第二章 WWW(ワールド・ワイド・ワンコ) ※ただし、人面犬

第12話 WWW(ワールド・ワイド・ワンコ) ※ただし、人面犬 ①

 カラン、コロン――。


 明るい時間の最後の客を見送ると、藍子さんは玄関扉に掛かっている札を『CLOSE』にし、外に置いていた看板を店内へと運び入れた。そのままバックヤードに持って行き、代わりにホウキを片手に戻ってきた。

 いつもならそのまま店先の掃除へと向かうのだけれど、藍子さんはとあるテーブル席の近くで足を止めた。


「ねえ、浩輔くん」

「どうしました、藍子さん?」


 カウンターの中で洗い物をする手を止め、顔を上げた。


「これ、忘れ物かな?」


 藍子さんの手には新聞があり、それをカウンターテーブルに置いた。置かれた新聞を広げ、日付が今日のものであることを確認し、たまたま目に入ったのは、人間国宝の陶芸家が亡くなったという一面記事と外来生物への対策という社説だった。


「そうかもしれませんね。でも、新聞なのでわざと置いていった可能性もありますね」

「じゃあ、捨てちゃう?」

「いえ、捨てるにしても、二、三日は念のため保管しておきましょう」

「それがいいわね」


 藍子さんはうんうんと頷き、ホウキを手に外へと出ていった。それを見送り、残っている洗い物を終わらせ、手早くロールスクリーンを下げていく。明るさを絞っていた照明の明かりを強くして、テーブルの拭き掃除をしていると、藍子さんが外から戻ってきて、床の掃除を始めた。


「そういえば、明日は日中は定休日だけど、浩輔くんは何か予定あるの?」

「特にはないですよ。きっといつも通り、寝てるか家事してるかで、早い晩ご飯を外に食べに行くくらいですかね。どこかいい店知らないですか?」

「じゃあ、私の店に来る?」

「藍子さんの店のフードメニュー、冷凍か業務かじゃないですか。料理の勉強も兼ねた外食なので、さすがにそれは」


 俺の反論に藍子さんは手を止めて、ケラケラと笑い始めた。俺も一緒になって笑い、また閉店作業へと戻っていった。

 喫茶『いさか屋』は木曜日が定休日だ。けれど、夜の営業はほぼ年中無休でやっている。それほどまでにあやかしたちは、気兼ねすることなくたむろできる場所を求めていて、さらには暇を持て余しているとも言える。

 地縛霊の祖父のおかげもあり、俺は定休日前日の水曜日の夜から翌日の木曜日は一日は休めることになっている。休みとはいえ木曜日は世間では平日で、さらには元から遊ぶような人間の友人もほぼいないので、やることといえば、溜まった家事や普段サボりがちな掃除をして、新作料理を試してみたり、勉強を兼ねた食べ歩きをしたりするしかない。自分でも自覚があるほどに面白みのない休日ライフだと思っている。

 そんな自分の情けなさを憂いつつ手を動かしていると、


 リン、リンッ――。


 と、ドアベルが高い音を奏で、玄関扉が開く音が聞こえた。


「すいません。今はまだ、準備中なんです」


 とっさに玄関扉の方に視線と意識を向けながら口にするが、そこに人の姿はなかった。


「やってないとは分かってはいたんだけどね、それでもどうしても相談したいことがあったのだよ」


 そのキザったらしい口調のする方に視線を落とすとあやかしがいた。顔は人間で身体が犬の、人間の言葉を操る都市伝説にもなっている人面犬が。


銀助ぎんすけさんでしたか。相談したいことと言われましても……」


 そう渋ってしまうが、銀助さんの表情はいたって真剣で、いつもなら藍子さんを口説こうと声を掛けているようなものだが、そんな気配はなかった。最近、同じような視線を仕事を探していた明乃さんにも向けられたばかりだった。だからこそ、なにかしら切羽詰まった事情があるのかもしれないと思った。


「藍子さん――」

「分かってるわ。掃除の残りは私がやるわ」

「ありがとうございます。では、銀助さん、カウンターでいいですか?」

「二人とも無理を言って悪いね」


 銀助さんは器用にカウンター席に飛び乗り、腰を下ろす。それを横目にカウンターの中へと戻り、手を洗う。あらためて明るい店内でカウンターテーブルを挟んで銀助さんと向かい合った。


「飲み物はどうしますか?」

「水を頼むよ」


 水を入れたグラスを銀助さんの前に置いたコースターの上にそっと置いた。銀助さんは前足を器用に使って、グラスを傾けて水を飲んでいた。銀助さんはこの店の常連で、顔だけを見れば修司さんも太刀打ちができないどころか、アイドルも顔負けレベルだ。しかし、体は柴系の小さめな中型犬で一見するとアンバランスさがすごく、最初は驚いたのをよく覚えている。そして、性格は極度のナルシスト気質で。

 そのあたりのことをかんがみると銀助さんの相談というのも、女性に相手にされないのはどうしたらいいか、みたいな実は大した悩みではない可能性も出てくる。


「それで相談というのはだね……“妖怪のグローバル化”についてなんだ」


 銀助さんの口から出てきた単語が何一つ理解できなくて、固まってしまう。“妖怪のグローバル化”と聞いて、最初に思い浮かべるのは、海外の妖怪が日本にやってきて問題を起こしているのか、もしくはその逆のことが起こっているのだろうと思った。それはカウンター脇に置かれたままの忘れ物の新聞の記事が頭に残っていたからかもしれない。

 しかし、今の時代、あやかしにも世界は開かれているので、日本国内で海外のあやかしを見るということが珍しいというわけでない。

 例えば、この店の特徴の一つでもある店をあやかし化させるランタンの灯の元になっているガスは、スコットランドの妖怪のジャック・オー・ランタンに貰っているものだし、子供のころにはイングランドの妖怪であるジャックフロストと雪遊びをして風邪をひいたこともある。それだけでなく、街中などでカラスに混じって、中国の火烏かうという三本足のカラスの妖怪を見かけたこともある。きっと知らないだけで、海外の妖怪は日本のいたるところに紛れ込んでいるのだろう。

 それを今さらグローバル化に悩んでいると言われても、何に悩んでいるか分からないのだ。


「浩輔くん、私の言っていることを信じていないな? こっちからすれば大問題なんだけどな」


 銀助さんは俺の表情などから思考を推察したのか、怪訝けげんそうな視線を向けてくる。それからやれやれと呆れたように首を横に振り、深いため息をついた。


「ところで、この後、時間はあるかい?」

「ええ。準備が終われば、時間はありますが……」

「よかったら、一杯付き合ってくれないかい?」

「それはかまいませんが、どこに連れていくつもりですか?」

「百聞は一見にかずというだろう? つまりはそういうことさ」


 銀助さんは前足でサラサラの綺麗な茶髪をかき上げ、決め顔をこちらに向けてきた。そのかっこつけているようでまるでキマっていない姿に言葉が出ないでいると、


「では、外で待たせてもうらうことにするよ」


 そう言い残し、椅子から飛び降りて、高いドアベルの音を鳴らしながら店の外に出ていった。

 店内に取り残された俺と藍子さんは、何も言わず顔を見合わせることしかでないでいた。しばらくして、銀助さんの残した余韻が薄れたころに、


「浩輔くん、本当にあれに付いて行くの?」


 と、藍子さんがゆっくりと静かな声で尋ねてきた。


「ええ、約束してしまいましたから……」

「そうよね。それであの子は連れて行くのよね?」

「スズですか? いえ、今日は閉店と同時に何か用事があるのか姿を消してしまいましたので」

「じゃあ、何かあった時のために私も付いて行った方がいいのかしら?」


 藍子さんが悩ましげな表情を浮かべる。心配してくれるのは正直ありがたい。だけど、いつもスズを連れ歩いているわけではないし、一人で出歩いたからと必ずあやかしに襲われるということはない。それに今回は頼りないけれど銀助さんも一緒だ。またいざというときは異変を嗅ぎつけて、スズが駆けつけてくれるだろう。スズだけでなく、繋がりのある人間やあやかしがきっと助けてくれる。

 俺はそういう縁をこの喫茶『いさか屋』を中心に築いてきたという自負もある。

 だから、きっと大丈夫だ。


「藍子さん、ありがとうございます。銀助さんの用事が終わったら、藍子さんの店にご飯食べに行きますよ」

「うちの店、冷凍か業務しかないわよ?」

「じゃあ、それを何か即席でアレンジして、勝手に美味しく食べます」

「それなら、今日だけうちの店の料理任せちゃおうかな?」

「バイト代くれるなら、いいですよ」


 藍子さんと顔を見合わせたまま、二人で笑い合った。そして、お互いに緩んだ表情のまま藍子さんは掃除用具の片付けをするためにバックヤードへ、俺は店をあやかし化するために外へと向かった。

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