client.2‐13

 そのまま少女と女の間に割って入り、眉根を寄せて掴んだ腕を放る。彼女は探偵を真正面から睨みつけた。構わず、京介は問いをぶつける。

「あんたはあの男の妻じゃないな。本当は何なんだ」

 そこから嘘!? と彼の背後であとりは驚愕する。聴衆も息を呑み、ざわめいた。

「や、宿帳には確かに、男女のお客様どちらにも金本かねもと、とありますが……」

 女将が手元の宿帳を開き、驚いたように口に出した。どういうことだ、とどよめく広間に女は膝から崩れ落ちた。

「……金本、にもうすぐなるはずだったんです。そうしてくれるって……彼は約束してくれていたのに……!」

 涙を滲ませ、独白は続く。

「昨日喧嘩になって、彼が出て行った隙に彼のスマホが鳴って……女の名前が表示されたんです……風呂上がりに煙草を吸ってた彼に問い詰めたら、奥さんだ、って言ってて」

 つまりこの女性は不倫相手だったと。しかもこの様子では、妻がいることすら知らされていなかったようだった。京介は溜息を吐いた。あとりはおずおずと、彼の背中越しに問いかける。

「だからって……壺で殴って殺したんですか?」

「違う!! 殴ってなんかない!」

 え? と疑問符が浮いた少女は京介の顔を見る。探偵は小さく頷いた。女の言葉は真実だ。

「問い詰めて……彼を脱衣場の棚に突き飛ばしたんです。そしたら……上から壺が降ってきて」

 動かなくなった彼を見て怖くなって逃げたんです、と彼女は語り、泣き崩れた。その言葉に、京介は嘘を感じなかった。

 彼が温泉で会った時、男は酒に酔っていた。入浴でさらに酔いが回ったところで突き飛ばされ、足がもつれでもしたら大の男でも棚に激突することはあるだろう。

 それと同時に、彼は脱衣場の間取りを思い出していた。棚の高さは二メートルほど。もしあの高さからあの重さの鉄壺が降ってくれば、当たりどころによっては充分に死因になりうる。

 静寂の中で涙を啜る声が、再び聴衆の中心に響き渡る。

 数拍の沈黙を破ったのは、ちょっと待って下さい、と女将が口を挟む声だった。

「上から……? そんなはずは……。壺なら玄関から回収した後、脱衣場の隅に置いたはずですが」

「え」

 あとりは京介を見たが、彼もまた眉根を寄せてはいるが小さく頷いている。女将の言葉もまた、嘘ではなかった。彼女は訝しむように続ける。

「それに煙草って……うちに喫煙所はないですよ」

 確かに屋内を探索した際、特別に喫煙所として整備しているスペースはなかった。ある一ヶ所を除いては。

 聴衆のうち、数人が女将の言葉にぴくりと震えたのを探偵は見逃さなかった。

「……あんたは知ってるんじゃないのか」

 彼が向き直ったのは、ひとりの従業員。乾いたデッキブラシを片手に家族湯から出てきていた、あの掃除夫だった。男はまさか自分に来るとは思わなかったのか、動揺を隠せないでいる。

「な、何も」

「嘘だな」

 しどろもどろに否定する従業員に、京介は間髪入れず断定した。あとりも追従する。

「家族湯に吸殻がいっぱいあったんですけど、あなたも吸ってたんですか?」

 彼女の言葉に掃除夫はしばらく黙っていたが、

「はい……家族湯でこっそり吸ってました……すみません……」

 額の汗を袖で拭きながら白状した。女将はその告白に憤る。

「ちょっと! 喫煙所を無くして全面禁煙にしたから、これを機に皆禁煙しましょうって言ったじゃない! しかも故障中の家族湯でこそこそと……恥ずかしくないの!?」

 掃除夫だけでなく、他にも数人の従業員が一斉に視線を逸らした。どうやら喫煙者達は、女将には黙ってあの場所を共有していたようだった。

「修理は業者が見つからないからまだ先にしようって言ってたのは、喫煙所を確保する為に……? ま、まさかお客様をお通ししたりしてないわよね……?」

 わなわなと震える彼女に、掃除夫は恐ろしさか目を伏せて力なく答えた。

「今朝亡くなったお客様に……昨日、煙草を吸いたいと言われ……館内禁煙なんですってお伝えしたんですが、僕から煙草の臭いがするってバレて……女将さんには内緒にすることを条件に、紹介しました……」

 聞くや否や、女将は何てことを! と激昂し宿帳を投げつけた。帳簿のページが男を叩き、ばさばさと乾いた音を立てて床に開いたまま落ちる。彼はもうこれ以上黙っていても仕方がない、と言うように、洗いざらい吐き出した。

「企画内容の『壺はどこか』がバレてしまうと思い、お客様を家族湯に通す前に、視界に入らないところに置こうと、咄嗟とっさに床にあった壺を棚の上に移動させました……まさかこんなことになるとは」

 すみません、すみません、と何度も頭を下げる男。他の従業員の何やってんだ、というヤジと怒り狂う女将の声が食事処にこだました。

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