第10話 手を繋いで

「なんで……」

 今見ているものが信じられず、キュルルはただ唖然とするばかりだった。

 あのカラカルは大型のセルリアンを一人で倒せるくらい強いはずなのに、どうしてセルリアンに食べられているのか。

 セルリアンはその場から動かない。しかし大きな目がこちらを見たような気がして、キュルルは身をすくませた。同時に胸がざわつくのを感じ、自分の胸元を握りしめる。

 これまで何度もセルリアンに会って、怖い思いをしてきた。だけど、今まで感じた事のない感覚だった。

「大丈夫?」

 心配をして声をかけて来たかばんに、キュルルは半ば呟くように答える。

「……ざわざわする」

「え?」

「怖いんですけど……それよりも、なんか変な感じがするんです」

 かばんにはキュルルが何を感じているのか分からない。しかし、かばんもまた奇妙な感覚を覚えていた。

 あのセルリアンは他の個体と明らかに何かが違う。フレンズ型セルリアンのような異質さに加えて、抵抗を躊躇ってしまうような力と威圧感を感じるのだ。

「キュルルちゃんとかばんちゃんは先に逃げて」

 セルリアンを見据えたまま、サーバルが後ろの二人へ告げる。

「あいつの事は任せて。引っ張り出して連れて来るから」

 サーバルに続いて言った後、カラカルはキュルルの方へ振り返る

「あいつに訊きたい事があるんでしょ?」

「サーバル。カラカル……」

 頼もしさと不安を感じながら、キュルルは正面の二人を見つめる。

 その隣で、かばんが口を開いた。

「分かった。私たちは外で待ってる。あのカラカルを助けたらすぐに逃げて」

 自分たちがここにいても邪魔になるだけなのを、かばんは誰よりも理解していた。そして、取り返しのつかない事態が起こりうる事も。

「……セルリアンの中にいるカラカルがフレンズの姿でなくなったら、その時は迷わず逃げて」

「そんな……」

 残酷な事を冷静に伝えるかばんに、キュルルは思わず非難の目を向けてしまう。

「あの状態でフレンズの姿を保てなくなったら手遅れなんだ。もう、動物に戻るしかない」

 かばんの言葉が重く響く。セルリアンに食べられるのはこういう事なのかと思い知らされて、キュルルは何も言えなくなる。

「行って、二人とも。三人で戻るよ」

「手遅れになんかさせないんだから」

 サーバルとカラカルが身構えて、その背中に向かってキュルルは言う。

「……カラカルさんを、お願い」

「行こう、キュルルさん」

 かばんに急かされたキュルルは彼女と一緒に走り出す。二人の足音が離れていくのを聞き取って、カラカルが若干姿勢を低くする。

「行くわよサーバル!」

「うん!」

 呼吸を合わせて飛び出し、セルリアンへ一気に接近する。巨体故か動きは鈍い相手に肉薄し、もう一人のカラカルがいる箇所を狙って爪を振るう。

 通常のセルリアンなら十分仕留められる一撃。だがそれは黒い体に浅い引っ掻き傷を付けただけだった。

「硬いっ……!」

 予想外の頑丈さにカラカルが歯嚙みする。ただでさえ大きいのに、これでは攻撃がなかなか通らない。

「それなら――とにかく叩く!」

 そうするしかないと奮起して、サーバルは果敢に爪を繰り出す。

「うみゃみゃみゃ!」

 彼女と同じようにカラカルも爪をぶつける。その度に硬質な音を立ててセルリアンの体に傷が走り、表面が僅かに削れていく。

 不意に、サーバルとカラカルの頭上に影が差す。手を止めた二人が顔を上げると、セルリアンが太い腕を振り上げていた。

 二人が左右に分かれて飛び下がった瞬間、腕が床に叩きつけられて埃が舞い上がる。

「ちょっと強すぎない!?」

 フレンズ型セルリアンを思い出させる手強さにカラカルがぼやく。体が大きい分攻撃は当てやすいが、それが効いているのか分からない。

「まだまだ!」

 カラカルを励ますように声を上げ、サーバルは再びセルリアンに飛びかかっていく。

 諦めるな。と自分を叱咤し、カラカルも攻撃を再開する。

 目の前のセルリアンは強い。しかし確実に削れている。もう一人の自分もフレンズの姿を保っている。まだ間に合うのだ。

 セルリアンはその場から微動だにしないが、一つ目はぎょろぎょろと動いてサーバルとカラカルを追いかけ、腕と触手を振り回す。

 繰り出される腕と触手をかわしながら、サーバルとカラカルはセルリアンの体を削っていく。同じ箇所に攻撃を浴びせ続ける内に、セルリアンの体に小さなヒビが走った。

「これなら!」

 カラカルが渾身の一撃を加えると、乾いた音を立ててヒビが広がった。そこへサーバルが追い打ちをかける。

 繰り出された爪がセルリアンに食い込んで、表面が砕けて穴が開く。その衝撃が中まで伝わったのか、もう一人のカラカルが滑るように穴から飛び出した。

「やった!」

 サーバルは歓喜の声を上げ、外へと落ちて来る彼女をしっかりと受け止めた。

 次の瞬間、サーバルとカラカルは信じられないものを目撃する。

 先ほど必死になって壊したセルリアンの表面。もう一人のカラカルを助けるために開けた穴が、みるみる塞がっていったのだ。

「何よこれ……」

 あっという間に元の状態に戻ってしまい、カラカルは唖然とする。だが、考える余裕などありはしなかった。

「カラカル、急ごう!」

 目を閉じて動かないもう一人のカラカルを背負い、サーバルが撤退を促した。カラカルは瞬時に思考を切り替え、セルリアンに背を向ける。

 後ろを警戒しながら全力で走る。セルリアンはその場から動けないようで、追いかけて来る様子はなかった。

 逃げる二人を狙ってセルリアンが勢いよく触手を伸ばしたが、障害物をよけて方向転換したサーバルとカラカルには届かず、虚しく空を切る。

 外で待つキュルルとかばんと合流するため、サーバルとカラカルは施設の中を駆け抜けた。


「まだかな……」

 バスの前に立つキュルルは、そわそわと落ち着かない様子で施設を見やる。

 サーバルとカラカルは無事だろうか。もう一人のカラカルを助ける事が出来ただろうか。

 かばんと一緒に外に出てからそんなに経ってはいないのだが、ただ待っているだけの時間はひどく長く感じられた。

「やっぱり心配だよね。……でも、あの二人を信じるしかないよ」

 傍に立つかばんは、こんな時でも穏やかだった。そんな彼女の態度に怪訝の念が湧いてしまい、キュルルはつい訊ねてしまう。

「……かばんさんは、怖くないんですか?」

 いつもそうだ。かばんはどんな事があっても落ち着いていて、慌てたりしているのを見た事がない。どうしてそんな風に普段通りでいられるのか。

 サーバルとカラカルがまたセルリアンに食べられるかもしれない。もう一人のカラカルも助からないかもしれないのに。

 不安に駆られるキュルルを見つめ、かばんは静かに答える。

「……怖いよ。サーバルとカラカルは戻って来ないかもしれない。もう一人のカラカルも間に合わないかもしれないって、不安で仕方ないんだ」

 かばんの返事は自分と同じ気持ちで、キュルルはほっとしたような不思議な共感と、かばんも怖いのかと若干の驚きを覚える。

「でも、今の私たちに出来るのは二人を信じて待つ事だけだから」

 かばんはちらりと施設へ視線を向ける。サーバルとカラカルはまだ戻って来ない。

「ヒトは鋭い爪も牙もない。速く走ったり高く飛んだりも出来ない。フレンズよりもずっと弱い動物だから、セルリアンと直接戦えない」

 ヒトがセルリアンに対してあまりに無力なのは、キュルルも痛いほどに分かっている。だからこうして安全な場所に避難しているのだ。

「だけど、フレンズと力を合わせる事は出来る。戦う力はないけど、一緒に立ち向かう事は出来ると思うから」

 自身の非力さを語るかばんの姿は、キュルルが今まで彼女に抱いていた印象を改めるものだった。

『頼れるヒト』『とても凄いヒト』そんな風に遠くに感じていたかばんは、自分と何ら変わらないのだと。

「おーい!」

 施設の方から声が聞こえて、キュルルとかばんは胸が高鳴る。目を向けると、サーバルとカラカルがこちらに向かって来るのが見えた。サーバルが背負っているのは、もう一人のカラカルで間違いないだろう。

「よかった……」

 キュルルは胸をなでおろし、かばんが身を翻して運転席に駆け込む。

「みんな、乗って!」

 バスのドアが自動的に開き、まずサーバルが乗り込んだ。続いてカラカルが車内に入り、キュルルが最後に乗った後にドアが閉まる。

 サーバルは最前列の席にもう一人のカラカルを座らせる。バスの座席は一人だけが座れる形になっていて、彼女を寝かせる事は出来なかった。

 かばんは後部座席を振り返り、全員がいるのを確認する。最前列にはサーバルともう一人のカラカルが、その後ろの座席にはキュルルとカラカルが座っている。まだ意識は戻っていないようで、もう一人のカラカルは項垂れてぐったりとしていた。

 かばんは顔を正面に戻し、手首に装着しているラッキービーストに話しかける。

「お願い、ラッキーさん」

「マカセテ」

 キュルルが付けているのとは若干形が違うラッキービーストが答えた直後、バスが走り出す。

 施設の中にいた異様なセルリアンと、それに食べられていたもう一人のカラカル。

 あの場所で何があったのか。もう一人のカラカルは何をしようとしていたのか。

 不安と疑問を抱く一行を乗せて、バスは走り去っていった。


 草原の間を伸びる道を横切って、地面に裂け目が出来ている。歩いていれば飛び越えられる程度の幅の溝だった。

 道を走るバスが速度を落とし、溝の手前で停止する。

「わっ、と……」

 停車の振動でもう一人のカラカルが倒れかけ、サーバルが咄嗟に席を立って彼女を受け止めた。

 サーバルがもう一人のカラカルを座り直させる間に、心配そうな顔をしたキュルルが前列の席へやって来る。

「……まだ起きないね」

 椅子に体を預けるもう一人のカラカルは、未だに目を閉じたまま動かない。

 運転席から彼女の様子を窺ったかばんが、深刻な顔で声をかける。

「あんな大きなセルリアンに食べられてたからね。無理もないよ」

 取り込まれてどれだけ経っていたのか分からないが、動物に戻っていてもおかしくはなかったはずだ。

 ただ、フレンズの姿を保っているが、記憶の方はどうだろうか。

 もう一人のカラカルの容体を確かめるため、かばんが外に出て後部座席に回ろうとした時だった。

「……いかないで」

「え?」

 サーバルの耳がか細い声を捉える。消え入りそうなその声は、すぐ傍にいたキュルルにも聞こえていた。 

「置いていかないで……ひとりにしないで……」

 目を閉じたまま、もう一人のカラカルはうわごとを呟いている。胸が締め付けられるような、ひどく寂しそうなうわごとだった。

「この子、ひとりぼっちなのかな」

 サーバルがぽつりと言った直後、もう一人のカラカルが身じろいだ。

「ん……」

 ゆっくりと瞼を開いたもう一人のカラカルは、自分が目覚めた事に驚く。

「あれ……? 私、なんで……」

 まだ頭が朦朧としている中で、彼女は目の前にいるサーバルとキュルルをぼんやりと見つめる。

「サーバル、キュルル……?」

「良かった。気がついたんだね」

 キュルルの安堵した声を耳に入れながら、意識が途切れる前の事を思い出す。

 あの時、セルリアンと化した結晶体に取り込まれたはずだ。なのに、どうして動物にも戻らず無事でいるのか。

 そして、ここはどこだ。

 周囲は壁に囲まれていて、枠で区切られた大きな窓の外には草原が広がっている。窓のあちこちにはヒビが入っていて、窓枠にも所々に錆が浮かんでいる。正面には仕切りを挟んで、小さな部屋のような空間が見えた。

 広いとは言えない、そして古びたこの空間を、もう一人のカラカルは知っていた。

「ここ、ジャパリバス?」

 記憶の中にあるものとは比べ物にならないほどボロボロになってしまっているが、この車内は覚えている。かつてフレンズやヒトを乗せてパークを走っていたジャパリバスだ。

 そのバスの座席に座っているのを認識したものの、もう一人のカラカルはまだ状況を把握しきれていなかった。

「私、何でここにいるの?」

 彼女が困惑の表情を浮かべた直後、後部座席のドアが開いた。

「あなたはセルリアンに食べられてたんだよ……覚えてる?」

 車内に足を踏み入れながら、かばんが確かめるように訊ねる。

「覚えてるわよ。私が知りたいのは何で私がここにいて、あんたたちもいるのかって事よ」

 はっきりとした返答に、かばんは驚きを露わに再び訊ねた。

「私たちの事が分かるの?」

「当たり前でしょ。何でそんな事を訊くのよ?」

 自分の質問に返答がない事に、もう一人のカラカルは若干の苛立ちを見せていた。

「あなたが記憶を失っていないかの確認だよ。かなり大型のセルリアンに食べられてたから」

「ああ。そう言う事……」

 かばんの説明にもう一人のカラカルはようやく納得し、ばつが悪そうに答える。

「ちゃんと覚えてるわ。あんたたちの事も、私が何をしたのかもね」

 イエイヌから絵を奪い、かばんの家に侵入してセルリウムを奪い、キュルルを連れ去った。

 もう一人のカラカルが指折り数えて告げた出来事は、彼女が何も忘れていない事の証明だった。

「それで、何で私がここにいるのか教えてくれる?」

「サーバルとカラカルが助けてくれたんだよ」

 キュルルが質問に答えると、後ろの席にいるカラカルが補足する。

「あんたを追いかけてたら、あんたがセルリアンに食べられてるのを見つけたの」

 もう一人のカラカルは何があったのかを察する。

 セルリアンに取り込まれていた自分を助けた後、バスで逃げたといったところだろうか。

「それにしても、あんたよく無事だったわね」

 驚きと呆れがないまぜになった口調でカラカルが言う。

 あんな大きなセルリアンに食べられたのに、動物に戻らないどころか記憶もそのままとは信じられない。

 カラカルの言葉を聞いた瞬間、キュルルの脳裏にフウチョウたちの姿がよぎった。

「強すぎる輝き……」

「なによそれ」

 怪訝な表情を浮かべるもう一人のカラカルに、キュルルは昨日教えられた事をそのまま伝える。

「フウチョウさんたちが言ってたんだ。長い時間を生き続けて、強すぎる輝きを持ってるけものがいるって。……多分、それはカラカルさんなんだと思う」

「ていうか、フウチョウって誰よ?」

 知らないフレンズの名前にカラカルが反応する。

 キュルルと出会ってから色んなフレンズと会ったが、フウチョウと言うフレンズに会った事はないはずだ。

「黒い鳥でいつも二人一緒にいるフレンズなんだけど……ぼくもよく分からない」

 神出鬼没のあの二人についてどう説明すればいいのかと、キュルルは困ってしまう。

「私が長生きしてるのは分かるけど、輝きが強すぎるっていうのは信じられないわ」

 もう一人のカラカルは胸元に提げているものをかざそうと手を伸ばす。

「多分これのこと、じゃ……」

 そこにあるはずのものに手が当たらず、彼女は一瞬で血の気が引いた。まさかと思い視線を落とし、絶句する。

「ない……お守りがない!」

「あ!?」

 キュルルが思わず声を上げる。もう一人のカラカルに何か違和感があると思っていたら、首から提げていた丸い飾りがなくなっている。あれはお守りだったのか。

「いつからなかった!?」

 もう一人のカラカルが血相を変えて立ち上がり、キュルルの肩を掴む。

「ちょっとあんた!」

 それを目にしたカラカルが叫ぶが、もう一人の自分はこちらを一瞥する事もしない。歯牙にもかけないその態度に苛立ちを覚えた時、キュルルの声が耳に届く。

「ごめん。分からない。今気付いたから……」

 申し訳なさそうに言った後、サーバルも質問に答える。

「私たちが助けた時にはもうなかったんじゃないかな」

 もう一人のカラカルは呆然と立ち尽くす。お守りをどこでなくしたか、可能性が高いのは……。

「あのセルリアンに奪われたのかもしれないね」

 かばんの言う通りだろう。それしか考えられない。あのお守りには、自分とは比べ物にならない力が宿っているのだから。

「行かなきゃ」

 もう一人のカラカルは悲壮な表情でキュルルの肩から手を離す。セルリアンに奪われたのなら、やる事は一つだけだ。

「行くってどこに?」

 足を踏み出そうとした彼女は、キュルルの問いに動きを止める。

「お守りを取り返さなきゃいけない。あれは絶対にセルリアンに渡しちゃいけないものだから」

「じゃあ、私たちも一緒に行くよ」

 サーバルが当然のように申し出るが、返事はにべもないものだった。

「あんたたちには関係ない」

「関係ない事ないでしょ!」

 はっきりと拒絶する彼女にカラカルが食い下がる。

 大型セルリアンを難なく倒せるくらい強いのなら、手伝いなんていらないのかもしれない。だけどこうもそっけなく拒まれると無性に腹が立った。

「ぼくたちに出来る事はないの?」

「あんたたちがいても邪魔にしかならないわ」

 少しでも力になりたいと願ってキュルルが訊ねるも、もう一人のカラカルは顔を背けて拒否する。

 あまりの言い草にカラカルが口を開きかけた時、かばんの穏やかな声が車内に届いた。

「優しいんだね、あなたは」

「はあ!? 何なのいきなり!?」

 突拍子のない言葉に、もう一人のカラカルは顔を赤くする。

「この子たちを巻き込みたくないんでしょ?」

「足手まといになるって言ってるの!」

 声高に否定する様子は、かばんにはムキになっているように見えた。

 もう一人のカラカルの物言いに怯みつつも、キュルルが話しかける。

「あの、カラカルさん。訊きたい事があるんだけど」

「何を?」

 緊張からドクドクと音を立てる胸を押さえ、キュルルは昨日から気になっていた事を訊ねる。

「ぼくたちは、前にもどこかで会ったことがあるの?」

 次の瞬間、もう一人のカラカルが硬直する。キュルルになにか言いたげに口を動かすも言葉はなく、驚愕とありありと浮かべて動揺していた。

 やがて泣きそうに顔を歪めると、彼女は首を横に振った。

「ないわ。かばんの家で会ったのが初めてよ」

「……本当に?」

 もう一人のカラカルはキュルルから目を逸らし、否定も肯定もせず黙り込む。

 誰も口を開かず、沈黙がバスの中を支配する。先ほどまでの騒々しさが嘘のような静かさだった。

 身動きひとつすら憚られてしまう静寂。それを破ったのは、かばんだった。

「もしかして、キュルルさんと会うのは初めてでも、キュルルさんによく似た誰かと会った事があるの?」

「なっ……!?」

 もう一人のカラカルは目を見開いて、完全に虚を突かれたようにかばんを見つめる。

「なんで、そう思ったの?」

「なんとなく。私も似たような事があったから」

 その返事だけで、もう一人のカラカルはかばんに何があったのかを察する。

 おそらく、かばんも経験をしているのだ。大切な友だちと何らかの形で別れて、その友だちと同じ姿の誰かと出会った経験が。

「かばん、答えて。あんたも同じ事があったの?」

「……うん。あるよ」

「そう……」

 やはりか、と納得し、もう一人のカラカルは溜息を吐いて座席に腰を下ろす。

「昔の友だちにそっくりなのよ、キュルルは」

 寂しそうに笑って、彼女は語り出す。


 もうずっと昔、キュルルとそっくりな子どもと出会い、親友と一緒にパークを案内したり、イエイヌと一緒に遊んだりしていた事。

 その子が描いてくれた絵を当時のイエイヌに預けた事。

 女王と呼ばれる強力なセルリアンが現れ、パークに遊びに来ていたその子が食べられてしまった事。

 友だちを助けるため、親友は無茶な野生解放の果てにビーストになってしまい、動物に戻ってしまった事。

 親友のお陰で友だちは助かって、一時的に色の区別が出来なくなったものの、回復して『おうち』に帰った事。

 その後にパークに異変が起きて、パークに遊びに来るヒトがいなくなり、友だちとはそれっきりだという事。


「そっか。だから野生解放は使うなって」

 キュルルは納得して呟く。

 野生解放が原因でも親友を失ったから、もう一人のカラカルはサーバルのビースト化を心配していたのかもしれない。

「野生解放をしたサーバルを見たら、親友の事を思い出しちゃってね……放っておけなかった」

 もう一人のカラカルは遠い目をして答える。

 かばんの家で対峙したあの時、野生解放状態のサーバルと親友の姿が否応なしに重なった。

 サーバルを気絶させて止めたのは、またサーバルがビーストになってしまうかもしれないという恐怖からだ。

「キュルルを見た時には驚いたし、嬉しかった。もう会えないと思ってた友だちとまた会えたみたいで」

「でも、キュルルはキュルルでしょ」

 キュルルはその子じゃないと、カラカルが声を上げる。

「分かってるわよ、そんな事は。それでも嬉しかったのよ」

 もう一人のカラカルの話に耳を傾けていたキュルルは、ふと思いついて問いかけた。

「……ぼくたちが取り戻そうとしてた絵って、ひょっとしてカラカルさんがイエイヌさんに預けた絵なの?」

 イエイヌから話を聞いた時から引っかかっていた『何故もう一人のカラカルは絵があるのを知っていたのか』と言う疑問。

 もし予想が合っていれば、絵について知っているのは当然だ。彼女がイエイヌに絵を預けたのだから。

「そうよ。今のイエイヌはそんな事知らないけどね」

 もう一人のカラカルは遠い過去に思いを馳せる。

 絵を預けたイエイヌがいなくなって長い時間が経って、イエイヌが何度代替わりしたか分からない。

 どうしてあの家に絵があるのかなんて、現在のイエイヌは知らないだろう。絵を描いてくれたあの子との思い出は、過去のイエイヌのものだから。

「あの絵に描いてある親友やガイドさんにもう一度会いたくて、セルリウムを使って再現しようとしたのよ……見事に失敗して、私はセルリアンに食べられた訳だけど」

 キュルルたちがやって来たのはちょうどその時だろうと、もう一人のカラカルは達観した顔で告げる。

 彼女の目的は分かった。しかしまだ気になる事があり、かばんが問いかける。

「あなたはどうしてあの場所にいたの? 絵とセルリウムを手に入れたのなら、わざわざあそこまで行く必要はないよね?」

「それは……」

 もう一人のカラカルは言葉を詰まらせる。

 あの結晶体の事も話せば、キュルルがあの子のコピーである事に気付くだろう。それはキュルルを傷つける事にならないだろうか。

「教えて欲しい。あそこじゃないと再現ができない理由、何かあるんだよね」

 再度かばんが訊ねて来る。誤魔化すのは無理だと悟り、もう一人のカラカルは決意する。

「セルリウムが物の形をコピーして生まれるのがセルリアンだけど、セルリアンは輝きを奪ってその形をコピーしたり、能力を真似たりする。当然、女王もその力を持ってるわ」

「輝きって何?」

 フウチョウたちも同じ事を言っていたのを思い出しながら、キュルルが言う。

「記憶ややる気、情熱や思い入れ。そんな目には見えないけど大切なもの。それが輝き。元になった輝きが強いほど、それを奪ったセルリアンも強くなる」

「じゃあ、さっきのセルリアンがあんなに強かったのって」

「それだけ強い輝きを奪ったって事?」

 サーバルとカラカルが顔を見合わせる。

 普通のセルリアンよりも遥かに固く、砕いても元に戻る再生力。

 キュルルが言っていた強すぎる輝きが、あのセルリアンに力を与えたという事か。

 同時に、フレンズ型セルリアンが手強かった理由も分かる。博士たちは思い入れと言っていたが、それはつまりキュルルの輝きが強かったという事なのだ。

「女王は倒したけど、普通のセルリアンみたいに消えた訳じゃない。活動が止まった後に結晶化して、それがあの施設にずっと残ってたのよ」

「待って、待ってよ。それじゃあ……」

 恐ろしい可能性に気付いてしまい、キュルルが震える声で口を挟む。

「ぼくがいたのって、女王の中なの? ……ぼくは、セルリアンなの?」

「何でそんな事言うのよ。あんたはヒトでしょ?」

 セルリアンの訳がないとカラカルは言うが、キュルルの不安は増すばかりだった。

「でも、カラカルさんが言ったじゃないか。ぼくとそっくりな友だちがセルリアンに食べられて、セルリアンは輝きをコピーするって……!」

 自分はヒトではなくセルリアンかもしれない。その可能性はキュルルを怯えさせるのに十分で、みんなとはもう一緒にいられないという思いが駆け巡る。

「あんたはセルリアンじゃないわ。あの子とそっくりな、正真正銘のヒトよ」

 キュルルの不安を読み取ったように、もう一人のカラカルははっきりと言い切った。

「キュルルちゃんはやっぱりヒトなんだね」

「ほら。セルリアンなんかじゃないじゃない」

 サーバルとカラカルは案の定だと言わんばかりの反応を見せる。しかし、キュルルは不安な表情を浮かべたままだった。

「でも……それならどうしてぼくはあそこにいたの? どうしてカラカルさんの友だちにそっくりなの?」

 今にも泣き出しそうな顔を向けられたもう一人のカラカルは、落ち着いた声で答える。

「キュルルがいたのは、確かに女王だった結晶体の中よ。あんたがあの子のコピーなのは間違いないわ」

 やはりそうなのかと、キュルルは表情を暗くして俯く。

 自分はどこかから来たのではなく、パークで生まれたコピー。うっすらと覚えていた『おうち』は、自分が帰る場所ではなかったのだ。

 そう思った途端、鼻の奥がつんと痛くなった。

「でも、キュルルはセルリアンじゃない。だって、輝きを奪うなんて事は出来ないでしょ?」

「この子がそんな事出来る訳ないでしょ」

 カラカルが唇を尖らせる。キュルルのために不満を見せた相手にふっと笑い、彼女と同じ姿のフレンズは穏やかに問いかける。

「パークを冒険してたって聞いたけど、キュルルは何をしてた?」

「みんなの絵を描いてたよ。どれもすっごく素敵で、渡された子は喜んでた」

「でも、そのせいでセルリアンが出たんだ」

 自分のせいでみんなに迷惑をかけた。その思いに捉われるキュルルは、サーバルの言葉を素直に受け取ることが出来なかった。

「キュルルが描いた絵からセルリアンが出たって事は、その絵に輝きが宿ってたってだけの話よ。……セルリアンは輝きを奪う事は出来ても、生み出す事は出来ないわ」

 例外はあの子だけだと、もう一人のカラカルは思い出す。

 始めは女王に従うセルリアンだったけど、それに逆らって自分の輝きを生み出してフレンズになった、サーバルとよく似た姿の友だち。

「輝きを生み出せて、けものじゃないキュルルは、ヒトなのよ」

「……そっか」

 セルリアンではなくヒト。そう断言されたキュルルは、不安から解放されたように顔を上げる。

「奪われた輝きって、どうやったら取り戻せるの?」

 唐突な質問に、もう一人のカラカルは目を瞬かせた。

「輝きを奪ったセルリアンを倒せば戻るわ」

「じゃあ、みんなであのセルリアンをやっつけよう!

「でもどうやって倒すのよ?」

 サーバルとカラカルが当然のように応じて、もう一人のカラカルは面食らってしまう。

「どうしてあんたたちがそこまでしようとするの?」

 自分は絵やセルリウムを奪い、キュルルを連れ去った犯人で、さっきも酷い事を言った。なぜそんな相手を助けようとするのか。

「だって、放っておくなんて出来ないよ」

「あんたが持ってたお守りって大事なものなんでしょ?」

 ごく自然に言い切る二人に、もう一人のカラカルは胸にこみ上げるものを感じる。

 そうだ。フレンズはみんなこうだった。困っている誰かがいれば手を差し伸べて、誰かが苦しんでいれば助けようとする。ずっと昔からそれは何も変わってない。

 変わってしまったのは、自分のほうだ。

「カラカルさん?」

 唐突に涙を零した彼女に、キュルルが声をかける。もう一人のカラカルが何故泣いているのか分からず、ただ見ている事しか出来なかった。

「……ごめんなさい」

 静かに滂沱していたもう一人のカラカルは謝罪の言葉を絞り出す。自分でも何について謝っているのかはっきりしなかったが、キュルルたちに言わなくてはいけなかった。

 しばし嗚咽を漏らしていた彼女は乱暴に涙を拭く。一気に泣いてすっきりしたのか、晴れ晴れとした顔になっていた。

「……私は、あの絵とお守りを取り戻したい」

 セルリアンに奪われたままにはさせたくないと、もう一人のカラカルは言う。

「都合がいいのは分かってる。でも、もしあんたたちが構わないのなら」

 不安と期待を滲ませて、車内にいる全員に告げる。

「力を、貸してくれる?」

 断られたらそれは仕方のない事だ。一人でセルリアンに挑み、お守りと絵を取り返すしかない。

 固唾を呑んで返事を待つ。ひどく長く感じる一瞬が過ぎた後、一つの手が差し出された。

「取り戻そう。みんなで」

 嬉しさと感謝を噛み締めながら、もう一人のカラカルは手を伸ばし、キュルルの手を握る。

「みんな一緒なら大丈夫だよ」

 二人が繋いだ手にサーバルが手を重ね、更にかばんも手を乗せた。

「あのセルリアンを放っておけないしね」

 その直後、キュルルが手を繋いだままサーバルの方に詰める。かばんもキュルルと密着するほどに詰めて、座席と座席との狭い通り道を開ける。

 カラカルがかばんの隣に移動して、迷いなく腕を伸ばして手を重ねた。

「あんただけじゃ心配だしね」

「……ありがとう」

 もう一人のカラカルは、サーバルたちの手の上から更に手を乗せた。

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