6.満たされる



「攫ってしまいました」




ふっとそう言って笑う琉生に、キュッと締め付けられた胸の意味は、一体──?










帰ってくるまで、ずっと繋がれていた手は、少しだけ汗ばんでいて。


ウチより高いその背を見ながら、珍しく緊張していた。




手を繋いで歩いたことなんて、初めてじゃない。




「失礼を承知で手を引いて来てしまいましたが……拒否しないとは意外でした」


「……攫ってるんでしょう?付き合って攫われてやってんのよ」


「ふふ」


「キモい」


「罵ってくださる舞耶お嬢様も期待しておりましたが、これはこれで……」


「少し黙りなさい」




そうやって、いつも通り二人で帰宅したのだけれど、ちょっとだけいつもとは違っていた。


ドクドクと心臓が響いているのがやけに騒がしくて、けれど不快ではない。


変に緊張しているのは普段と違って、手を繋がれているから。




琉生の手は、思っていたよりも大きく、がっしりと感じた。


これ今、周りからどう見られているのかしら……。


やけに周りの目が気になっていたことは、琉生にも秘密だ。








家に帰ってくれば、琉生と二人なんだと急に意識してしまっていた。


なんで急に?


そんな自分の心に戸惑う。




いつもはすぐに夕食の準備を始める琉生だけれど、今日はソファーまでウチを導いてから隣に座った。




「……しおらしい舞耶お嬢様も大変可愛らしいです。はすはす」


「……ちょっと今反応出来ないわ」


「ご様子が少し変ですね」


「黙りなさい」




その、ウチの手の上にナチュラルに置かれている手が気になってしょうがないのよ。


何よ攫うとか、なんで手繋いでんのよとか、確かになんで拒否しないのよ自分とか、いろいろ思う所はある。


けれどなんだか離れがたくて、琉生の手の上に自分の手を置いていた。




「……舞耶お嬢様?」


「考えたのよ、ウチが彼氏欲しい理由だって、今まで断って来た理由だって、自分に合う人だって。ちゃんと考えたのよ」


「はい」




どことなく近付かれ、ウチの頭部に琉生の頬が触れる。


甘えるように擦られると、なんとなくこちらからも身を預けていて。




それが心地よく感じた。




「結局、みーんな琉生に行きついちゃう。琉生と一緒にい過ぎたのね」




ふぅ、と一つ、溜め息をつくけれど、琉生から離れはしないし、琉生も離れていかない。




「自惚れてもよろしいですか?」


「……何よそれ」


「ずっと我慢しておりましたので」




そのまま額に一つ、キスを受ける。


あぁ、まただわ。


またきゅっと胸が痛んだ。




「我慢って何よ」


「舞耶お嬢様が自覚なさるまで」


「自覚なんて……別に」




あぁもう、何よこの甘い雰囲気は。


琉生の手が頭に触れ、ゆっくりと撫で始める。


一つ一つの動作が、それはもう獣を手懐けたか確かめているかのように、慎重で。


けれど今は離れたくないと思う自分も自分だわ。




「ずっとアンタが、何かある度に頭の中に浮かんでくるの」


「光栄です」


「それはもう、煩いってくらい」


「ほぅ」




髪を掬い取り、目の前でその髪にキスを落とされると、顔が熱くなった。


何、してんのよ、変態……思うけれど、なんだかこの雰囲気を壊したくなくて押し黙る。




「……彼氏欲しい理由だって、このままじゃずっと琉生が独り身なんじゃないかと思ったからだし」


「舞耶お嬢様の為ならば、この身喜んで差し出させていただきます」


「煩い、今説明してるの。今までナンパを断って来た理由だって、彼氏が必要なかったからでしょう?」




ウチは下を向いたまま、琉生に視線を流す。




「それってやっぱり琉生がいたから……必要だと思ってなかったってことじゃない」


「ほぅほぅ、この上なく嬉しいお言葉」


「アンタのせいで彼氏が出来ないっつってんの」




そう言っているのに、ニヤリと笑う琉生はウチの顔を下から覗き込む。




「俺のせいですか」




……初めて『俺』って聞いたかもしれない。


また新しい琉生を見つけて、とくんと鼓動が跳ねる。




「ウチに、合う人、なんて――――」




アンタくらい……って言いたかった言葉は、琉生の口の中に飲み込まれた。


近かった。


それはこれ以上ないというほどに。




唇が触れているんだから、そりゃあ0距離か、なんて。


どこか冷静に受け入れている自分がいて、驚いた。




わかっていたもの、近付いてきていること。


その瞳が、唇に向いていたこと。


それを期待している自分がいたこと。




薄い薄い壁は割られた。


ウチと琉生の目の前に隔たっていた薄い薄い壁。


それは見えないと思っていたけれど、近付いてしまえば難なくヒビを付けることが出来て。


そして緩やかに笑って壊した琉生が、ウチの中に流れ込んでくる。




体全体を預けられる、安心できる場所。


琉生に背を預けた時、あぁここだと、ふと受け入れてしまったの。




「舞耶」




初めて、呼び捨てで呼ばれて戸惑うけれど、その響きが心地よくて。




「もっと呼んで」


「舞耶」




すっかり甘えてしまって。





「世話係失格でしょうか?」


「なんでもいいわよ……アンタがいるなら」




そのまま身を預けていたら、心地よい響きを聴きながら、ソファーで眠ってしまっていた。











そして気付けば翌日。


ウチはベッドに寝かされていて、琉生は――いなかった。











あーばかばかばか!ウチのばかっ!


なんで眠っちゃったのよ!


あの後寝た!?


ウチ寝ちゃったの!?




なんで琉生はいないの!?


帰っちゃった!?




────まだ外は暗いまま、時刻は深夜三時。




まさかあのまま夕飯も食べずに深い眠りについてしまうなんて思わなかったわ。


こんな中途半端な時間に起きちゃって……。


琉生も琉生よ、なんで起こしてくれなかったのよ……。




なんで隣に、いないのよ……。




ぶすくれながら、また琉生の事ばかり考える。


メソメソしたところで琉生は戻ってこないわよね。




なんて、空腹を満たすためにキッチンへと行こうとリビングを通った時。


明かりをつけたそこのソファーの上、すやすやと眠っている琉生がいた。









び、びっくりした……いたのね?


まさかここにいるとは思わないじゃない、なに、うちに泊まってたの?




琉生の部屋は同じマンションの中にあるから、いつでもすぐ帰れるといえば帰れる。


嬉しい反面、なんでまだここにいるのかという疑問も湧いてくる。




ソファーの下に座り、見慣れた琉生の顔を覗き込む。


うん、やっぱりこの顔がしっくり来るのよ。


すぅすぅと寝息を立てている琉生は何も上にかけてはいなくて。


寒くないのかしら?と、ウチはブランケットを取りに行こう──とした、その時




「どこへ行くんです?」




手首を掴んで止められると、そんな聴き慣れたかすれた声が聞こえて来て、どくどく、鼓動が速くなる。




「お、起きたの?」


「舞耶お嬢様こそ……よくお眠りになっておられたので、そのままベッドへ運んでしまいましたが」


「……」


「お腹を空かせてそのうち起きて来るだろうと待機しておりました」


「アンタ待機してたの!!?」




ウチのごはんの為、だけに?


定時なんてとっくに過ぎているのに。




「既に作っておいてあるので、温めればいつでも食べられますよ」




そんな言葉に答えたのは。


ぐぅ、と鳴ったウチのお腹の音だった。









食後、ウチと琉生はソファーに並んで座った。




「つい、欲望のままに舞耶お嬢様をいただいてしまったこと、誠に申し訳なく」


「いただくとか言うなっ!キス……しちゃったのは、なんかアレだけど……」


「そこで舞耶お嬢様の気持ちを確認させていただきたいのですが」




そう、真剣な瞳を向けてくる琉生が、口を開けば。




「あぁ、緊張なさっている舞耶お嬢様もまた欲を湧かせる……」


「黙れ変態。真剣な話じゃなかったの!?」


「わたしと致しましてはこれ以上ない程に今とても重要な局面を迎えております」


「なら重要そうな雰囲気出してくれる!?」




通常運転すぎるこの変態世話係。




「舞耶お嬢様」


「……」


「わたしはそろそろ自惚れたいのです。一体何年待たせれば気が済むのですか」




懇願するように手が握られる。


それをペシッとはたくものの、手を上からかぶせてそのまま受け入れてしまう自分がいる。




なんだかんだ、結局、この自分の気持ちから逃げてはいられなくて。




「……琉生が、離れていったら嫌、なの」




それが恋愛なのかなんなのか、まだわからない。


でもどんな男を見ても、琉生と比べてしまう。


琉生ならこう、琉生とはこう違う、そうやって結局、行きつく先が琉生なのならば。




「好き……なのかもしれないわね」


「ずっきゅん」


「それ口に出すことじゃないでしょ!?」




はぁ、と大きくため息をつく琉生が、急に両手を広げて抱きしめてくるから、これでも緊張はピークに達していた。


ちょ、ちょ、ちょ……!!!


だから、急にそういうの、心臓が変になるからっ!!




……けれど、そうか……この気持ちは好き、なのか。


そう言葉に出してみると、違和感は全然なくて、むしろしっくり来てしまった。




それがいつから、そういう気持ちに育っていたのかなんて、わからない。


解らないけれど、ここのところもやもやしていたものが晴れたようで、なんだか心はすっきりとしていた。




「舞耶お嬢様……はぁ、もう、なんでこんなに可愛いの……」


「あ、アンタキスまでしておいて自分の気持ちは言わないなんてずるいことしないでしょうね!?」


「わたしですか?」




抱きしめられたまま、顔を覗き込まれる。


顔が熱くなってくるのに耐えながら、それでもじっとその瞳を見つめると。




「これまでずっと、わたしはあなたに欲を隠さずアピールしてきました……」


「あの変態発言、アピールだったの?」




え、うそ……信じらんない。


嬉しいとか嫌とかを超えて、いろいろ信じられない。


アレ本気で言ってたの?




「舞耶お嬢様、わたしは初めて会ったあの時から、あなたに惚れ込んでおります。この通り」


「……嘘くさい」


「嘘などありません。寂しさなど見せようともせず、気丈にふるまわれるそのお姿に、愛しさが止められませんでした」




今の今までただの変態かと思っていたけれど、まさかそんなところを見られていたなんて気付きもしなくて。


なんだか嬉しくなってしまって、けれどそれを見せるのもなんだか癪で、顔を反らして照れてしまう。




何この気持ち、何この満たされるような、知らない思いは。




「舞耶」




とくん、とくん、胸が鳴る。


呼吸が乱される。




ゆっくりと顔を上げれば、目と鼻の先に琉生の顔があって。




そこからまた、0距離になる。




「お父様には既に話させていただいておりますので、どうかご安心してわたしの胸の中に飛び込んできてください」


「…………は?パパに?」


「はい、もちろん」




どういうことだ。




ウチはここで初めて聞いたその博打に、頭を真っ白にさせられて。


そしてまたひとつ、この隙に口付けを受けていた。

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