三 : 孤立無援(1)-籠城戦へ


 塙直政を大将とする織田勢八千は木津砦を攻めたが、門徒勢一万・雑賀衆五千の兵を相手に序盤から劣勢に立たされた。数刻に及ぶ合戦の末、織田方は総大将の塙直政を始め、塙家の一族の塙安弘、塙小七郎、塙家家臣の蓑浦みのうら無右衛門ぶえもん、丹羽小四郎が討死する惨敗を喫した。

 塙直政討たれるの報は散り散りに逃げた兵達の口を通じて広がっていった。

「何と!? 原田殿が討死されただと!?」

 天王寺砦に這う這うの体で転がり込んできた塙家の兵から告げられた真実に驚きの声を挙げる光秀。

 塙直政と言えば南山城・大和の守護を任され、数々の戦で武功を挙げてきた武将だ。戦の采配を任された経験もあり、兵の駆け引きも心得ていると思っていたが……まさか敵に討たれるとは。

「……間違いないのか」

「はっ。陣が崩れそうになったのを知った殿が督戦しようと前線に出たところ……額を撃ち抜かれ、その場で絶命を確認致しました」

 狙撃されたか、それとも味方の流れ弾に当たったか。いずれにしても、大将が鉄砲で討死するなど聞いた事が無い。隣で話を聞く信栄もあまりの衝撃に血の気が引いていた。

(しかし、形勢悪しとなれば傷口を広げる前に兵を退くのが常道。それは備中守殿もご存知の筈なのに何故このような事に。功を焦ったか、或いは引くに引けぬ事情があったか)

 そこまで考えて、光秀はかぶりを振った。敗因を探るより先にやらなければならないことがある。

 知らせてくれた事に礼を述べた光秀は近習に駆け込んできた兵の傷の手当を伝え、下がらせる。入れ違いに現れた弥平次も大まかな事情を察しているのか、険しい表情だった。

「弥平次、作事の進捗は?」

「建物の方は完了、外周は柵を二重に設けております。出来れば空堀も掘っておきたかったのですが……」

「嘆いていても仕方あるまい。これより我等は籠城策を採る。兵達に支度を急がせろ」

「はっ!」

 光秀の言葉に弥平次は弾かれるように下がっていった。

「駿河守殿」

 光秀から声を掛けられ、ビクッと反応する信栄。

「お聞きになりました通り、今朝方の戦で味方は大敗致しました。門徒勢はこの勢いに乗じて大挙して押し寄せてくるかも知れません。……時に、駿河守殿。籠城戦の経験は?」

「いえ……」

 か細い声で答える信栄。無理もない。信栄が戦に出るようになったのは織田家が上洛を果たしてからのこと。攻める事は経験していても守る戦の経験が無い武将は若手を中心に大勢居る。

 光秀は斎藤家に仕えていた時に明智家滅亡を経験し、朝倉家に仕えていた時も加賀の一向一揆勢を相手にした戦も経験している。永禄十二年一月に三好三人衆勢が義昭の宿所である本圀寺を襲撃した際には、寡兵ながら陣頭で指揮を執り見事に撃退している。また、元亀元年四月の金ヶ崎の戦いでは木下藤吉郎などと共に殿しんがりを務め、朝倉家の追撃をしのぎながら生還を果たしている。籠城戦も苦境にある中の戦いも経験していた。

「ご心配には及びません。誰だって初めての時は不安なものです。大将たる者がそのような顔をされていては将兵達に不安が伝播してしまいます。堂々となされませ」

 光秀が優しく諭すと、信栄はハッとした。両の手で頬を叩くと、表情を引き締めた。

「日向守様」

 信栄が改まった口調で光秀の方に向き直る。

「これから迎える戦は大変厳しいものになると覚悟しています。されど、経験の浅い某では足を引っ張ることになりかねません。ここは一つ、一致団結して敵に立ち向かう為に、明智様の御下知を受けるのが最善の策と考えますが……いかがでしょうか?」

 思い切った提案に、光秀も内心驚いた。『自分では役不足だから光秀の指示に従います』と言っているに等しい発言だ。佐久間家の軍勢が光秀の指揮下に入るなど、通常では考えられない事態だ。

 しかし……光秀はその申し出を好意的に捉えた。

 自らの技量を正しく見定め、足りてないと思えば年長者を頼る潔さ。何も知らない者はこの状況で采配を他人に委ねる信栄を『臆病者』とそしるだろうが、技量が無いのに背伸びして迷惑をかけるよりよっぽど良い。信栄にも武将としての矜持があるだろうが、それを曲げて頼むなど並の者に出来ることではない。

「……承知致しました。されど、駿河守殿には父君の薫陶くんとうを受けた頼もしい武士もののふが大勢りましょう。ここはあらかじめ割り振った持ち場は各々の采配、大局的な判断は私……ということでよろしいでしょうか?」

「はい。それでよろしゅう御座います」

 信栄の申し出は有り難かったが、佐久間家の家中には明智家の下につく事を快く思わない者も出てこよう。そこで、持ち場の指揮はそれぞれが行い、籠城方針などは光秀に一任する分割案を光秀は提案した。これなら家中の反発も抑えられる筈だ。

「注進―!!」

 そこへ桔梗紋の旗を背負った武者が駆け込んできた。

「申し上げます!! 北方より本願寺勢がこちらに向けて進軍中!! その数、一万は下らないものと思われます!!」

 警戒の為に出していた物見の報告に、光秀の眉が僅かに動く。

(思っていた以上に数が多いな……だが、やれないことはない)

 光秀は間を置かず命じる。

「直ちに京の上様に早馬を出せ! 他の者は来襲に備え、各自籠城の支度を急げ!」

「はっ!!」

 武者は光秀に一礼すると急いで下がっていった。

 陽は既に傾きつつあり、これから夜を迎える。一戦交えた後の移動で敵も疲れているだろうし、夜襲を警戒して今夜は攻めて来ない……というのが光秀の見立てだった。開戦は翌朝、それまで半日の猶予があるのは籠城の準備が追い付いていないこちら側とすれば有り難い。

 だが――万を超える門徒勢を相手に、どれだけ持ち堪えられるか分からない。

(上様……)

 京の方角を見やる光秀。天王寺砦に籠もる将兵三千の命運は主君・信長の手に託された。一つ不安があるとすれば、自分の家臣が窮地にあると知っても危険をかえりみず救援に来てくれるかどうか。

「さぁ!! 皆の者、急ぐのだ!!」

 手を叩き、将兵を鼓舞する光秀。その姿は自らも鼓舞しているように映った。

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