第8話 飼い猫になりたい その3
商店街には、人っ子一人歩いていなかった。落とし物を探すように、街路灯で照らされた路面の上に、視線を漂わせる。
やっぱり、野良猫として生きていくなんて無理だわ。
すぐにでも、暖かいおうちに入りたい。
ベッドで寝たい。愛してくれる飼い主と一緒に暮らしたい。
人間の時の私は、寂しがり屋だった。たぶん、育った環境が、私の性格をそうさせたのだと思う。
私が中学生の時、父の浮気が原因で、母が家を出ていった。
父子家庭となってからも、私が父と会話することは少なかった。朝、父は、私よりも早く家を出て、帰宅するのは、いつも、私が眠った後。日によっては、家に帰って来ないこともあった。
私が、父と一緒の屋根の下にいる必要性を感じられなかった。
だから、大学進学と共に家を出た。
父の収入は、それなりにあったようで、都内で一人暮らしをすることに対して、全く反対されなかった。
毎月、仕送りもしてくれた。
大学在学中に、父は二十歳も若い女性と再婚した。
私は、面識の無い、姉のような年頃の再婚相手を、母親として受け入れることが出来ず、実家に帰らなくなった。
そのまま、都内で就職した時、父から縁を切ろうと言われた。お互いにとって、そうする方がいいのだと。
私は、将来、マキトと一緒になると決めていたから、この先は、何の支障も無いだろうと、父の申し出を受け入れた。
でも、恋人だったマキトは〝あんな事故〟で死んじゃって……。
今、猫の私には、頼れる先が、思い浮かばなかった。
ペット用品を扱っている店を見つけて、その前で立ち止まる。
すでに閉店していたけど、ウインドウに、猫用の服が飾ってあった。セーラー服のようなものから、シックなものまである。
こんな服を、着てみたい。
誰かに、こんな服を買ってもらいたい。
私は、店の窓に自分の姿を映した。
ジャマイカ……。
イケてない服に、これから先の不安も重なって、気持ちがへこみ、涙が出そうになる。
シャッターが下りている店が多いけど、一軒だけ、煌々とあかりの灯っている店があった。店の前に黒い車が停まっているのは見えていた。けど、近づいてみると、それが警察車両であることに気付く。
店の窓には、『こだわりの本格キャンプ用品を入荷しました』と書かれた紙が貼ってあり、奥の方に、制服を着た二人の警官と、赤いエプロンをした男がいた。
赤いエプロンの男は、ガラスケースを開けて、飾られていた切れ味の良さそうなナイフを取り出し、制服警官に渡す。警官たちは、ナイフの柄の部分を確かめながら、何やら会話をし始めた。
店の前にパトカーが停まっていたから、強盗にでも入られたのかとも思ったけど、そんなに深刻そうには見えなかった。
そのキャンプ用品店の前を通り過ぎ、アテも無く歩いていた時、ブルンブルンと背中が震えた。
背負っていたスマートフォンが、バイブレーションモードだったのだろう。
グスグスと鼻をすすりながら、スマートフォンを咥えて地面に置き、確認する。
『須藤さん、生きていたんですか? 助かったんですね? 今、どちらに居られるのですか?』
後輩の青木君からのメールだった。
それは、私が『元気?』と送ったメールへの返信……。
私が勤めていたのは、雑誌社として創業しながら、IT化の潮流に上手く乗って成長したWEBメディア企業だった。
社会班の記者として第一線に立って、取材に明け暮れていた二年目に入社してきたのが、青木君であり、つまり、青木君は私より、一つ年下……。
名案が閃く。
たしか、青木君は猫が好きで、いつか猫を飼いたいって言ってなかったっけ?
私には、学生気分の抜けない青木君をビシバシと指導して、一人前の記者に育てたという自負がある。彼は、今も私には頭が上がらないはずで、きっと、頼んだら、私を飼ってくれるに違いない。
『今から行ってもいい?』
私は、肉球の太さに苛立ちながら、なんとかメッセージを打ち込んで送信した。
前に一度、鍋パーティをやろうと、同僚と一緒に、青木君の家に押し掛けたことがあった。区役所前の駅を降りて、裏道に入ってすぐのアパートだったから、ここからでもそう遠くない。
猫でも、歩いて行ける距離のはず。
私の記憶力はすばらしかった。
見覚えの無い神社を通った時は不安だったけど、角を曲がって見えた薄紫色の外壁は、目指していた青木君のアパートで間違いなかった。
弾けそうな胸の高鳴りを抑えて、三階まで外階段を一気に駆け上り、ドアの前に立った。
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