client.3‐4
あとりはまず、依頼人宅の隣家のインターホンを鳴らした。門扉の脇の松は綺麗に刈り込まれ、客人を出迎えている。表札には『
数秒の間を置いて、玄関の古いガラス戸をガラガラと引き、
「はいはい、何の御用ですかね」
「あの、こんにちは。探偵事務所の者なんですけど――」
わあ、今私聞き込みしてる。探偵っぽい、と小さな感動を覚えながら、彼女は写真を見せて事情を話した。拙い説明にもうんうんと頷いて聞いていた犬養は、
「その猫か、それなら昨日見たよ。近くの公園によくいるよね」
写真を見るなりそう言った。よくいるんだ……と少しげんなりするあとり。
「何だい、見つけたいのか、そうでないのかどっちなんだい」
「いえ、見つけたいのは山々なんですけど、個人的には見つかって欲しくないというか……」
彼女の複雑な吐露に、なんか大変だねえ、と呟く犬養。
「お嬢ちゃん、これあげるから元気出しなよ」
半纏のポケットを漁り、甘露飴の包みを差し出した。掌の中で黄金色に輝くそれを見るや、あとりは顔を
「うわあ、懐かしい……ありがとうございます!」
頑張ってね、という声を背中に聞きながら、教わった公園へ向かう。ここから徒歩で十分程度だ。彼女は犬養に礼を言い、頑張るぞー! と貰ったばかりの飴を口に放った。
同じ頃、京介は依頼人宅の向かいの家に聞き込みをすることにした。ちょうどゴミ捨てにでも出る所だったのだろうか、くたびれた室内着の年配の男性がサンダルを履き、燃えるゴミ袋を抱えて玄関から出てきた。すみません、と声を掛けると、訝しむように目を細め、京介に視線を遣った。
「失礼、猫を探しているのですが……この猫です。ご存知ありませんか?」
手短に要件を伝え、探偵は門扉をちらりと確認する。表札には『
「……さあ、あまり外に出ないもんで、知らないね」
とにべもなく言い放ち、ゴミ袋を抱えて立ち去ろうとする。
その時、京介の眉がぴくりと動いた。
「お待ちください」
「あ?」
猿渡の進行方向に立ちはだかる。彼は怪訝な顔を向けた。
二人の間にぬるい風が吹いた。京介はゆっくりと一音一音を噛み締めるように、断定する。
「……猿渡さん、今嘘吐いたでしょう?」
猿渡を射抜くように見つめる彼の胸の内には、ざらりとした嘘の感触が残っていた。
「……何だと?」
猿渡は胸の内の動揺を隠すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「知らねぇもんは知らねぇよ。猫なんて興味もない」
言葉のすべてが嘘に満ちている、と京介は目を細めた。でなければ、こんなに胸の内が砂に塗れることはない。
「みゃーお」
その時、開いたままの玄関の奥から鳴き声がした。猿渡は舌打ちをし、ゴミ袋を持ったまま自宅に戻ろうと
「何勝手に人の家に――!」
玄関で家主を待っていた人懐っこい黒猫は、金色の瞳を丸くしながらいとも
「勝手に人様の猫を奪った人間が言うセリフか」
くっ、と猿渡はバツが悪そうに俯いた。猫は迷子になったのではなくここで保護されていたのか。否、保護と言うより誘拐か。探偵は腕の中で大人しくしている子猫を見て溜息を吐いた。
猿渡はゴミ袋を落として玄関に蹲り、本当に人懐っこいんだこの子は、と絞り出す。
「桃木さん家の猫だってのは知ってた……。よく家を抜け出して散歩していたことも。こんな爺さん相手に、この子は擦り寄ってきてくれるんだ……」
それが可愛くて可愛くてつい……と、彼は両手で顔を覆って自供する。黒猫は状況が分からず尻尾を揺らしていた。
「……一緒に返しに行きませんか、桃木さんの所へ」
探偵の言葉に猿渡は大きな溜息を吐き、力なく頷いた。
桃木邸を訪れた京介と猿渡に浴びせられたのは、想定外な言葉だった。
「この子はレオンくんじゃないわ! レオンくんはオッドアイで、右眼が金色、左眼が緑ですのよ」
写真見たら大きさだって全然違うじゃない! と桃木は言うが、預かった写真の色味が若干不鮮明なのもあり、また猫にそこまで詳しくない京介には違いが分からなかった。
「レオンくんなら首輪も付けてるから間違いようがないわ! この子にはないでしょう」
「つまり、この子は別人……いや別猫……?」
黒猫を連れてきた二人は顔を見合わせる。猿渡の勘違いで保護されていた猫は、三者に囲まれてキョロキョロしていた。
「じゃ、じゃあこの子は俺が飼っても……」
猿渡が身を乗り出して聞くと、
「レオンくんでは無い以上、それ以外の野良猫をお宅が飼うのに良いも悪いもありませんわ」
桃木は承諾した。レオンくんを狙っていたのは少々腑に落ちないけれど、と不服そうではあったが。
「お前……うちの子にして良いのか……良かった……」
猿渡は黒猫を心底大事そうに抱きしめる。黒猫は、ご機嫌そうにその頬に擦り寄った。
例え勘違いでも、本人が真実だと信じていれば嘘にはならない。嘘にしか反応しないこの体質も万能ではない、と京介は頭を振る。
「レオンくんはどこ……どこなの……!」
愛猫の行方を案じ、不安そうにわなわなと震える桃木。まだ帰れそうにないな、と彼は目を閉じて天を仰いだ。
教わった公園は、滑り台と小さな砂場があるだけで見るからに寂れていた。周囲をぐるりと低木に囲まれたその空間は、子供が遊ぶ場所というよりは気の合う老人達のゲートボールに使われそうな広場だった。平日の昼間ということもあり、人の姿はない。
高くなってきた陽に、影が縮む。そろそろお昼時だ、とあとりの腹時計も反応していた。こうなったらサクッと見つけてご飯食べたい。彼女は手近な植栽に分け入り捜索を開始した。
鞄が引っかからないように気を付けて低木を掻き分けながら、あとりは桃木の言葉を思い出していた。
『いつもひとりでお散歩するのが日課なんだけどその子がねぇ――』
「猫もお散歩するんだなあ……犬みたい」
茂みを覗き込みながら、彼女は勝手に窓から出て行って、またふらりと戻ってくる黒猫を想像する。ただ今回は少し帰りが遅すぎるようだ。
『レオンくんがまたいなくなったのよ!』
また、と言う事は何度も散歩に出ては帰って来ない事があったのか。
「無断外泊は桃木さんに怒られちゃうぞー」
木陰になっている植栽の中へ、あとりが足を踏み入れた、その時。ガサガサと近くの茂みが音を立て、六つの緑の光が瞬いた。
「ひいっ!」
よく目を凝らすと、四匹の黒猫がこちらの様子を伺っている。どこもかしこも黒猫だらけだった。思わず彼女は悲鳴を上げる。
「いっぱいいる! うわぁぁぁ!!」
完全に腰が引け、逃げ出したくなるあとり。その有様に黒猫達も警戒感を強め、三本の尻尾がぴんと立てられた。わああ来ないで、いやでも逃げないで、と彼女は両手を振り乱して慌てふためいている。
「違うの、怖がらせたいわけじゃないの! むしろこっちが怖いの!」
鳥肌を我慢してしゃがみ込み、借りた写真を取り出して改めて目を凝らす。早くレオンを連れて帰ろう。黒くて、赤い首輪の猫はどいつだ。榛色の瞳が忙しなく動いた。
「この街黒猫多すぎ! どれがレオン――」
ある一点で目が止まる。
やがて、あとりは気が付いた。
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