第4話 フレンズ違い

 どこまで行くんだろう。

 慣れてしまった揺れを感じながら、もう一人のカラカルに担がれたままのキュルルはぼんやりと思う。

 以前オオセンザンコウとオオアルマジロに連れていかれた時は違って、檻に入れられていないので窮屈ではない。しかし抜け出そうとすると足に爪を立てられて痛いので、結局おとなしく運ばれるしかない。

 だが、キュルルは腕に付けているラッキービーストの通信機能を使い、こっそりかばんに連絡をしていた。

「サーバルとカラカルと一緒に君たちを追いかけてる。私たちが到着するまで相手を刺激しないように気を付けて」

 かばんからの返事は安心できるもので、幸い犯人のカラカルにはばれていないようだった。

 迎えが来てくれる。それまでの我慢だと思った時、だんだんとスピードが落ちていくのに気づいた。

 やがてずっと続いていた揺れが収まる。辺りを見てみると、生い茂る木々が目に映る。どこかの森の中にいるようだ。

 足を止めたカラカルがキュルルに声をかける。

「じっとしてて、降ろすから」

 かばんの家で博士と助手、サーバルとカラカルを叩きのめしていた様子が頭をよぎり、放り出されると思ったキュルルは身を強張らせる。

 カラカルはゆっくり屈むと、キュルルの足が地面に付いたのを確認してから腕を離した。

「え?」

 そっと降ろされたキュルルは拍子抜けしてしまう。ぽかんとしている内に相手が立ち上がり、もう一人のカラカルと正面から向き合った。

 こうして間近で見てみると、いつも一緒にいるカラカルよりも少し体が大きい気がする。首から提げている平たく丸い飾りには、いくつかの模様が入っていた。

「キュルル。って呼ばれてたわね、あんた」

 キュルルが無言で頷くと、カラカルは頭を下げた。

「ごめんなさい。怖い思いをさせて。あの子たちにも悪い事をしたわ」

「えっ、と……」

 キュルルはどうすればいいのか分からずに戸惑う。相手の話し方は穏やかで、かばんの家を出る時までの容赦のなさとはまるで違っていた。

 まごついている間にカラカルが姿勢を戻す。

「あんた、さっきかばんって子と話してたでしょ?」

 キュルルはぎくりとして一瞬息を止める。かばんと連絡している時は何もされなかったからばれていないと思っていた。

「……全部聞こえてたのよ。かばんが迎えに来てくれるんでしょ?」

「……うん」

 怒らせたかと不安になり、俯いたキュルルが素直に認める。カラカルは耳が良い。誤魔化すのは無理だ。

「あまり時間はなさそうね」

 ぽつりと呟いて、カラカルは言葉を続ける。

「あんたの腕にあるの、もしかしてラッキービースト?」

 どくん、と胸が大きく鳴るのをはっきりと感じて、キュルルは咄嗟にラッキービーストを手で押さえた。もし取り上げられたら、壊されたら。かばんと連絡が出来なくなる。

 警戒と怯えの眼差しを向けられたカラカルは、腰をかがめてキュルルと目線を合わせた。

「怖がらないで。……って言っても無理よね。友だちに襲いかかった相手にこんなところまで連れて来られたんだもの」

 怖いのは当たり前だと言って、真摯な表情で告げる。

「私はキュルルを襲ったりしない。だから、かばんが迎えに来るまで付き合ってくれる?」

 真っすぐ見つめられたキュルルは目を丸くする。声も雰囲気も違うけれど、やはり彼女もカラカルだ。

 相手への不安と怖さが少し薄れて、それでも恐々と訊ねた。

「……どうしてこんなことしたの?」

 圧倒的な強さでサーバルたちを倒すさまは、サーバルやカラカル、ジャイアントパンダなどがセルリアンを倒していた時とは違う。イエイヌとビーストが戦っている時と似ていて怖かった。

 彼女はフレンズなのに、同じフレンズを襲っていたのだ。

「それはあんたをここまで連れて来た事? かばんの家であの子たちと争った事?」

「両方。イエイヌさんの絵を持っていった事もだよ」

 博士と助手も叫んでいたが、このカラカルがイエイヌから絵を奪った犯人で間違いないはずだ。

 一緒に旅をしたカラカルと声が違うし、首には丸い飾りを提げていて、右腰にはポーチを身につけている。イエイヌから聞いた犯人の特徴と同じだ。

 目線を合わせたまま、カラカルは静かに答える。

「あの絵とセルリウムは、私の目的のために必要なものだったから」

「目的って?」

「それは秘密」

 キュルルは思わずむっとする。不満に口を尖らせていると、カラカルがかすかな笑みを見せた。

「あんたをここまで連れて来たのは、二人で話がしたかったからよ。あの状況じゃ落ち着いて話なんか出来なかったから」

「ぼくと? なんで?」

 どうして自分と話したいのか、思い当たる事が全くないキュルルは首を傾げる。

 かばんと話をしたいのなら分かる。パークのために研究や調査をしているかばんは『博士と助手と一緒にいる物知りなヒト』とフレンズたちに知られているからだ。

 カラカルは屈んでいた体を起こし、傍に倒れていた木に腰を下ろした。座るように促されて、キュルルは彼女から離れた片端に座った。

「キュルル、あんたはどうやってジャパリパークに来たの?」

「どうやってって……」

 初めて会ったフレンズにそんな事を訊かれるとは思わず、面食らったキュルルは俯いてしまう。

 パークに来る前にいたはずの『おうち』はうっすらと覚えている。だけどそこからどんな方法でパークに来たのかは覚えていない。

「……分からない。気が付いた時にはこのパークにいて、それより前の事をほとんど思い出せないんだ」

 今まではおうちを探す事や、みんなの役に立てる事を探すのが先で、どうして自分がパークにいたのかを考える事はあまりなかった。

「そう。気が付いた時はどこにいたの?」

「サバンナにある建物だよ。そこにある丸い変なものの中で、ずっと眠ってたみたいなんだ」

 カラカルの質問に答えながら、キュルルは少しずつ疑問を抱き始めていた。

 なんであの場所にいたんだろう。あの場所で眠る前までは何をしていたんだろう。

 ……分からない。覚えている気がするのに、頭の中で何かちらついている気がするのに、思い出せない。

 一方、カラカルは目を見開いて絶句していた。俯いたままのキュルルを見つめ、探るように問いかける。

「もしかして、あんたのバッグもそこに?」

「うん。ぼくがいた場所にスケッチブックと一緒にあったんだ」

 何で分かったのかと不思議に思いながら、キュルルは肩から提げていたバッグを膝の上に乗せる。どうしてバッグのありかを知っていたのか訊こうとして、それより先にカラカルが言った。

「目が覚めた後はどうしてたの?」

「カラカルとサーバルに会って、一緒にパークを冒険してたんだ。色んな場所に行って、たくさんのフレンズと会って、それで……」

 みんなの絵を描いていた。弾んだ口調で話していたキュルルは、そう続けようとして口をつぐむ。

 頭をよぎったのは、ホテルでのあの出来事。自分の絵のせいでみんなを危険な目に遭わせてしまった事は、思い出すたびに気持ちが沈んだ。

 明るく話していたキュルルが急に顔を曇らせたのを見て、気まずくなったカラカルは話題を変える。

「もう一人の私と一緒で、あんたはサーバルの友だちなんでしょ?」

「……うん。カラカルは親友だって言ってた」

 同じサバンナエリアに住んでいて、自分と会う前から仲が良かったらしいとキュルルは話す。

「サーバルに言っておいてよ。『野生解放は使うな』って」

 切実な思いが伝わる話に耳を傾けながら、キュルルはカラカルの言葉が気になった。

「野生解放って何?」

 かばんの家から去る時にも言っていたが、サーバルは何か危ない事をしていたのか。

「……やっぱり知らないか」

 一瞬憂い顔を見せたカラカルは、諦観と納得が混ざったような口調で呟いた。そして、確認するように問いかける。

「今日以外にもサーバルがあんな風になった事はない? こう、いつもよりも動物っぽい感じで、目が光ってる状態」

 キュルルはすぐに思い出す。イエイヌと一緒にビーストと遭遇した時、サーバルは普段よりも際立って野生的だった。

「あるよ。目が光ってたかは分からないけど」

 あの時はサーバルの後ろにいて、さっきは少し離れていたので目の状態までは分からない。だけどサーバルがいつもと違っていたのは分かる。

 キュルルが知っている事をある程度把握し、カラカルが頷いた。

「フレンズは自身が持ってるサンドスターを使って、一時的に能力を引き上げる事が出来るの。普段よりも強い状態になるのが、野生解放」

 野生解放をしている間は目が光る。さっきのサーバルも光る目をしていたと話して、再びキュルルに質問する。

「サンドスターが動物をフレンズにするのは知ってる?」

「うん。全部の動物がフレンズになれる訳じゃなくて、たまにビーストになる事もあるって」

 キュルルがかばんから教えてもらった事をそのまま答えると、カラカルは驚いたように目を見張った。

「ビーストの事も知ってるのね」

「……旅をしてる時に何度も会ったんだ」

 キュルルはホテルでの騒動以来会っていないビーストに思いを馳せる。彼女は無事だったんだろうか。今どこで何をしているんだろうか。

 思いのほか多くの事を知っていたキュルルに、カラカルは説明を続ける。

「サンドスターはフレンズやビーストにとって、その姿を維持するために必要なものでもあるの。むやみに野生解放をすれば、サンドスターを消耗して寿命を縮める事になる。……野生解放が過剰に強まった状態になると、フレンズがビーストになる事もある」

 力を引き出せるが代償も大きい。野生解放の事を全く知らなかったキュルルは背筋が寒くなる。

「……怖いね」

 もしかしたらサーバルがビーストになっていたのかもしれない。旅をする間に何度も会っていたビーストは、元はフレンズだったのかもしれない。

「昔はどのフレンズも当たり前に野生解放が使えて、体の一部みたいなものだったんだけどね……。今ではごく稀に使える子がいるけど、野生解放の事を知ってる子はほとんどいない」

「どうして?」

 使えて当たり前だったものが何で消えてしまったのか。キュルルが疑問をぶつけて、カラカルは分からないと首を横に振った。

「パーク内のサンドスターの量が昔より減っているのか、今のフレンズたちが持てるサンドスターが少ないのか……。正確な事は調べようがないわ」

 野生解放はある日いきなり使えなくなったのではなく、時間と共に使えるフレンズが減っていったと話しながら、胸元の飾りをいじる。

「使えないし教えられてないから、野生解放は忘れられちゃったのよ。だから今の子たちは野生解放の事も、自分たちにそんな力があった事も知らない。……他にもたくさんの事がパークから忘れられちゃった」

 ひどく寂しそうな横顔に、キュルルは胸が締め付けられるような気がした。目の前にいるはずのカラカルが遠く感じて、次第に不思議な感覚が湧いてくる。

 彼女とは初めて会ったはず、なのに……。

「あの……カラカルさん」

「ん?」

 初めて名前を呼ばれたカラカルが振り向く。心臓が脈打つ音を聞きながら、キュルルは一度深呼吸をする。

「ぼくたちは前にも――」

 次の瞬間、カラカルが顔色を変えて急に立ち上がった。キュルルは思わず言葉を呑み込んで、緊張感を漂わせるカラカルを見上げる。

 何か音を聞きつけたのか、大きな黒い耳がせわしなく動いている。キュルルも耳を澄ましてみるが、変な音は聞こえない。

「こんな時に……」

 代わりにカラカルがぼやくのが聞こえて、振り返った彼女に手首を掴まれた。

「逃げるわよ」

「え?」

「ほら早く!」

 カラカルはキュルルの手を引いて立ち上がらせると、すぐに走り出してその場から離れる。

 訳も分からず足を動かしながら、キュルルは必死に話しかける。

「どうしたの!?」

「大型のセルリアンが来てる!」

 手をしっかり握って離さず、カラカルはキュルルが追い付ける速度を保って走る。立ち並ぶ木々が後ろに流れていき、間もなく森を抜けて視界が開けた。

 直後、巨大な影が目の前を遮る。

「ああもう!」

 苛立った声を上げたカラカルが飛び出して、いきなり手を離されたキュルルは体勢を崩してしまう。

「わっ、と」

 転びかけたところで辛うじて踏み止まるのと同時に、何かを叩くような音が響いた。

 顔を上げたキュルルは、飛び下がって来たカラカルの背中越しに巨体がよろめく様を目に入れる。

「恐竜……!?」

 二本足で支える黒い体はジャパリバスよりも遥かに巨大で、奥行のある頭の左右には丸い穴が並んでいる。そこにない目玉の代わりに、鼻先にある一つ目がこちらを向いていた。

「あれもセルリアンなの?」

「そうよ」

 今まで見て来たのとは明らかに違う、生き物のような姿のセルリアンにキュルルが息を呑み、カラカルはキュルルを庇いながらセルリアンを睨む。

 かなりの大型だ。こんなのがいるのに気付けなかったのは、今も後ろから迫って来るセルリアンの音に紛れていたせいか。

 体勢を立て直し、鼻先の一つ目で見下ろしてくるセルリアンから目を離さず、カラカルは背後のキュルルに話しかける。

「キュルル、まだ走れる?」

「う、うん」

 よし、と頷いてカラカルが続ける。

「私が囮になるから、全力でここから離れて。後ろのまで来たら、流石にあんたを守り切れないわ」

 今すぐ逃げるよう促されたものの、キュルルは素直に応じる事が出来ない。ホテルでの騒動の記憶が逃げる事をためらわせていた。

「またぼくだけ逃げるなんて……」

 あの時と同じだ。セルリアンと戦うカラカルを置き去りにしてしなくちゃいけないのか。

「いいから早く!」

 カラカルが急かした直後、セルリアンが大きな口を開いた。そこに一瞬で光の塊が生まれるのを目にし、カラカルは即座に身を反転させる。

 キュルルを担ぎ上げて前へ跳んだ刹那、セルリアンが光の塊を吐き出した。

 光が音を立てて地面に当たり、それを見たキュルルはぞっとする。もしカラカルが助けてくれなかったら直撃だった。

「犯人の事なんか気にしなくていいの」

 先ほどと同じようにキュルルを足から降ろし、カラカルは再びセルリアンに向き直った。

「大丈夫。セルリアンは私が何とかする。絶対にあんたたちの所へは行かせない」

 彼女の後ろに立つキュルルは項垂れて、握りしめた手を震わせる。

 ここにいても何も出来ない。カラカルの足手まといにしかなれない。

「走って!」

 叱咤の声が飛び、唇をきつく引き結んだキュルルが走り出す。

 全力で走って、カラカルとセルリアンから離れていく。

 遠ざかる足音でキュルルが逃げたのを把握し、カラカルはひとまず胸をなでおろす。

 答えを聞きそびれたが、キュルルが腕に付けていたのはおそらくラッキービースト。それを使って通信していたのなら、かばんはラッキービーストの信号を追って迎えに来ているはずだ。

 頭を低くして突進してきたセルリアンを軽々とかわし、カラカルは改めてセルリアンを見上げる。

 大型な上に体が黒い。通常のセルリアンよりも強力なセルリアンだ。大半のフレンズの手に追えず、ハンターでも苦戦するだろう。

 だからこそ放置するわけにいかない。ここで仕留めなければ犠牲者が出るし、後にも大型が控えている。

「さて……お掃除といきましょうか!」

 気迫に満ちた顔で、カラカルはセルリアンに挑んでいった。

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