第2話 景色について
「時に後輩くん、君は山に登ったことがあるかな」
「山ですか? ……うーん、もしかしたら幼い頃にあるのかもしれませんけど、覚えている限りではないですね。少なくとも、ここ数年はありません」
「そうか、ないのか。ならば、次の休みにでも私と一緒に登ってみないか?」
「センパイ、山登りが趣味なんですか?」
「いや、違うな。趣味どころか一度も登ったことがない。後輩くんと同じ初心者だよ」
「えぇ……」
「何故困惑する。後輩くんから見て私は、アウトドア趣味な女に見えるのかな。これでも文庫本片手に窓際で憂うような根っからの文系であると自負しているのだけれど」
「僕から見てもセンパイはそのイメージです。今のは、だったらなんで山登りなんて言い出したんだろう、という困惑です」
「なるほど。確かに些か話が性急すぎたかもしれない。分かった、一から話すよ」
「お願いします」
「後輩くん、私は景色を眺めるのが好きだ。美しい星空でも、夏の積乱雲でも、風光明媚な湖畔でも。そして、たとえそれが汚染された海だろうと汚らしいゴミ山だろうと。とにかく景色を眺めるのが好きなんだ」
「美しい景色、というのは分かります。けれど、どうして汚い景色も好きなんですか?」
「景色は私達に様々な情報を与え心を動かすだろう? 美しい景色なら感動を、そうでない景色は嫌悪の感情を。それぞれ好みの景色というものがある。逆に見たくもない嫌いな景色もある。そのことを否定したりはしない。だが、私にとってそれらは等しく価値あるものだ。どちらも心を動かし考えさせられる何かを持っているからね、そのベクトルが違うだけなんだ」
「なんというか、センパイらしい考え方ですね」
「そうかな?」
「はい。僕はその考え方、好きですよ」
「ありがとう、嬉しいよ。それで、山登りなんだが。ふと、山の景色というものが見たくなったんだよ。きっかけや理由なんてものはなくってね、ただ見たいなぁ、と思ったんだ」
「なるほど」
「後輩くんは知っていると思うが、私はそれなりに気まぐれなんだ。ああ、なにも本格的な山登りをしようと言っているのではない。そう高くない山の舗装された山道を歩く、とてもカジュアルなものを想定している。運動は苦手ではないが私は山登り……いや、ハイキングに関してはズブの素人だ、自身の能力を過信したりはしないさ」
「ちょっと安心しました。センパイのことだから富士山にでも上るのかと」
「後輩くんは私をなんだと思っているんだ。ああ、大切なことを聞くのを忘れていた。後輩くんはどんな景色が好きかい?」
「僕の好きな景色ですか? うーん……」
「おっと、あまりそういうのを意識したことがなかったかな。具体的でなくてもいいんだ。なんとなく、派手な景色が好きだとか、落ち着いた景色が好きだとか」
「そうですね……貴重な景色、というのが好きかもしれません」
「ほう?」
「例えば皆既日食とか、流れ星とか。そういうのが好きかもしれません」
「天体に関するものばかりだな」
「あれ、本当ですね」
「うん、私も滅多に見られない景色というのは好きだよ。流れ星でいうと、よく流星群を見に行く。日食や月食と比べるとあまり貴重ではないかもしれないけれどね」
「意外とアクティブですね、センパイ」
「そうかもしれない。そうだ、山登りは止めよう」
「え、これまた唐突。どうしてですか?」
「うん。私は山の景色に興味がある。頂上から見る景色もそうだが、その過程もだ。行きだけでない。帰り道だって、疲労感のような精神状態、左右の違い、進む先が登りなのか下りなのかといった要因で、きっと違う見え方をするだろう。とても興味深い。だが、それ以上に見たい景色が出来たんだ」
「それは?」
「流れ星だよ」
「流れ星?」
「ああ、君と見る流れ星だ。私はそれが見たい。君は、そういうのが好きなんだろう?」
「好きですけど……」
「山の景色は興味深いが、同行者たる君に無理をさせるつもりはない。私は大抵の景色を好ましく感じるからな。だからこそ、君が好きな景色であることの方が私にとって重要なんだ。君にも心から楽しんでほしい」
「ああ、僕がセンパイに同行するのは決定事項なんですね」
「後輩くんは私の誘いを断らないだろう。違ったかな?」
「違いません」
「ふふ、良かった。では、次の流星群は共に見よう」
「流れ星、見れますかね?」
「見れるさ、なにせ流星群なんだから。それに、仮に見えずとも私は満足するだろうね。時には景色そのものよりも、誰と見るかということが大切なこともある。後輩くんと共に夜空を眺める……それだけできっと私は楽しい。後輩くんが楽しめるという保証はしかねるけれど」
「…………」
「おや、何故黙る。もしや照れているのかな」
「ち、違いますよっ」
「ふふふ、相変わらず君は可愛らしい後輩だ」
「……センパイは可愛げのないセンパイですね」
「よく言われるよ」
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