第4話 脳内転送 その3

 病院のベッドの上。私は、人間としての一生を終えようとしている。


 ヘッドギアから出ている束になった電線は、モニタがついた冷蔵庫のような医療装置を経由して、隣のベッドへと繋がっていた。

 隣のベッドでは、麻酔を打たれて、ぐったりとした黒猫が横たわっている。装着したヘッドギアが、ジャマイカ柄のセーターと良く合っていて、黒猫の寝姿は、奇抜ながらも、どこかアンニュイ。


 まるで、レゲエ音楽のジャケットを飾るモチーフのようにも見えた。


「一般的に、脳内転送法と呼ばれているんですけど……」


 医師は、配線を一つ一つ辿って、正しく接続されているか確認していた。そして、手を動かしながら、私に対してなのか、ボソボソと話し出す。


「死に直面した人間の意識の転送を認める法律が、三年前に制定されたんですよ。ただ、倫理上、脳内転送できる相手は、殺処分の決まった保護ネコに限られてしまったんですけどね」


 全ての配線をチェックし終えたようで、医師が装置の電源を入れた。低周波のノイズが耳につく。


「脳内転送法は、延命を目的として、臓器提供の系譜上にできた法律なんです。だから、転送元となる人間の方も、救命が絶望的になった臓器提供希望者に限定されています」


 施術の準備が整ったのか、医師が覗き込んできて笑った。今度の笑顔は、明るくて暖かい。


「須藤さん、あなたは要件を満たしています。ラッキーですね」


 私は、意識と、脳内にある全ての記憶を、この猫の脳に転送されるらしい。


「どうせ、殺される運命の猫なんです。情をかける必要なんて、ないですよ。あなたが、このコの体を使って、生かしてあげてください」


 医師は、私の意思を確認することもなく、脳内転送をしようとしている。もし、聞かれたら、黒猫を憐れんで、私は迷っていたかもしれない。医師は、それを見越してなのか、独り言でも言うように、私の心を揺さぶった。


「須藤さん。せっかく貰えた権利ですし、命を大切にして、生きてくださいね」


 医師の瞳が潤んでいる。私に選択の余地を与えないのは、この人の優しさなのかもしれない。


「須藤さん、それでは、始めますよ」


 目を閉じると、意識が薄れていった。私は、猫になる……のか。



――数多いるアイドルの中でも、人気絶頂のグループで、センターを務めている三橋コウジが、慌てた様子で駆け出した。

「ちょ、ちょっと、三橋さんっ! こら、待って! 逃げないで!」

 ジャーナリストの私は、ヒールのある靴で三橋を追いかけながら、ポケットからスマートフォンを取り出して、カメラを起動する。

「今さら、逃げたって無駄よ! こっちには、証拠があるんですからねっ!」

 白昼の住宅街で、三橋は、走りながらフードを被った。背中がどんどん小さくなる。離されていく。手にしたスマートフォンを構えることなく、追うのを諦めた。三橋は、はるか先の角を曲がっていた。

 おおよそ、尻尾は掴めている。これは、芸能界を揺るがす、一大スキャンダルになるはずなのに――



「須藤さん、大丈夫ですか? 終わりましたよ」


 遠くの方から、男の声が聴こえる。

「無事、成功しましたよ。起き上がれますか?」

 見えていたはずの映像が暗がりに消えて、聞き覚えのある声が、年配の医師のものだと気付く。


 私は、夢の中にいたのか。


 恐る恐る、目を開けてみる。

 すると、ぼんやりとした視界の中に、人の顔が浮かんだ。やがてピントが合ってきて、額の広い白髪の医師の顔が結像する。


「やあ、大丈夫そうだね。体は動かせるかい?」


 ぎょっとして首をすくめた。

 その拍子に、隣のベッドに寝ている女性が目に入る。栗毛色に染めたショートボブがつややかに光り、横顔が美しい。


 私は、そちらのベッドに飛び移り、目を閉じたその女性の顔をのぞき込んで、まじまじと見た。

 夜の街にくり出す時にしていた、鼻筋を通す厚い化粧は、鏡を見ているようである。

 けど、目を閉じている女性の顔は、真っ青だった。

 血の気は失せて、息もしていない。だけど、間違いなく、これは……。


「そちらはもう、絶命してしまったんです……残念ながら」


 私だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る