第3話 邂逅と衝突
時間は少し遡る。
穏やかな波が寄せては引き、心地よい音が静かに響く入り江で、誰かの話し声がしていた。
入り江の浜には頭に羽がある人物が三人。そのうちの二人は姿形がよく似た、しかし体の大きさと毛の色が違う鳥のフレンズだ。
「それは一大事だね。もう一人のカラカルについて、何か分かる事はある?」
真剣な面持ちで言ったのは、赤と青の二枚の羽飾りが付いた帽子を被ったヒト。右手首にはキュルルが身につけているのとは微妙に異なる形のラッキービーストを装着している。
『声が少し違ってたみたいです。腰のあたりにバックみたいのがあって、胸のあたりに小さな丸いものがぶら下がってたってイエイヌさんは言ってました』
そのラッキービーストが点滅してキュルルの声が発せられる。遠くにいる誰かと話せるラッキービーストの通信機能を使って、帽子の人物はこの場にいないキュルルと話をしていた。
「……出かけたばかりで悪いけど、私の家まで戻って来てくれる? そのカラカルについて話がしたい」
『はい! すぐ戻ります!』
キュルルの返事を最後にラッキービーストの点滅が収まって通信が切れる。
帽子の人物、かばんの傍で話を聞いていた、彼女の助手を務めるアフリカオオコノハズクの博士が小さく溜息を吐いた。
「フレンズ型セルリアンの次は、もう一人のカラカルですか」
博士の隣に立つ、助手のワシミミズクも似たような同じ反応を見せる。
「また妙なのが出て来たのです」
どうしてこう立て続けに問題が起きるのか。研究に集中できないとぼやく。
もう一人のカラカルがイエイヌの家にやって来て、絵を奪っていった。
以前現れたフレンズ型セルリアンに比べれば危険性は低いかもしれないが、フレンズがフレンズを襲っているというのを見過ごすわけにはいかない。
「とりあえず、今日はもう帰ろう。あの子たちも家に来るからね」
そう言って海に背を向けて歩き出したかばんに続き、調査に付いて来た博士と助手も浜辺を後にする。
調査して分かったのは、海のセルリウムの量は明らかに減っており、以前までの発生量が異常だったと考えられるという事だった。
三人は海沿いの道に止めていた黄色いバスに乗り込み、運転席に座るかばんがハンドルを握った。
「発車スルヨ」
彼女の腕のラッキービーストが声を発してバスが走り出す。黄色い車体はあちこち傷だらけで錆が浮かんでボロボロだが、キュルルたちが使っているトラクターよりも遥かに速い速度で海から遠ざかっていく。
時折大きく揺れつつも道を進み、海が見えなくなってしばらく経った頃、ラッキービーストがかばんに知らせた。
「電池ガ残リ少ナイヨ」
「帰ったら充電しないとね……家までもつかな」
途中で無くなりませんように、とかばんは祈る。
広いパークを周るのに欠かせないジャパリバスだが、長く使っているのでガタが来ていて、ラッキービーストに教えられながらタイヤなどの部品の交換をした事もある。
パークにはバスと似たような乗りや物、それを点検、整備するような場所があり、時々そこに行っては部品を貰って来るのだ。
電池の残量に気を配りながらバスを走らせていると、後ろの席から声が聞こえた。
「かばん、もう一人のカラカルについてどう思いますか」
ハンドルから手を離さないまま、かばんは博士へ答える。
「やっぱり同じ種類のフレンズじゃないかな。ただ、新しいビーストの可能性もあると思う。その子も」
話している途中でバスが揺れて、かばんはいったん言葉を切ってから続けた。
「……その子もカラカルなら、キュルルと一緒にいるカラカルがまた誤解されるかも。……なんにせよ、放っておく訳にはいかないよ」
ジャングルで起きていた縄張り争いのように、フレンズ同士で揉め事はしばしば起こる。だけどそれは住む場所の境界線を決めたりしたいだけで、好き好んで相手を襲って傷つけようとしている訳じゃない。
だがもう一人のカラカルがやった事は、縄張り争いなどとはまるで違う。フレンズがフレンズに襲い掛かかった上、相手が大切にしていたという絵を奪っている。自分が知る限りでは初めての、そして目に余る事件だ。
「……同じ種類のフレンズか」
前を向いたまま、かばんはぽつりと呟く。その目はどこか寂しそうな光を湛えていたが、後部座席にいる博士と助手には当然かばんの表情は見えなかった。
道の先に建物の頭と長い壁がせり上がるように見え始めて、かばんは胸をなでおろす。ここまで来れば家まであと少し。電池は何とかもちそうだ。
壁の一部は黒く大きな扉になっていて、目の前にバスが迫ると自動的に左右に動いて開いた。その向こうには木々の生い茂る道が伸びている。バスは扉を通り抜け、森の中を進んでいった。
さほど経たないうちに、バスは大きな広場に出る。そこにある丸い屋根の建物を四つくっつけたような、大きく頑丈そうな建物がかばんたちの家だ。
少々離れた両脇には家よりも低い建物があり、バスは左奥の三角屋根の方、研究所を有するガレージへと向かって行く。
バスが数台止められるほど広いガレージの中に入って、かばんはバスを停めた。後部座席の最前列に座っていた博士と助手が先に降りて、運転手のかばんが最後にバスから降りた。
「セルリウムをしまっておくのです」
「うん。ありがとう」
バスの中に置いていた背負い鞄を博士から渡され、かばんは微笑んで受け取った。白い鞄を肩に引っかけ、ガレージの奥にある研究所へ移動する。
研究所に入ると同時に、博士と助手は怪訝な表情を浮かべた。
かばんは室内の中央を占めるテーブルに荷物を下ろして、鞄から瓶を取り出した。採取した黒い泥のようなセルリウムが瓶の中でたゆたう。
かばんが瓶の栓を確認する間、博士と助手は互いの顔を見合わせて頷いた。
「かばん、待つのです」
博士の緊迫した声に、壁際の戸棚に向かおうとしたかばんが振り返る。
「どうしたの? 二人とも」
何故か博士が険しい面持ちでこちらを見ていて、助手が出入り口を塞いでいた。
「テーブルの陰に誰か隠れているのです」
「部屋に入った時、微かに音が聞こえたのです」
かばんは息を呑み、テーブルの死角の位置をじっと見つめる。
博士と助手はサーバルやカラカルに負けず劣らず耳が良く、音の位置を正確に捉えられる聴覚の持ち主だ。それに助けられた事は何度もある。自分には何も聞こえなかったが、二人には微かな物音が聞こえたのだろう。
「いるのは分かっているのです。さあ、出てくるのです!」
隠れても無駄だと博士が呼ばわる。かばんと助手は口を出さず、無言でじっと反応を待つ。
研究所はしんと静まり返り、物音ひとつしない。ひどく長く感じられる僅かな時間が過ぎて、声が返って来た。
「流石はコノハ博士にミミちゃん助手。気付かれてたのね」
初めて聞く声に名前を呼ばれた博士と助手が眉を寄せる。向こうはこちらを知っているようだが、こちらは全く心当たりがない。
直後、テーブルの影から三角の黒い耳が現れる。
「え……?」
堂々と姿を見せた侵入者に、かばんは息を呑んで目を見開いた。
先端から房毛の生えた大きな黒い耳。色以外はサーバルとそっくりの服の胸元には、小さな丸い飾りが揺れている。
声こそ違うが、目の前にいるのは紛れもなく。
「……カラカル……?」
キュルルと一緒にいるはずのカラカルと全く同じ姿のフレンズだった。
かばんを見た途端、もう一人のカラカルははっとした様子を見せる。
「あんた……」
かばんが反応する前に博士の鋭い声が飛ぶ。
「イエイヌから絵を奪ったのはお前ですね」
胸元にある小さな丸いもの。テーブルに遮られてよく見えないが、腰にも何か身につけている。キュルルから聞いた犯人の特徴と同じだ。
「情報が早いわね。もうここまで伝わってるの」
少々驚きはしたものの、もう一人のカラカルはいきなり投げつけられた言葉を否定しない。犯人だと認めているも同然だった。
まるで動揺していない彼女に困惑を覚えながら、一番近い位置にいるかばんが訊ねる。
「……あなたの目的は?」
イエイヌから絵を奪った犯人がどうしてここにいるのか。ここにあるものは、大半のフレンズにとってあまり価値がないものだ。
かばんが持っている瓶を見やり、カラカルは確認するように答える。
「あんたが持ってるの、セルリウムでしょ? それを捜してた」
かばんは相手から瓶を相手から遠ざける。これを渡す訳にはいかなかった。
「セルリウムはとても危険な物なんだ。これは……」
「セルリアンの元。物質に触れるとその形をコピー、再現したセルリアンになる」
「な……」
カラカルの返答にかばんたちは絶句する。
セルリウムがセルリアンになる事を教えているのは、キュルルたちも含めても多くない。しかしこのカラカルはセルリウムの事を知っているだけでなく、性質まで詳しく答えた。
だからこそ分からない。危険な物であるのを理解していながら、セルリウムを求める理由が。
油断なく出入り口を塞いだままの助手が問いかける。
「何故そこまでセルリウムを?」
「あんたたちには関係ない。……素直に渡してくれればそれで良い。でも、そうしないのなら力づくでも奪わせてもらうわ」
言い終えるや否やカラカルの目つきが変わり、かばんたちの背筋に冷たいものが走る。
獲物を狙う獣の目。カラカルは本気だ。目的を果たすためならここにいる三人を叩きのめすのもいとわない。
激しい胸の鼓動と足が震えているのを感じながら、かばんは恐怖を押し殺して声を絞り出す。
「まずはイエイヌから奪った絵を返して欲しい。セルリウムの事は、それから話したい」
要求を呑む事も拒む事もなく、祈る気持ちで話し合いに持ち込もうとする。
だが、切なる願いは届かなかった。
「ああ、そう」
そっけない返事が聞こえた次の瞬間、かばんの眼前にはカラカルがいた。逃げられないと瞬時に悟り、かばんは咄嗟にセルリウムが入った瓶を放り投げる。
博士の方へ飛んでいく瓶には目もくれず、カラカルはかばんの手首を掴んでテーブルにねじ伏せた。
「う……」
うつぶせに押さえつけられたかばんが呻く。もがいて抵抗しようとするも、相手の力が強くて身動きもままならない。
「かばん!」
「動かないで」
博士と助手が助けようとするが、冷たい声が二人を制した。
「下手な動きをしたら……この子、死ぬわよ?」
カラカルは鋭い爪をかばんの首筋に当てており、少し力を入れればあっさりと引き裂ける状態だった。
セルリアンの脅威ともビーストの凶暴さとも違う恐ろしさに、博士と助手は戦慄する。
力づくというからには、ここにいる三人を叩きのめしてセルリウムを奪うのだろうと考えていたし、そうするのであればまだ対処は出来た。
だが人質を取り、手にかけるとまで言うのは完全に想定外だ。フレンズが好き好んで誰かに危害を加える事はまずない。ましてや手にかけようとする訳などないのだから。
「こういう事したくないし、私はセルリウムが手に入ればそれでいいんだけど、どうする?」
目的はあくまでセルリウム。危害を加えるのは本意ではないと言っているが、カラカルはかばんを取り押さえて爪を当てたままだ。
迂闊な事をすればどうなるか、博士は考えたくなかった。
「……セルリウムは渡すのです。だから、かばんを解放するのです」
「博士……!」
「かばん、セルリウムよりお前の方が大事です」
渡してはいけない。そう伝えようとしていたかばんは、助手の言葉に口をつぐむ。
自分を案じてくれているから、博士と助手はセルリウムを渡す事にしたのだ。ここでまた要求を拒めば、二人の判断を無下にする事になる。
かばんを取り押さえたまま、カラカルは博士と助手に指示を出す。
「セルリウムを私の手が届く所に置いて、あんたたちはガレージの外に出て」
従うしかない博士は唇を噛み、テーブルの上に瓶を置いた。かばんとカラカルから目を逸らさず、助手がいる出入り口まで後退する。
「すまないのです、かばん」
ぽつりと言葉を残して博士と助手が部屋を出ていく。カラカルはかばんを押さえる力を緩めず、二人がガレージの外に出るのを見送っていた。
首に当てられていたようやく爪が離れ、かばんは少々安堵する。
カラカルは腰のポーチにセルリウムを納めると、未だ押さえ付けている相手へ話しかけた。
「……あんた、ヒトのフレンズでしょ」
「え!?」
唐突な言葉に驚き、かばんはうつぶせの状態から精一杯顔を振り向ける。
「なんで知ってるの?」
自分がヒトのフレンズであるのを話したのは、博士と助手を除けばキュルルたちだけだ。
ヒトとは少し違うと勘付くフレンズが稀にいるものの、ほとんどのフレンズにはかばんという名前のヒトだと思われているはず。
「ヒトのフレンズはあんたが初めてじゃない。一緒に過ごしてた時があるし、その後も何度か会った事がある。……姿を見るのはずいぶん久しぶりだけど」
懐かしさと悲しさがないまぜになった声と内容に、ますますかばんは困惑する。
セルリウムの性質やヒトのフレンズの事を知っている事と言い、このカラカルは何者なのか。
押さえつけられる力が不意に無くなって、解放されたかばんが立ち上がる。
「あなたはいったい……?」
質問に答えず、カラカルは窓のある壁際に移動した。屋根にある天窓をちらりと一瞥して誰もいないのを確認し、続けてかばんを見やる。
「あんたとはこんな会い方をしたくなかった」
悔やむような口調で言うと、壁の窓を開けて研究所の外へと逃げていった。
先ほどかばんたちが通っていた森の中の道を、一台のトラクターが進んでいく。
全速力でもあまりスピードが出ないトラクターに乗るキュルルたちは、木々の先に見えるかばんたちの家へ確実に近づいていた。
トラクターが森の出口に差し掛かった時、かばんの家の裏手から人影が現れる。
真っ先に気付いたのは、運転席に座るキュルルだった。
「え?」
思わず目を疑って背後を振り返る。荷台にいるカラカルと目が合って、すぐ正面に顔を向けた。
カラカルはここにいる。だけど向こうからやって来るのは
「カラカル!?」
いつも一緒にいる友だちと全く同じ姿のフレンズだった。
「本当にカラカルだ!?」
「あたしがいる!?」
キュルルの叫びに荷台から身を乗り出したサーバルとカラカルが驚きの声を上げる。
その寸前にはもう一人のカラカルもトラクターに気が付いていて、驚愕の表情を浮かべていた。
フレンズの接近を検知したトラクターが自動停止し、すぐ前方でもう一人のカラカルが立ち止まる。
彼女は運転席に座るキュルルをじっと見つめ、愕然とした顔と声で言った。
「あんた、なんでここにいるの?」
相手の不可解な言葉に、キュルルはぽかんとしてしまう。キュルルの背後にいるサーバルとカラカルも意味が分からず、ただ呆然としていた。
キュルルたちともう一人のカラカル。両者は放心したように動かない。
妙な膠着状態を破ったのは、突如響いた二つの声だった。
「そいつを捕まえるのです!」
「イエイヌから絵を奪った犯人なのです!」
我に返ったキュルルが顔を上げ、頭の羽を羽ばたかせて飛んでくる博士と助手を目に入れる。
それと同時に、もう一人のカラカルが二人に向かって跳躍した。
「なっ!?」
カラカルはサーバルと同じく跳躍力に優れ、飛ぶ鳥をも落とす。揃って驚いた博士と助手の脳裏にその知識がよぎるが、逃げる暇などなかった。
カラカルが振るった腕が助手を打ち据えて、払いのけられた助手が隣の博士を巻き込んで墜落する。
「博士! 助手!」
研究所を飛び出し、博士と助手を追っていたかばんが二人へ駆け寄る。
「私は問題ないのです。ですが……!」
焦りの表情を浮かべる助手は、自分を庇う格好で地面に激突した博士から慎重に離れる。
「しっかりしてください、博士!」
悲痛な声で呼びかけるが、気を失った博士はぐったりと動かない。
博士と助手を叩き落とし、しなやかに着地したもう一人のカラカルは、かばんたちを一瞥する間もなくその場から飛び退いた。
刹那、彼女がいた場所に何かが落ちてくる。
「フゥゥゥ……!」
「サーバル……!」
入れ替わるように着地したのは、トラクターから跳躍したサーバル。両手を上げて爪を構え、爛々と光る目でもう一人のカラカルを睨む。
野性味が強く感じられる気迫に、サーバルを追ってトラクターを降りたキュルルが一瞬たじろぎ、カラカルも思わず足を止めてしまう。
以前ビーストをも退けたサーバルの威嚇。しかしもう一人のカラカルは怯む事もなく、ただ痛ましそうに眉を寄せてサーバルを見ていた。
目に虹色の光を湛えたまま、サーバルは目の前で佇む相手を捕らえようと躍りかかる。
「ゥミャアア!」
「やめなさいサーバル!」
もう一人のカラカルが叱責するように叫ぶ。そして身をかわしざま、密着する寸前まで接近したサーバルの首筋に一撃を食らわせた。
「ミャッ……!?」
「サーバル!?」
がくりと倒れかけるサーバルをすんでのところで支えると同時に、彼女を呼ぶ声が耳に入る。ちらりと目をやると、自分と同じ姿のフレンズが走って来るのが見えた。
もう一人のカラカルが腕を思い切り振り、サーバルを放り投げる。
「ちょっ……!?」
飛んでくるサーバルを避ける訳にもいかず、彼女を正面から受け止めたカラカルが転倒する。尻もちを付くまでの間に、もう一人の自分が逃げていくのが見えた。
その先にいるのは、なすすべもなく立ち尽くすキュルル。
「キュルル! 逃げて!」
「えっ、あ……」
必死の声で我に返ったキュルルは反射的に逃げようとするが、足がすくんで思うように動かない。
もう一人のカラカルが迫ったかと思うと、体に腕を回された。それに驚く間もなく担ぎ上げられる。
「わあっ!?」
「キュルル!?」
急に地面を見下ろす格好になったキュルルが顔を上げる。自分は何もしていないのに、カラカルやかばんたちがどんどん離れていく。
「カラカル! みんな!」
「待ちなさい!」
カラカルは遠ざかるキュルルを追いかけようとしたが、抱えたままのサーバルに動きを止める。彼女を放り出す訳にはいかなかった。
一瞬ためらったカラカルに、助手とかばんが声をかける。
「追うのですカラカル! あいつを逃がしてはならないのです!」
「サーバルちゃんと博士は私たちに任せて!」
「……お願い!」
傍に来たかばんにサーバルを預け、カラカルはキュルルを連れ去った相手を追って走り出す。
犯人は壁の出入口へ向かって真っすぐ進んでいる。キュルルを担いでいるのにかなりの速さだった。
絶対に逃がさない。カラカルが森の中の道を全力で駆け抜け、相手との距離を縮めていく。
やがてキュルルを担いだカラカルが壁の前で立ち止まる。扉がすぐに開かないお陰で、カラカルは犯人に追いついた。こちらに背を向ける相手に気取られないよう、カラカルは無言で接近する。
もう一人のカラカルの耳が動く。足音を聞きつけた彼女が振り向いて、数歩先のカラカルと目が合った。
「キュルルを、放せぇ!」
腕を振りかぶり、カラカルが自分と同じ姿のフレンズに飛びかかる。
キュルルを担いでいるとは思えない身軽さで、もう一人のカラカルは繰り出された攻撃を難なく避けた。渾身の一撃をかわしざま、無防備なカラカルへ蹴りを放つ。
「がっ……」
強烈な蹴りを脇腹に食らったカラカルが吹っ飛んで、受け身も取れずに地面に転がった。
「カラカル!?」
不穏な声と音を耳にしたキュルルが不自然な体勢でカラカルを探し、痛みに呻く彼女を視界の端で見つける。
「おろして! 放して!」
自分を担ぐ相手の背中を叩き、じたばたもがいて抵抗するが、両足に回された腕を振りほどけない。
それでも身をよじって抜け出そうとしたキュルルだが、突然顔をしかめて暴れるのを止めた。
キュルルの足に爪を立てて大人しくさせると、もう一人のカラカルは地面に転がったままのカラカルに話しかける。
「……あんた、サーバルの友だちでしょ」
「それが、何よ」
歯を食いしばり、カラカルは同じ姿の相手を睨む。痛みでまだ起き上がれないが、キュルルを助ける事を諦めていなかった。
敵意の眼差しを意に介さず、もう一人のカラカルは諭すような口調で告げる。
「『寿命を縮めたくないなら野生解放はするな』……あの子にそう伝えておいて」
「野生……? あ!? 待ちなさい!」
何故かサーバルを心配するような言葉を残し、既に開いていた扉の外へ逃げていく。
自動的に閉まる扉の音がいやに耳につく。動ける程度に痛みが引いた体を動かして、カラカルはよろめきながら立ち上がる。
「何なのあいつ」
野生解放と言う意味の分からない言葉に困惑しつつも、キュルルを攫った相手を再度追いかけようと足を踏み出す。
「おーい!」
サーバルの声が聞こえて振り向くと、こちらに向かって走って来るサーバルとかばんが見えた。
「サーバル! あんた大丈夫なの?」
さっきまで気を失っていたサーバルに話しかけると、能天気な返事が耳に届く。
「へーきへーき。カラカル、キュルルちゃんは?」
もう一人のカラカルとキュルルの姿が見当たらず、サーバルは行方を二人の行方を尋ねた。
「……連れてかれちゃった」
握りしめた拳を震わせ、悔しさを露わにカラカルが答える。オオセンザンコウとオオアルマジロの時と違って傍にいたのに、またキュルルが連れていかれた。
状況を聞いたかばんは慌てず、冷静な調子で言う。
「間に合わなかったね……二人は先に行ってて。私はトラクターで追いかける」
「前に乗ったバスは? あっちの方が速いでしょ?」
こんな事を話している間もキュルルが遠ざかっていく。焦りを感じ始めたカラカルに、サーバルがかばんの代わりに答える。
「バスは今お休みしなくちゃいけないんだって」
「ええ……なんで?」
「キュルルさんを迎えに行って戻るまで電池がもたないんだ」
だからバスは今使えない。そう答えたかばんは言葉を続ける。
「トラクターならキュルルさんのラッキービーストの信号を追える。時間はかかるけど必ず追いつけるから」
「……分かった。サーバル、行くわよ」
「うん!」
「またあとで!」
来た道を急いで戻っていくかばんに背を向けて、カラカルはサーバルと共に扉を抜けてキュルルの匂いを辿る。
「キュルル、大丈夫かな……」
気が気でない様子で進む様子のカラカルに、サーバルがいつもと変わらない口調で話しかける。
「きっと大丈夫だよ。あの子もカラカルだもん。キュルルちゃんにひどい事をしたりしないよ」
「……だと良いけど」
カラカルは若干上の空で答える。
キュルルを担いでいるとはいえ、相手は自分と同じカラカルだ。それなら足は速いはず。
追いつくまでには、少し時間がかかりそうだった。
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