二 : 木津砦の攻防(6)-本領発揮

 開戦から一刻が経過しようとする頃。戦況は依然本願寺方が圧倒していた。

 先陣で主力の三好勢は砦から浴びせられる鉄砲の餌食となり、大損害を出して戦線を離脱。根来衆・和泉衆も追従するように後退していった。織田方は慌てて第二陣と入れ替わったが、戦況に大きな変化は見られなかった。主力の塙勢が奮闘していることで何とか踏み留まっている状況だった。

 雑賀衆は三千挺の鉄砲が猛威を振るい、織田方に大打撃を与えた。雑賀衆の大将・孫一は采配を部下に託すと、供を一人連れて陣を離れた。

 馬に跨り、戦場を駆ける孫一。肩には早合はやごうの束を袈裟懸けにし、馬の背には愛用の鉄砲。その後ろには熊のような大柄な髭面の男が孫一に遅れまいと付いている。この男の名は泰三。孫一の用心棒であり鉄砲の助手である。槍を振るえば百人力の強さを見せ、その反面鉄砲の支度をさせれば疎漏そろうなく迅速に整えられる細やかさを兼ね備えていた。そして孫一が泰三を気に入っているのは、無駄口を一切叩かない寡黙な性格だった。

 孫一は馬を走らせながら、戦場を広く見渡していた。一見すると物見のようだが、違う。

 本願寺方の内応を前提に動いていた織田方は、想定外の展開に立て直す暇もなく崩れている。数、勢いで上回る本願寺方が余程の悪手を打たない限り、逆転される事は無いだろう。本願寺方の指揮はあの頼廉が執っているが、ああ見えて武略の才はあるので安心だ。……あの暑苦しい奴のしたり顔が浮かぶのはしゃくだが。万に一つの負けが無い以上、指揮は他の者に任せて目ぼしい相手を討つ方が得策だ。

 織田方、特に塙勢は相当指揮系統が混乱している様子だった。侍大将が最前線に出て逃げようとする足軽に刀を振り翳して恫喝することでどうにか陣を保っている状況だった。

(ざっと、七十間(約一二七メートル)くらいか……)

 孫一は侍大将までの距離を見積もると、愛用している鉄砲を手に取り、早合の一つを破いて弾薬を素早く筒内に流し込む。早合は火薬と弾丸を包んだ紙をうるしで固めた物で、鉄砲の準備動作を簡略化出来る代物だ。槊杖かるかで固く突いてから、掌に収まる程の大きさの金物を取り出す。これは“胴火”と呼ばれ、火の点いた火縄を携行する為に用いる道具で、蓋が付いているので雨が降っている時でも火が消える心配が無い優れものだ。火縄に火を点じると孫一は鉄砲を構え、照準を侍大将の額に合わせる。

 ゆっくりと、細く長く、息を吐く。孫一が狙撃する時の習慣で、これを行うと気持ちが落ち着いて集中出来る。吐き終わると孫一は引き金を引いた。

 轟音と共に筒が火を噴く。直後、七十間先の侍大将が吹き飛んだ。正中である。

 世の中に広く出回っている鉄砲は口径が二もんめ半の“小筒”と呼ばれる品だ。全長三尺四分(約一三〇センチメートル)、銃身長二尺八分(約一一〇センチメートル)、重さ一貫あまり(約四キログラム)、有効射程距離およそ五十五間。大量生産されているので中には粗悪品も混じっており、品質が悪い物だと発射した時に爆発して放ち手に危害が及ぶ恐れがある。小筒では今の距離の先に居る侍大将まで弾は届かないか、届いたとしても人を殺傷する威力は失われている。

 だが――孫一が持っている鉄砲は小筒より銃身が長く、口径も十匁と大きい。これは“さむらい筒”と呼ばれる特注品で、威力も有効射程距離も小筒より優れているが、反面重量もあり反動も大きい為に扱いが難しい銃だった。

 侍大将が撃たれたことで、戦うよう強制していた者が居なくなった。一人の足軽が武器を捨てて逃げ出すと、次から次に倣う者が続出した。たがが外れて陣が崩壊していく様を一瞥いちべつした孫一は鉄砲の筒内の掃除を済ませると、馬に跨りその場を離れた。

 孫一の狙いは雑兵を統率する将を潰して敵を攪乱かくらんさせることだ。足軽は将に命じられるままに動いているので、命令する者を倒せば意思統一が図れず勝手に瓦解していく。敵の戦力を削ぐならこの方法が一番手っ取り早い。ただ、こうした行動が執れるのは敵中に乗り込む胆力と特定の人物を寸分違わず撃ち抜く正確さ、短時間の内に準備から狙撃まで完結させる手際の良さが求められ、それ等全ての条件を満たす者はほんの一握りに過ぎない。

 こうして目ぼしい武者を撃ちながら敵陣を進む孫一。塙勢は人数こそ多いが急拵えで揃えられた為か綻びがあちこちに見られ、敵中を供一人連れて行動する孫一を咎めたり襲い掛かったりする者は居なかった。金で雇われた者は命を懸けて戦うだけの気力を持っている方が少なく、旗色が悪くなるとすぐに逃げ出してしまう。そこが家付きの家臣や兵との決定的な違いだ。

「何をしている!! 陣をもっと前に押し出さぬか!!」

 ふと、興奮した様子で怒鳴る声が聞こえ、そちらの方に目を向ける。馬に乗った当世具足の武者がひざまずく伝令に対して叱責している。その脇には近習と思しき若武者が二人控え、そのどちらも身に着ける甲冑は戦場にありながら汚れや傷が一切見られない。

(あれは……塙直政か)

 孫一は仕事や用事などで織田家を訪れた事が何度かあり、その折に家中の者の顔と名前に触れる機会があった。その時の記憶から直政も顔と名前が一致するくらいに覚えていた。

 織田方の総大将である直政が本陣を離れて前線に出てくるということは、相当追い込まれているのだろう。焦っているのか、それとも苛立っているのか、眉間に皺を寄せている。

「儂に退けと申すか!! 断る!! 儂はまだ諦めぬぞ!!」

 戦況があまりに悪いことから撤退を進言したのだろうか、直政は強い口調でしりぞけた。まだ勝機があると見ているのか、敵に背中を見せるのは恥と考えるのか、はたまた失敗を信長に咎められるのを恐れているのか。いずれにせよ、冷静な判断が出来ていると思わない。

 弾かれるように伝令が走っていくと、怒りが収まらない様子の直政は采配を地面に投げつけた。それを慌てて拾いに行く近習も直政の不興を買わないようビクビクしている。

(……大体、九十間(約一六七メートル)か)

 孫一は人差し指の先を舐めると、その指を上に向けて風向きを確認する。風上にない事を確認すると、鉄砲を手に取った。火縄の臭いが風に乗って相手に嗅ぎつけられたら元も子も無い。既に硝煙の臭いや血の臭いでなど様々な臭いが入り混じっている戦場で火縄の臭いだけ嗅ぎ分けられるとも思わないが、何があるか分からないので念には念を入れる。

 孫一が用いている士筒は一般的な小筒と比べて玉薬たまぐすりの量が多いので、より遠くの敵を仕留める事が出来る。これくらいの距離なら十分に範囲内だ。

 九十間先に居る直政は手綱を握ったまま前をじっと見据えている。移動する様子が見られない事を確認して、孫一は弾薬を詰めて火縄に火を点じる。

 鉄砲を構えた孫一は、静かに息を吸い、静かに吐く。気持ちを落ち着かせ、心を空に。

 息を吐き終えると、孫一は無心で引き金を引いた。鉄砲が轟音と共に火を噴き、煙が空に揺らめく。

「…………」

 鉄砲を構えたまま固まる孫一。泰三はその脇でじっと孫一の横顔を見つめている。

 泰三にも孫一が使っている士筒を予備として持たせている。もし万一外した時には間髪入れず撃てるようにする為だ。

 変化の無いことを訝しんだ泰三が鉄砲の支度をしようと手を伸ばそうとした時、「引き揚げるぞ」と声が掛かった。

 まだ戦は終わってないのに……と思う泰三に、孫一は心底つまらなさそうに溜め息を漏らしながらぼやいた。

「……こうも簡単に片がつくと味気ないものだな」

 鉄砲の筒を槊杖で掃除する孫一。直後、遠くの方から声が上がった。

「殿―!!」

「敵将塙直政、討ち取ったりー!!」

 敵味方から哀歓の声が続々と上がる。これで直政が討たれた事は敵味方に知れ渡り、大将を失った織田方は潮が引くように撤退していくことだろう。

 筒内の掃除を終えた孫一は、馬に跨って鉄砲を担いだ。一仕事終えた孫一は自陣に向けて悠々とした足取りで戻っていった。

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