第1話

 人間の印象は出会いで決まる。

 ならば、彼と彼女の出会いは最悪と言えるだろう。


「うーん、むにゃむにゃ……ぐおー」


 アルバーノが数カ月ぶりに自室として借りている宿の一室に帰ってみれば、知らない女が汚いいびきをかきつつ、心地よさそうに寝ていた。綺麗に整理整頓しておいた部屋のあちこちに、服やらゴミやら散らばっている。

 ぼさついた髪に、粗雑な布の服。娼婦にしては貧相で、空き巣にしては大胆である。もっともアルバーノも、数ヶ月の冒険生活により、髪もじゃヒゲモジャで、だいぶ荒んだ外見になってるが。

 20歳より冒険者生活を初めて、だいたい10年。そのキャリアでも、ここまで唐突になんだこれという事態はなかった。


「ちょっと、待った! 待った! ああ、遅かったか」


 慌てた様子でやって来た宿の主人が、あちゃあと頭を抱えている。

 アルバーノも負けじと頭を抱え、主人に尋ねる。


「なんだこれは」


「いや何って、アンタほら、自分が居ない時は部屋を貸してもいいって言ってただろ?」


「ああ、確かに言ってた。俺が居ない時で、満室にでもなったら使ってもいいと、確かに言ってた。俺が予定より早く帰ってきたのも間違いない。だがなあ、限度ってのがあるだろ。見ろ、この女。酒のボトルを抱いたまま、うつ伏せにベッドに突っ伏して、高いびきをかきつつ痙攣してる。ここまで酔いつぶれたアホをまっとうしている奴が自室のベッドに居たらどう思う?」


「酔いつぶれたアホをスケッチしたい画家に売っぱらう」


「そんなもんスケッチしたい画家なんて、腕ごと筆折っちまえ。俺としては、ベッドごと外にぶんなげてえの一言だが。つーかシーツめっちゃ汚れてるな。いやこれもしかして、何回か爆発してないか?」


「おえぇぇぇぇぇ!」


 ベッドの上の女が、うつ伏せのまま物凄い嗚咽の声を上げた。なんかビチャビチャと、湿った音も聞こえてくる。


「リアルタイムで爆発して、そうだって証明してくれなくてもいいんだわ。とにかく、俺は下で酒でも飲んでるから、こいつをなんとかしてくれ」


 アルバーノは、そう宿の主人に頼む。

 とりあえず部屋の脇のスペースに、愛用の大剣を立てかける。できればレザーアーマー一式も脱ぎたいが、いかんせん部屋が汚れていて置くスペースがない。なんで自分で借りている部屋で、ここまで気を使う展開になってしまったのか。

 

「アンタの部屋なのに?」


「お前は宿の主人だろうが。なんで、この状況で俺が酔っ払いの面倒を見るって選択肢があるんだ。あと、頬を膨らませてわがままが通るのは、10代女子でギリだからな? 40代のオッサンがそれをやっても、頬を引き裂きたくなるだけだからな」


 宿の主人の膨れていた頬が、シュンと縮まった。


                  ◇


 一階は酒場で、二階は宿屋。ある一定の大きさを持つ宿は、たいていこの形式となっている。アルバーノはこの形式が好きであった。

 酒は好きだが、話すのはそこまで好きではない。だが、人の喧騒を聞くのは好きだ。喧騒の中にいることで、なんだかちゃんと村や町の一員であるように思える。冒険者なんて、どこにも居着かないような人種にとってのそれは、手に入らないものだ。

 特にこの宿は王都の宿である。宿自体はそこまで大きくないが、街は大きい。大きな街には、様々な人種や立場の人間が集まる。つまりそれだけ、喧騒も多彩で飽きが来ないのだ。


「いやいや、やはりこの宿で絶品なのは、この魚の煮付けだね! どうしても一見派手な牛の串焼きに目が行っちゃうんだけど、このね、魚のじっくりと煮込んだとこのぷりぷり。ご家庭では難しい、根気のよさがないと出来ない煮物だよ。やっぱり、飲み屋のツマミには、こういう手間が欲しいよね。素材の良さよりも、作り手の愛情を感じるような手間。そういう手間と一緒にお酒を飲むと美味しいんだよー」


 対面に座る女の淀みなき喋りが、そんな喧騒を全部遮っていた。

 いやなんでさっきまで他人様の部屋で酔いつぶれてダウンしていた女が、目の前でまた酒を飲んでいるのか。宿の主人の後片付けを手伝うこともなく、謝罪の一言もないまま、旧友と合流したかのようなツラで、アルバーノの眼の前にいるのか。

 そんなアルバーノの訝しげな視線に気づいたのだろう。女はふふんと言った様子で話す。


「大丈夫。ゲロまみれの服は着替えてきたから」


 違うそうじゃない。いや、あっているのか? やはり、そうじゃない。

 アルバーノの困惑に構わず得意げな様子の女。アルバーノは、そんな女が、先程寝ていた時にはつけていなかったものの存在に気がついた。

 思わず口から、そのアイテムの名前が漏れる。


「眼鏡……」


「おっ、気づいた? 眼鏡の尊さに気づいた? 眼鏡をかけると、魅力値100倍! って知り合いの権威が言ってたよ」


 女はくいっくいっと、自分がつけている眼鏡をいじる。魅力値0を100倍しても0だが、幸せそうだし放っておく。

 気にかかったのは、そこではなかった。


「いやあ随分と、見たことのない素材でできているんで驚いたんだ。レンズも随分綺麗だし、ツルも見たことのないテカりだし、こ汚い酔っぱらいには分不相応に見えて」


「うーん。山賊みたいな外見のやつにそこまで言われるとは思わなかったよ。それにしても、いい目をしてるね」


「お前の目は淀んでるけどな。ダンジョン最奥で食料も武器も無くなって、とりあえずそこらに生えてたキノコを食ってた戦士の目だ」


「そういう意味じゃあなくて。でもむしろそんな人の淀んだ目は一度見てみたい……鏡見ればいいのか! とにかく、そうじゃなくて! この眼鏡を見て、珍しいものだと見抜ける人は凄いよ。これはね、プラスチックってので出来ている眼鏡なんだ」


 プラスチック。アルバーノが聞いたことのない素材だ。ツルツルとした、黒光りの物質。こっちをからかうかのように、女は眼鏡を手でいじくっている。多少力を加えると、わずかに曲がってすぐ戻る。プラスチックという素材には、見た目の硬さに見合わぬ弾性もあった。


「この眼鏡は、わたしが向こうの世界から持ってこれた、数少ないアイテムのひとつなのさ」


 女はフッと、なにやら重い様子で呟く。


「そうか。そういうアイテムは、大事にした方がいいぞ。じゃあ、そろそろ掃除は終わっただろうし、俺は部屋に帰るから」


 アルバーノはそう言ってあっさり席を立つ。

 部屋に帰ろうとしたアルバーノの腰に、女はがっしりとしがみついた。


「待て待て待て待て! 君、よくこの流れで帰れるな! 向こうの世界って気になる単語を聞いて、しずしずと帰るか普通!?」


「そう言ったってなあ、俺、予定を切り上げて帰ってきたくらいには疲れてるんだよ。向こうの世界でもあっちの世界でもあさっての世界でも、正直どうでもいいっつうか」


「ええ……ここに残されたら、誰がこの酒とツマミの代金を払うんだい」


「お前、何がどうなれば、俺が奢るって未来が見えたんだよ」


「人を信じる心って大事だな。ツケを受け入れてくれる宿っていいよね。きっとこの世界は素晴らしい人ばかりなんだ。まあ、そんな感じで、こうね? そもそも宿代だってツケだから、これ以上はねえ?」


「ツケって借金だからな? いつか返すんだからな? ボランティアじゃないからな? その状況で、あんだけ他所様の部屋荒らしてたのすげえな」


「ツケを伸ばすコツは、どんな時も正々堂々としていることだよ?」


「参考になるが、参考にしたくねえ。ったく、しゃあねえな」


 アルバーノは腰から女を引き剥がすと、元の席にどっかりと座る。

 席に戻ったアルバーノがまずしたのは、近くを歩いていたウェイトレスをつかまえることだった。


「おい、俺のキープまだあるか?」


「アルバーノさん? ええ、はい、当然あります」


「俺の留守をいいことに、誰か手ぇ出してないだろうな?」


「そんなことするはず……ああいえ、してません。そこの席にいる人を見て、その人を信じてない目の理由も察しました。本当にすいません」


 対面に座る女を見て事情を察したウェイトレスは、アルバーノに頭を下げてから厨房に戻った。

 アルバーノは目の前の女を見て、不敵に笑う。


「まあ元々、寝て休むなんてガラじゃなかったんだ。休むにしろ、傷や病気を治すにしろ、まずすべきは……」


 おいしょ、おいしょと複数人の掛け声が、席に向かってやって来る。

 アルバーノの席の脇に置かれたのは、彼の名が刻まれた樽であった。

 アルバーノは樽のフタを開けると、直接器を突っ込んで中身の酒をすくい取った。


「酒をたらふく飲むことだ」


 ジョッキすらコップに見えるボウル。そんなボウルにつまった酒を、アルバーノは一息で飲んでしまう。あまりの豪快な飲みっぷりは、酒場に居る大半の人間の目を引き付け、完飲後には勝手に拍手が巻き起こった。

 常連は流石はアルバーノと頷き、初見の客はその飲みっぷりに怖気づいている。


「へえー」


 初見でありつつ、これは凄いとあっさり飲み込んだのは、アルバーノの眼の前にいる女だけだった。

 そんな女に、アルバーノが話しかける。


「驚かないのか?」


「驚いてるさ。私の知っている人間の中で、三位に入るぐらいの一気飲みだ。凄いよ。ちなみに二位は、一気飲みした後にそのままコップをバリバリ噛み砕いて飲み込んだ男だ」


「それはたしかに凄いが、ちょっと俺とは路線が違うような。とにかくまあ、俺を酒の席に戻したんだ。どうやら口は回るようだし、これからの酒の肴はお前の話だ。俺が飲んだ以上、これからつまらん話をしたら」


 アルバーノの手にある分厚いガラス製のボウルが、みしみしと音を立て粉微塵となった。


「その時は、ただじゃあすまんぞ」


 アルバーノは粉となったガラスを別の容器に入れ、手もパッパと払う。素手でガラスを潰したのに、そのゴツゴツとした手には一切傷がついていない。それに、ただ単に力を入れるのでは、ガラスは大きく割れるだけだ。静かにじっくりと力を込める巧みさがなければ、このような壊し方は不可能である。

 外見通りのタフさを持ち、外見に見合わぬ巧みさを持つ。それがアルバーノという冒険者だった。

 女はうむむとうなりつつ、評価を下す。


「うーん。二位よりちょっと下。ちなみに一位の話、聞く? 酒のつまみはそれでいいかい?」


「……興味はあるが、やめとこう。2位の路線的に、なんだか酒が不味くなるぐらい、ものすごい話を聞く羽目になりそうだ」


「うーん。正解だね。酔いつぶれているわたしをみて、ドン引きするぐらいじゃあちょっと無理だ。でもね、君は、わたしが向こうの世界で追ってきて、人生をかけてきた人間になんだか近いよ。だから、君の満足するような話ができる。というか、したくなってきた」


 掴みきれないロクでなし。そんな関わりたくない人間そのものだった女の目に、わずかながら力が入る。その力こそ、真剣さであり真面目さ。アルバーノは、ここで始めて女を評価した。


「まずは、ちゃんと名乗っておくべきだね。わたしの名前は……名前は……」


「お前、名乗るところで詰まったら全部台無しだぞ?」


「いやあ、しょうがないんだよ。なにせ、名乗れそうな名前が、複数あるんでね。それと同時に、せっかくだし新しい名前を考えたいってのもね」


「スゲえな……この状況でコイツ、信頼と引き換えに、台無しを更に上乗せしてきやがった」


 複数の名前を使い分けつつ、ここでまた新しい名前を考えようとする。どの世界でも、そういう人間のことは胡散臭いの四文字で呼ぶだろう。


「うん。閃いた。これでいこう。わたしの名前はコーラ。ひとまずコーラと呼んでくれ。お察しの通り、実はわたしは他所の世界。異世界転移を果たした身なのさ」


 異世界人。異なる世界より来た彼らは、類まれなる才能を持つという。今現在、遠き土地で魔王と闘っている勇者は異世界人である。かつて新たな発想で魔術に革命を起こした魔術師は異世界人だった。異世界人に関する話は、どれも超越的なものである。

 そうと聞けば、このコーラの素っ頓狂さも、異世界人だからこそでは。先程のアルバーノの一気飲みから、ずっとこっちに耳を傾けていた外野が、わずかにざわめいた。


「なるほどねえ。ところで、話だけじゃ腹が膨れないから、別にツマミを追加しようと思うんだが、やっぱお前は魚でいいか?」


「ふーむ、まったく興味を持ってくれないぞ! 困ったなあ、一応話の枕のつもりだったのに! あ。ちょっと今は好みよりも栄養つけたい気分なので、牛の串焼きで」


 しかしアルバーノは、異世界人のワードにほとんど興味を持っていなかった。

 ツマミを注文し、再び酒をあおった後、アルバーノは話す。


「あいにく、冒険者をやってると何人もの自称異世界人に出会うもんでな。中にはそれなりに才能があったのもいたが、たいていがただ箔をつけたいからって名乗っている雑魚だった。悪いが俺の見立てでは、そんな雑魚の中でもトップクラスに何もできそうもないのがお前だ」


 本当にいるかどうかはわからないが、いることはいるらしい。世間一般にとっての異世界人とは伝説や幻のようなものだ。噂になることはあっても、現実で見たことはない。だからこそ、自称異世界人が闊歩する。そしてそんな、幻にすがるような輩は、たいてい何も出来ずに死ぬ。

 アルバーノが冒険者稼業で会ってきた異世界人は、そんな連中ばかりだった。そしてそんな連中以上に、目の前のコーラは強そうでない。

 つまり、お前は嘘をついている。そう突きつけられても、コーラは全然平気な顔をしていた。


「才能は剣や魔法だけだ。そんなのは、誰が決めたんだい?」


「む?」


 この返しは考えてなかったと、逆にアルバーノが虚をつかれた形となった。

 更にコーラは言葉をぶつけてくる。


「いや、君はまるで才能が強さだけのように語る。今この酒場では、飯を作る人、飯を運ぶ人、酔っぱらいの後片付けをしている人、色んな人が強くない才能や努力をもって働いている。君は彼らより自分が上だと思ってるのかい」


 言葉に詰まるアルバーノ。これはもう、上手い答え方が思い浮かばない。なにせ、厨房はともかく、歩き回っているウェイトレスが聞き耳を立てている。答え方によっては、せっかくの定宿が針のむしろに変わってしまう。むしろ現状からして、針のむしろだ。話をすり替えるななんて言っても、通じない局面にされてしまった。


「すまなかった。俺の見識が浅かったよ」


 アルバーノが選んだのは、早々の謝罪だった。言えば言うほど、傷口が広がる。そんな未来しか想像できない以上、謝ったほうがいい。

 謝罪に効果があったかどうかはわからないが、聞き耳を立てているウェイトレスの気配がそっと遠ざかった。


「わかればいいのさ」


 コーラはニコリと笑い、空のグラスをずいっと出してくる。

 グラスを受け取ったアルバーノは、自分の酒樽から酒をすくってコーラに返す。


「ぷはー、おいしい!」


 ニコニコと美味そうに酒を飲むコーラと、かすかに仏頂面のアルバーノ。

 アルバーノにとって、久方ぶりの敗北感であった。

 そんなアルバーノに、コーラが話しかける。


「わたしには力がないし、魔法なんて使えない。でもね、経験は生きてるんだ。こうやって、人の発言を突っついてかき回して、美味しい思いをする。わたしは元の世界で、そういうのを仕事にしてたからね」


「なるほど。詐欺師か」


「近いようで遠いね。一応、捕まるようなことはしてなかったし。それにわたしは、詐欺師みたいな嘘はつかない。わたしが好きなのは、ホラなんだよ」


 嘘はつかないが、ホラは好きだ。

 異世界の話は知らないが、普通嘘とホラは同じ物ではないのか。

 アルバーノはコーラの言っていることが理解できなかった。


「嘘は人を傷つけるが、ホラには人を楽しませる余地がある。聞いた人がそうだとわかって、楽しむ呼吸がある。たとえ真偽があやふやでも、こっちのほうが楽しいんだと惹きつけてしまう魅力がある。わたしの元の世界での生業は、記者。スポーツ新聞やとにかくいろんなとこで働いてた記者だったのさ。一番長いのはプロレス記者かなー。人の肉体と欲がぶつかりあう、究極のエンターテイメント! を取材してた人。それがわたしの職業」


 スポーツ新聞にプロレス雑誌に記者。どちらもアルバーノが聞いたことのないアイテムであり職業だ。それはいったいなんなんだ。思わず聞いてしまいそうになったところで、気がつく。

 先程アルバーノは、コーラの話を酒の肴にするといった。つまらなかったら、ただじゃおかないとも。この状況はある種の取引であり、試しであり、勝負でもある。ここで興味がありそうに聞いてしまったら、なんだか負けた気分になってしまうだろう。もう既に一度コーラにやりこめられている以上、あまり向こうに弱みも見せたくない。


「スポーツ新聞にプロレス雑誌? 記者? それはいったいなんなんだ」


 だが、アルバーノは聞いた。敗北感より何より、コーラへの興味が勝ってしまった。この女が本当に異世界人かどうかはわからないが、少し話してみたい。魅力にとろけるというより、底の見えない湖に飛び込むような心境。コーラには、ホラを好むと公言するだけの怪しさがあった。


「いいね。聞いちゃう? 質問しちゃう? いやー、ちゃんとこうやって、身の上話が出来る機会、こっちの世界に来てから全然なかったからね! はりきっちゃおう!」


「まあいいさ、酒は充分ある。これが空になるまで喋ってみろよ」


 目をキラキラさせているコーラ。きっと、もともと話好きなのだろう。酒の肴には十分なりそうだ。そう思い、アルバーノは再び酒をあおった。


                 ◇


 次の日の昼。


「なるほどなあ。つまり記者ってのは、物を調べて雑誌の中身を書く商売ってことか」


「だいたいそんな感じかな。この世界に雑誌の概念があってよかったよ」


「雑誌を作ってるやつは編集者って言ってたと思うんだが」


「そうだねえ。そこの線引は難しいから、止めておこうか」


「しっかしプロレスってのは面白そうだなあ。ただ強いだけじゃ駄目なのか」


「そーそー、強いだけじゃ駄目なのよ。わたしも取材をとおしてずいぶんいろいろ学んだよ」


 二人は一晩中飲んで、さらにずっと話し続けていた。一度帰って寝て、再び出勤してきたウェイトレスがギョっとしている。体力なのか、はたまた精神力なのか、とにかくこの二人の飲んで与太話をする力は桁外れであった。

 若干赤い目で、コーラは淀みなく語る。


「ほんとねえ、特にプロレス記者は人生をかけた商売だったんだけど、上司と喧嘩したせいで、外国文学担当なんて言うお硬いトコに飛ばされそうになって。辞表を叩きつけようかな、どうしようかなーってトコで、トラックに跳ねられてドーン!」


「トラックってのはなんだ?」


「あー……鉄のデカい馬車みたい。それに跳ね飛ばされて、気がついたらこの世界にねって! ただなんかねえ、そもそもわたしって、女だったのかな? 細かいことまで覚えてるのに、アイデンティティだけ何故かモヤがかかったように思い出せない。なんかもっとハゲ散らかしてたオッサンだった気もするし、こんな美少女だったっけかなあって」


「美が少ない女?」


「言うねえ! こっちの世界に来た時、いろいろ入れ替わったのかなあ。異世界転移、異世界転生、今はどれが流行りなんだろうね。そっちの方には詳しくないんだけど」


「さあなあ。異世界サイドからは何も言えねえよ。いやしかし、どこの世界も雇われは大変なんだなあ。俺も昔は真面目にやってたが、ある日突然そういうこまごまとしたことが嫌になってな。結局たどり着いたのはフリーの冒険者稼業よ」


「わかる。フリーに憧れる気持ちはわかる。どうする? 今度はそっちが身の上話を語るかい?」


「いいや、やめとこう。なにせついに、キープがカラになっちまった」


 アルバーノは酒樽をひっくり返し、空になったのを示す。コーラも多少いただいてはいたが、ほぼアルバーノ一人で飲みきったようなものである。それでいて酔ってはいても酔いつぶれてはいないのだから、もはや異世界人級の酒飲みだ。

 それにしても、雑誌か。アルバーノは、ちょうど腰のポケットにそれが入っていたのを思い出し、机の上に置いた。

 アルバーノが持っていたのは、この王都にある複数の冒険者ギルドに置いてある雑誌であった。アルバーノはフリーの冒険者であるが、王都に戻ればギルドに顔を出すぐらいの付き合いは持っている。

 『冒険者の友』とタイトルがついた雑誌を机の上に置き、アルバーノは呟く。


「しかし雑誌ねえ。うちの世界じゃ、たいした商売でもねえけどな」


 コーラの顔色が変わった。コーラは、獣のような貪欲さで雑誌に手をやると、貪るように読み始める。だがその読書は、数十秒で終わった。なにせ、数ページしか無い紙の本である。


「クソ面白くなーい!」


 コーラはこう叫ぶと、思いっきり目の前の雑誌を横に引っ張る。

 ふぐぐ、むぎぎ、ぐぐぐ。何回か唸ったあと、そっと雑誌を置く。どうやら、怒りのあまり雑誌を引きちぎるとか、そういうことがやりたかったらしい。

 この世界の紙は思ったより丈夫で、コーラは異世界人?となるくらいには貧弱だった。


「なんだコレ! なんだコレは! ただずらーっと名前と年齢となんだかよくわからない称号が乗ってるだけ! それだけ!」


「そりゃあ、タダで配ってる名簿みたいなもんだからなあ。それよりお前、異世界から来たのに字が読めるのか」


「言葉はだいたい一緒、わたしから読み書きを取ったら止めたら死ぬので、字だけは必死で学んだ! 名簿以外に載ってるのは、イベントのお知らせとちょっとした連絡事項のみ! こんなん、雑誌じゃなくてチラシの束。いや、ただの文字の羅列だ! つまらなすぎて吐き気がオロロ!」


 再び爆発したコーラにさっとバケツを出すアルバーノと、受け取って一旦テーブルの下に潜って全部出すコーラ。出会ったばかりなのに、慣れた手筈である。

 そんなコーラを見て、アルバーノは考える。

 会ってからずっと脳が毎日毎晩泥酔中みたいな女だったが、今見せたのは間違いなく怒りだ。雑誌がつまらないというのは、酔いが覚めるほどに耐えきれないことなのだろうか。いや、この反応からすると――

 アルバーノはコーラが吐き終えて戻ってきたところでたずねる。


「なんだその、雑誌ってのは、そっちの世界だと楽しいものなのか?」


「違う。たとえどこの世界でも、こんなつまらない雑誌は許されないんだ」


 コーラは酔いが冷めた様子で席を立つ。いやまあ、全部吐いたからだろうが。


「この雑誌を出している編集部の場所は知ってるかい?」


「まあな」


「だったら、そこに連れて行って欲しい。せめて一言言わないと、ぐっすりベッドで寝ることも出来やしない」


「アレは俺のベッドなんだが」


 ふうむと息を吐く、アルバーノ。別に連れて行ってやるぐらいは構わないが、正直、流石にもう眠い。それに、あまり使命感だけで動かれるのも困る。正しい使命感や理屈が、物事をいい方向に動かすとは限らない。


「それに雑誌は儲かるものなんだよ。来たぞ! ツケを返す機会が!」


「よし。案内しよう」


 コーラの俗な発言を聞き、これなら大丈夫だとアルバーノは判断した。使命感に多少の欲が混ざったほうが上手くいく。俗かつ報酬が尊ばれる冒険者の世界で行きてきたアルバーノにとっての哲学だった。

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