client.4‐5

「ねえ、春は好き?」

「何だ藪から棒に」

 京介は煙草に火を点けながら、傍らの相棒に応えた。この手の掴みどころのない質問は、灯火のいつもの癖だった。ビルの屋上には、春の柔らかな日差しが降り注いでいた。

「私は好きだよ。暖かくなっていく空気も、生き物たちが目を覚まして動き出す気配も、京介の煙草の煙が春風に流れていくのも」

 小鳥が逃げちゃうから、お話してる時は吸わないで欲しいんだけどね、と頬を膨らます。薄い紅茶色の長い癖毛が、ビル風に揺られていた。

 灯火は動物と話せる人間で、他人の嘘を見破ることが出来る京介と度々一緒にいる事が多かった。相手の心の内を読む者同士、何か通ずる所があったのかもしれない。

「……俺に煙草を止めろと言うのは無理な相談だな」

 咥えていた煙草を手に取り、彼女のいない方へ煙を吐く。

「止めろとは言ってないじゃない。要はタイミングよタイミング。TPOを弁えなさいよ」

 動物にもTPOは必要なのか、と京介は思ったが黙っていた。それでね、と灯火はポケットを漁る。

「はいこれ!」

 その手に握られていたのは、銀色のオイルライターだった。陽光を受け、きらきらと反射している。

「京介、いっつもコンビニの百円ライターでしょ? これあげるから使ってよ」

「俺は火が点けば何でも良いんだがな……」

 不承不承受け取る。いつものプラスチック製のライターと比べると、程よい重さを感じた。

「良いじゃない。丈夫で長持ちだし。――案外、何かの役に立つかもよ?」

「何かって何だ」

「そうだなあ……銃で撃たれた時に、代わりに弾丸を受け止めてくれるとか」

 洋画の見すぎじゃないか、という京介の指摘に、そうかも、と楽しそうに笑う灯火。

「お守り代わりにもなるでしょ。私がいない所でも、京介を守ってくれますように」

 物騒なこと言うな、と呆れる彼の手からライターを奪い、コートの内ポケットに無理やりねじ込んだ。

「大事にしてよね」

「……ああ」

 吸い終えた煙草を灰皿に落とし、白い指が二本目の煙草を取り出す。そして今しがた渡されたばかりのオイルライターを取り出し、火を点けた。

 ふーっと吐いた煙が、春霞の空に昇っていく。灯火は煙を見つめて満足そうに微笑み、京介はその様子を心地よく見守っていた。



「……」

 夢の残り香が、差し込む朝陽に溶けていく。

 久しぶりに彼は、懐かしい記憶の中で灯火の笑顔を正面から見ることができた気がした。

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