後編 淵と招
「まずやることは、真美のリコーダーを探し出すことだ」
翌日の放課後。学校の片隅にあるごみ捨て場で、僕と淵は捨てられたガラクタを漁っていた。
「休み時間に聞いた話によると、真美はあの音楽の時間の後、すぐにリコーダーを捨てたらしい。だとしたら、学校のこのごみ捨て場に来ている可能性が高い」
ごみ捨て場は燃えるごみと燃えないごみで区切られ、僕たちが漁っているのは燃えないごみの方だった。燃えないごみはむき出しのまま捨てられているおおく、プラスチックの空き箱やひび割れた瓶、壊れた黒板消しや脚が折れた椅子なんかが、無造作に捨てられて雑然としている。
「ほらこれ。百円ショップで買ってきたんだ」
淵は僕に軍手を差し出し、僕が受け取って素直にはめると、自分も同じものを取り出して装着する。
「……ありがとう」
「感謝をするなら、一枚の貨幣でありとあらゆるものが揃う万能の店にするがいい」
百円ショップに感謝しろ、ということだろうか。これはちょっと、分かりやすかったかもしれない。
「……よし」
腕まくりをすると、僕はガラクタを次々と動かして、リコーダーらしきものを探していく。淵も僕に負けず劣らず、不要なものをてきぱきと仕訳けてまとめていった。
そして。一時間ぐらい、探した頃だろうか。僕と淵は、ごみ捨て場の奥に転がっていたそれの前で、同時に手を止めた。
「見つけた……」
「ちゃんと名前も書いてある。間違いなく、橋元真美のリコーダーだ」
転がっていた茶色いリコーダーを拾い上げ、淵は手際よく改めていく。汚れを落とし、名前を確認し、ポケットから取り出したビニール袋の中に入れる。
「随分と慣れてるみたいだけど」
興味本位で、僕が淵に言うと。淵はちょっとだけ困った表情を浮かべてから、近くに置いてあったスクールバックの中に、リコーダーを仕舞った。
「……テレビの刑事ドラマで観たんだよ」
「そうなんだ……」
どことなく、この話題には触れてほしくなさそうに見えたから。僕はそれ以上突っ込んで聞くことはせず、見え透いた嘘に素直に頷く。
「それよりも招。この近くに楽器を売ってる店って何件ぐらいある?」
話題を変えつつ、軍手を外してスクールバックに入れ、代わりに自分のスマートフォンを取り出しながら、淵は僕に聞いてきた。
「え、ちょっと待って……今思い出すから」
子供このころから住んでいるとはいえ、音楽にはほぼ興味のない人生を送ってきたため、周辺の楽器店なんて覚えていない。
僕が唸りながら自分の記憶をたどっている間に、淵は地図アプリを起動して音声検索に話しかけた。
「この周辺の音楽店を教えて」
「……それ使うなら僕に聞く必要ないじゃないか」
いじけた視線を向ける僕を無視して、淵は検索結果に出て来た三件の音楽店を検索し、ホームページやSNSを確認していく。リコーダーを持った老婦人の写真や、ピアノを弾く子供たちの写真が、スマートフォンの画面からちらりと覗いて見えた。
一通り確認作業が終わった後、淵はスマートフォンをスクールバックに仕舞って、僕に顔を向けると中二病ポーズを取った。
「すべての元となった魔性の縦笛を求め、約束の場所を突き止めるようぞ」
「……つまり」
「このリコーダーを買った店を、突き止めようってことだよ」
「なるほど」
だから周辺の楽器店を洗い出したのか。納得して歩き出しかけて、僕ははっとして足を止めた。
「ちょっと待って。僕たちのリコーダーは、全部学校指定のお店で注文したやつだよね。なのに、買ったってどういうこと?」
僕の質問に、同じく歩き出そうとしていた淵は立ち止まると、振り向いて言った。
「その質問に答える前に、招に言っておかなくちゃならないことがある」
「え、何?」
「招のリコーダーをすり替えたのは、橋元真美本人だと俺は思ってる」
「……マジで?」
「マジのマジ、大マジで―――一応根拠が知りたいなら、歩きながら話すけど」
僕は頷き、淵と並んで今度こそ校門に向かって歩き出す。
「根拠は三つある。まず一つ目は招のリコーダーが自分のものだと、気が付くのがやたら早かった」
野球部が練習しているグラウンドの横を通り過ぎ、鉄製の校門を潜り抜けながら、淵は僕に三本の指を立てて見せた。
「そういえば確かに……」
思い出してみれば、僕がリコーダーを出した直後に、真美はそれが自分のだと気が付いていた。あの後場の空気に飲み込まれてしまったというのもあるが、確かに気づくのが早すぎたかもしれない。
「二つ目は書いてある名前だ。名前の筆跡は真美の書いたものに非常に似ている。筆跡はある程度真似できるとはいえ、正式な鑑定にかけたら彼女のものだと特定できるだろう」
「なるほど」
「これで犯人が真美のリコーダーに偽装したものを、招のケースに入れた線は潰せる。橋元真美の筆跡で名前を書かれたリコーダーを用意するには、彼女の書いたものを盗むか、彼女本人が自分で名前を書くしかない」
僕がリコーダーを盗んだことを証明した真美の名前が、逆に犯人を絞り込むのに役立つということなのか。見方を変えれば解釈も変わる。目から鱗が落ちた気分だ。
「そして三つ目だけど……それはこれから、分かることだ」
そう言って、淵は立ち止まった。目の前には『カワサキ楽器店』の看板が掲げられた、一軒の店があった。どうやら学校から出て話しながら歩いているうちに、いつの間にか辿り着いていたらしい。
「罪深き姫が魔性の縦笛を手にした証を求めねばならない」
「……つまり」
「今からこの店で、橋元真美がリコーダーを買ったかを聞く」
びしっとポーズを決めた後、淵はスクールバックからウエットティッシュを取り出すと、顔の模様を拭って消す。髪型も一度崩してから梳かし、腕の包帯も解いてバックに仕舞う。
「……わあ」
中二病ファッションを解除すると、そこにいたのはやや中性的な容姿をした、線の細い少年だった。普段の奇怪な装いの陰に隠れがちだが、地はとても整った方だったようだ。
「聞き込みに印象は重要だからな、行くぞ!」
制服の乱れを直して、淵はカワサキ楽器店の扉を勢いよく開く。見た目は変わっても、頼りになる彼の性格が変わることはない。
カワサキ楽器店の落ち着いた内装の店内には、大小さまざまな楽器が見やすい配置で置かれていた。バイオリンやコントラバスなどの弦楽器、ホルンやトランペットなどの管楽器、珍しいものではカホンや馬頭琴なんかもあるようだった。壁には音楽関係のポスターも貼られており、あのリコーダーをもった老婦人の姿もあった。
淵は並べられた楽器類には目もくれず、店の奥にあるカウンターへと真っ直ぐ歩いていく。カウンターの内側では、店員らしき初老の男性が音楽系の雑誌を読んでいた。
「あの、すみません……」
僕が淵に追いつくと、淵はどことなく憔悴したような表情と声で、店員に対してそう言った。
「……ん、ああいらっしゃい。どうしたのかね」
「実は……橋元真美さんっていう女の子が、このリコーダーを買ったお店を探していて……」
淵はスクールバックから、ゴミ捨て場で拾ったリコーダーを取り出して店員に見せる。店員はカウンターに置かれていた眼鏡を掛けて、リコーダーをまじまじと見つめた。
「このリコーダー、僕が壊しちゃって……これを買ったのと同じものを買ってこないと、許さないって言われちゃって……」
流れるような嘘と、その嘘に真実味を持たせる演技力に、僕があっけに取られていると。淵の演技に騙された店員が、数種類のリコーダーが並べられている棚に視線を向ける。
「そのリコーダーなら、十日ほど前に中学生くらいの女の子が買って行ったよ。きっとそれが、君の言う真美ちゃんなんだろう。同じものがそこにあるから、買っていくといい」
「ありがとうございます!」
わざとらしいぐらいに何度もお辞儀をして、淵はリコーダーの棚へと移動する。そこに置かれているリコーダーと、真美のリコーダーをいくつか見比べてから、心底残念そうな顔をしてカウンターの前へと戻った。
「ごめんなさい……思ったよりも高くて、お金が足りませんでした……」
「ああそうかい。今度は多めに持って、また界に来なさい」
「はい、すみませんでした……」
がっかりした様子で、カウンターに背を向けた淵は。立ち尽くしていた僕に、片眼をつぶって見せた。僕は我に返ると頷き、淵と共に店を出る。
カワサキ楽器店の外で、スクールバックから包帯を取り出して腕に巻きなおしながら、淵は僕ににやりと笑って見せる。
「演技力には自信があってね。自身の容姿に胡坐をかいてる橋元真美とは、色々と出来が違うんだよ」
「いや……びっくりした。一人称も『僕』だったし」
未だ衝撃が抜けきらない僕の前で、淵は包帯を巻き終えると、ペンケースからマジックを取り出して顔に十字の模様を書き込む。これで髪型以外は元通りである。
「……素の方が絶対良いのに」
僕が思わず呟くと、淵はお決まりの中二病ポーズを決めて返す。
「秘密結社『バベル』の構成員として、破邪の文様と内なる悪魔の封印は、避けては通れぬ道なのだ」
「……つまり」
「この格好は必要ってことだ。それよりもこれで必要な情報は大体集まったから、後は動機方面を軽く詰めるだけで大丈夫だ」
動機面。そういえば犯人が橋元真美だとして、彼女は何故僕にこんな濡れ衣を着せたりしたのだろうか。関わるのを避けていたとはいえ、恨まれるようなことをした覚えはないのだが。
ワックスが無いため完全に戻すことは出来ないが、それでもある程度髪を整えてから、淵はスマートフォンを取り出した。
「招、インターネットを使って、橋元真美について可能な限り調べてくれ。そうすれば、自ずと動機も見えてくるはずだ」
「……分かった」
「それからメッセージアプリのID送るから。分かったことは積極的に共有してくれ」
淵はスマートフォンを捜査して、ID交換のためのQRコードを表示させる。僕もスマートフォンを取り出して、彼のQRコードを読み込んだ。
「電子端末の交差により、今永久の契約が結ばれん」
「つまり?」
「これでよし、ありがとうってことだ」
ちょっと照れたように、淵は笑って見せた。中二病ファッションに戻った後でも、さっき素の彼を見たせいか、前よりも年相応の少年に見えてくる。
もっとも行動力と思考力、そして何より先程見せた演技力は、年相応ではなかったが。
証拠品を確保する手際の良さといい、大人を騙せる演技力といい、一体どこで身に付けたのだろうか。一体彼の過去に、何があったというのだろうか。
「……捜査してたらお腹空いたから、なんか食べに行かないか」
なんて。僕が考えている前で、当の淵はのんきに腹をさすっているのだが。
僕と淵が橋元真美を、放課後の音楽室に呼び出したのはそれから三日後のことだった。
その日は音楽室を使う部活が無く、淵がその演技力を使ってピアノ演奏の練習をしたいからと頼み込んだら、あっさりと鍵を借りることが出来た。
真美は男女複数の取り巻を連れて、音楽室に現れた。一応一人で来るようにと、取り巻き経由で頼んだのだが、この程度のことは想定内である。
「あの貼り紙は……あなたたちがやったのね」
僕たちの姿を見て、呟く真美に乗じて、取り巻きが一斉にはやし立てる。
「誰かと思ったら、変態と中二病じゃん」
「きっとろくなことじゃないですよ。さっさと帰りましょう」
「そうね……」
立ち去ろうとする真美に対して、グランドピアノにもたれ掛かっていた淵が、中二病ポーズを決めながら言った。
「汚れた姫は真実から目を背け、奴隷と共に愉悦に浸るというのか」
「……どういうこと」
「逃げるのかってことだよ、橋元真美」
ピアノから離れ、淵は振り向いた真美へと挑発的な視線を投げかけた。
「貼り紙を読んで、ここに来たんだろう。それなのに話も聞かずにここに来たのか」
橋元真美を呼び出すのに淵が使った方法は、手書きの貼り紙だった。貼り紙には「橋元真美の秘密を手に入れた。ばらされたくなければ、音楽室に来い」と書いてある。
「私の秘密を手に入れたって……私に、ばらされて困るような秘密なんかないよ?」
困ったような表情を浮かべて言う真美の周囲で、取り巻たちが一斉に頷く。
「そうだ!真美さんに秘密なんかあるはずがない!」
「真美ちゃんはいい子なんだから!」
淵は何も言わずに、僕に目配せをした。僕は頷いてスマートフォンを取り出すと、動画サイトのあるチャンネルを表示して、取り巻たちへと向ける。
「……これをみても、君たちは彼女を信じられるの?」
それは「ミーマ@現役JC」と題されたチャンネルであり。動画はほとんど生放送のアーカイブで、アーカイブの中ではマスクで顔を隠したゴテゴテメイクの少女が、リスナーに対して媚びを売り、自分を褒めそやし高評価ボタンを押すことを求めていた。
「え……」
「これ、真美なの?」
動画を見た取り巻たちの間に、動揺が広がって行くのが分かる。顔を隠しているとはいえ、声や髪型はすぐ近くにいる真美と全く同じなのだ。
さらに僕は他の動画や、SNSのアカウントも表示する。名前を変えても顔を隠しても、その気になれば特定できるのがネットの恐ろしいところだ。
「ち、違うの……これ、私じゃない……」
否定する真美に、僕は冷たい視線を向ける。自分に濡れ衣を着せた彼女が秘密を暴かれてうろたえる様は、正直見ていて心地が良かった。
だが、これはあくまでもツカミに過ぎない。本題はここからなのだ。
「橋元真美。俺たちが特定したお前のSNSには、ある共通の特徴があった―――それは、お前は自分の気に食わない者を徹底的に排除し、叩き晒し上げるということ」
真美の配信やSNSに批判的なコメントを送ったユーザーは、全員アカウント名と証拠のスクリーンショットを晒されていた。しかも当の本人にはそれが見られないよう、予めブロックをかけたうえで。
「お前は周囲のあらゆるものが、自分を肯定してくれないと気が済まないんだ……だからクラスで一人だけ、誕生日を忘れて『おめでとう』を言わなかった招が許せなかった」
リコーダー盗難事件のさらに一週間前。その日がちょうど、真美の誕生日だった。淵のような爪弾き者以外のクラスメイトは皆、真美に「誕生日おめでとう」と言う中で、興味の無かった僕だけは誕生日をすっかり忘れていたのだ。
一応当日に『今日は橋元の誕生日なんだよ』と取り巻きのクラスメイトに言われて、思い出しはしたのだが。そうなのかと思っただけで、あとはいつも通りの一日を過ごして下校した。
「だからお前は招を貶めることにした……自分のリコーダーを盗んだという、濡れ衣を着せて」
「それだけのことで、盗難容疑をかけられたなんて、正直信じられなかったけど。SNSを調べるうちに、君ならやりかねないって思うようになったんだ」
僕たちの言葉に、取り巻たちが一斉に真美へと顔を向ける。真美は目に涙を浮かべて、僕たちを非難するような視線を投げかけてくる。
「ひ、酷い……濡れ衣は、そっちじゃない。私は……リコーダーを盗まれた、被害者なの!」
「残念ながら、君がこのリコーダーを僕のケースに入れた証拠はあるんだ」
今度は僕が、淵に目配せをする。淵は頷いて、足元に置いてあったスクールバックの中から、証拠のリコーダーを取り出した。
「そ、それ……私が捨てたリコーダー……」
「そう。招が盗んだとされていた、お前直筆の名前が入ったリコーダー」
はっきりと分かる様に、淵はリコーダーに書かれた名前をこの場にいる全員に見せつける。
「お前の敗因は、『万が一』を考えてしまったことだ。万が一、音楽の授業が始まる前に招がリコーダーのすり替えに気づいて。万が一、招がそのリコーダーを使って変態行為を行ったら。万が一。それでも一人の少女にとって、それは十分不愉快なことだった。だから」
そこで言葉を切って、淵は真美を真っ直ぐ見つめる。
「元々使っていた自分のものではなく、新品のリコーダーを用意した。それが、お前という犯人への道標だった」
淵は自分のスマートフォンを取り出すと、素早い操作で地図アプリを起動する。
「リコーダーを買うのに、ネット通販は使わないと思った。履歴が残るし買ったものが自宅に届くため親にばれる可能性が高い。かといって遠くの店に買いに行くのは、時間と金の余裕がない。リコーダーの授業はあの日が最後だったし、動画も収益化されてなかったから、代金はすべて小遣いから賄わなければならない」
ブックマークしていたカワサキ楽器店の位置情報を表示させて、淵は画面を皆に見せつける。
「だから近場の店で買ったんじゃないかと、俺は思ったんだ。そして調べた結果、このカワサキ楽器店が浮かび上がって来た」
「そんなお店、行ったこともない……」
「嘘をつくな。店員がリコーダーを買っていったことを、ばっちり証言した」
淵の言葉に、真美は目を潤ませたまま黙って俯く。最初はあれだけ同調していた取り巻きも、今は黙って淵の話を聞いていた。
淵はスマートフォンを仕舞うと、足元のスクールバックから「もう一本のリコーダー」を取り出す。そのリコーダーには、「舞条淵」という名前が書かれていた。
「ところでこれは俺のリコーダーだけど。知っての通り俺たちのリコーダーは学校指定の専門店で注文したやつだ」
「そ、それがどうしたのよ?」
やっと口を開いた取り巻きの一人に、淵はにっこりと笑って見せる。
「このリコーダーと橋元真美のリコーダーは、一見同じように見えるが決定的な違いがあるんだ」
そう言って、淵は二本のリコーダーを皆の前に突き出す。たちまち視線が集まり、二つを見比べているのが分かった。
「……あ」
最初に声を上げたのは、最初に僕たちのことを「変態と中二病」呼ばわりした少女だった。
「大きな穴の、位置が違う!」
その言葉に、待ってましたとばかりに淵は頷いた。
「そう。俺たちの使っている学校指定のリコーダーは、バロック式というイギリス式のリコーダーなんだ。でも真美のこのリコーダーは、ジャーマン式というドイツ式のリコーダーなんだよ」
淵は近くの机に二本のリコーダーを置いてから、取り巻たちをぐるりと見回す。
「だけど実は、俺たちの使っているこのアルトリコーダーは、基本的にバロック式しか流通してないんだ。それなのに、真美のリコーダーはジャーマン式のアルトリコーダーなんだよ」
そこで淵はポケットからスマートフォンを取り出す。ブックマークしていたカワサキ楽器店のホームページを呼び出すと、淵はそれを全員に見せつけた。
「実はカワサキ楽器店の店長が、ジャーマン式リコーダーの愛用者でね。わざわざジャーマン式のアルトリコーダーを、特注で作って販売してるってこのホームページに書いてあるんだ。つまり、ジャーマン式のアルトリコーダーは、カワサキ楽器店でしか買えないってことなんだよ」
ジャーマン式のアルトリコーダーは、カワサキ楽器店でしか売られていない。つまりこのリコーダーを僕のケースに入れた人間は、間違いなくカワサキ楽器店でリコーダーを買ったということ。これで犯人が真美のリコーダーを盗んで、僕のケースに入れたという線も消える。
「さらにこのジャーマン式アルトリコーダーには、橋元真美の筆跡で名前が書かれている。橋元真美直筆名前入りの、ジャーマン式アルトリコーダーを用意できるのは、この世で本人だけだ」
推理を語り終えた淵は、びしっとポーズを決めると、真美に向かって言った。
「汚れた姫よ、自らの業を自覚し、神に向かって懺悔するといい!」
「……つまり」
「いい加減認めろってこと、自分の罪を」
真美はわなわなと震えながら、淵のことを見つめていたが。結局何も言い出せず、床の上に座り込む。
「う、うううぅぅ……」
ついに泣き出した真美だったが、最初と違って彼女に同情を向ける者は一人もいなかった。取り巻きだった生徒たちは皆、冷めた視線で真美のことを見つめている。
「……これで、濡れ衣は消えたな、招」
淵の静かな言葉に、僕は黙って頷く。これでもう、僕が「変態」呼ばわりされることは無くなるだろう。
「行こう」
泣きわめく真美と元取り巻きの生徒を残して、僕たちは音楽室を後にした。これから彼女たちがどうなるかなんて、僕たちの知ったことじゃない。
十分後。僕たちは学校の屋上で、夕焼けに染まった空を眺めていた。
濡れ衣が消えた今、もうこの手すりを越えたいとは思わなかった。それどころか、地面を見下ろしたら少し恐怖を感じさえした。
僕の隣で、淵はぼんやりと空を見上げていた。まるで抜け殻のようで、出会った時と立場が逆転してしまったようだ。
「淵」
僕はそんな彼の名前を呼んで、奥の上の手すりにもたれ掛かる。
「その中二病も、演技なんでしょ」
淵は僕の言葉に、ゆっくりと顔を上げた。僕は淵に対して、静かに微笑んで見せる。
「一緒にいるうちに気づいちゃった。本当の淵は聡明で、行動力のある少年なんだって」
「……」
「ねえ、淵。君はなんで、中二病を演じているの」
淵は僕の問いを受けて、目を閉じて息を吐き出した。
しばらくの間、僕たちの間に緩やかな沈黙が流れる。僕は淵が口を開くのを、のんびり止まっていた。
「……招」
やっと口を開いた淵は、僕に縋るような視線を向ける。
「俺の過去を聞いても、俺のことを嫌いにならないでくれるか」
僕は淵の問いにノータイムで頷く。これだけのことをしてくれたのだ、例え過去にどんなことがあろうと、僕が淵のことを嫌いになるなんてない。
淵は一瞬だけ目を見開いてから、僕の顔から視線を外し、空を見上げて語り始めた。
淵が小学生だった頃、彼のいたクラスではいじめがあった。
いじめの中心となっていたのは、一人の少女であり。彼女は真美と同じように、派閥を作って一人の児童を徹底的に苛め抜いていた。
日々苛烈さを増していくいじめを、淵は放っておくことが出来ず。いじめを止めるために、中心的存在の少女のことを調べ始めたのだ。
今回の事件で発揮されたような行動力と洞察力をフル活用して、少女のことを調べ上げた淵は、クラス全員の目の前でそのことを暴露した。
少女が両親から、過度な期待をかけられていること。いじめられている人物は、皆テストで少女よりいい点を取っていること。少女が悪い点数を取ると、彼女の父親が少女を何時間も説教すること。少女のいじめが激しい日は、決まって父親に叱られた日であること。
「つまりお前がいじめを行うのは、両親からの愛情不足と、期待に応えようとするプレッシャー、自分よりいい点を取った人間への嫉妬が理由だ」
図星を突かれて何も言えずに震える少女に、淵は静かに微笑んで告げた。
「一度、どこかに相談するといいんじゃないか。少なくとも身勝手極まりない理由で、他人をいじめるよりはずっといい」
少女は泣きながらも、淵の言葉にうなずいた。これでいじめはなくなって、少女も救われると、淵は思っていたのだが。
翌日から、今度は少女がいじめの対象になり。少女の成績はみるみる落ちてゆき、やがて暴行の形跡まで見られるようになり。
淵がいじめの理由を暴いてから三か月後、少女は小学校の屋上から飛び降りて自殺した。
クラスメイトは、淵が少女を追い詰めたのだとこぞって囃し立て。少女の代わりとばかりに、今度は淵がいじめの対象になった。
地獄の日々が続く中で、淵は次第に本来の自分を封印し、いじめられても仕方のない堂下を、中二病を演じるようになった。
そして半年前、淵の祖父が亡くなったことにより、残された祖母と同狂することになり、淵は父方の地元であるこの街に引っ越して来た。
転校したことによって、淵は地獄から解放されたが。本来の性格を見せてまた、悲劇を引き起こすことを恐れ、自分が傷つくことを恐れ。相変わらず「中二病を拗らせた舞条淵」を演じ続けているのだ。
話を終えた淵は、黙って聞いていた僕の方へと視線を向けた。
「……俺のこと、嫌いになった?」
僕はそんな淵に、頭を振って見せる。僕の自殺をあんなに必死に止めてくれたわけが、今はっきりと分かってよかった。
舞条淵は僕、管本招のことを救ってくれた。その命を、その心を。
だから僕もせめて、淵の心に少しでも。寄り添ってあげたいと思う。
「淵。僕は本当の君に救われたんだ。中二病を演じてない、君本来の君に」
「招……」
「ありがとう、淵」
手すりから離れて、僕は淵の前に立つと、静かに頭を下げる。顔を上げると、困ったような、恥ずかしいような、何とも言えない表情を浮かべた淵の姿があった。
「感謝の祝詞は我には少々きつすぎる」
「……つまり」
「その……お礼なんていいよ、いらない」
照れたように俯く淵に、僕はにっこりと笑いかける。心からのお礼の言葉を受け取ってもらえないのなら、残るは一つしかない。
「じゃあ、その代わりにさ……」
「……その代わりに?」
「僕の、友達になってくれないかな」
弾かれたように顔を上げた淵は、まじまじと僕の顔を見つめていたが。やがて嬉しそうに頷いて見せた。
僕は座り込んだ淵に、片手を差し出す。今度は淵が、僕の手を取る番だった。
舞条淵は演じてる 錠月栞 @MOONLOCK
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