client.3‐3
「去年の夏だったか、庭の草むしりの依頼があった。多分そこと同じ家だ」
「それも探偵の仕事なんですね……」
京介はあとりと連れ立って、ひとまず電話のあった桃木邸へ向かうべく住宅街を歩いていた。最後の依頼になるのかな、と彼女は斜め掛け鞄の紐を握る。中身のコートは今日の終わりに返そうと決めていた。
京介はというと、植栽の緑を眩しく眺めながら、この街に流れ着いて何度目の春だろうか、とぼんやり考えていた。季節は感情を置き去りにして、景色を変えていく。もう幾度もこうして春は巡るのに、ふと傍らにいない少女の面影を探してしまう。
――春は好き?
いつかそう問われ、自分は彼女に何と返しただろうか。ああ、これも思い出すことがないよう、胸の奥に仕舞っておいたはずだったのに。京介は目を伏せ、思い出を思考の隅に追いやる。顔も声も忘れたはずの
「――さん、秋月さんってば」
歩みを止めずに平然を装い、何だ、と応える。
「何で秋月さんって毎日眠そうなんですか? ていうか私が寝ようと屋根裏に上がる時は大体起きてて、朝は私が降りてくると既に起きてますよね? いつ寝てるんですか? 昭和の良妻ですか?」
「お前の質問は何でそう矢継ぎ早なんだ……」
よくもまあそんなに口が回る、と京介は半ば呆れる。
「……人の気配がすると眠れないんだ」
「普段物静かな私で寝れないなんて、人と暮らすのに向いてないんじゃないですか」
「お前は一挙手一投足がうるさいだろうが。自覚しろ」
ああそうか、彼女は会話に悪意のある嘘や見栄を持ち込まないのだ。そこが灯火に似ている、と彼は気付く。
依頼人以外の人と関わらない隠遁者のような生活を続けていたのに、あとりはいとも簡単に人の心に飛び込んでくる。それが京介には少し眩しくもあり、また目を伏せてきた清算しきれていない過去を突きつけられるようでもあり、複雑な思いを抱かせていた。
「逆に他人の家に転がり込んでおいてよく眠れる――」
「まあ! やっと来たのね!」
言いかけた所で、突然脇の民家から声を掛けられた。
二人が塀の中を振り向くと、厚い化粧の妙齢の女性がこちらを凝視している。恰幅の良い彼女は本日の依頼人、桃木だった。
待ち侘びていたと言わんばかりに、彼女は傍の門扉を開けて出てきた。ここで初めて京介の隣に見慣れぬ少女を見つける。
「あら? こちらのお嬢さんは……」
「初めまして、助手の早川です!」
だから勝手に助手になるな、と京介は首根っこを掴んで摘み出したい気持ちを抑える。桃木はあらそうなの、と特に疑問に思うことなく受け入れたようだ。多分彼女にとっては助手だろうと何だろうと関係ないのだろう。
「人手が多いに越したことはないわ。探偵さん聞いてくださる?うち、猫飼ってたでしょう? 毛並みが綺麗な黒猫、レオンくんって言うのよいつもひとりでお散歩するのが日課なんだけどその子がねぇ――」
こちらの反応もお構い無しに降り注ぐ言葉を浴びながら、京介は完全に思い出していた。確かに真夏の炎天下、庭の草むしりをしにここに来たのを。表の庭だけでは飽き足らず、ついでに裏庭もと言い出し、その言葉の圧に負けて自宅の全周草むしりをやったのを。汗だくになって帰った思い出が蘇る。
「おぅふ、言葉の機関銃……」
遠慮ない言葉の雨に絡め取られ、珍しくあとりも若干引いている。
「聞いてらっしゃるの? とにかくレオンくんがまたいなくなったのよ! 探すの手伝ってくださる?」
「……なるほど」
言いたい事をあらかた言ってしまった桃木の顔からは、当然受けるわよね? という圧を感じる。断るという選択肢は許されない雰囲気が漂っていた。
「……承知しました」
「まあッ頼りになるわぁありがとうよろしくお願いね!」
桃木の返事は早かった。恐らく何らかの手がかりが見つかるまで、二人は解放されなさそうだった。
京介は心の中で溜息を吐いた。
「手っ取り早く済ませるぞ」
「うい」
桃木から借りたレオンの写真を元に、二人は捜索を開始した。本来猫探しの依頼は夜行性の猫に合わせて夜行うが、それまで待ってはいられなさそうだった。桃木が。彼女はレオンの好む玩具やフードを持って後から合流する
京介は隣の少女が大人しいのに首を捻る。
「……珍しく乗り気じゃないな」
依頼と聞くと元気になる彼女が、今日は後ろ向きだ。彼女は渋い顔で、
「猫がその……目が怖くて」
瞳孔がこう縦にシュッとなってるのがちょっと、と両肩を抱いて絞り出す。その腕には鳥肌が浮いていた。彼は嘆息する。
「早く終わらせたいから、手分けして聞き込みと捜索やるぞ」
「うい……私の方で見つかって欲しくないなぁ」
彼女の持ち前の幸運ならばすぐに見つかるかもと京介は思ったが、この調子だと見つかる方がアンラッキーなのかもしれない。
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