client.2‐12

 階段を降りた二人の耳に飛び込んできたのは、食事処から響く騒がしい声だった。何事かと急ぐと、

「だから! 俺は見付けただけで何も関係ないんだって!!」

 多くの従業員と宿泊客が集まるその場で、茶髪の学生が年配の男性客に怒鳴っている所だった。あまりの剣幕にあとりはたじろぐ。

「わわ……どうしま」

 しょ、と彼女より一歩前に出た京介を見ると、彼は学生に目を向けたまま、さりげなく身体の影で二本の黒い指を重ねていた。今の言葉は嘘。鑑別はもう始まってるんだ、とあとりは慌てて学生に向き直る。

「ちょ、ちょっと落ち着いてください! どうしたんですか!?」

 言い争いの中心にいた茶髪の彼は、聞いて下さいよ、と彼女に訴える。

「件の死体、俺が今朝見つけたんですけど、だから俺が殺したんだってこの人が疑うんですよ! 逆に疑ってるこのあんたの方が怪しいだろ!」

 そう言って指を差したのは、年配の男性客。京介の指は反応していない。水を向けられた男性客は憤慨する。

「どんな推理小説だって、第一発見者が犯人の可能性が高いだろう! それにそんな男の事など知るか!」

 あなた落ち着いて、と老いた妻が取縋とりすがるが、怒りは収まらない様子だ。言葉の内、知るか、の部分で黒手袋の指が重なった。彼は何かを知っている。間髪入れず、眼鏡の大学生が口を出した。

「怪しい怪しくないで言えば、亡くなった男性の奥様が唯一のご家族でしょうから、何かトラブルもあろうと言うもの。一番に疑うべきではないでしょうか?」

「お、おいお前、さすがにそれは」

 隣の坊主の学生が咎めるが、周囲の視線は俯いていた女性客に向けられた。

「主人は……朝まで一緒に寝ていたはずでした……でも、起きたらこんなことに……どうして」

 そこまで言って泣き崩れた。愛する男性を失った遺族であれば、彼女もまた被害者に他ならない。疑いの目を向けるなど、なんと非情なことを。

 その場で騒いでいた一同はそう口をつぐんだ――が、しかし。探偵は、彼女の言葉に指を重ね続けていた。

 大広間に張り詰める緊張と、重苦しい沈黙、啜り泣く声。

 あの人は嘘を吐いていて、あの人が言っていることは本当。そしてあの人は半分本当。あれ? でもあの人って何て言ってたっけ? あれ?

 あとりの頭は――もうとっくにパンク寸前だった。あの、と控えめに挙手をした彼女に、その場の全視線が集中する。


「お願いなんですけど、誰か本当のことを言って貰えないでしょうか……」


 窓の外で小鳥がさえずり、飛び立つ音がした。まるで全ての時が止まったかのように――従業員も宿泊客も誰もかもが、口をぽかんと開けて少女を見つめる。注目の的の彼女は、耳まで赤くなるのを感じた。

 結局無策で突っ込むんじゃねえか、と京介は黒手袋で頭を抱える。

「え、えーと、まずはそこのあなた達!」

「お、俺らっすか」

 気を取り直してあとりは学生三人組を勢い良く指差し、彼らはおののいた。彼女は構わず続ける。

「商店街で私に福引を勧めてきた人達ですよね? さっき思い出しましたけど!」

「うお、バレてる!」

 坊主の学生は面食らったように叫んだ。三人中二人が、商店街であとりに声を掛けた学生だった。普通顔を見たらすぐに思い出さないか?と京介は思ったが口には出さなかった。

 彼女は三人にびしっと指を差す。

「そしてその正体は……学生Dotuber、カウントダウンブラザーズの皆さん!」

「え」

 三人はぎくりとして固まった。

「名前出しましょうか?茶髪の一木いちきシエスタさん、眼鏡の二島ふたしまボンさん、坊主の三田みたルンプールさん」

 ひとりひとりを指差すあとり。三田と呼ばれた男は恐る恐る問いかける。

「もしかして視聴者さんっすか……?」

 彼女はふふん、と不敵に笑う。実は一ミリも知らなかった。先ほど階段で、おすすめ動画のポップアップを開くまでは。

 それは視聴者の趣向に合わせ、動画配信アプリがランダムで『この動画もおすすめ』として新たな配信者や動画との出会いを促すものであった。ある程度は人気のあるDotuberや注目されている動画が引き合いに出される傾向ではあったが、彼らのようなチャンネル登録者数千人以下の動画配信者など星の数ほど存在する。

 それこそ天文学的確率で、この少女は彼らの動画を引き当てたのだ。末恐ろしい幸運だ、と京介は目を見張る。

「あなた達は、動画の企画でこの宿を訪れた。そうですよね? 一木さん」

 あとりは茶髪の学生――一木を真っ直ぐに見据えた。一木は目を丸くしてあたふたし、隣の二島と三田に目配せする。何これ? ドッキリ? いや知らない。彼女の指摘に、三人組はひとしきり慌てていた。

「……もう全部バラしたら良いじゃないですか」

 声を掛けたのは、その様子を見ていた女将だった。

「ちょ、女将さん!」

 二島は制止しようとするが、彼女はもう調べはついてるんでしょ? と言葉を続ける。

「この宿を舞台にした、一般人を巻き込んでのドッキリ企画……温泉宿で突然事件が起こったら、宿泊客はどんな反応をするのか、という企画に協力していたんです」

「なんてはた迷惑な企画……」

 あとりは呆れて呟き、京介に視線を遣る。ハンドサインは送られていなかった。彼も呆れたように目を細めている。

「だからお部屋にカメラを仕掛けたりしてたんですね」

「それも見つかっていたのですね……部屋を覗くような真似を、大変申し訳ございません」

 少女の言葉に、女将は頭を下げる。

「でも! こんな殺人事件を起こすなんて聞いて無かったんです!せいぜい、消えた壺の謎を宿泊客の前で披露するくらいだと聞いていたのに……!」

「だ、だから俺は殺してないですって!」

 女将に睨まれた一木は全力で両手を振って否定する。京介の手元は二人の言葉に無反応だった。

「いえ、一木さんは犯人じゃないです!」

 今にも掴みかかりそうだった女将はえ? と固まり、あとりを振り返る。一木は難を逃れたように二島と三田の後ろに隠れた。

「一木さんは純粋に、死体を見つけただけですよね?」

「そうです! 朝食会場で消えた壺の謎解きをするのに壺が必要なのに、女将さんが持ってくるの忘れてたから! だから回収しようとしただけだったんです!」

 黒手袋は無反応。一木はシロだ。あなた達も! と少女は二島、三田にも駄目押しで問いかけるが、彼らが口々に言う違います、という言葉に京介は反応しなかった。

「そう、彼らは殺してないんです。ただ、はた迷惑な企画をこの宿でやろうとしただけで」

 次に本当のことを話して欲しいのは……と、名探偵がそうするように、あとりは聴衆の中をゆっくりと歩き回る。従業員も宿泊客も、すっかり彼女の一挙手一投足に釘付けになっていた。

 やがて年配の男性客の前で立ち止まる。

「お爺さん、あなたも無関係じゃないですよね? 彼らの過去動画のサムネに載ってましたけど」

「ぐ……」

 あとりはスマートフォンを操作し、カウントダウンブラザーズが投稿した動画リストを見せた。確かに、老夫婦と思しき二人がサムネイル画像に載っている動画がある。

「一木さん達が雇ったんですか?」

 学生三人を見ると、

「そうです。池田さんご夫妻には、度々動画にキャストとしてご出演いただいています」

 二島が眼鏡を掛け直しながらすんなり答えた。池田と呼ばれた老年の男は苦虫を噛み潰したような顔で語る。

「儂らは確かに雇われでここにいるが、それはただこの宿で『楽しんでいる振りをしろ』と依頼されたからだ。企画ターゲットの宿泊客が誰なのかは知っていたが……殺しはしていない」

 さりげなくあとりは京介を振り向いたが、黒い手は腕を組んだまま動かなかった。彼もシロか。

「……ええ、殺したのはあなたでもありません」

 あたかも最初から犯人ではないと知っていたかのように少女は呟いた。何か楽しそうじゃないか、と探偵は物言いたげにあとりを横目で見遣る。

 あと嘘吐いてたの誰だっけ、と彼女が思い出していたその時、一木が声を上げた。

「じゃ、じゃああと怪しいのは……奥さん!?」

 一斉に、啜り泣いていたショートカットの女性客に視線が集まる。彼女は頬に涙の跡を残したまま、注目に困惑してえ? え? と視線を彷徨わせた。髪を振り乱して言葉を絞り出す。

「どうして……? 主人を失ってなお、疑われなきゃいけないの……?」

 ねえ何とか言ってよ! とあとりに駆け寄り縋ろうとする。

 その腕が少女に迫る寸前で、京介が掴んだ。

「……それが嘘だ」

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