ってきたのに気づいた。
「……10日経った?」
「いや、一週間だ」
「ふう、それはなにより。朝から晩まで机に向かってるので、全然日付がわからなかったよ。なにせ今は修羅場、地獄の進行中だからね。いやあ、何もかもほぼ一人で、一冊雑誌を作る! そりゃあ、こうもなるさ!」
血走った目で現状を叫ぶコーラ。離れているうちになにかやらかすとは思っていたが、この方向性はアルバーノの予想外であった。
アルバーノが聞く。
「あの、月刊ギルドガイドとか言うのは、なんのことだ?」
「見てくれたか! アレはまあ、プレビュー号みたいなものでね。君たちが旅立ってから、速攻で仕上げて、すぐ本にした。冒険者の友の編集長も面食らってたよ。なにせ、この本をタダ同然で配って話題にするために、随分金を使ったからね! 流石に、わたしのツケにされたけど。おかげで月刊誌を作る羽目になりそうだ! 次に出すのはもういきなりの創刊号! それぐらいのペースで儲けないと、一生借金生活だからね!」
「月刊ってのはつまり、ひと月に一冊本を作るってことでいいのか?」
「ああ。専門家の編集長ですらピンと来てなかったんだから、君がわからないのもしょうがない。この世界には、無かった概念なんだろう。月刊は月に一冊、定期的に本を出すことだ。本音で言えば、日刊とはいかずとも、週刊までは持っていきたいんだが、今の状況じゃあ死ぬ。間違いなく、燃え尽きる。なので、月刊でいい」
アルバーノにとって一番身近な雑誌であった冒険者の友は、不定期刊行であった。数ヶ月ぐらい間をおいて、気づけばある。それぐらいの緩やかで雑なペースだ。
形はわかった、だが肝心なのは書いてあったことである。アルバーノは再びコーラにたずねる。
「月刊云々はわかった。問題は、あの対談のことだ」
「ああ。いい出来だったろう。表紙の肖像画も、時間がない割にはいい絵になった。賞金首の手配書を書いている画家ならひょっとして? と思いついたのがクリティカルヒットだったよ」
コーラは、悪びれもしていない。いいモノを作った。そんな自信に満ちている。
「面白かったよ。お前がどういうもんを作りたいのかもわかった。だがなあ、アレはマズいだろ。あんなもん世に出されたら、マーキンの立場がない」
「立場? ああ、頭を下げて、獅子の玉座の戻るみたいな、そういう話が無くなるみたいな? まず最初に言っておくが、その話はまずありえないよ」
「ありえないだと?」
「そもそも、マーキンに頭を下げるつもりがない。彼の根っこは実力主義だ。そんな人間が、周りの実力が劣っているから起こった事故に詫びを入れられるものか。実力主義とは弱肉強食、強い人間にはある種の傲慢さがあるに決まっている」
そんなわけがないと、アルバーノは言い切れなかった。アルバーノもまた、冒険者としては強者である。だからこそ、マーキンが素直に頭を下げないことをわかってしまった。なぜなら、自分もおそらく、同じ立場になったとして器用に頭を下げられまい。コーラに指摘されるまで、アルバーノはマーキンの立場で考えていなかったのだ。
コーラは更に説明を続ける。
「どうせなら、ああやって思いっきり自分の考えを吐き出した方がいい。何より、悩んでいるマーキン自身のためにもね。それにああやってしまえば、獅子の玉座もおいそれとマーキンに手を出せないだろ。情報の公開は、武器にもなるし、盾にもなる」
「だろうな。今なら、もしマーキンが事故で怪我をしても、獅子の玉座のせいになるだろうよ」
「それに何より、マーキンにいろいろ吐き出してもらうと、いろいろ金になる。わたしはね、プレビュー号。月刊ギルドガイド創刊号の目玉を、彼にしたいんだ」
コーラが言い出したことは、とんでもなかった。あまりのとんでもさに、アルバーノは声をつまらせるが、コーラは構わず話を続ける。
「あの強さを求める真剣さに、魔法剣士のキャッチーさに、見栄えのするルックスと若さ。間違いない、彼には華があるよ。更に、君が相手にしているということは、おそらく実力も確かなのだろう。これ以上、月刊ギルドガイド創刊号として目玉となる人材はいないね」
彼には華がある。コーラの目の確かさは、先程目の当たりにした。あの露店で感じた人々の熱気があれば、財布の紐を緩めることは容易いだろう。微妙にスれていて、さも珍しくない戦士に、むさい外見。華のないアルバーノは、ここで納得するしかなかった。
「理由はわかったが、かと言って創刊号には何を書くんだ。まさか、また対談か?」
「それこそ、まさか。同じネタを使うにしても、いくらなんでもすぐすぎる。あの対談は、宣伝でもあり、一つの問いかけでもあるからね。当事者のマーキンが帰ってきたんだ。おそらくすぐに、事態は動くよ」
このコーラの発言が予言に聞こえるタイミングで、下から複数の足音が聞こえてくる。どの足音も、酔うための酒場や寝るための宿には相応しくない真面目さがあった。
◇
下に戻ったアルバーノとコーラが目にしたのは、アルバーノに遅れて宿に戻ってきたマーキン。そしてマーキンとにらみ合う、獅子の玉座の重鎮たるヨシアが率いる冒険者の一団だった。
獅子の玉座におけるヨシアは、縁の下の力持ちである。当人に目立った功績はないが、獅子の玉座の冒険者はヨシアの教育により一人前となる。対魔物でもやる男だが、対人戦に関しては王都でも五本の指に入る実力者である。その実力で、ギルドの敵を影で葬っているとの噂も絶えない。
そんなヨシアが、一団を引き連れ、脱退者から裏切り者になろうとしているマーキンの前にいる。これから何をしようとしているのかは、容易に想像できた。
「お前、とんでもねえこと言ってくれたな」
どかっと席に座るヨシア。そのまま流れるように、持ち込んできた酒瓶を一気飲みする。ヨシアはアルバーノに負けぬ酒豪であり、彼にとっての飲酒は、本気を出す証でもある。
「俺たちが偽物で、自分が本物だ。強くなろうとする気が無い。追放された人間のセリフかよ、これが。俺はこの本を見た時よ、頭がカッカしちまったよ」
ヨシアは机の上にギルドマガジンを投げ出す。もともと上等でない紙でできた雑誌は、散々に扱われたのだろう、更にボロボロになっていた。
「獅子の玉座の連中も似たようなもんだ。あの野郎、許せねえ! 何様のつもりだ! まあブチギレていた。俺なんて、こうやってお前の前で暴れてないだけ、マシなほうよ」
「俺は」
クックッと怪しげに笑うヨシアに、マーキンが何か言おうとする。
一度言葉に詰まった後、マーキンは再び口を開いた。
「俺は自分が、間違ってないと思います。いや、間違ってないです」
「いやあ、言うねえ! この状況で、俺を目の前によく言うねえ! ギルドを追放された男が、腹立ち紛れに言いたいこと言って! さらに一歩もひかねえと来たもんだ! だがよ、お前は正しいよ」
ヨシアの唐突な発言に、マーキンだけでなく、上から状況を見守っていたアルバーノですら驚いた。
「全員がただ強くなろうとしていない。そうだな、最初、ギルドがちっちゃかった頃はみんなひたすらに強くなろうとしてたが、今となっちゃあ、ただダラダラとクエストだけこなしているだけの連中ばっかだ。だから、お前を嫌ったんだよ。アイツは強すぎてついていけない。だからハブこう。これが冒険者の言葉か、情けねえ。しかも挙句の果てに、お前を追放だ。俺もギルド長の手前、お前を追い出したが、それで周りの連中は鬱陶しい強えやつがいなくなったとやんややんやの喝采。ハッキリ言って、愛想が尽きたね」
「ヨシアさん……」
「お前、俺と同調してくれる仲間とパーティーを組みたいって言ってたな。俺もコイツラも、お前と志を共にする人間だ。だから頼む、俺たちとパーティーを組んでくれ。ギルド長を裏切る形になったのは痛恨の極みだが……だからこそ、頼む!」
ヨシアと共にいた冒険者も、よろしくお願いします! と並んで一礼する。
敵だと思っていた人間が、実は味方だった。この状況では、まず普通混乱するだろう。そして悩み疑い、返事は待って欲しいというのが当たり前だ。
「ありがとう。こちらこそ、お願いします!」
この状況にて、マーキンは即座にヨシ! との答えを出した。
そんなマーキンの決断を見て、アルバーノは察する。華とは美しさだけではない。一輪あるだけで、場の空気を先導していく。まだマーキンは若い、だがこの決断には、周りを自分色に染める華としての素質を感じた。
「ほら、見てみろ。創刊号を飾るに相応しいネタができたぞ。新進気鋭の冒険者の元に集まった、同じ理想を持つ仲間たち。おそらく彼らは、すぐにでもなんらかのリアクションを起こすはずだ。半月ほど密着して、それから徐々に作業へシフト。うーん、勝ち筋が見えたぞ!」
事態を共に見守っていたコーラは、明るい未来予想図を語る。
アルバーノはコーラにたずねる。
「お前、こうなることを見越してたのか?」
「何が起こるかまではわからなかったけど、何かが起こるのはわかってたよ。いわば、マーキンを石に仕立てて、水面に投げた状況だったからね。さざなみが出来た以上、絶対に何かが起こるって」
「もし、ヨシアたちが単にキレて襲いに来ただけだったらどうしたんだ?」
「それはそれで、一つのネタになる。獅子の玉座襲撃! 激震! 冒険者界隈! みたいなね。マーキンもおいそれとはやられないだろうし、何より君がここにいる。もしそういう話だったら、割って入るつもりでいただろ?」
「まあな」
見抜かれていたのなら、仕方がない。アルバーノは旅装のまま背負っていた大剣にかけようとしていた手を放した。もし、ヨシアたちが暴れたら、割って入るつもりではいた。だがそれは、マーキン相手にではない。マーキンはおそらく放っておいても、一人で切り抜けられるだけの腕を持っている。
アルバーノが動く気でいたのは、彼らがコーラを狙っていた時だ。ああやって、雑誌で煽った今、コーラを狙う人間がいてもまったくおかしくない。物事の裏側にいる人間は、時に必要以上の敵意を浴びる。
明るい未来だけを見て、自分が危機を迎えているとは到底思えない軽さ。コイツは殺しておいたほうがいいのでは? と考えたこともあるが、このままだとそもそも、コーラは長生きできないだろう。きっと彼女のいた世界より、この世界は厳しい。
もし、自分が手を引いたらどうなるのか。いつまで彼女に付き合うべきなのか。
酒と状況に酔うことで忘れていた選択肢が、アルバーノの目の前に立ちはだかろうとしていた。
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