client.2‐15
時は京介が悪夢に
アパートの暗い一室には、深夜特有のどろりとした空気が横たわっていた。微かなクリック音だけが、室内に響き渡る。隙なく暗幕を引いた物置のように狭い部屋には、机と椅子、そしてパソコンとその液晶を見つめる若い男だけが鎮座している。照明もなく、彼を照らしているのは画面に表示されていたSNSの白い光だけだった。
マウスを握りスクロールする手が、ある投稿でぴたりと止まる。
それは他のユーザーから拡散された画像だった。現時点で一万件近くの拡散といいねを獲得したその投稿には、『すごい』という短い一文と写真と位置情報だけが掲載されている。メリーポピンズのように傘を開いて舞い降りる少女と、それに手を伸ばす男性。雨粒に柔らかな夕陽が差し込み反射する様が構図をファンタジーに印象付け、二人の邂逅を感動的なものにしていた。
一見して良くありそうな創作物だったが、
「……加工じゃないね」
切れ長の青い瞳をすっと細め、画面を見つめる。画像を切り貼りしたような背景の歪みやワイヤーなどの命綱を消した跡など、不自然さはない。念の為画像解析ソフトにかけてみるが、機械の目から見ても加工の形跡はなかった。
「……」
投稿に掲載されていた位置情報を検索すると、山間の寂れた大吊橋がヒットした。枯れた沢に掛かる、三、四十メートルほどの高さの古い橋。周りには何も無かった。沢に下りる道という道もなく、人を吊り上げる重機も入らない。この夕陽の中で
「……はは」
画像の角度で少女が宙を舞うには、橋から飛び降りるしかなかった。男は端正な顔を歪めて笑い、肩にかかる銀髪をさらりと掻き上げた。
この写真は、では自殺の瞬間を捉えたものだろうか。否、と男は結論付ける。彼女の瞳は驚きに見開かれているものの、着ているコートの控えめなはためきや写真のブレのなさを見るに、自由落下のスピードのそれではない。何よりそれを見つめる黒手袋の男の表情は、光に救いを見出したかのように穏やかなものだった。少女はきっと、無事に着地したのだろう。
「なるほど、奇跡の瞬間……か」
コメント欄にもある言葉を引用し、感想を述べる。
そして――画像の男性に、男は見覚えがあった。
「まだ生きてたんだね?京介……」
しぶといなあ、と青い瞳を宵闇の三日月のように細く歪める。他に類を見ない、嘘を看破する能力者。男が最後に見た彼の姿は、片割れとも言うべき存在を失い到底この先を生きていけるようには思えなかったが。
「死んでくれていたと思ったんだけど……この子に出会って、何か変わったのかな?」
細く長い指が、液晶越しに少女の頬を撫でる。奇跡に恵まれた少女。比類なき能力をほしいままにする者達への憧れは、深い腹の底からの渇望となり男を内から焦がす。ああ、自分になくて彼らにあるもの。人知を超える才覚による、揺らぐことのない確固たる
男の抱くそれは、愛にも似た、暗く黒い妬みだった。
彼は両腕で自分自身を抱き締め、画面の向こうの愛しい彼女への溢れんばかりの想いを
「何だか……欲しくなっちゃうじゃないか」
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