client.3‐5

 猫の見分けに難がある京介は、桃木を伴って捜索する事にした。桃木邸を出て周囲を見渡したが、その辺で聞き込みしているはずの少女の姿はなかった。ひとりで探しに行ったか。

「……見つけても触れないだろ、あいつ」

 猫嫌いをカミングアウトして鳥肌を立てていた彼女を思い出し、ぼそりと呟く京介。

「少し距離があるから行かないだろうと思うけど、二丁目に公園があるでしょう?そっちに行ってみましょう」

 まだそこは探してないのよ、と早々に歩き出す桃木に続く。そこは歩いて十分程度の距離だ。猫の足だと……どれくらいで着くかは不明だが、手がかりがない以上虱潰しに探さざるを得ない。

 陽はもう高く昇っている。そろそろ腹減りだなんだと、あとりが騒ぎ出す頃だ。桃木の背を追いながら、彼はもし少女を見つけたら依頼人に何と言って小休止に持ち込むかを考えていた。

 足早に向かうと、十分も経たずに公園の入口が二人を出迎えた。だだっ広い広場に人気はない。京介は奥の植栽の中に、見慣れた栗毛の少女を見つけた。こちらに背を向け、しゃがみ込んでいるようだ。

「何か見つけたか」

「!」

 ガサガサと音を立てて植栽に踏み込んで近付く彼に、あとりは一瞬びくっと震え、振り向いた。数メートル後ろにレオンの飼い主の姿を見つけると、少女は駆け寄り、

「こっちはいませんでした!」

 そう報告した。榛色の瞳はまっすぐに京介を見つめている。しかし――

「……何で嘘を吐く」

 探偵は眉根を寄せてその目を見返した。砂の塊を投げつけられたようなざらつきを、胸の内に感じていた。指摘にう、と詰まりながらも、それでも彼女は二人の前から退こうとしなかった。京介はすっと目を細め、

「……もういい、退いてろ」

 あとりの肩を押しのけて強引に通る。違う待って、本当にいなかったから、と少女は慌てるようにその背に取り縋った。心臓が立て続けに砂粒で汚されるような苦しさを覚え、彼は顔をしかめる。黒手袋が低木を掻き分け、先程少女がしゃがみ込んでいた辺りに辿り着いた。キャットケージを抱えた桃木と、押し退けられたあとりも後ろに続いた。

 三人が目にしたのは、四匹の黒猫だった。――否、

「レオン、くん……」

 彼らを見上げる三匹の黒猫と、一匹の黒猫の死骸だった。そよぐ風に美しい毛並みが揺れて、赤い首輪が垣間見える。昼寝をしているかのように細められたその瞳が、瞬くことはなかった。桃木はキャットケージを抱えて項垂うなだれる。

「なかなか帰ってこないから、心配したのよ……」

「……」

 ゆっくりとレオンに歩み寄る桃木の背中に何の言葉も掛けられず、あとりは俯いて鞄の紐をぎゅっと握った。京介は目を伏せ、猫は死期を悟ると飼い主の前から姿を消し、人目に付かないところで生涯を終えることがあると、どこかで聞いた言葉を思い出していた。

「そう……あなた達はレオンくんのお嫁さんとその子供かしらね、クリクリのおめめがそっくりで……。最期は、きっと家族で過ごしたかったのね……」

 そこまで言って、桃木はキャットケージを落とし、両手で顔を覆って泣き崩れた。三匹の黒猫は何事かと人間達を見上げながら、それでもレオンに寄り添って離れなかった。

 探偵と少女は、啜り泣く声と涙が落ちる音を黙って聞いていた。



 いつまでそうしていただろうか、桃木は少し落ち着くと、レオンを連れて帰ると言い出した。二人が見守る中、レオンは元居た家に帰るためにキャットケージに入れられたが、遺された三匹は黒猫から離れたがらなかった。

「そうよね、あなた達も寂しいわよね……うちに来る?」

 彼女は寂しそうに微笑んで三匹を抱き上げる。大人しく抱えられた三匹は、緑の瞳を丸くしながらその涙の痕を見上げた。

 桃木は猫達を連れ、礼を言って去っていった。鼻を赤くした彼女を、二人は背中が見えなくなるまで見送る。

 彼女が角を曲がるや、あとりは京介に詰め寄る。

「どうして……どうして桃木さんの前で嘘だってバラしちゃったんですか!?」

 榛色の瞳は涙で潤んでいた。目を逸らし、探偵は黒手袋で腕を組んで苦々しく吐き捨てる。

「……遅かれ早かれ分かっていただろ」

 レオンが死んでいたという事実が変えられない以上、どうしたっていつか露見していた。どう事実を歪曲したとしても、死んだものを生き返らせることはできない。それでも彼女は、飼い主を愛猫の死に直面させたくなかった。

「見つからなければ、生きているかもって希望が持てたかもしれないじゃないですか!」

「止めておけ。余計な希望を持たせると依頼人も長く苦しむことになるだろ。お前のそれはエゴでしかない」

 そう言って京介は思わず、灯火がもしどこかで生きていたとしたらと想像し、心臓を握られたように苦しくなった。ああもう、どうして今思い出すんだ。自然と顔が険しくなる。

 くらい顔で凄む彼にひるみながらも、あとりは反論する。

「……っ、優しい嘘だってあるでしょう? なんでそう、何でもかんでも嘘だって指摘しないと済まないんですか?」

 今更考えても仕方がないが、先程も一旦彼女の嘘を飲み込んだ上で話を聞き、桃木とどう対面させるか考えても良かった。咄嗟とっさにそうしなかったのは、ただ京介が目の前の少女を信じ切れていないだけだったということに他ならず、そのことがあとりを深く傷つけていた。この一週間で、少しは信頼してくれていたと思ったのに、と目頭が熱くなる。

 彼は語気を強める。

「嘘は、嘘だ。どういう意図があったとしても、事実や結果を変えることはできない。嘘を信じて後々取り返しがつかなくなるのなら、最初から全て信じない方が安全だ」

「……それって」

 どういう意味だろう。何故ここまで嘘に対し潔癖とも言える反応を示すのか、彼を知らない少女には見当もつかない事だった。無理もなかった。真意を聞こうとした問いかけに、

「……別にお前の事も、信用してる訳じゃない」

 しかし京介は拒絶の槍でさえぎった。勢いに任せて出た言葉は、彼女の心に深く刺さる。それまで我慢していた大粒の涙が、榛色の瞳からぼろぼろと零れ落ちていく。一瞬だけそれを見て、彼は少し後悔して口をつぐみ、目を伏せた。

 両手で涙を拭い、あとりはこの一週間ずっと胸に秘めていた思いを投げつける。

「せっかく、秋月さんは相手の言葉が嘘だって分かるのに……相手を疑う材料にしかなってないじゃないですか……どうせ私の事だけじゃなく、他の人の事だって最初から、信用しようともしてないくせに!」

 しゃくり上げる声に合わせ、涙の粒が頬を伝って落ちていく。もういいです! と叫ぶや否や、彼女は流れる涙をそのままに、鞄を抱えて走り去っていった。

「ああ……くそ」

 黒手袋で頭を掻きむしり、誰もいなくなった公園に苛々と吐き捨てる。見えなくなった少女の背を、京介は追うことが出来なかった。何故だか、鼻の奥で仄かに砂の香りがしていた。

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