第9話 A Mystery calls a Mystery


事件現場の雑居ビルから200m程離れた、モノレールと立体交差した歩道橋にて、クリアメタリックの上着を纏った細身のシルエットが事件現場の方に目を向けていた。


『ワタリガラスって昼間にも出るんスね』

『ここの所、奴の動きは活発化してる』


かなりの距離があるにも関わらず、刑事2人の話し声を完璧に捉えている。

とはいえ、別に盗聴器を仕掛けた訳でも、防犯機器をハッキングした訳でもない。

超高性能な外付けの視聴覚デバイスを用いて窓ガラスなどの微弱な振動を感じ取り、それを音に変換したうえで、人の声だけを抽出していたのだ。


「あはっ!やっぱり出たんだ、ワタリガラス」


歩道橋に佇む人影は、嬉しそうに声を弾ませた。

そして軽やかに手摺へ跳び上がると、幅数センチの足場を器用に歩きながら、右手でヨーヨーをもてあそぶ。


「サツも躍起になっているみたいだし、先を越されないようにしないとな~」


後ろで一つ纏めにした長い髪を左右に揺らしながら、上機嫌な様子で無人の歩道橋を歩き続ける。

そして丁度真ん中まで進んだ所で、モノレールのライトが近づいて来るのが見えた。

すると、伸ばしていたヨーヨーを巻き取り、三つ又に割れた腕の中に勢い良く格納する。


プキューーン!!


急ブレーキをかけたように回転を止める二枚の円盤が、甲高い声を上げた。

続いてゆっくりとフードを被ると、そのまま手を襟元に持っていく。


「ボクに会うまでは死なないでね」


そう言うと、チャックを親指で擦りながら歩道橋から身を投げた。

そしてモノレールが通過した後、その姿は何処にも無かった。





あれから事件現場で操作を続けていた猪討とテトラは、一度外の空気を吸いにビルを出ていた。


「にしても、ゲソ痕の一つも出ないとは思わなかったっスね」

「土や埃なんかの粒子を一切寄せ付けない素材で全身を覆っていれば不可能ではないのかもしれないが……それにしたって徹底されているな。この辺りはカメラにも“抜け”があるし、今回は骨が折れそうだ」


監視カメラに限らずとも、めいりん地区は治安の悪さから自動販売機なども少ない。

長期戦を覚悟した猪討は、ひとまず周囲一帯の自動販売機を端末のマップでピックアップした。


「ダメ元で自販機を回る。管理会社に問い合わせてみれば映像が貰えるはずだ」

「あス。疲れちゃったんでカフェオレとか飲みたいっスね~」

「それぐらいは奢るよ」


2人は自動販売機を目指して歩き始めた。

暫くして、猪討が口を開く。


「その脚、今年出たモデルじゃないか?」

「あ、アズマセンパイってそういうの分かる感じスか」

「ニワカだけどな。何せインプラントアレルギーだ」

「はは、持ちネタどうもっス。んで、この脚はセンパイの言う通り、出たばっかの完全新作っスよ」


靴に相当するパーツから始まり、膝の上まで続くテトラの脚は、スポーティーで洗練されたフォルムと、高級感溢れる光沢を放つ、正に一級品だった。


「高いだろ」

「安くはないっスね。前の脚売っても足りなくて、結局ローン生活っス」

「具体的にどこが違うんだ?」

「……ウチにインプラントを語らせると一晩中続くっスよ」

「じゃあ、ポイントを3つに絞って紹介してくれ」

「ならデザインとスペックと、素材っスかね」

「デザインは一目瞭然だな」

「スペックも……っスよ」


そう言うとテトラは予備動作も無しに跳び上がり、街灯の上に着地した。

跳躍力を強化するパーツはごく一般的だが、それにしたって民間仕様でこれだけのパワーは他に類を見ない。

更に彼女は助走もつけずに、隣の街灯へと飛び移って見せた。


「凄くないっスか?」

「凄いな。今すぐ降りてこい」

「あ~っス」


テトラは言われた通りに猪討の隣へ飛び降りる。

その時、テトラの豊満な胸が揺れた様子を猪討は思わずガン見してしまったが、すぐに我に返ると慌てて視線を外す。

そうこうしていると、もう自販機は目の前だった。

人通りの少ない路地裏の壁沿いに設置されたそれは、見るからに年季が入っている。


「で、素材は何を使っているんだ?」

「基本はカーボンとマグネシウム合金っスね」

「スーパーカーかよ」


猪討はポケットから小銭を取り出し、自販機に投入する。

しかし、すぐに吐き出されてしまった。

電光表示を見れば釣り銭切れの文字が……猪討は仕方なく端末を操作して支払い画面を表示した。


「いまどき現金っスか」

「たまに使うんだよ……っと。ほら、カフェオレ」

「あざーっス」


テトラにカフェオレを手渡した猪討は、続いて自分の分の飲み物を選ぶ。

その時、パッケージのバーコードを読み取ったテトラが、隣でこんな事を言った。


「これ、天然牛乳使ってるぽいっス」

「リッチだな」

「先週とれたのを使って、一昨日出荷したっぽいっスよ」

「そうか……何だって?」

「いや、先週とれた牛乳を」

「その次」

「一昨日出荷」

「それだ」


猪討は突然自販機の側面に回り込んで腰を下ろすと、壁との隙間に手を突っ込みはじめる。


「どしたんスか」

「一昨日出荷されたカフェオレが売られている……言い換えれば、この自動販売機は3日以内に商品と釣り銭が補充されている。この立地で釣り銭が無くなる程、たった3日で売り上げると思うか?」

「んなわけないっスね。あ~そういうこと」

「コレを見ろ」


猪討は自販機の配線から小さな物体を引き抜き、見せた。


「このデバイスはシステムの自己診断を麻痺させ、デバックモードに入れることが出来る。最近の自販機は対策されているが、コレには効くみたいだ」

「警察学校でやったところだ!!……わざわざ残していったって事はバックドアにでもするつもりなんスかね。とりま3課に連絡入れるっス」

「いや待て」


テトラは窃盗犯罪専門の3課に事件について連絡しようとしたが、猪討がこれを制す。

彼は自販機からゆっくり後ずさり、周囲を見回すとテトラに言った。


「これが他の場所なら、単に釣り銭泥棒として処理して終わりだろう。でも、ここはめいりん地区……漆組のシマだ。下手すると大事になりかねない」


暴力団やギャング絡みの犯罪はデリケートな対応が求められる場合が多い。

それに、万が一1課が担当するような凶悪犯罪と関連があった場合、後から3課に情報提供を求めて色々とややこしい手続きが必要になる事が目に見えていた。

事件解決に繋がる重要な手がかり、それは刑事にとっての手柄でもあるのだ。


「本筋である事件と全くの無関係とは断定できない。だから、今すぐ出来ることはやっておきたい」

「センパイもワルっスねぇ」

「俺みたいになるなよ。早速で悪いけど、足跡から犯人を絞り込む事って出来るか?」

「楽勝っスよ」


テトラは自販機周辺の足跡を、過去数日以内の物に絞って抜き出し、データベースと照らし合わせた。


「シティウォーカー26cm、だいたい30時間前」

「販売業者だ。それより新しいものを」

「カイマンのライダースブーツ29cm、これは怪しいっスねぇ」

「俺だ」

「ふふっ……次、ロイヤルスティングレイの革靴、27.5と28㎝っス」


全く同じ種類の革靴がサイズ違いで2つ、これが想定されるシチュエーションは限られる。


「職場の同僚だろうな。該当モデルを使用している企業を探してみるか」

「もうやってるっスよ」


テトラは今日配属されたばかりの新人だというのに、仕事の手際良さには目を見張るものがある。

彼女はすぐさま近隣の企業データを洗い、猛スピードで照合を進めた。

標的にたどり着くまでに、あまり時間はかからなかった。


「ココ臭くないっスか?」


そう言ってテトラは猪討の端末に情報を送る。

猪討は画面を見るや否や、額を抑えてため息を漏らした。


「本当だとしたら、コレは面倒な事になるぞ」


Skittles(スキットルズ)、彼のタブレット端末に表示された企業の名前だ。

ピンク色のネオンで形作られたキノコ型の悪趣味なロゴマークから分かるように、性風俗店としての顔を持ったナイトクラブである。

猪討はホームページの写真をスクロールしていき、ある一枚を拡大表示する。

そこに写っていたのはホールスタッフの男、履いている靴は確かに自販機の足跡と同一のものだ。

他に、この店に関しては猪討が特別危惧している点があった。


「昔、俺が4課にいた頃、この店には一度調査に入った事があるんだが……その後上からの圧力で突然止められたという経緯がある。しかも、その調査のきっかけとなったのが、共和国絡みの収賄疑惑だったんだ」

「このタイミングで共和国っスか」

「ああ。その上昔から一帯を仕切っていた漆組と、軌道エレベーター建設に関連して急激に進出して来た共和国は、正に水と油、犬猿の仲だ。もし、俺たちの仮説が正しい……つまりクラブの黒服小僧が小遣い稼ぎでやってるんだとしたら、漆組が戦争の口実にする可能性は大いにある」

「今、漆組はワタリガラスの件で気が立ってると思うんで、尚更っスね」


どんどんと芋づる式に話が大きくなってしまった。

とは言え、これはあくまでも仮説である。

2人は飲み物を飲み干し一息つくと、再びゆっくりと歩き始めた。


「周辺の監視システムに該当する人物が見つかれば、すぐに連絡を寄越すように登録した。今日中にヒットしなければ3課に連絡する」

「了解っス」


これが高天原を揺るがす大事件の片鱗である事を、彼らはまだ知らない。


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ナイトレーベン 肺穴彦 @Haianahiko

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