一 : 絡み合う思惑(1)-不得手
時は遡ること、四カ月前。天正四年、一月。京・妙覚寺。
妙覚寺は京にある日蓮宗の寺だったが、信長が上洛した際に宿所として滞在する機会が多かった為、武家の屋敷のように改装されていた。
その妙覚寺の書院に、信長は長身の剃髪男性と余人を交えず二人きりで居た。
二人の間に、会話は無い。部屋の隅に設けられた炉に掛けた釜から、コポコポと湯が沸いている音が室内に響く。
男性が茶匙で茶葉を茶碗の中に入れると、柄杓で釜から湯を
それから、男性は茶筅を持って茶碗の中の液体をかき混ぜていく。シャカシャカと小気味いい音が室内に響き渡る。ここまで、男性の所作に一切の無駄は見られない。一分の隙も見せない
そして……茶筅を置いた男性が、茶碗を信長の前にソッと差し出した。信長は恭しく一礼して受け取ると、茶碗に口を付ける。
「……美味い」
一口飲んだ信長の口から、自然に言葉が零れた。
「また腕を上げたな、宗易」
「ありがとうございます」
信長から称賛され、宗易は微笑みを浮かべながら静かに頭を下げた。
千宗易。本名は田中与四郎。堺の商人ではあるが、茶の湯の世界では当代随一の茶人として有名な人物だ。十七歳で茶の湯を習い始め、後に
信長もまた、当時流行していた茶の湯を嗜んでおり、特に上洛してからは商人や文化人を招いて茶会を行うなど、趣味の一つとして楽しんでいた。
「急に呼び立てて済まぬな、宗易」
「いえいえ、とんでもない。上様の御召しとあらば、何を置いても参りまする」
「こやつめ。心にもないことを言いおってからに」
宗易の返しに信長は苦笑を浮かべた。
「まぁ、俺も宗易と二人きりで会いたいと思ったから呼んだのだが。宗久はちと商売気が強いからなぁ」
今井宗久は堺の豪商で、信長が上洛した際には色々と後押しをしたこともあって信長からの信任が厚い人物だ。また、宗易と同じく武野紹鷗から茶の湯を学んだ茶人としても知られ、信長の
信長は茶を一口飲むと、手にしていた茶碗を膝の上で回す。その目はどこか寂し気に映った。
「……のう、宗易。お主は何か苦手としていることはあるか?」
不意に投げかけられた問いに、宗易は作業していた手を止めて信長の方に顔を向けた。
「私など、茶事を除けば不得手なことばかり……その茶の道でもまだまだ至らぬ点ばかりの半人前ですが」
「そう謙遜するでない。茶の湯の世界でその人ありと言われるお主が半人前なら、他の者の立場がないではないか」
そう言って少し笑った信長は茶を
「実を言うとな、俺も一つあるのだ」
ポツリと漏らした一言に、宗易は「ほう……」と驚嘆の声を上げた。
「意外ですね。上様は
「まぁ、な。虚勢でも自信あり気に堂々と振る舞っておれば、存外気付かれぬものだ」
それから信長は茶碗の中に残っていた茶を一息で飲み干した。
「もう一杯貰おうか」
「畏まりました」
宗易は空になった茶碗を受け取ると、中を
「何だと思う?」
「さて、皆目見当もつきませんね」
試すような口ぶりで信長は訊ねたが、宗易は全く分からない様子。口を動かしながらも淡々と支度を進めていく。
やがて、宗易が茶筅を手に取り、混ぜようとしたその時だった。
「――俺はな、
信長が打ち明けた一言に、一瞬宗易の手が止まった。それでも、すぐに何事も無かったように茶筅を動かし始めた。
「……驚きました。まさか上様ともあろう御方が、そのように感じていられたとは」
「皮肉だよな。尾張半国すらまとめられなかった“うつけ”が天下人と呼ばれるまでになった男に、武略の才が無いなんてな」
吐き捨てるように言った信長は自嘲気味に笑った。
群雄割拠の乱世で、勢力を拡大させている者達に共通している事がある。それは――戦に強い事だ。
合戦の勝敗を分ける大きな要素として“兵の多寡”や“兵の質”“将兵の士気”などが挙げられるが、最も大切なのが“大将の采配”である。
兵の配置や配分、戦況に応じた柔軟な対応、戦場全体を俯瞰(ふかん)する能力、兵の押し引きの判断、敵の動きを読み相手の考えを掴む能力。自軍の兵力を倍増させるか半減するかは、偏に最終決定権を握る大将の腕に掛かっている。『孫子』や『
甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信、安芸の毛利元就など、諸国にその名を
「上様は尾張に侵攻してきた今川の大軍勢を寡勢で見事に打ち破った桶狭間の合戦を始め、
茶筅を動かしながら話す宗易に、信長は静かに首を振った。
「絶対に勝たなければならない戦に負けてないだけで、全体で見れば勝ててない事も少なくない」
勝ち戦は大々的に喧伝するが負け戦は影響が最小限に抑えられるよう努めるのが定石だ。特に、茶人や連歌師、碁打ちなどの文化人は各地の様々な人々の元に行き来するので、世間話の流れから各地の情勢に話が及ぶ為、特に気を遣っていた。大名同士の合戦の勝敗だけでなく大名家内部の不穏な動きまで把握しているので、意外と油断ならない。
「俺が家督を継いでからは身内や家臣の造反、国内の敵と戦う機会も多かったが、勝つ事が多かったな」
父・信秀の急逝で織田家の当主となったが、信長の器量に疑問を抱く家臣が弟・信行を担ごうとする動きが出た為、止む無く戦となった。大半の家臣が信長から離れ劣勢に立たされたが、それでも勝利して当主の座を守り抜いた。ようやく一息つけると思ったのも束の間、最大の危機が訪れる。永禄三年(一五六〇年)五月、駿河・遠江・三河の三ヶ国を治め“海道一の弓取り”の異名を持つ今川義元が、衰退した足利幕府再興を果たすべく上洛途上にある尾張へ侵攻してきたのだ。
今川勢二万五千、対する織田勢は八千が限度。しかも織田方は国内や領内に敵を抱えているのでその抑えに兵を割かれ、実際に動かせるのは半分程度。到底、勝ち目が無かった。
進退
「尾張を統一し、次は美濃を攻めると意気込んだまでは良かった。ここで
肥沃な土地と商いが盛んな尾張は、周辺諸国と比べて豊かな国だった。生きる為、生活する為に戦う必要性が希薄な尾張の兵は周辺諸国と比べて明らかに弱かった。しかも、美濃の兵は強い上に家中の結束も強かった。結果、数千または万を超える兵を率いて美濃を攻めても、跳ね返される事が多かった。当初優位に立っていたが途中で逆転されて命からがら帰ってきた事もあった。兵の質の差を考慮しても、もう少し武略の才があればもっと早く美濃を制していただろう。
負けを重ねていく内、信長は考えを変えていった。真正面から挑むのではなく、周りからジワジワと攻めてみることにした。敵方に調略を仕掛け、拠点を移して敵地までの移動距離を縮め、豊富な資金力を元手に戦専門の手勢を編成して季節に関係なく何度も出兵を繰り返す。敵の勢力を徐々に削ぎ落しつつ、相手を疲弊させる術を覚えた。常人なら
尾張・美濃の二ヶ国を治めた信長は、越前で寄寓していた足利義昭を美濃に迎え入れた。次に目指したのは、京。大義名分を掲げ、援軍を含めた総勢五万の手勢を率いて南近江、畿内を一気に席巻した。
「順調だったのは
永禄十三年(一五七〇年)四月(同月、元亀に改元)、度重なる上洛の要請に応じようとしない朝倉義景を討伐すべく、越前に攻め入った織田方に驚愕の知らせが入る。信長の妹婿で北近江の領主・浅井長政が織田方に反旗を翻したのだ。その知らせを受けた信長は即座に金ヶ崎からの撤退を決断。浅井方の影響が少ない琵琶湖の西岸を一気に駆け抜け、京へ生還した。
元亀元年六月、織田・徳川の連合軍は浅井・朝倉の連合軍と姉川の地で激突。信長はこの戦に勝利したが、数で大きく劣る浅井勢の猛攻に押し込まれ一時は信長の本陣近くまで迫られている。
同年七月、阿波に逃れていた三好三人衆が摂津に再上陸してきた為、これを討つべく信長は摂津に出陣。戦は終始織田方優位に進んでいたが、ここまで中立を保っていた石山本願寺が突如織田家と敵対する意思を表明したことで状況は一変した。本願寺方の急襲により少なからず損害を出しただけでなく、浅井・朝倉の手勢が京に差し迫っていたこともあり摂津からの撤退に追い込まれた。
元亀二年(一五七一年)五月、石山本願寺の決起に呼応して発生した伊勢長島の一向一揆を鎮圧すべく出陣したが、攻めあぐねた為に一時撤退を決断。その動きを察知した一揆方が撤退途中の織田勢を急襲。
このように、信長は大軍を擁して挑んだ戦であったとしても、薄氷の勝利や優勢を覆されての逆転負けなど、苦戦を強いられる事が少なくなかった。
「何度も苦杯を嘗めてきた中で、一つだけ守ってきた事がある。分かるか? 宗易」
「さて……私は武家の者ではありませんので、分かりかねまする」
茶筅を振りながら宗易はゆったりとした口調で答えた。その反応を見た信長はニヤリと笑みを浮かべながら言った。
「少しでも俺の命が危ういと思ったら、一目散に逃げる事だ」
戦でどれだけ圧倒的優位に立っていたとしても、総大将が敵に討たれればその時点で全てが無に帰す。桶狭間の合戦がその例で、滅亡の瀬戸際まで追い詰められていた信長は、今川義元を討ち取った事で今川の大軍を敗走させた。逆に言えば、将兵の多くが死んだとしても、総大将さえ生きていれば挽回する事が出来るということだ。『生き恥を晒すくらいなら潔く死を選ぶ』と考える武将も多いが、死ぬ事は諦める事と同じだ。どうせ死ぬなら僅かな可能性を信じて最期の一瞬まで足掻く。それが信長の生き様だった。
「これまで幾度も命が危うい思いをしてきた。だが、俺は生きる事を諦めなかった。何とかしようと遮二無二走り続けてきた結果、今がある。しかし、な」
そこで信長は一度言葉を区切ると、不意に溜め息を漏らした。
「……もし、仮に、俺がもっと戦の才があったなら、死なずに済んだ者が多かったのではないかと思うと、悔やんでも悔やみきれぬわ」
あの戦で勝っていたら、こんなに苦しい思いをしなかったのではないか。あの戦をもっと早く終わらせれば、あの者は死なずに済んだのではないか。“もしも”“もしも”が頭に浮かばない日は無い。
尾張で“うつけ”と馬鹿にされていた男が、敵対する大名を次々と撃破し、天下人と呼ばれるまでに昇り詰めた。領地は大幅に広がり、権力も大幅に増したが、それは信長の武将として成長した訳ではない。ここまで来られたのは生来の諦めの悪さと幸運によるものだと信長は認識している。
「宗易、一つ訊ねたい。茶の湯を究めんとするお主は、その才をどうやって高めている?」
真剣な眼差しで問う信長に、宗易は「さて……」と言ってから茶筅を置いた。
「偉大な先人と比べれば、私などまだまだ足元にも及ばない未熟者。私なりの形を求めて、追究するのみです」
そう答えると宗易は茶碗を信長の前に置いた。差し出された茶碗を受け取り、喫する。
心なしか、先程と比べて苦味が増したように信長は感じた。
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