第7話 飼い猫になりたい その2
荒波が押し寄せるように記憶が蘇り、今置かれたこの状況に、後に付き合うことになる園田マキトと出会った時の鮮烈なエピソードが重なっていく。あれは、確か、まだ、私が大学生だった時……。
――人間、須藤沙羅、二十歳。
私が大学二年生で、まだお酒の嗜みに慣れてない時。
友達の家で遅くまで盛り上がって、はしゃぎすぎちゃったことがあった。
友達は、「泊まっていってもいいよ」と言ってくれたんだけど、すっかり酔いが回って、いい気分だった私は、それを断った。
「大丈夫、大丈夫。酔い冷ましのためにも、少し、外を歩きたいしね。こっから駅までは、近いでしょ」
少しふらつきながら、駅まで歩いた。そして、シャッターの下りた改札前で、初めて終電を逃したことに気付いて、唖然とした。
ヤバッ……。どうしよう……。
少し焦ったけど、酔いを醒ますほどじゃない。むしろ、全身に回ったアルコールが、活性化していた。
私の一人暮らしのアパートまで、二駅ほどしかないんだっけ。
頭の中がすっかり単細胞化しちゃったのか、楽観的な思考だけに支配されていく。
よし、気分も上々だし、歩いて帰ろう。
その判断が、まずかった。初めは線路沿いの大通りを歩いていた。けど、膨れるように大回りしていることに腹が立ち、裏道に入り、抜け道を探す。最短距離で帰ろうとカクカクとこまめに曲がっているうち、公営団地に隣接する公園の前に出た。中を通れば、だいぶ近道になる。
ひっそりとしていて、街灯も無い公園に、一瞬躊躇したけど、血中アルコールの威力は恐ろしい。
きっと大丈夫という、何の根拠も無いお花畑的な発想で、公園に入る二段の石段を上った。静かな上に、木が生い茂っていて、団地の灯りも届いていない。
しばらく行くと、闇の中に、気配を感じた。嫌な予感がした。
誰かいる。
一人じゃない、たむろしている……。
危険を察知して駆け出したけど、遅かった。
見るからにヤンキーだとわかる集団に声をかけられ、すぐに囲まれてしまう。
腕を掴まれ、木々が茂る中へ連れ込まれそうになったけど、私は、恐怖で声が出せなくなっていた。
(誰か助けて)
頭の中で念じてみる。
しかし、夜中の公園には、ヤンキー集団の他には、誰も見当たらない。もはや、神様に祈るしかなかった。
(神様、助けて! お願い!)
ヤンキーたちの悪魔のような笑い声、何匹ものカエルが、少しずらして喉を鳴らす音、遠くの幹線道路で鳴っているクラクション。
色んな雑音が、一瞬、止んだ。
そして、突然、神様が現れたのかと見紛うほどの、強烈な光で照らされた。
続けて、カエルの声よりも鈍くて重い、ブロブロというエンジンの音がした。
光はどんどん強くなる。
バイクが、近づいてきているのだとわかるのに、さほど時間は、かからなかった。
「おい! お前ら、何をしようとしてるんだ!? やめてやれよ!」
オフロードバイクから降りた白いヘルメットの男が、ヤンキーをかき分けて、私の腕を掴んだ。
「あぁ!? なんだ、てめえ!」
白ヘルメットは、ヤンキーから私を引き離して、彼の背後に隠してくれた。私は、白いオフロードバイクが白馬に、白ヘルメットの彼が王子様に見えた。
ヤンキーたちは、彼を取り囲んだけど、ヘルメットを脱がない彼は動じない。
「そこを、どけよ。帰るから」
「あぁ!? 頭、おかしいのか!? 帰すわけねぇだろ? 生きて帰れると思うなよ、コラァ!」
一触即発の中、遠くの方から、マフラーが外れたバイクのようなけたたましいエンジン音が聴こえてきた。
一台ではない。何台もつるんだ暴走族のような爆音である。それらが、近づいてくる。
「お前らこそ、どかないと、どうなるか、わかってんだろうな?」
無数のヘッドライトが揺れている。
明らかに、こちらに向かってくる。
ヤンキーたちがたじろぎ、道が開いた。
「お前ら、今日は、大人しく諦めろ。……散れ、早く」
彼、園田マキトは、ヤンキーたちにそう言い捨てて、後部座席に私を乗せた――
猫の私、須藤沙羅。
「ぎゃおぉぉんっ!」という、耳をつんざく怒声で、我に返る。
暗がりから出てきた何かが、私を追い越して、サバトラ柄のボスに飛びかかった。
「ぎいやぁぁん! にぃやおん!」
サバトラ柄のボス猫に襲い掛かったのは、上品な毛並みの白猫だった。
けれど、あっけなく跳ね返され、コンクリートに打ちつけられている。
「……グルグルグル」
それでも尚、白猫は、勇敢にも立ち向かおうとしていた。
真っ白な毛並みは逆立ち、アゴが地面に着くほど頭を沈めて、戦闘態勢をとっている。
た、助かった……。
私を助けに来てくれたのか、ただの縄張り争いなのかはわからないけど、どちらにせよ、念が通じたようで、私は安堵した。
い、今のうちよね。もう少しの間、戦っていて……お願い!
戦う二匹に気付かれないように、じりじりと後ずさりする。
白猫には申し訳ない気持ちが湧いて、後ろ髪を引かれるけど……。ごめんなさい。私は、争いごとが嫌いなの。
乱闘が、遠くに見えるところまで下がって、戦いの結末を見届けることなく、角を曲がって逃げた。
♰
アーケードのある商店街は、とっくに終電の無くなったこんな時間でも、あかりが灯っていた。行くアテは無いけど、暗がりでじっとしているのが怖くて、商店街の中を歩く。
なんなの、さっきのあれは?
猫界ではそこら中で、あんな乱闘が起こっているわけ?
こんなの、絶対イヤ。
争いに巻き込まれたくないし、そもそも、争い事を見たくもない。私は平和主義者なの。
誰のことも憎まないし、恨まないから、私を争いに巻き込まないで。
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